電脳社会の日本語

表紙

加藤弘一 著
装填 坂田政則
文春新書
ISBN4-16-660094-X \710(税別)

 ご自分のサイト、"ほら貝"(http://www.horagai.com/)で、日本語、さらにはその文字コードに関する問題についてさまざまな提言をなさってこられている加藤さんの活動ぶりは、すでにご存じの方もいらっしゃることも多いと思います。その加藤さんが、ご自身のサイトでも発表されていた文章に、大幅な加筆修正を加えて発表された本。

 コンピュータで情報をやりとりする、という事は、とりもなおさずコンピュータに伝達可能な文字だけを用いる、ということになる訳で、大量の表意文字をかかえる漢字文化圏では、どの文字を使い、どの文字を使わないかを決める必要が出てくる訳で、この必要に迫られてできあがったものが、現在われわれがコンピュータやワープロを使ううえでおなじみになった、JIS第一水準、第二水準の漢字ということになります。

 本書は、漢字コードが国際的にどういう位置づけのなかで制定されてきたか、その制定の仕方に問題はないのか、さらには新たな文字コード体系といえるユニコードに関する記述までも含んだ、コンピュータにおける日本語の使われ方に対する考察の本となってるワケですが、これがなかなか興味深い。何かと話題になる文字コードですが、ご承知のように日本語といってもそこにはISO-2022-JP(俗に言うJISコード)、マイクロソフトとアスキーが中心になって制定したShift-JIS、UNIXの世界でおなじみのEUCと、三つのコードが乱立しているわけですが、そんなことが起きてしまった根本には、もともと、だれも真剣にコンピュータの世界で使う日本語をどう決めるのかについて、考えてこなかった、という問題があったということがわかってきます。

 どうも日本という国は、先を見据えて何かを決めておく、というのが大変にヘタな国なんだなあ、というのは、たとえばエネルギー問題、外交問題など、さまざまな分野で目につくんですが、ここでもそんな状況が見えてきますね。こうして目の前に見えるごく狭い範囲のものごとに、その場限りのパッチあてみたいな対処療法ばかりでしのいでばかりだと、そのうち日本って国はいろんなところで強烈なしっぺ返しをくらってしまうんではないかな、などと思ってしまいますな。てかもうくらいつつあるかもしれんなぁ。

00/5/3

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