「オウム法廷」(5)

ウソつきは誰か?

表紙

降幡賢一 著
カバー装填 神田昇和
朝日文庫
ISBN4-02-261287-8 \780(税別)

 支離滅裂な「グル」の供述、教団という特殊な環境から離れた時に初めて見えて来たさまざまな現実と向き合った時の心の葛藤が、被告信徒たちに波紋を投げかけ始めた5年目のオウム法廷。各被告が、自分なりの悔悛の情を見せつつも保身に走ろうという動きも見えてくるあたりは、やっぱ人間なんだなあって感じですか。第5巻ではいちはやく麻原と敵対する姿勢を明らかにしたもと教団幹部、井上嘉浩被告と、教団幹部で最後に逮捕された林泰男被告との間、教団ナンバー2とされる早川被告と、同じく阪本弁護士一家殺害の実行犯の一人である岡崎被告の間での証言の食い違いと対立を軸に、強固な信仰に縛られた集団と思われたオウム真理教という団体が、実は(同じく法廷で証言した、端本被告の証言にもあるとおり)意外に雑な、マンガじみた組織であったことが浮き彫りになってきます。

 オウムという組織が、アニメやインターネットという実にイマ風なメディアをうまく利用して、若い人たちの心に強い印象を与えることに成功したことはつとに知られていますが、その組織の中にあってもまた、アニメ的な夢想が大手をふっていたことが解ってくるにつれて、オウムという組織がなぜこうも簡単に多くの人を惹きつけていったかが解らなくなってくる、というか、解るだけに空恐ろしいものをその背後に感じてしまうというか、複雑な気分になってきますね。

 普通の人間であれば、アニメで描かれた世界というものは、どんなに"シリアス"と見えるものであってもそれは何かのディフォルメであって、そっくりそのまま、それを現実に投影することなど無理だってことはわかりそうなものなのに、この閉ざされた世界のなかでは、、それが"ディフォルメされたモノなのだ"という認識が完全に抜け落ちていて、しかもその事に疑問を差し挟めないような状況が出来上がってしまっているんですね。これはつまり日本人というものがどうしようもなく幼児化してしまった、ということを(皮肉にも現実で)ディフォルメしてみせたものがオウム真理教であったということになるか。

 なかなか、考えさせられる一冊なんですが、それとは別に妙に気にかかることが。阪本弁護士一家殺害事件の初動捜査にあって神奈川県警が極めて後手に回ってしまったことに言及した一節。この中で神奈川県警の動きが鈍かったことについて、「阪本弁護士が左翼であったという認識が県警側にあったのではないか」という示唆がなされていたこと。警察なんてのは基本的に保守的な勢力なワケですけれども、それでも左翼的思想をもった人物にふりかかる災難は気をいれて捜査しなくていい、ということにはならないですよね。本書の目的とはちょっとズレてしまうのですが、これもまた日本の大問題なんでないかなあ、と。

00/2/9

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