「カーラのゲーム」

表紙

ゴードン・スティーヴンズ 著/藤倉秀彦 訳
カバーイラスト 生頼範義
カバーデザイン 矢島高光
創元ノヴェルズ
ISBN4-488-80133-1 \700(税別)
ISBN4-488-80134-X \700(税別)

 1994年ボスニア。同じ人間同士が民族や宗教という些細な違いだけで凄惨な殺し合いをつづける悲劇の地帯。超大国同士の思惑などもからんで、有効な手を打つこともできず徒に会議だけを繰り返す国連の動きをよそに、ここでは兵士たちも、老人も、女も、子供たちも、飢えに苦しみ、寒さにふるえ、そして何の意味もなく死んで行く。凄惨な戦場にあって必死の監視活動を続ける国連軍事監視団の兵士たちもまた、この内戦の中、自らの命を危険にさらしていた。そんな彼らに抜き差しならない危機が訪れたとき、ようやく国連もこの地域への空爆を決定、英国の精鋭、SASの部隊が爆撃ポイントの指示のため現地に進出する。だが、つまらぬ手違いからSASのチームはセルビア軍の砲撃に曝されで大きな損害を受けてしまう。瀕死の重傷を負ったSASの兵士たちの危機を救ったのは、同じように砲撃に曝されていた一人の女性、カーラだった。

 世界最強の特殊部隊と言われる英国SASの勇者たちと、彼らによって戦士の生きざまのようなものを教えられ、過酷な戦場で最愛の夫も息子も失いながら、自分の戦いを続けていくカーラ。彼らと彼女は、やがて思いもよらない形で再会することになる。その時………。

 クランシーに代表される大がかりなハイテク軍事サスペンスにもさすがに食傷ぎみな昨今の風潮を反映したのかどうかは知りませんが、最近はこれらのしかけの大きな作品(いや、そういうのも好きなんですけどね)とは違い、人間本来のからだと気持ちを主な武器にして戦う主人公の物語が出てきているのはうれしい限り。最近ではアンディ・マクナブの「リモート・コントロール」なんてえ掘り出し物がありましたが、この作品もまたそういう流れの一作。で、これは久々の冒険小説の大傑作であります。

 お話のなかで大きな意味をもつ舞台としてボスニアという、新聞なんかではよく目にするわりにはその内情がよくわからなかった地域を選んでいる所がまず新鮮ですね。ここではたとえば米ソ冷戦とか、中東のテロリスト対西欧文明、みたいな比較的わかりやすい図式は存在しません。殺すほうも殺されるほうも、等しくそれなりの理由があり、悪もあれば悲劇もある。そしてそこに介入している貸していないのかわからない、国連という看板の陰で何やらうごめいてる大国たち、という図式は、今までなかなかお目にかかれなかったパターンですね。

 クランシーなんかにとっては、あくまで強いアメリカ人が出かけて行く所でしかない、紛争で苦しむ小国にもやはり人が暮らしているわけで、人が暮らしている以上、そこには等しく生きるドラマがあるわけですが、これまでの海外冒険小説の大半は、こういった小国の人々は単なる背景としての描き方しかされていなかったように思います(こういう、苦しんでいる人々の戦いを描くってことでは、我らが日本軍の船戸与一さんの作品なんかがとてもすばらしいんですが)が、そんな、ただひたすら苦しむだけの環境から、勇気だけを武器に立ち上がり、自分のルールで、自分のゲームを戦って行く主人公、カーラと、彼女がその勇気をもつきっかけを作ったSASの戦士、フィンを中心にした登場人物の面々の描写がすばらしい。やっぱお話ってのは人間が造るもんなんだよなあ、などとごく当たり前のことをしみじみと感じさせてもらえる作品。お話の起伏のつけ方、フラッシュバック(っていうのかな)を効果的に使った構成の巧みさもあって、特に後半はページ置くあたわぬ面白さ。

 復讐譚としても、軍事冒険小説としても、スパイ小説としても抜群にできのいい作品なんですが、やっぱその根底には「負け犬から這い上がる主人公の戦いぶり」っていう、個人的に冒険小説の必要条件であると思ってる要素がしっかりとあってこそのこの面白さなんだと思います。ラストまで目を離せない面白さ。いやあ、ラストは久々にじーんとしちゃいましたよ。必読

00/1/25

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