「マスコミかジャーナリズムか」

表紙

本多勝一 著
カバー装丁 田村義也
朝日文庫
ISBN4-02-261285-1 \520(税別)

 さてかたや震災の真っ只中、たった今家を失い、愛する人と別れる羽目になってしまった膨大な市民を前に、報道するとはどういうことなのか、という根源的な問いかけを突きつけられた若い記者がいるかと思えば、他方では本来常に対立すべき権力の側にとり込まれ、権力の都合の良い報道だけをしつつづける、もはやジャーナリズムとはとても言えないただのマスコミ集団に成り下がってしまった報道機関の姿もある。常に道理にあわないモノに鋭い批判を咥えることを止めない本多勝一さんが、このもはやジャーナリズムとはいえないものに成り下がってしまった集まりに対して、たとえそれが自分の拠って立つ基盤である世界であっても、あるいはだからこそ、厳しく容赦のない批判をくわえるのは、まあ当然と言えば当然か。

 報道し、主張することを目的にしつつ、資本主義社会の中にあって会社という組織を維持し、拡大していかなければならない(資本主義の大原則ですな)という事情もまた見据えなくてはいけないという一種のジレンマをかかえて肥大化するジャーナリズムではありますが、ではそのジレンマを解消する方法はあるのかないのか。

 本書はだいたい1992〜1999年に渡って書かれたり、語られたことの再録になるんですが、そのヴォリュームの大部分は、だいたい1995年以前のものになります。本多さんがその後選んだ方法は、ご存じの通り「週刊金曜日」と言う雑誌の立ち上げであったわけですね。で、当時は思いつきもしなかった解答が実は今、我々の前にあると言うのは興味深いところかもしれません。言うまでもなくインターネットの普及です。

 これまで、鍛えぬかれたジャーナリストが時間なり、金なり、命をかけて報道してきたものごとのいくつかが、そこらにいる普通の人々であってもタイミングさえ会えば全世界に発信でき、その事に対して権力は完全には歯止めをかけえない状態、というのは何やら革命的なことなのかもしれません。全く新しい状況が今我々の目の前にはあるわけですが、その事を本多さんがどう感じているのか、ちょっと知りたいな、とか思ったりしますね。

 ということでまあいつも通りの本多節なんですが、じつはそのインターネットの世界にあっては本多勝一氏に対する批判もまた巻き起こっており、その中のいくつかは充分にうなずけるものであるだけになかなか皮肉なものであると思います。そういう意味では本当に公平な報道の世界ってもののとば口みたいなものが見えかかってるのかも知れないですね。今はまだ、非常な危うさもまたあわせ持っているとしても。

00/1/18

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