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秘湯を目指して ――立山新湯への旅 3日目――


種別天候日程
晴れ 2004年8月12日〜14日
 さて夜が明けるといよいよ新湯へ最後の行程です。残りは僅かですがここからは湯川谷の遡行になります。
 川原におりると兎谷の出会いまで球場でも作りそうな広い工事現場になっています。こうなると遡行とか川原歩きとかいう雰囲気ではありません。ガレ石の築山やキャタピラの轍を越えて行くので、遠くから見えてるのに湯川谷の口にはなかなか近づかない上に、やっと現場を抜け出して川原に入っても、こんどは頻繁に増水しているためか足もとが締まってません。
       湯川谷の広いだだっぴろい川原 photo by Jn(photo by Jn)
 そこそこ大き目の石でも足を載せると回りの石に沈み込んでしまいます。さすがにこうなると、悪路に不慣れなばたやん奥様には厳しいようです。そういうことで、ここでばたやん夫妻は引き返し、残りりの行程は税理士さんと探検家の二人で行くことになりました。
 兎谷出会いを過ぎても川原が広いので、谷を横切る砂防堰堤は横幅が広いものが続きます。一つ目の堰堤は強烈に横幅が広いのですが高さは3mほどです。手を伸ばして残り1mほどというのは、ちょっと離れて見ると行けそうな気がしますが、近くに寄って見ると手軽に乗り越えられるほど低くもありません。跳んでも絶対に届かない高さです。でもここは堰堤にヒビが入ってたり踏み台になりそな岩が転がってたりするので、あちこちから登れそうな雰囲気がぷんぷんしてます。
 なんにせよ堰堤の端から巻けば問題なく登れそうなのですが、横幅の広い堰堤なので探検家達は端まで歩きたくない様子。とりあえず登れそうな場所を手近なとこから試すことにしたようです。

 彼らは沢であれ洞穴であれ難所にくると、「どう考えてもここ一箇所しか進めんやろ」と言うとき以外、いつも散開してそれぞれ行けそうな場所を試します。でも、自分がいけたからといってすぐに他の人を呼びに戻ったりしません。こういう場面での優しさは悪徳だと知ってるからです。もちろん自慢したり嫌がらせやイタズラするためならほいほい戻ってきますが。
 そんな訳で探検家が何箇所か試してるうちに、気付けば税理士さんが見当らなくなってます。もう登ってしまったようです。こういうとこで一人残されると微妙に不安ですが、声を出して所在を確認するのも悔しいので、税理士さんが登ったであろう場所にコッソリ移動してチャレンジしています。でも昨日の疲れが残ってるのか、単に運動不足か体が重くてなかなか登れないようです。
税理士 砂防堰堤との戦い  結局、これ以上遅れて同じとこから登るのはなおさら悔しいと考えたのか、走りまわって何とか登れる別の場所を見つけたようです。じつは残置のトラロープを使ったことは秘密ですが。

 最初の堰堤を越すと少し谷も深まり、さすがに工事現場の雰囲気はなくなりました。谷が深くなったぶん堰堤の高さもほいほい越せるようなものではなくなりますが、逆にぶち壊れてて下をくぐれものもあるようです。
探検家 砂防堰堤との戦い




 なんにせよ5mを越す堰堤は巻くしかありません。となると、できればずっと同じ側の岸を登りたいのですが、そう上手くは行きません。濡れると帰りの荷物が重くなるので、探検家は堰堤が見えてくると近づく前にどちらから登れるか予想して、早い目に浅いところで渡渉しているようです。で外れて堰堤直下でしぶきを浴びたり、堰堤間際の深いとこで渡渉し直したりするので結局びしょぬれです。
堰堤の前を走る(photo by Jn)
 そんなこんなでいくつか砂防堰堤を越えましたが、ここにきてなんとなく空模様がおかしくなってきてます。雨の中での入湯も嫌ですが、それ以上に土石流とかになるとかないません。新湯まで残りの堰堤が2つか3つというあたりで、探検家は何か降ってきたと言い出しました。別に手や顔にポツポツきたわけではなく、何かしきりに降ってるように見えるようです。遠くの雨粒が見えるのか気のせいか分かりませんが、それほど目が良いとは思えないので飛蚊症でないことを祈ります。
新湯の気配 photo by Jn

(photo by Jn)
 しかしまあホントに雨だと困るので、二人で相談して、はっきりと降り出したら引き返すことになりました。その後も探検家は気になって遠くを見ますが、曇り空がバックだと白くて雨がよく分かりません。そこで森に視線を移すと、堰堤の向こうにこんもり湯気が見えていました。

 目的地が突然見えるというのは最高に盛り上がります。海でも岬を回ると目の前に砂浜が広がってたりすると最高です。逆にスタートから見えてる島がいつまでも近づかないとか、頂上やと思って登ってたらもっと高いとこがあったりすると萎えに萎えてしまいます。なんにせよ今回は最高の盛り上がりです。
 最後も高い堰堤でしたが、盛り上がってる税理士さんはいつもに増してざくざく進みます。でも登りで探検家の体が重いのはいつもと変わらないので、これまでに増して税理士さんにおいてかれ気味です。税理士さんは一番乗りのつもりで堰堤の上にあがりましたが、川原には焚き火を囲んだ一団がいるやないですか。この一団はザラ峠を下り昨夜はここでサイトしたパーティーでした。
湯滝にひたる
 実はここでこのパーティーに会えたのはすごく幸運だったのです。ここまで探検家達は食料や雨具は持ってきてましたが、野湯巡りは初めてだったので本当に必要なものがわかってませんでした。ここまでが辺り一面川原だったように、湯滝の下もだだ漏れの川原なのです。こんなとこで入湯するには、お湯をためる道具が必要です。先に来ている一団がテントシートで湯船を作ってくれてたおかげで、しっかり湯につかることができました。持つべきものは先達。大阪からかれこれ3日かけて来てお湯に入れないというオチやなくてホントに良かったです。堰堤に上がったとたん貸切や無かったので内心がっかりしてた探検家ですが、この出会いにとても感謝してます。
 さてひとしきり感謝しつつ湯につかったとこで、探検家はあっというまに飽きてしまいました。何日かけて来ても所詮はお風呂。はっきり言って風呂と便所は自宅が一番です。
 そうなるとここでしか出来ないことに興味は移ります。さっそく彼らは湯船から上り全裸で滝のぼりを始めました。が、ほんの数mで熱くて登れなくなりました。ここのことを初めて見たサイトでは、滝を直登したと書かれていましたが、すごい江戸っ子体質だったのでしょう。
 なんにせよ滝の上にある新湯には行きたいので、探検家たちは直登を諦め、服を着て滝の10mほど上流側の土壁を登りました。

新湯
 例のサイトで公開されてる写真では開けた視界に青白く美しい湯池が写ってましたが、探検家達が上がった場所は、草木に囲まれてる上にJpeg形式では真っ白になるくらい湯気がこもって見通しがききません。すっかりジャングル風呂です。
 時間をかけて池の周囲を探索したら、もっといい場所が見つかるかもしれませんが、天候や時間の都合を考えるとそろそろ下山したほうが良さそうです。ここまで来れただけでもじゅうぶんに楽しみました。残りはいつか分かりませんが、次回にオアズケです。
 そうと決めると二人は、ばたやん夫妻が待つ温泉跡へ駆け戻っていきました。
走ってかえる税理士さん 探検家も走ってます photo by Jn(photo by Jn)

 ところで、探検家たちが登ってる間、ばたやん夫妻はなにをしてたのでしょう。
 ばたやん夫妻は、噴泉から湯川谷沿いの道を下り、林道終点の「天涯の湯」に入っていました。おかげで帰りのルートがはっきりしたのは大収穫です。しかも収穫はそれだけではありません。
 ばたやん夫妻がほっこりして温泉跡に帰ってくると、驚いたことに車が停まっていて人の気配がありました。実は温泉跡の慰霊塔にまつられている人の子孫の人達は、林道の通行許可証を持っていて、お盆のお参りに来てたのです。江戸時代に亡くなった方のお参りとは、ホントにスバラシイ特権信心深さです。それに、山を敬う姿勢にも頭が下がります。お参りに来れれたいうのにしっかりした装備を整えているあたり、山を敬う気持ちの顕れにちがいありません。まあ、探検家達がスニーカーとかビーサンで来てるのもどうかと思いますが。
 しかも、すてきなことに子孫に富山の料理人がいたようです。この人達は林道の通行許可証を持ってるだけでなく、なんとご馳走も持っていたのです。
 そこでばたやんマグロの昆布じめ、ビールにおにぎりを頂きました。さすがです。あとは帰るだけとはいえ長い道のり。お米とか麺とかの主食以外は食料難な彼らには大収穫です。
 もちろん子孫の人達は、新湯に行ってる税理士さんと探検家の分も用意しておいて下さいました。ありがたいことです。燃費の悪い探検家にはありがたいおにぎりと昆布でした。ええ昆布だけしか残ってませんでしたがとてもおいしゅうございました。

障害物をこえて進む  さて帰りは、ばたやん夫妻がのおかげで道に迷うことはありません。多少の障害物があっても下見済みなんでさくさくです。
立山の“土柱”  しかしまあ障害物を置きたくなる気持ちもわからなくありません。なんせ山肌がえらいことになってますから。
 そう言えば昔、小歩危の帰り徳島の名所“土柱”を見た探検家が、「工事現場の放ったらかしの築山にいくらでもありそうや」と失礼なことを言ってましたが、まさにそんな感じ。さすが全域が現場の立山カルデラです。
 でも、立山カルデラは砂防のメッカ。ほったらかしの現場とはわけが違います。
白岩砂防ダム photo by Jn(photo by Jn)
 なんせ100年間工事しっぱなし。その最大の成果が秘密基地のような落差108mの白岩砂防ダム。すごいです!生で見るとド迫力!なにがスゴイてこれだけのものを1939年(昭和14年)に完成させてること。
水谷平 photo by Jn(photo by Jn)
 ちなみに、そのあとの65年間は何をしてたかというと、すてきな森の別荘地もとい水谷平の作業員宿舎なんかも作ってます。ここは背後に滝があったりして白岩ダムとセットでますます秘密基地度がアップしてます。どこに鉄人が隠れててもおかしくありません。
 いつか砂防事業を終える日がきたら、ぜひカルデラを公開して水谷平を宿泊施設にしてほしいものです。もちろんコンセプトは「秘境と秘密基地」。まちがえても「落人の里」とかにしてはいけません。
水谷平の建物

カルデラ入口が見える  そんなこんなで白岩展望台を過ぎるとすぐにカルデラ入口連絡所が見えてきます。
 往きの行程を思えばなんと近いこと。さて往路では連絡所でえらく苦労してましたが、帰りは大雑把に近づいています。探検家達にすれば、もう用は済んだしつまみ出されても平気ということでしょう。
連絡所はテロ警戒中
 するとびっくり、連絡所には誰もいません。土曜日はテロもお休みでしょうか。

 すんなり連絡所を通過すると残るのは12kmの舗装路だけ。そのうち始めの2km以外は延々と登りです。もう何もイベントがないとなると、帰り道というのはますます嫌になるものです。しかも2kmの下り道をくだり終え休憩してると、ついに雨が降り出しました。探検家はもう萎え萎えです。
 こうなるともうヒッチハイクしかありません。むかし走る車の前に両手を広げて踊り出し、ヒッチハイクだと言ってた探検部員がいましたが、危ないのでよいやり方ではありません。探検家のカージャックもといヒッチハイクはもっとスマートです。
トラックの荷台にて photo by Jn(photo by Jn)
 背後から車の気配が近づくたびに、探検家はガックリうなだれて膝に手をつき、疲労をアピールしています。薄情な車が2台ほど通りすぎましたが、ついに残り8kmほどで親切なおじさんがトラックの荷台にピックアップしてくれました。スマートです。

 長くなりましたが、これで新湯の旅は終わりです。
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