イタリア日記
〜 Roman Workingday 〜

2005/Jun/12

ローマ(17日目)


分厚いカーテンをぴしゃりと閉めて、 目覚ましも黙らせて、 だらだら日曜の朝のつもりが、 09:00起床。
目が覚めちゃった。

昨日と同じ、 朝食+昼食の確保。

仕事すべか、 とも思っていたが、 愛妻にそそのかされてトレステヴェレの朝市、 蚤の市に。
シャワーも浴びずに10:00のバスに乗る。



まずはナヴォナ広場近くの朝市。
おっと、 がらがら? 花屋が2件ほど。 あとは広場に続く小路にアクセサリとかの露店が並ぶのみ。
うーむ、 つまらん。
てきとーに徘徊。 まぁ、 とりあえずテヴェレは渡ってみましょうか。
SISTO橋を渡ると、 目の前の広場にも市が立っている。 どらどら?

銀のアクセサリ、 布地、 古着、 チーズ、 エスニック系小物。

まぁ、 たいがいこんなもんやね。



適当に歩くとサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂。
覗くとミサ。
信徒ではないが、 神妙に参加、 見学させてもらう。
賛美歌のあと、 神父がなにやらお話。 でも雰囲気的に、 坊主の講釈とは違う、 もっとカジュアルな感じを受ける。
その後みんな起立。 なにやら歌う。 そして終了。
後ろのドアが開け放たれる。
先に出てみると、 どうやら神父達もこのドアから出てくるようなので、 カメラを構えて待つ。

本来的には神父が先に出て、 出てくる信者達と言葉を交わしたりする場らしい。
地元の、 素のローマの人々の笑顔に、 気がつけばフィルム一本。



さて、 ここまで来たんだし、 もう一箇所の蚤の市まで行きましょう。
テヴェレ沿いを歩く。
宇治川を髣髴させる結構な水量である。
曇りがちな空から時折強烈な光線が降り注ぐと、 ジャケットを脱がずにはいられない暑さ。 日陰は涼しいんだけどね。

前方からアジア系の若者達。
直感が「日本人ではない」と告げる。 言葉から韓国人。
とはいえ、 13年前はもっとこう明らかだったのだが、 今では、 「日本人じゃないと思うが、 こーゆー日本人もいるかも」と思ったりしてしまう。
日本人、 韓国人、 中国系(台湾含む)の間で差異がなくなりつつある。 ブランド物の大きな紙バッグを提げているからといって、 日本人とは限らない。

全てに適合するわけではないが、
  • 中国系の人は、 体型が微妙にルーズ。 二重まぶたがくっきりしてて、 福々しい
  • 韓国人は、 どこかに緊張感というか、 “けん”がある
  • 日本人は、 おぼこい、 よくも悪くもへーわな感じ

ただ、 年配の旅行客となると、 もう分からない。



川沿いの道の終点が、 蚤の市会場の入り口。
すごい数の露店。 人の数もすごい。

でも。
・・・つまらん。
  • 銀のアクセとか安い石のネックレス系
  • 古着
  • 下着
  • 軍モノの古着
  • GUCCI、 Dior、 LVのコピー商品
  • サッカーユニフォームのコピー商品
  • たまに、 アジア・アフリカのエスニック系雑貨、
ばっかり。
それがえんえんと続く。
逃げ道が分からないので、 人の波に乗ってただただえんえんと移動。
30分近くかけてようやく終点。
づがれ゙だ。

結局掘り出し物なんかないやんけ、 と帰り道、 あれ、 さっきと違う道やね、 あ・・・。


見てはいけないものを見てしまった。



真鍮がぴかぴかまばゆい年代モノっぽいコンパス。
いーな。
っとなんじゃこりゃあ!?

六分儀? これもまたなんか真鍮の輝き具合といい、 メカメカ感といい、 革のケースのやれ具合といい、 いい感じじゃないのさ。
「古いモノだよ」
と言いたげな店主。 裏に刻まれた1884という数字を指差す。
いや、 それはこの会社の設立年じゃないの? 真鍮のぴかぴか具合、 革の状態からして、 さすがに120年も前のモノとは思えんぞぃ。

コンパスの方は、 磁石がバカになっちゃってるのか、 いつまで経ってもくるくるくるくる回っているだけなので、 パス。
壊れたコンパスなんて、 あまりにメルヘン。 あまりにポエム。

・・・現ナマが払底しつつある状況なのに、 店主と値段の駆け引きごっこを少しして、 六分儀ご購入。
これで雪のシベリアに放り出されても生き残れる・・・わけないが。
てゆーか、 ここどこ?←迷っちゃった

とりあえず、 大通りにぶち当たりそうな小路を往く。

若いホームレスの物乞いが声をかけてくる。
「サヨナラァ」
(うぷぷ)「はい、 さよーなら」


なんだ、 こっちから来れば骨董品とか家具とかあったのかぁ。 お、 食器も売ってる。
古い食器じゃなくて、 新しいのを安く売ってるみたい。
エスプレッソカップ&ソーサを2客。 4ユーロ。



蚤の市出店者もそろそろ潮時と踏んだか、 店仕舞いのご様子。 わらわもこのままいては危険と判断。 立ち去ることにする。

ところで、 欧州で常々困るのが、 トイレである。
コンビニのある日本はすばらしい。
唯一知っている公衆トイレはスペイン広場。 トラステヴェレからだとかなり歩く。 さぁどーする。
つったって、 Nature Callingには抗えない。 痛くなりつつある足を引きずり、 膀胱のことは考えないように、 ひたすら歩く。

川を再び渡り、 ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りを東へ。 コルソ通りにたどり着けば、 あとは北上、 コンドッティで右折してすぐ。
気持ちはすでにスペイン広場に到達している。

信号待ちの交差点でふと見ると向かい側は大きな本屋。
本屋ならあるべ。
入る。
えぇ〜い、 店内案内図はどこじゃい?
あった、 Piano Terreってことは、 地上階ってことだから日本人感覚でいうところの1階やね? 1階にあるんやね?
どー見たらええんや、 これ? この赤丸が多分現在地やね。 Informationがあっちにあって、 こっちってことは、 えぇ〜い、 わっかりにくい案内図やのう!!
あぁ、 そっちね、 そっちの隅にあるんやね。

「紙様、・・」ってもうええわ。



疲れた。
帰る。

バス乗り場に戻る。 まだ時間あるね。
マルケルス劇場が公開されているので、 アポロ神殿の円柱とその向こうに建つ庶民のアパートを撮ってバスを待つ。



日はまだ高いが、 ホテルでお昼寝。
20:30ごろごそごそ起き出す。 まだほのかに明るい。

リストランテ。
結構混んでる。
席を見渡し、 これまた直感が、 「日本人の団体」と告げる。

席に通され、 メニューを見てると和服のおばさんがつつつと奥へ。
興味津々なガイジンの親父達。

こうやって眺めると、 ガイジンの観光客はリタイヤ組が夫婦で個人旅行ってのが多いのか。 ツアー旅行もあるようだが、 10人以下のグループで行動してたり、 夫婦(と思しきペア)でテーブルについてたり。

かたや日本人は・・・ツアコンに任せっきりの団体さん。 大多数はおばさん。 腰の曲がった人までいる。 13時間も飛行機に乗って、 よくもまぁ、 と感心する。
それと、 いかにも旅慣れしてるって感じのおじさん。 おばさん達にイイトコ見せたいのか、 カタカナ英語でごり押ししたりなさる。
そしてそういった年配客にまぎれてハネムーン(?)と思しき若いペアがいる感じ。

まぁ、 言語という障壁はかなり高いから仕方ないのであろうが、
  • リストランテの一箇所に集まり(集められ)、
  • 日本語だけで通用するミニミニニッポンを構築し、
  • 外務事案はすべてツアコンに任せ、
  • 日本人ツアー用にチャーターしたマイクロバスに日本人だけで乗り込み、
  • 日本人ガイドに群がって説明を聞き、
  • 日本人店員のいるブランドショップでお買い物、
そういう姿を見るのは、 なんともさびしい光景ではある。


まぁ、 圧倒的に“ラク”ってのは認めるけどね。

酸いも甘いも経験したうえで、 満員電車の中で無抵抗に揺られて運ばれるかのごとく、 団体旅行を選択するというのも、 カシコイ旅行の仕方ではあろう。


少なくとも、
  • 一人で
  • 社用で
  • 一月も
異国の地にいるよりはよっぽどラクだろうなぁ。


洗濯物を出さなきゃ。←めんどくさくなってきた



ぼなのって。





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