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第五回「ハンターの本領」 | ||
南四龍旧下水処理施設・屋外 時刻2220時 和衣と漂平は再び、浮遊生物が潜んでいる施設の中に戻っていた。 「よし、奴は今はこの中のどっかだ。で、どうする?また手分けして探すか?」 二人とも携帯の赤色ライトを落としてしまっていたため、闇の中でヒソヒソと会話している。 和衣が予備のマグライトを一本、取り出した。 「これっぽっちの灯りじゃ、折角、相手がサビだらけになってくれてても、ろくに姿が見えないわ。」 「だったら見えるようにすればいい。」 和衣はうなずいた。 夕方、暗くなる前に建物内に設置したライトのリモコンを取り出す。 「大して強力なものじゃないけど、結構、効き目はあると思うわ。じゃ、つけるわよ。あいつがどこにいるのか、よく見てて。」 和衣がスイッチを押すにつれ、施設内は端からライトの白い光にさらされていった。 「いた。」 「どこ?」 漂平がゆっくり走り出した先には、油や赤いサビが浮いた大きな円形の汚水プールがあった。 施設内の中央付近に位置し、全ての漕から汚水が少しずつ流れ込んでいるらしい。 細かいゴミの粒子が浮いたオレンジ色のどろどろした汚水がたっぷり溜まっていた。 漂平が近づくと、その派手な水面がざわざわと不自然に、さざめき波打っているのが見て取れた。 「間違いない、この中だ。」 「ライトの灯りを嫌がって、暗い水の中に逃げ込んだのかしら。」 追いついてきた和衣が、恐る恐る手摺りから身を乗り出し、汚水プールをのぞき込む。 「かなり深そうね。水の中にいるのは判るけどこれじゃ見えない。ネットも届かないし。」 和衣は決心した。 「水を抜いて追い出しましょう。」 その辺にある固く錆び付いた栓をいくつか、手当たり次第に漂平に回させているうちに、当たりにヒットしたらしい。 ギュルギュルズボボというような音をたてて、円形の浄化槽の水面のあちこちに渦が出来、水が吸い込まれ始めた。 「どれ、拝ませてもらうとするか。」 漂平がプールの底をのぞき込む。 和衣は捕虫網を胸元に引き寄せ、ぐっと柄を握りしめた。 水がどんどん抜けていく。 「見えたわ…。ああ、やっぱり。」 吐息をつくように和衣は囁いた。 浅くなった汚水だまりの中で、長い生き物がウゴウゴと泳ぎ回っていた。 節別れた長い体、その左右にみっちりと並んでいるイボのような足、櫛のようにザガザガしたエラ足。 頭部と思しき場所からは何本もの感触手が生えている。そのうちの一番長い二本は体の動きに従って、汚水の中を引きずられるように動いていた。 汚泥やゴミが付着していない部分は半透明の薄汚いゼリー団子のようで、内部からチラチラと黄緑色の燐光が覗いていた。 そいつは頭部と思われる部分を時折もたげて振り動かした。 数本の短い感触手がイソギンチャクのようにさわさわと動く。 無数のイボ足は休まず汚水の中で波打つようにざわめいている。そして串のようなエラと剛毛… 赤サビとゴミと汚泥にまみれて、プールの底でイヤらしく蠢く、そいつの外見は環形動物門・多毛綱の特徴を備えていた。 実際物と差異はあるが、そいつはゴカイであるといっても、差し支えない外見だった。 ただし全長は10メートルほどある。 予想はしていたが、やはり10メートル級ゴカイのインパクトは強烈だった。 「…あー…」 しばしの沈黙の後、漂平が咳払いをした。 「ゴカイというよりも、どちらかといえば、イソメ似だな。」 「…どっちだっていいわよ…」 瞬きもしないで、惚けたように和衣が答えた途端、激しい水音がし、視界がオレンジ色に染まったかと思うと、二人は頭から汚水をひっかぶっていた。 「飛んだ!」 漂平と和衣は反射的に通路に倒れ込んだ。 ゴウッ。 ゴカイが汚水をまき散らしながら、激しく宙に舞っていた。 無数のイボ足と剛毛をせわしく動かし、凄まじいスピードで縦横無尽に巨大ゴカイは宙を泳ぎ回っていた。 キャットウォークの上の和衣と漂平は身をかがめていた。 手摺りより高く頭を上げようものなら、ゴカイの足と剛毛が剃刀のように宙を襲い来るのだ。 手摺りに隠れながら、頭を低くしてひた走り、二人はなんとかタンクの間に逃げ込んだ。 「まさに未確認生物フライング・ロッドとやらだな。ロッドの正体はあいつなんじゃないか?」 タンクの影から、飛び回るゴカイの様子を伺いながら、漂平が呟いた。 体の大きい漂平はここに至るまでに、二回ほど、ゴカイの剛毛にひっかかってしまい、革ジャケットの背中に裂き傷をこしらえていた。 「しかし、でかい奴だ。あんたのネットじゃ無理みたいだな。」 「…確かに大きさが全然足りないわ。頭部だけでもネットでくるむことが出来たら、大人しくさせられるとは思うんだけど。あいつ、速すぎる。この網なんか突き破っちゃうでしょうよ。」 口惜しげに和衣は手に持った捕虫網に目を落とした。 「なにか打つ手はないかしら。」 漂平は口をつぐみ、目を細めて、しばらく飛び回るゴカイの動きを目で追っていたが、やがて、立ち上がった。 「俺がやってみよう。」 「どうするの?」 「俺の十八番のこいつでな。」 ワーウルフハンター梅崎漂平はベルトからごつい革ムチを引き抜いた。 ビシリと革ムチが鳴り、和衣はその音に、ビクリとした。 二本の手摺りの上に足をかけ、その上に漂平は立ち上がった。 次の瞬間、漂平の頭上を、猛スピードで、ゴカイが飛びすぎていった。 咄嗟に手摺りから飛び降り、間一髪、頭をゴカイの足に持って行かれる危険を免れた漂平だったが、 代わりに、和衣に頭をベシッとひっぱたかれた。 「ちょっと、馬鹿、無茶しないでよ!」 「さっきのはタイミングを計ったんだ、なんとなく判った。次、見てろ。」 「やめなさい、梅崎!ああ、もう知らないわよ。」 再び、漂平は手摺りに上った。 大きな岩のような体躯が危なげもなく見事にバランスをとって、細い手摺りの上にゆらりと立っている。 不本意ながら和衣は、一瞬、感動に似たものを覚えた。 三日間(既に四日目か?)風呂に入っていなくても、エクトプラズムハントの素人だとしても、この男が一流のハンターであることに間違いなかった。 「よし、来た、右だ、和衣!よおっく見てろ」 叫ぶや、漂平の上半身が激しく右後方に捻れた。 次の瞬間、ズビュンという激しく重い音が空気を震わせた。 漂平のムチ先が、宙を走り、ゴカイの長い胴体部分の真ん中に見事に巻き付くのが見えた。 「捕らえたわ!」 和衣は叫んだ。 空中を滑っていたゴカイは、ムチに引き留められ急停止し、エビのようにガクンと折れ曲がった。 少し空中でバウンドしたかと思うと、空になった汚水プールにズドンと落下した。 「おおっしゃあ!」 ムチを伝わる大きな反動を受け止めて、漂平が吠えた。 通路に飛び降りる。 「ちゃんとムチ先は巻き付けたままだぞ。」 駆け寄る和衣に向かって、得意げに満面の笑みを浮かべる。 「お見事!あいつ、どこ?」 二人はガバッと手摺りから乗りだし、ゴカイの姿を目で追った。 巨大ゴカイはプールの底に叩き付けられていた。 と、異変が起こった。 ゴカイは、環形に別れた体の節ごとに分解しはじめたのだ。 見ていた和衣は、かつて自分の口の中でちぎれたゴカイの事を思い出し、吐きそうになった。 見る間にバラバラになった各パーツは宙に浮かび上がり、そして、そこで再び寄り集まり…また見事なゴカイと化した。 たちまち、宙を切り裂くように飛び始め、和衣と漂平はまたも、タンクの影の避難場所にダッシュする羽目になった。 「なんだ、ありゃ?」 漂平が悔しげに拳をタンクに打ち付けた。 ちょっと黙り込んでいた和衣がハッと顔を上げた。 「わかったわ。梅崎、あんたも見たでしょう?あのゴカイ、一つの個体って訳じゃないのよ。何匹ものエクトプラズムが集まってゴカイ状の身体を形作っているんだわ。」 「なるほど、浮遊生物は群れたがるって言っていたな。」 和衣はうなずいた。 「集合体ね。いわゆるコロニーってやつ。何かに引きつけられて集まっている…。たぶん、影響力の一番大きな個体だわ。そいつを抑えればいい。後はそいつにくっついているだけの雑魚だから。」 「その親玉はどこだ?やはり、頭か?」 和衣は答えず、しばらく飛び回るゴカイを観察し…やがてキッパリ言った。 「わかった、あそこだわ、あの頭のようなビラビラした部分から三つ下の体節よ。見える?」 「根拠は?」 「あの部分だけ燐光が違うし、体の他の部分すべて、あの体節の動きに従っているように見えないこともない。…それに、うまく説明はできないけど…あそこから他の部分とは違うものを感じるわ。間違いないと思う。私の経験と勘よ。信じてとしか言えないけど。」 和衣は漂平の顔を見据えた。 漂平は頷いた。 「あんたはプロだ。信じよう。」 だが、ゴカイの動きは速すぎた。 あれから、三度、漂平がチャレンジしてみたが、すべて、最初と同じ結果に終わった。 しゅるしゅると宙を滑るように猛烈なスピードで動くゴカイの節の一つなど、さすがにムチのような大振りな武器で捕らえられるわけがない。わさわさと動く無数の足と長い感触手も邪魔をした。 「まずいわ。」「まずいな。」 「どうするね?」「どうする?」 二人が額を合わせて、ない知恵を絞っている間にも、音速浮遊ゴカイはますます元気に荒れ狂っていた。 やがて、施設のあちこちでバリン、ガシャンという何かが砕けるような音がし始めた。 音がする度に、倉庫内が暗くなっていく。 「何をやってるんだ、奴は…」 どうやら、ゴカイは、設置してあるライトにかたっぱしから体当たりしはじめたらしい。 ライトのリモコンは、またもやどこかに落としてしまっていたので、照明を消すに消せない。 タンクの間から頭を突きだし、二人はゴカイが頭からライトに突っ込んで、大事な照明を破壊していく様を、為す術もなく眺めた。 「極端な正の走光性みたいね。普通のエクトプラズムはライトを嫌って、動きが鈍くなるもんなんだけど、あいつは常識はずれだし。」 「ゴキブリと反対だな。明るいのが好きでたまらず突進して飛び込んでるって訳か?…しかし、偉く激しい好意表現だな。」 漂平は数時間前、和衣が胸に飛び込んできた件をからかっているらしい。 和衣はさらりと切り返してやった。 「大好きなんじゃなく、逆に、大嫌いだからかもしれないわよ。」 「…うむ。」 ゴカイはライトを破壊しつづけていた。 バリン。 やがて、最後のライトが割れた。 倉庫内はふっと闇に包まれた。 これで建物内の明かりは、高い天窓から微かに差し込む月光だけになった。 ビュンビュンと風を切る音が響いているので、少なくとも、ゴカイが元気に飛び回っていることはわかる。 付着した汚れが随分とれてきたらしいが、代わりに発光しはじめていた。 「…打つ手なし、かしら。」 闇の中、光跡を引いて、猛烈に動き回っているゴカイを眺めて、和衣は歯がみした。 「…できれば、使いたくなかったんだがな。こいつの出番らしい。」 漂平が呟き、右拳を左手ひらにバシンと打ち付けた。 和衣が溜め息をついた。 「磁力グラブ?やめなさい、無理よ。あいつ、ビュンビュン飛び回ってるのよ?」 「和衣、マグライトが一本、残っていたよな。俺に貸せ。」 「あるけど、点けるとたぶん、あいつが大喜びで、すっ飛んでくるわよ。」 「いいから貸せ。」 漂平は受け取ったライトを、胸元につるして立ち上がった。 「ちょっと、あんた、本気?無茶よ、吹っ飛ばされるがオチだわ。」 漂平が声を殺して笑っているらしい気配が、和衣に伝わってきた。 「俺はあんたのタックルを留めた男だぜ?」 和衣が答えられないでいる間に漂平は、通路に踏み出した。 「俺が奴を抑えている間に、例の親玉体節を磁力ネットで包んじまってくれ。」 漂平は壁を背にし、通路の端に仁王立った。 胸にぶら下げたマグライトのスイッチを入れる。 白いライトの光が目を射り、漂平は眉をしかめた。 「俺が合図するまで、こっちは見るな。闇に目を慣らしとけ、和衣。また、じきに暗くなる。」 漂平はバシンと両手を打ち合わせると、グローブをはめた両手を広げた。 重心を前に。 ザワザワヒュルヒュルという音がいきなり、すぐ近くで聞こえた。 「うまくやってくれよ、和衣!」 次の瞬間、ズドンという鈍い衝撃音と共に、マグライトが割れた。闇。 和衣は通路に飛び出した。 ぼんやりした月光の下で、梅崎漂平が、ぼんやりと燐光を発する巨大なゴカイをガッチリと押さえつけていた。 ゴカイと熱烈抱擁しているかのようだ。 漂平の太い首が更に太くなっていた。 束のような筋肉が、木の根のように浮き上がっている。 ザワザワジャリジャリという何かを引っ掻くような音、漂平の革ジャンがギリギリときしむ音がしている。 奴の全体がうっすら見えた。 サビに覆われた体の所々がボンヤリ発光している。 一番、光を発しているのは頭部から下に三つ目の体節。 そいつは、かつて、目にしたことがないくらい、えげつない形だった。 イボ足が卑猥だった。 ムカデのように見えた。ゲジゲジのようでもあった。 漂平がもらしたように、イソメにも酷似していた。 だが、和衣にしてみれば、そいつは巨大なゴカイそのもののようだった。 彼女が一番、嫌悪している生物。 キリキリざわざわゴショゴショとざわめくような音が大きくなった。 和衣の頭に、ムカデが顔を張っていく感触、彼女自身の歯で噛みしだかれたゴカイが口の中で暴れる感触が蘇った。 おぞましさに和衣の全身が総毛立った。 ゴカイとガッチリ抱き合っている漂平が、くぐもった声で何か叫んだ。 ゴカイはその無数の足で、漂平の体の上をベルトコンベアーのように這い上り、彼の体を乗り越えて逃げようとしていた。 頭部の半透明のビラビラ、感触手が、せわしく振り動かされている。 漂平の頭が、波のようにさざめくイボ足と櫛状のエラの中に飲み込まれていった。 鯉のぼりサイズの捕虫網…エクトプラズム捕獲用磁力ネット…の柄を槍のように構えて、物も言わずに和衣は突進した。 頭部のビラビラパーツから下に三つ目、イチ、ニ、サン!…… * * * * * * * 「…俺まで串刺しにする気かと思ったよ。」 「…私もプロよ?浮遊生物の体の軟度くらい把握出来てたわ。どのくらい力の加減をすればいいのかくらい分かってた。」 「ふむ。」 漂平は疑わしそうだったが、反論はしなかった。 和衣はホッとしていた。 漂平の手前、ああは言ったが、実際は生理的嫌悪に任せ、力任せに突き刺してしまったのだ。 捕虫網の柄が奴に刺さり、和衣ともつれあうようにドシャリと通路に倒れ伏した時、彼女はてっきり漂平も刺してしまったに違いないと考えた。 だが、漂平にとって運が良かったことに、ゴカイの体は結構固かった。 和衣の力任せは、丁度いい貫通具合になったのだった。 漂平が悪態をつきつつ、蠢く汚物だらけのイボ足を掻き分けて立ち上がった時、彼女はひそかに神に感謝した。 並んでタンクにもたれ、荒い息を沈めていた二人は、やがてヨロヨロと立ち上がった。 巨大ゴカイ…新種浮遊生物のコロニー体である…は頭部らしきパーツの三つ下の体節部分を、見事に捕虫網の柄で貫かれていた。 さらに同じ部分を磁力ネットでぐるぐる巻きにされている。 これで動けまい。 この体節が核であると感じた和衣の直感は正しかった。 無数の気味悪いイボ足は、まだ泳いでいるかのようにザワザワと宙を掻いていた。 が、全長10メートルはくだらない胴は、クルリと半ばロール状に丸まって、錆が浮く水たまりの中に浸っていた。 屋根の穴から差し込む白い光がぼんやりとしたスポットライトのように、その半透明の巨大ゴカイを照らし出していた。 (次回・第六回・「単純で…鈍すぎる」) |
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