回・「談判と最低男どもと和衣の事情」

南四龍・下水処理施設・職員宿舎
0230日 0700時

「いまいましいったらないわ」
捕虫網…エクトプラズム捕獲用の磁力ネット…の点検をしながら、佐木枕・和衣は呟いた。
猟の間、宿泊用にとあてがわれた客室の畳の上に、タンクトップ姿であぐらをかいている。

あの後、結局、目標を補足できないまま、夜が明けてしまったのだ。
明るい日中、浮遊生物は活動を停止する。
見えない、動かないものを見つけるのは不可能に近い、日中は浮遊生物の狩猟はできない。
念のため、奴が入り込んだ建物を封鎖し、中に閉じこめてから、和衣と梅崎漂平は、今回の狩猟の依頼先である南四龍下水処理施設の組合本部に戻ってきたのだった。

和衣の5年に渡る猟歴の中で一夜目に目標を補足できなかったことは初めてだった。
廃棄処理施設から戻った後、和衣は役立たずの梅崎漂平と宿舎の玄関でさっさと別れた。
「朝飯、どうだ?」と言う彼の声は耳に入らない振りをした。
(三日も風呂に入ってない役立たずな男と、社員寮で味気ない朝食Aをのんきに食べてられるくらい、私は暇じゃないわよ。)

ネットの点検を終えた和衣は、大浴場に突撃した。
誰もいない朝風呂でサッパリとし、身も心もひきしめた後、和衣は今回の依頼主である処理施設長のもとに直談判に出向いた。
談判の内容は当然、あの三日も風呂に入らない役立たずのワーウルフハンター、梅崎漂平の件である。

「当初、このハントには、私独りをお雇いになったはずです。後から、梅崎氏を雇い入れるなんて、私の技量に疑問がおありなんですか?」
昨晩の狩猟結果…発信器をつけそこねた…を報告した後、和衣は早速、噛みついた。

和衣の剣幕に、気の弱そうな施設長はたじたじだった。
「だから、昨日もご説明したとおり、そういうわけではないんです、佐木枕さん。」
禿げかけた頭ににじみ出てきた汗をぬぐいながら、弱々しく言い訳を始める。
「エクトプラズム研究家、ハンターとしてのあなたの御評判は非常に高いですし、だから、わざわざ、ご足労いただいたわけで…」
「だったら、なぜ、梅崎氏も?」
「えー…独りより二人の方が仕事がしやすいのではないかと思いまして。」
和衣はデスクを手のひらで叩いた。
施設長は悲しそうな顔をした。

「私の場合、二人より独りがいいんですッ。風呂も入らないワーウルフハンターなんかと組まされたんじゃたまりません。捕まえられるものも捕まえられないわ。」
「風呂も入らない、ですか?」
「ええ、風呂はともかく、とにかくワーウルフハンターです!浮遊生物のハントに関しては素人もいいとこですわ。」
「ですが、梅崎さんをこの狩猟に加えろというのは、その…上からの要望でしてね。」
施設長ははげ上がった頭をハンカチで拭いた。

「上からの要望?コネ?」
和衣は怪訝そうな顔をした。何よ、それ。
「はあ。その…まあ、その、彼は有名なハンターだそうですし。だからじゃないですかね…」
「あら、そう。そりゃ超絶有名なハンターなんでしょうよ。この私でも名前になんとなく聞き覚えがあったくらいだから…」
和衣は吐き捨てるように呟いた。

「あの人狼猟師と一緒に狩猟するくらいなら、私がこの仕事、降ります」
…そう言いたいのを和衣はこらえた。
なんとしても、今回の浮遊生物は自分で捕まえたいのだ。

一週間前に下水処理施設の敷地内に現れた謎の透明な飛行物体。
浮遊生物、エクトプラズムだ。
そいつが破壊した器物の損壊具合などから、通常のエクトプラズムよりも、かなり巨大なものだと判明している。
それに、あの藻が腐ったような、なんとも胸の悪くなる生臭い匂い。
あんな悪臭を出す浮遊生物は今まで確認されていない。

おそらく新種だと、和衣は踏んでいた。
何が何でも捕獲し、今、書いている論文に採り入れて、学会報告がしたかった。
地元新聞やら放送もこのハントの成り行きに注目しているし、ハンターとして名を売るまたとないチャンスでもある。
(そうなったら、あのジジイに目に物見せてやれるじゃないの。)

和衣の実家である佐木枕家は、山水都市でも屈指の名家であるが、それだけではなく、代々、名ハンターを生み出してきた家柄である。
和衣の祖父も、とうに引退こそしたが、狩猟歴史上に残る名ワーウルフハンターだった。
和衣が幼い頃に亡くなった父もワーウルフハンターだった。

和衣も当然、ワーウルフハンターを目指していた。
名家・佐木枕家の女子として、お茶だのお花だのお琴だのを学ばされる傍ら、ひそかに、ムチを振り回し、ハンター免許取得の勉強をした。
だが、駄目だったのだ。

和衣は合格間違いなしの自信で望んだ免許試験に落ちてしまったのだった。
後で、裏から祖父が手を回し、免許を与えないようにしたことを知った和衣は、祖父と激突した。

「どうして、おじいちゃん、あんなことしたのよ?!」
詰め寄る和衣に、祖父は冷酷に言い放った。
「かわいそうだが、おまえには、才能がない。」
和衣は目を剥いた。祖父は続けた。
「免許を取ってハンターになっても、返り討ちにあって直ぐに命を落としたり、辞めざるをえなくなる連中を儂は大勢見てきた。」
「私がそうだっていうの?」
祖父はうなずいた。
「お前の免許試験結果を見た。けして悪くない成績だ。
だが、テストの成績として良いという、それだけだ。
実戦で生き残っていくことができる結果ではない。儂には認められん。」

「ハンターは技量だけではいかんのだ。天性の勘が大きく物を言う。
お前にはそれがない。あきらめろ。」
和衣は泣き出しそうになっていた。
(こんなに頑張ってきたのに、才能がないですって?勘がなんだっていうのよ?)
和衣の様子は気に留めず、祖父は舌打ちをして続けた。
「大体、儂は女性ハンター免許は廃止すべきだとも思っとる。風紀が乱れる。ムチなど振り回すと女は下品になっていかん。猟は男が命を懸ける神聖なる職業だ。」

「和衣、おまえは儂の大事な可愛い孫娘だ。そして、おまえは佐木枕家の大事な跡取り娘でもある。頼むから、早いところ、婿をとって儂を安心させてくれ。佐木枕家のために。」

和衣は聞く耳を持たずに、その晩、荷物をまとめて家を出た。
そして、その晩から「おじいちゃん」は和衣の中で「ジジイ」に大幅格下げされたのだった。

家を出た和衣は、祖父が手を回す前に、エクトプラズム狩猟免許を取った。
これも、れっきとしたハンター免許である。
(人狼猟師として認めてもらえないのなら、他の道で成功してやる。私に才能がないなんて言ったあのジジイに目に物みせてやる。)
和衣はそう決心したのだ。
だから、和衣は、今回のこの猟から降りたいのを、こらえたのだった。

結局、和衣は渋々ながら折れた。
「…わかりました。梅崎氏と組みます。でも、私の方が先にこの仕事にタッチしましたし、浮遊生物の狩猟に関してキャリアは上です。梅崎氏は私の指示にしたがっていただきますから。」
「しかし、それでは、梅崎氏が…」
バタンとドアが閉まり、独り部屋に取り残された施設長は、ホッと溜め息をついた。
…なんとか、これでいい。
「しかし、なぜあそこまで、彼女は梅崎さんを嫌がるのかね…?ハンターってのは気難しいなあ…」
施設長は首をかしげた。
今回の狩猟に、佐木枕和衣と共に雇うようにと、梅崎漂平を推薦してきたのは南四龍・区域長だった。
さかのぼれば、その区域長も謎の誰かに頼まれたらしいが、施設長の知ったことではなかった。
彼にしてみれば、あの生物をなんとかしてくれるなら、ハンターは誰でも良かった。
ここ三日ほどの間に、太い汚水パイプを17本も破壊されたおかげで、施設は汚物洪水状態に陥るところだったのだ。
「とりあえず、昨晩の狩猟結果を報告しておこうかね…」
今回の浮遊生物狩猟とハンターの行動については、どんな些末なことも報告してくれと言われている。
スパイでもやってる気分だな…呟いて、施設長は受話器を取り上げた。

施設長室から出てきた和衣は、自分が不自然なくらいイラだっていることが分かっていた。
だが、感情を抑えるのは彼女の流儀ではなかった。

どうして、ここまで、自分はあの男、梅崎漂平を拒絶するのか。
1.浮遊生物狩猟に関して素人で役立たずだから。
…それもある。

2.筋肉過剰だから。
…これもある。好みの問題になってしまうが、彼女は中性的で細身の男が好きだった。
首が顔幅より太く、オスオスしい大男など論外だった。

3.三日、風呂に入ってないから。
…これは、かなり大きい。凄まじく大きい。

だが、一番の理由は自分でも分かっていた。
あの男が祖父と(そして義弟と)同じ、ワーウルフハンターだからだった。
自分が免許を取れなかったからであるとか、特にワーウルフハンターに何か遺恨があるというのではなく、祖父と同じ…というだけで、ワーウルフハンター全員が祖父の共謀者のように思え、和衣はムシャクシャするのだった。

とにかく、和衣は自分の能力を認めようとせず、女だからというだけで家に押し込めようとする封建的な祖父が大嫌いだった。

カッカしながら、社員寮の客室に向かっていた和衣は、自動販売機コーナーの前で、問題の梅崎氏にばったり出くわした。
近づくと、微かに潮臭い匂い+得体の知れない匂いが漂ってきて、和衣は鼻をしかめた。
どうやら、梅崎氏は朝飯の後、まだ風呂に入っていないらしい。
「最低ね…」
和衣は呟いた。
漂平の耳には届かなかったらしい。
「よう。あんたも、コーヒー牛乳、飲むか?」
「いらないわ。」
「ビールがあればいいんだがな。生憎、ここの自販機には入ってない。」
「朝から酔っぱらわずに済んで良かったわね。」
和衣は冷たい声で言った。
「それよりも…」

今後の狩猟では自分の指示に従うよう、横柄な態度で宣言したところ、漂平からはアッサリと愛想いい返事が返ってきて、和衣はガックリした。
「別に俺は構わんよ。よろしく頼む。」

もしかしたら、もしかして、漂平が腹を立て、自分から仕事を降りてはくれないかと、和衣は多少期待していたのだった。
(大体、うちの義弟みたいな駆け出しヒヨコハンターでも、プライドだけは高いものだっていうのに。
この男、どうなってるのよ?)

妙に気落ちしたふうな和衣に、漂平が声をかけた。
「あれから風呂にでも入ったのか?」
「何よ、いきなり。」
「別に。夕べとは違う石鹸の匂いがしたもんでな。」
「そういうことにはすぐ気が付くのね。この助平。あいつの匂いにもさっさと気が付いて、きっちり仕事をしてもらいたいもんだわ!」
ぽかんとした漂平に、和衣は、さらにまくしたてた。
「ええ、入ったわよ。私は少なくとも、一日三回はお風呂に入ってるわ。あんたとは違うんだから。
いいこと教えてあげようか。コーヒー牛乳は風呂上がりが一番、美味しいのよ。」
言うだけ言うと、和衣はすたすたと廊下を歩いていった。

「一日三回?そりゃ、入りすぎじゃないのか。」
あっけにとられて見送りながら、漂平は呟いた。

(次回・第三回・「そうじゃなけりゃいいと思ってた」)