Coffee Break back#3 2003年6月8日更新
久石譲は数々の映画音楽を作っていますが、特に宮崎駿監督の作品の音楽で有名です。
アカデミー賞を取った「千と千尋の神隠し」の音楽も印象的でしたね。私も彼の音楽は大好きです。
去年、彼のオリジナル・ピアノ曲集「ENCORE」(アンコール)がCDと楽譜で出ました。私も弾こうと思って買っておいたのに、何となくそのまま放置していましたが、
先日あるTV番組で彼のピアノを聞いて、楽譜のことを思い出して、その曲が「千と千尋の神隠し」の曲(One Summer's Day)だと分かり、早速練習してみました。
とても素敵な曲です。全部弾くのは中級者以上かもしれませんが、最初の1ページ分位は初心者でも十分楽しめます。
私も小学生の生徒に今練習してもらっていますが、みんな熱心に練習してきます。
響きがとても綺麗で、ペダルの練習にも適しています。
興味のある方は、トライしてみませんか?
収録曲は、
1.Summer (映画『菊次郎の夏』)
2.Hatsukoi (映画『はつ恋』)
3.One Summer's Day (映画『千と千尋の神隠し』)・・・これが私の一押しです!
4.The Sixth Station (映画『千と千尋の神隠し』)
5.Labylinth Of Eden (地上の楽園)
6.Ballade (映画『Brother』)
7.Silencio D E Parc Guell (I Am)
8.HANA-BI (映画『HANA-BI』)
9.Ashitaka And San (映画 『もののけ姫』)
10.La Pioggia (映画『時雨の記』)
11.Friends (Piano StoriesII)
CDと楽譜は表紙デザインが同じです。
ENCORE
↑これはCDの方です。
久石譲・ENCORE―Piano works
↑これが楽譜です。
ピアノのために作られた楽曲は非常にたくさんありますから、どんな名人であろうとその全てを、いや半分さえ弾くことはまず不可能でしょう。
また、そのような試みは、ある意味で不毛だと思えます。逆に例えばショパンのエチュード全曲だけ、有名どころのコンチェルトだけをレパートリーとしても、
ピアニストとしてそれなりに活躍できるでしょう。その意味では数は本質的な問題ではないかもしれませんね。
音大へ行った人でも、難曲というわれる部類の曲はそれほど練習していないものです。ショパンのエチュードも在学中に全曲、というのは難しいでしょうし、
ましてやベートーベンのソナタに至っては入学前に数曲弾いているはずですが在学中に全曲を終えるのは無理でしょう。
平均律も同様です。卒業試験に弾いた曲が、ピアノ人生で一番難しい曲だったということも往々にしてありうるのです。
その意味では意外と(?)弾いたことのない曲がたくさん、いや、ほとんどなんですよ。
しかし、だからといって焦る人は少ないのではないでしょうか。それは、いざとなれば大抵の曲は最低限は自力で弾く 能力を持っているからです。どんな"超"難曲も音大を出た人なら絶対弾けるとは言いませんが、演奏会で取り上げるレベルまで 要求されないのであれば、"どんな曲でも"まあ弾けるでしょうか。
学校の勉強に例えれば、応用力、でしょうか。ある楽曲だけに必要な特異なテクニックというものはありません。例えば分類できたとしてテクニックが50種類あるとすれば、
その中から随時必要なものを選び出し、組み合わせて対応できるということです。
ですから、一生かかっても弾けない曲があるのは事実ですが、それらにともかく順次トライしていこう、とは誰も考えないでしょう。
それに、だんだん自分の個性・適性が分かってきますから、自然とそれに合った選曲をするようになります。
そして、その中で自分なりの目標を決め(30代はショパンでいこう、とか40代をかけて再度ベートーベンのソナタに取り組もう、とか。)
一度弾いた曲でも勿論何度でも練習していきます。
そのあたりが、いわゆる"趣味"として練習する方との一番の違いかもしれませんね。
ちなみに、私は30そこそこの時に先生に「ハンマークラビーアはまだ早いわね。」と言われました。(笑)
勿論、テクニック的にも、内容の面からも、です。・・・そろそろ"お許し"は出るでしょうか?
BBSでの回答をめぐって考えさせられたのは「趣味のピアノ」という言葉です。私自身も余り深い考えなしに使っているのですが、
どうやら特に大人の趣味としてピアノを習う方の間では、私と少し違った意味で使われているように感じました。
言葉の使い方というよりは、考え方の相違、なのかもしれません。
大人で習いに来る人、中断して再開した人、"趣味"のままずっとマイペースで続けている人、は私の生徒にもいます。ただ、一番違うのは年齢かもしれません。
私のところはせいぜい30代までです。40代,50代となるともっと違ったことも考慮しなければならないのかもしれません。
ただ、どう考えてみても私自身の対応が根本的に違ってくるとは思えません。全く同じようにレッスンすると思うのです。 それは、生徒の希望を尊重しつつも、専門家というよりは技術面では先輩として、例えば背伸びしたいならそのメリットとデメリットをはっきり伝えて 納得の上でレッスンをすすめること、それに尽きます。
それに、小さい子の場合は音大に進むような場合がないとは言えませんが、それは一般のピアノの先生にとってはむしろ 例外に近く、その意味では全ての生徒は"趣味"でピアノを習いに来ていますから、普段"趣味"の生徒には・・・と考えて何かをすることはありません。
専門的にやりたい場合は「合格点」の水準がぐっと上がりますが、趣味の生徒に全く違うレッスンをするわけではありません。こう弾いて欲しい、と伝える 内容は8割以上同じです。その達成度が変わる(手前でOKとする)だけで、ここは本当はこんな感じに仕上げたい、ということは 常に伝えています。それは、もし大人になって(または時間の余裕の出来た時に)もう一度練習したいと思ったときに、自分で練習する際の手がかりになると思うからです。
例えば40歳以上で初めてピアノを始めると、小さい時とは違って指が動かないと皆さんよくおっしゃいますが、本当のところはどうなのか私には判断できません。
しかし、一般に中高年の皆さんは非常に熱心に練習されています。ですから、ご自身で思われている程"動かない"とは思えないのです。
多分、子供の頃から始めた人が同じ曲に同じ時間でトライしても、きっと同様に弾けない場合が殆どだろうな、と思うのです。
逆に言えば、私でも技術的に「弾けない」か「弾きたくない!」と思う曲がたくさんあります。曲想によっての向き・不向きもあります。手が小さいのに無理してリストを弾いても全然楽しくないと思いますし。
(勿論、「私の1曲」として納得の上でトライすることまで否定しませんが。)
面白いことに、私の場合、テクニック的にはその箇所が上手に弾けるか弾けないかは最初に練習した時点でハッキリ分かります。
最初からうまく弾けない箇所は、数ヶ月たってもやっぱりそこだけ難しいのです。それに、有名ピアニストの録音を聞いても、やっぱりそこは弾くのが大変そう、と聞いていても分かることが
多いですね。つまり、誰が弾いてもやっぱり出来ない(か、大変であることは変わらない)のです。
ですから、"大人の趣味"だから弾けない、のではないのではないか、と思います。私がその立場になることは不可能なので、推測ではあるのですが。
ただし、いわゆる「脱力」状態をマスターしないと、あるレベル以上の曲は全く弾けなくなってしまいます。
つまり、これがマスターできるかどうかが、ピアノの世界を広げることができるかどうかの最大の難関だろうと思います。
小さい時から弾いていてもやめてしまった人は、多分この関所を越えられなかったことが最大の原因だと思うのです。
もう1つ。
という訳で、受験生専門の先生でもない限りは、ピアノの先生は"趣味"の人にレッスンすることが務めです。"趣味"だから、といって何かを遠慮する必要はありません。
ピアノという楽器は、クラシック音楽の基礎・基本です。この楽器を習ってきた人で、ピアノ以外の楽器・声楽を
専攻する人もいます。
ピアノとバイオリンは小さい時から練習してこないと、専門にやっていくには非常に難しくなりますが、例えば音大に設置してある専攻の全てが
幼児から始めないとできないものばかりではありません。
例えば、ピアノを習っている人で声楽を選ぶ人はとても多いです。声楽は、男の子の場合には変声期を過ぎてから、女の子の場合でも高校生になって からでも間に合うと思います。勿論素質が大切ですが、早く始めたからOKというものではないようです。声楽はその意味では特殊かもしれませんが、 受験時点で18歳(現役)と浪人の19歳ではこの1年が大きな差になり現役は太刀打ち出来ず,更には20歳、21歳とどんどん差が開くので圧倒的に合格者の年齢が上がっているようです。
また、声楽では先生がピアノを弾いて生徒に歌わせるようですので、ピアノとのかかわりが非常に密接です。
他には同じ弦楽器でもチェロになると中学以降でも間に合うらしい、と聞いたことがあります。
管楽器になるといわゆるブラスバンド部を経て本格的に習う人も多いのではないでしょうか。
作曲や指揮もかなり年が上になってから始めるものだろうと思います。
指揮に関しては、(私の記憶では)例えば2人は入試で取り、あと2人は音大に入ったあとで希望者の転部という形で取ったりします。
様々な楽器を専攻したあとで、やっぱり自分は指揮がやりたい、と思ってからトライできるのです。
いや、むしろ何か1つ自分の専攻を持った上で入るものだ、と言えるでしょう。
作曲はやはり入試前に個人的に先生について習うものでしょう。入試で作曲しなければならないはずです。これも「大学へ入ってから作曲を習う」のではなく、
「既に最低限の技法は習得した」人が入る学科です。
他に音楽学・楽理という音楽理論を学ぶ学科もあります。ここに入るにも前もって勉強が必要です。でも高校に入る頃から準備を始めれば
間に合うでしょう。むしろ英語・論文など学科で落とされるところです。
ちなみに、音大でも学校の音楽の教諭の資格(教職課程を取れば)が得られます。
このように、敢えてピアノ専攻でなくとも、さまざまな音楽の専攻に進むことができます。
大人になってから始める方がいいこともあるんですね。ご参考になりましたでしょうか。
私の子供の頃は、ピアノを習うには買う以外に選択肢がなかったので、 買った以上は親が必死に習わせました。とはいえ、私の両親とも音楽は好きでも専門家でも何でもなく、ピアノも習っていませんでした。 父が戦後(?)代用教員で一時教えた時に、独学でバイエルだけ終わらせたとか。そんなものでした。
最初に行ったのはどうやらカワイの系列だったようです。練習がいやで、30分くらい弾くと、よく「もう終わっていいイ?」と母に聞いたものです。 反抗期には、もうピアノなんかやめてやる〜!と考えていました。(笑)
転勤が多かったので、先生は随分変わりました。別に専門的にさせようとは、両親も考えていませんでしたから、近所の先生とか、調律師さんに
先生を教えてもらったりして、習いに行きました。
小学校高学年で、初めて「専門的に習っては?」と言われました。そして、中学になるときに芸大のピアノ科卒の先生(前の先生の同級生)を紹介されました。
そこへ行って初めてピアノが大好きになったのです。親に言われなくても、自発的に練習をするようになったのです。
・・・いつも偉そうにBBSでお答えしていますが、私もピアノを嫌々やっていた時期があったのです。
先生に声をかけられなかったら、私はピアノを続けていなかったかもしれません。
そう思うと、先生は責任重大ですよね。
私はどうも先生運だけはいいようです。その後も素晴らしい先生に習うことができました。
今の先生は、師事してもう20余年です。その割にちっとも進歩していないような・・・。(笑)
私も今でも勉強です。
それなりの音大を目指そうという生徒たちは中学に入る頃までには芸大卒の先生の下に集まっています。そこには受験生がひしめいています。
ライバルと考えるかどうかは別として、やはり刺激を受けて頑張っていくわけですね。
先輩、後輩も受験する生徒ばかりです。みんなのレッスンや演奏を聞く機会が日常的にある訳です。
これが芸大志望となると、教授クラスは東京在住ですから、北海道であろうと九州であろうと、生徒は月1回以上は上京してレッスンを受けるのです。
(普段の先生も勿論芸大卒です。)
ですから、本当の受験の時には受験生同士、顔なじみにさえなっています。普段コンクールなどでも顔を合わせていますから。
武蔵野レベルでも、中学生になる頃にはそういう環境に置かれています。毎年毎年先輩たちがそれぞれの音大に入るので、自分も入れるかどうか分かってきます。
若い先生は、受験する(かもしれない)生徒を普通は早めに恩師のところへ連れて行きます。紹介によって、そういう受験生は限られた先生の下へ集まっていくのです。
・・・ですから、高校生になってから、一般的に名の通った音大のピアノ科を受けたい、となっても、入れる可能性は非常に低いと言えるのです。
これは非常に残酷なことではありますが、逆に言えばそれまでに既に何年も大変な努力をしている生徒たちが沢山いるのも事実なのですから・・・。ある意味では、それは公平なことなのかもしれません。
映画アマデウスで、サリエリはこんな趣旨のことを言っていました:自分にはモーツアルトのような才能はなく、彼の才能を見抜くだけの能力しか与えられなかった、と。
しかし、稀に自分の演奏能力を相対的にみられない人もあるのは事実です。趣味の間はそれでも余り問題はないかもしれませんが、もしその人が受験を考えるようになると、大変なことになります。
何歳の時点で目指すかにもよるでしょうが、受験生の集まる先生の下にいる場合は少なくとも先生がはっきり無理だと言うものです。
しかし、独学で音大を受けにきてしまう人も稀にあるのです。私の時がそうでした。
そして、一番驚いたのは、他の受験生と明らかに実力差があるのに(試験官があっけにとられて最後には笑い出してしまったのにもかかわらず)本人はケロっとしていたのです。
普通は他の生徒の演奏を聞いた時点で「わ、どうしよう!」と分かるはずです。
そのことに気付かない彼女に、私たちの方が愕然としてしまいました。
酷な言い方になりますが、違いが分からない、自分の実力をある程度客観的に判断できない、という人が音大を受けてしまうこともあるのです。
本人は落ちた理由がわかりませんから、何度も受験を繰り返すことになります。・・・本人にとってこれほど気の毒なことはありません。
そういう人は、先生に「受験は無理。」と言われると、先生を変えるという行動に及びます。
たとえピアノに向いていなくても、何か適性があると思うのです。又は趣味としてピアノとつきあう道もあるのです。
誰でも「諦めなさい。」と言ってあげるのには大変な決心が必要です。本当に本人のことを考えてあげないと出来ない行動です。
それを思うと、本当に複雑な思いがします。
受験シーズになると思い出す私の苦い経験の1つです・・・。
音大を卒業してから相当時間も経つのに今更、とは思いますが、一般大学とは違うので、
思い出して少し書いてみましょう。
ピアノのレッスンは週1回あります。中身は普通の習い事のレッスンと同じです。
そのまま受験前の状況を持ち込んだような感じですね。
グランドを2台並べてレッスンします。
このレッスン時間を担当の生徒数だけ確保するために、先生は結構苦労されます。みんなの授業の予定表をつき合わせて、先生が決めていたような記憶が・・・。(違っていたらご指摘下さい。)
武蔵野の場合は、実技試験は年1度でしたが、
前期にグループコンサート(通称グルコン)というのがあって、
人前で演奏する練習になります。
試験は、ちょっと広めの教室で順次(どんどん)行ないます。
はっきり言って、環境は良くなかったですね。
(武蔵野は生徒が多すぎるので)試験とはいえ、使う教室はまちまち、
ピアノもみんなが弾くので音も相当狂ってきます。
とても平等な条件とは思えませんでした。
確か、1年次の課題は古典派のソナタ(の急速楽章?)、 2年次がロマン派のエチュード(ショパンだけだったかな??)、 3年次は近現代曲(これだけは確かに記憶しています。(笑))、 卒業試験は何でもOK、でした。
卒試はベートーベン・ホール(通称BH:ドイツ式にベーハーと呼びます。) という武蔵野(江古田キャンパス)で一番広い会場を使い、 ピアノも勿論スタインウェイのフル・コンで, このとき初めて「やっと同じ土俵で聞いてもらえる!」と思ったものでした。
ちなみに、卒試は公開で行なわれます。確か時間は15分位だったような・・・。
採点する教授陣は2階席に並び、制限時間を過ぎるとプールの監視員が鳴らすような鐘を先生が鳴らします。
(聞きに来ていた私の妹は、これを聞いて「何でお姉ちゃんの時だけ鐘が鳴ったの?」と後で聞きました。
答えは、長かったから。弾いたのはプロコのソナタ第6番の第1楽章と第4楽章。第4楽章の途中で鳴りました、はい。)
演奏会を開く者にとって、一番嬉しいのは聞きに来て下さることです。チケットを買って下さることも勿論嬉しいのですが、実際に足を運んで下さる事ほど嬉しいことはありません。
お花やご祝儀を頂くことも多いのですが、来て頂けなかった方から立派なお花などを頂いた場合が実は一番困ります。
事情がありますから、ご来場頂けなかったことは兎も角、何か頂いた場合は失礼のないよう、お返しの必要がありますので。
お花は大好きなので頂くと嬉しいですが、その大きさ・値段とは無関係に、お花を見ると贈ってくださった方のお心遣いが分かります。それが何より嬉しいですね。
添えられたカードは、お花の写真と共に大切に保存しています。
お花はステージにお持ち頂けると、とても嬉しいです。前に出て持っていくことは、実は勇気のいることです。タイミングも難しいですしね。
演奏者に姿が見えていれば、ステージ上で待っていてくれますので、大丈夫ですし、万一気づかずに一度袖に引っ込んだとしても、関係者が気づきますので、そのまま待っていて下されば必ず渡すことが出来ます。
ただし、世界的に人気のある演奏者では、諸事情により受け取らない場合もありますが。
それから、演奏会の率直な感想をあとからお送りくださるのも大変嬉しいです。
クラシックに詳しくない人でも全く臆する必要はありません。(逆に、通ぶった批評は殆どの場合、的外れで、がっかりします。)
何でも感じたままに書いてくださる方が嬉しいですね。(誉め殺し?も無効です。簡単にバレてしまいますから。)
あらゆることに共通だと思いますが、何かに迷ったら、その人の立場に立って考えること、誠実であること、無理をしないこと、これで全て解決できると私は信じています。
今回は計画していたリサイタルが少し延期になりましたので、こんな話題も取り上げてみました。
有名なピアニストなどの演奏会には、ファンから沢山の花束が贈られます。非常に立派なお花も多いですよね。贈る方も気持ちを込めているので、それが確かにその演奏家の家にまで持って帰られたかどうかは、気になるところでしょう。
残念ながら、殆どの場合は楽屋見舞いに訪れた関係者に渡されます。(カードなどのメッセージは読んでもらえるでしょう。)しかし、それは一種の了解事項と考えた方がいいと思います。
実際、全部持ち帰ることは大変ですし、仕方ないかもしれません。
では、皆さんが習っている先生の場合はどうでしょうか。
たいていの場合は持ち帰ってくださる数のほうが、関係者に渡る数より多いでしょう。誰からもらったかは、しっかり記録されていると思いますので、気持ちはしっかり伝わります。
実際、お礼の意味もこめて、演奏者側からお花を渡したい方もあります。そんな時は、花束が選別されます。
義理で贈られた花が第一候補ですね。逆に絶対に自宅に持ち帰る(べき)お花もあります。
これも対応は人それぞれでしょうから、私の場合で言いますと、
頂いたお花は全て写真に撮って記録します。もちろんカード等も持ち帰ります。
その中から、例えば親戚がくれたもの、顔見知り程度や仕事上などの義理で頂いたものは、終演後に「お礼」等として恩師その他に差し上げます。
生徒からのものは、たとえ一輪のバラであっても全て持ち帰ります。
うちには花瓶が随分増えました。しかし、それでも飾りきれない時は勿体無いので手伝ってくれた大人の生徒に分けます。
友人同士などでは、内情をよく分かっていますので、まとめてお花を贈ったとしても、それをそのあとどう扱おうと一切気になりません。
恩師へのお礼に使ってもらってもいいし、予めそういうつもりで贈りますので。
Q:先生の演奏会にはどう対応したらいいでしょうか。
A:これまたケース・バイ・ケースですが、一番ありがたいのは、やはりチケットを買ってくださることです。
枚数に迷うくらいなら、余り"お祝い"の心配もしなくていいのですが。(これが音大の先生となると、5〜10枚ずつ自動的に"割り当て"が来ます。この枚数の時は、個人でのお祝いは、まあ、不要です。)
1年に複数回あるなら2枚ずつでもOKです。余り頻繁に開かない先生ならもう少し(4〜6枚)購入すれば、お祝いなしでも大丈夫です。
一般論としては、最低2枚はエチケットでしょうか。
さて、お祝いをしたい!という時はお花かお祝い(お金)でしょう。
お花は全体としての個数が問題です。
こればっかりは初めてでは分からないでしょう。
例えば、生徒の多い先生、受験生の多い先生は花束の数は多いので、生徒同士でまとまって、ある程度見栄えのする花束にして、全体の個数を調整するといいでしょう。
または、お祝い(金)にしてもいいでしょう。
数が分からない場合でも、お花にしておけばまず間違いありません。
当日受付にお花が届いていますので、それを見れば総数の見当がつきます。
少ないようでしたら、(たとえ相対的に小さな花束でも)終演時にステージ下まで行って手渡すのが一番いいですね。
私はそれが一番嬉しいです。たとえ受付に立派な花束が詰まれていても、誰もステージに持ってきてくれないと、寂しいものです。
女性のピアニストには男性が、男性には女性が持っていくと更に嬉しいです。(あの〜、私は女性からだけでも十分嬉しいですよ!)
なお、楽屋へ行くかどうかですが、日ごろレッスンを受けているのなら、行く必要はありません。
また、お祝いの代わりに当日のお手伝いもとても助かります。事前に「何かお手伝いできますか」と申し出ると喜ばれると思います。