と過ごす日々(アルツハイマー介護日誌)

2017年〜2018年

*ここからは、最も新しい日付が上に来るようになっています。

今年の最初から読みたい方はこちらからどうぞ。


2008〜2013年の記録

2014年の記録

2015年〜16年の記録


6/27
23日の日曜に朝訪ねた時、指先が紫に変色している(チアノーゼ)のを見てこちらの血の気も引いた。これは・・・。
もう反応らしき反応もないかと思ったが、体位変換の時に声を掛ければ反応があるという。もう死期が迫っていることは明らかだった。

午後再訪し、夕方も後ろ髪を引かれるように病室を後にする。
夜もいつ電話が鳴るかと気になって熟睡などとても。

幸いその日は連絡もなく、月曜は朝から病院へ。すると、母は携帯型の小さなモニターの代わりに大きな心電図等のモニターに繋がれていた。
看護師さんが、少しずつバイタルも落ちてきていますね、個室に移られますか?というので、素直に従う。

病室は隣。ちょっとしたホテルのようで落ち着ける。良かったね、と声をかける。布団をかけてもらって温まったからか、指先の紫はかなり薄れていた。
夕方交代した看護師さんが、「もう朝から酸素濃度が図れない状態になっています。酸素マスクをつけますか?」と言ったが断る。

モニターに映し出される数字はまだそれほど重篤ではないようにも見える。が、よく見れば可哀想に口の中は血だらけ。口内を清潔にするためにいつも処置を受けているが、もうそれは要らないのではと思い、看護師さんに伝えると、ちょっと困った 表情で、血が流れだして気管に入るのも良くないし、朝1度だけ、そっと優しく拭って入るのですが、という。そうですか、としか言えなかった。

病室には面会時間いっぱいまでしか居られない。夜8時半を回ると退室しなければならないが、1階の応接室を解放するので、寝具は無いが少し休んでもらい、何かあればすぐ電話する、とのこと。二人で残ることにし、23時ごろ様子を見に行くと、意外にも数字的には戻っていて、血圧も呼吸数の朝の時点に戻っている。

そこで、もしかしてまだ長くなるかもと思いなおし、妹だけ残して私はいったん家に戻った。

お互い眠れぬ夜を過ごし、また翌朝戻る。
数字的には少しずつ悪化しているものの、まだ今すぐ、という感じではない。交代で食事をしに行ったりしつつ、いつも手を握ったり肩をさすったり。同じ姿勢で座っているのもちょっと辛くなると、散歩がてらコンビニに食料を買い込みにいく。

夜7時を回って波形が乱れだし、病室のモニターには表示されないものの、ナースステーションのモニターを見た看護師さんが飛んでくる。
枕を外し、「そばにいてあげてください」と。

流石に応接室で待機してくれとは言われず、照明をかなり落とした病室で両側に座っている。時折波形が大きく乱れるが、また持ち直し、を繰り返す。
携帯を家に置いてきた妹が仕事上どうしても取りに戻りたい、という。看護師さんに聞くと、う〜ん、行くなら、今ですね、と。

幸い妹は30分で戻り、一緒に母のそばで過ごす。折角用意してくれて申し訳ないし、まだ長い場合、夜中は私が付きそうつもりで22時から少し私が退出。うとうとしていると30分ほどで携帯が鳴り、今吸引してもらっている、という。
え?と慌てて戻ると、ちょうど母が息を引き取る直前だった。


完全に息が止まっても、心臓は5分以上も止まらず。まるで名残を惜しんでいるよう・・・。


0時前に葬儀社の人が到着し、諸事情で母は保管施設に引き取られていった。帰宅は午前1時過ぎ。葬儀も、混雑のため翌週に。
気持ちの整理はまだつかないが、支えてくれた人たちにまず電話。皆さんから感謝と労いの言葉を頂き、落涙しそうになるのをこらえる。

母は大往生だったと思うことにする。
あと少し、きちんと見送ってやれるように頑張ろうと思う。


母が教えてくれたこと、そして私が家族として決心したこと、そしてできなかったけれど自分の時はそうしたいと思うことを今取り留めなく書いてみたい。

1.アルツハイマー型認知症であっても、最後まで人間らしく生きることができる。

2.認知症の末期でも、暖かい気持ちの交流ができる。

3.誤嚥性肺炎になったら、数日から数ヶ月延命できても、やはりもう終末期だと悟ること。

4.延命処置を望むのは家族で、それは家族の自己満足でしかない。しかし、ある程度はその自己満足も必要。

5.終末期になったら、最小限の栄養と水分だけの点滴は受けても、針を刺す場所に困るようになったら(足が無理で手になったら)もうやめ時だということ。

6.その後も点滴を続けると、苦痛しか与えない。(母と同程度の方が点滴を受け続け、そのせいかは分からないが、いつも痛い痛いと声をあげていた。家族の話からは、むくんで神経が圧迫されて(?)痛みになっているんだろうね、と。
そうでなくとも、尿量が減れば体内に滞留し、体の負担が過剰になっていることは間違いない。

7.脱水状態の方が多分、苦痛はすくないだろう。母が苦しそうな顔をすることは殆どなかったし、下顎呼吸も顎がせいぜい1p下がる程度だった。(ただし、動かす体力すらなかったというのが本当のところだろう。)

8.最後の酸素マスクはなくてよい。

9.最後は体位交換も吸引も拒否すべし。

   今までお読みくださった方々、ありがとうございました。何かしら、考えるヒントになればと思います。
介護日誌はこれで終わります。



6/22
点滴はかなり前から1日500mlになっているのだが、足や指がかなりむくんできた。
点滴の止め時などを担当医が考慮してくれるのかと思って見守ってきたものの、血圧も酸素濃度もまだ問題ない、ということで、継続されていくばかり。

しかし、この状態はどう見ても、限界だと思い、担当医に相談すると、ご家族の同意があるのなら、ということで、やっと点滴の針を抜いてもらったのが18日の火曜日。
流石に1滴の水分も入らなくなった。

昨日は大きな声で看護師さんが呼びかけると目を開け、何となく反応はしてくれた。しかし、以前のように手を握り返す力もなく、目を開けるのも辛そうな感じ。
心電図のモニターもつけられ、いよいよという時は個室に移すことになっている。

流石に持って数日だろう。今日は呼びかけても目立った反応なし。目を開ける力もなさそうだ。しかし、血圧等に変化があればすぐに連絡が来ることになっているので、No news is good news.のまま。しかし、確実に終末に向かって時間が進んでいく。

母の隣のベッドのおばあさんは、酸素マスクを着けて荒い呼吸をしていたにもかかわらず、何と胃瘻から栄養を入れ(ようとし)ていた。そして、翌日にはもう、ベッドは空だった。

点滴をやめ、反応も鈍くなった(のでお見舞い無用)と知らせたら、またT子さんが来てくれた。運よく我々が退出するときに駆け付けてくれたので、再度病室に戻ると、薄目を開けてくれたので、お別れが出来たと喜んでくれた。

妹は涙腺が緩いのか(それが正常なのか)、すぐに涙ぐむ。勿論、心底心配して母のために来てくれるT子さんと、彼女の励ましを聞いてのことだが。
「Reikoちゃんも頑張ってね。大丈夫?」
「私は大丈夫です。」
妹は、「しっかりしたお姉ちゃんがいて安心ね。」と言われてまた涙。

でも、泣いていては何もできない。泣くのは全部滞りなく終わってから、一人で。

6/12
日曜日にはとても反応が悪く、いよいよかなと思ったが、月、火と何とか持ち直し、少し話もしてくれてほっとする。
最長不倒記録?更新中・・・。

5/29
時間の経つのがものすごく速いような、遅いような。
母はまだ生きている。
しかし、顔色も悪くなってきて、反応も弱まっている。それでもこちらの問いかけには首を振って的確に答えてくれる。それが、辛い。

母にとっての1日はどれだけ長いことだろう。
それが辛くないはずがない。
そう考えるとこちらもおかしくなりそうだ。

病室を移された。何を意味するかは言わずもがな。点滴の跡の青あざも痛々しい。
だからといって家族から出来ることは何もない・・・。
頭の中を過ぎる様々な思い。口に出せない気持ち。それを否定する心。

そのすべては命というもののかけがえのなさ、重みなんだと思う。

この数日は、もう帰るね、というとダメダメと首を横に振ったりするのが本当に可哀想。

生きていることが苦痛でないことを、絶望にも似た気持ちで祈るのみ。

5/19
母はまだ生きている。どんどん衰えながらも、まだ意思の疎通もできる。
それが本当に見ていて痛々しく、また辛い。
しかし、まだ生きている。

苦しそうな表情や状態を見せることは殆どなく、自力では体を殆ど動かせないものの、手を握ると力強く握り返してくれる。
耳も良いのでひそひそ声でも十分聞き取れ、「寒い?」→いえいえと首を振り、「目開いた?」と言うとにっこりする。

たまに何かを言おうと口を開き、聞き取れるときもあれば分からない時も。
しかし、十分こちらの意味が伝わっている。

もう6週間以上、ほぼ水分のみ。苦痛なく、安らかに過ごしてほしいと思うが、ふといろいろな考えがよぎる。一体母にとって最善の選択とは何なのだろう。

もうずっと一切の治療薬は服用していないが、本当に穏やかだ。アルツハイマー型認知症の終末期とは思えないほど、しっかりとこちらの意味も伝わっている。

何を考えても堂々巡りなので、あとは結果を受け入れる以外に選択肢はない。
介護病院も丸3ヶ月となった。入った時は厳冬期。今はもう陽春というより初夏。

しかし、母にも私たちにも、今年は本当に年末から時間が止まっている・・・。

5/8
昨日は母のそばに居たら、マッサージの方が見えた。週1回してくれるのだという。
丁寧に全身をマッサージしてくれて、母もニッコリしていた。気持ちがいいのだろうな。この病院は、そういう点が本当に行き届いている。
お風呂も週2回機械浴で入れてくれるし、足の爪までしっかり手入れされているのは流石と思う。
それでいて、看取り状態の人ばかりなので、4人部屋でももう3人ほど入れ替わった・・・・。

母は目をつぶっている時間が長くなった。しかし、時に目を開け、視点が定まると飛び切りの笑顔でにっこりしてくれる。
今日も「大丈夫」などしゃべってくれた。

傍らに座っているだけだけれど、その時間もきっともう終わりが近いことは間違いない。

5/7
世の中は10連休だったらしいが私には無関係。いや、妹が毎日のように見舞うことができた点では大きな違いかもしれないが。
母はまだ生きている。
点滴の水分だけで1か月。流石に弱ってきて、目を開ける時間と回数がぐっと減った。

それでも見舞っている間に1度は声を出し、「大丈夫」とか「綺麗な顔だね(??)」などと話す。
本当に見ているのが辛くもある。何といっても、どうしようもないとはいえ、餓死させている状況には何ら変わりはないのだから。


ろうそくの炎が揺らぐように、母の呼吸も時に乱れる。まだ下顎呼吸ではないが、でも体重ももう30キロ!
母が時折笑顔を見せることが奇跡に思えてくる。

母は一体どんな気持ちなんだろう。お腹すいたと言わない・言えないことがどれだけ苦しいのだろうかと想像するだけでも堪らない。

もう長くない。
苦しませたくもない。
でも、
生きていて欲しい、と願うのはもう残酷なことなんだろうか。

4/30
もう水だけになって既に3週間。点滴の針が入るところがないらしい。今日は看護師さん3人がかかりで、ようやく入った、と。
大分弱ってきたなあと感じる。数日に1度の妹は、その姿を見て気が気ではなく、今日は朝から午後2時過ぎまで張り付いていた。

私は、その後交代し、目を開くと話しかけ、肩を抱き、大丈夫だよ、と話しかけることの無限ループ。

どうせ連休と無関係なので、必要があれば1日に2回でも行けるし。

令和まで持つかな?とおもったが、何とかなりそうか??

4/20
今週は親類が多く見舞ってくれた。病院名も知らせていなかったのに、新潟の従兄夫婦が来てくれたと知る。亡くなった従兄のお嫁さんTさんから聞いたため立ち寄ってくれたそうだ。
ここまでの状態とは知らず、驚いたという。後で知ってお礼の電話をしたところ、100歳を迎えた伯母もこのところ食欲がめっきり落ちてちょっと気掛かりだとか。

次に従弟。先日見舞ってくれた叔母の息子。月に半分は海外にいるが、戻ってきて母の状況を知り、生きているうちに、と来てくれた。

さらには富山の従兄も。GWに一緒に山に行く予定だったため、流石に隠せず、同行できないことだけ伝えたのだが、すぐに上京し、上野から連絡をくれた。本当に有り難い。
比較的近所のTさんも、気持ちがあるからこそ、本当に頻繁に足を運んでくれる。みな本当に優しい。

母はと言えば、うつらうつらしつつも、声を掛ければパッと目を開け、視線を合わせればにっこりしてくれる。少ししゃべってもくれるので、一見、もう危ない状況とは見えない。

それでも、もう先が見えてきつつあるので、こちらも備えを始めた。これも、母をしっかり見送ってあげるためには必要なこと。2度目だからこそと思っている。

毎日母の顔を見て、身体に触れて、声をかける。1時間から90分ほどそばにいて、笑顔を写しては、また来るね、と家に帰る。
妹も週に2,3日は顔を見せる。

介護病院に来て2か月。もう少し、頑張れるかな・・・。

4/13
木曜日に担当医と面会。母はもうずっと水分しか取れなくなっており、ゼリー状のものさえ気管に入るようになったため、僅かの水分のみを点滴で投与している状態という。
このままで行けば、入院当初に確認した通り、看取りになるが、それでよいか、とのこと。

どうやってももう栄養分が体に入らないのでは諦めるしかなさそうだ。覚悟はしていたが、いつも意外と顔色も良く、一見それなりに元気なのかと錯覚してしまうが、現実は厳しい。

胃瘻、中心静脈栄養は考えないが、経鼻経管栄養にしても本人が違和感を感じ、抜こうとすれば手にミトンを着けたりしなければならない。
更には弱った内臓に負担がかかって結局体に吸収されないという状態にもなるという。それらの処置をしたとしても、それであと何年も生きられる訳ではないし。

分かっているのだが、それでいいですとは本当に言いにくい。
しかし、結局は本人の苦痛になることは避けるという方針で進めば、あとは弱っていくのを見守るしか手立てはない。

転院して2か月弱。口からそれなりにも栄養が取れたのは1か月もなかったようだ。むせて吸引するのも本人には辛いし、また肺炎になっても、もっと辛い。

医師の話では、1週間から1か月位、とのこと。それが老衰という状態です、と。
今の母は、不思議と穏やかで、笑顔がいい。確かに、隣のベッドのお婆さんはいつも苦しそうに声を上げ、時に看護師さん、看護師さん、と連呼し、いつも辛そうだ。それに比べれば、母が声を上げることは無く、 もう体も動かないけれど、うつらうつらしながらも、ハッと目を開けたときに視線を合わせると、ニッコリしてくれる。

流石にもう私のことは分からないようだけれど、この数日は結構しゃべってくれる。
「お姉さん、綺麗だね。」「大丈夫。」とか。

あとどれ位か神のみぞ知る、となってしまったが、最後の日々を出来るだけ一緒に過ごしていきたい。
ある意味で、私はもう覚悟ができてきた。医師の話を聞いて、妹もそれなりには納得できたようだ。

思えば年末の肺炎→インフルエンザ→誤嚥性肺炎(もどき?)を2回くらい。その都度命拾いしてきたものの、寝たきりで身動きもできない状態になってしまった。
永遠の命はないのだけれど・・・。

4/4
母は、少し食べては気管に入り、で点滴onlyに逆戻り。
ゼリー状の食事が何とか食べられたかなと思ったら、今度は全身に発疹が出て、アレルギー性かも、ということでまた点滴のみ。

幸い発疹は引いたよう。でもお腹が空いているようで可哀想。

このところ、割としゃべってくれるので嬉しい。自発的にも声を出してくれる。
週に2日、1時間ぐらい、横に座って話しかけたり、うつらうつらするので肩をさすったり。
時々ぱっと目を開けるとニッコリ笑ってくれる。実にいい表情だ。

しかし、腕もめっきり細くなり、一体体重は何キロになっているのだろうか・・・。

気管に入って吸引も辛いし、おなかがすくのもかわいそう。でも肺炎になったらもっと辛い。
堂々巡り。

3/23
先日、入院1か月のカンファレンスがあった。主治医、ケアマネ、看護師長、フロアの担当看護師、薬剤師、栄養士が勢ぞろい。
今までの経過説明と今後の見通しなど。

軽い肺炎が治まっているのに、なぜまだ点滴なのかなと思ったら、やはり誤嚥の程度が相当進んでいて、日によっては食べたものがそのまま気管に入っているという。
できるだけ口からと思うが、また肺炎を繰り返すのも本人が辛いし、栄養は一番良い状態の時で必要量の6割という。脱水を防ぐために点滴は不可欠の状態とのこと。

「笑顔にいつも癒されているんですけどね。」とケアマネさん&看護師さん。
更には通りがかりのお風呂担当スタッフにも、「〇〇さんのお嬢さんです」と紹介されると、「お綺麗なお母様ですよね!」と言われた。ま

母は肌の艶もいいし笑顔で過ごしているので状態が良いのかと思っていたら、やはり食べられない日が続き、どんどん体力が落ちているという。
そうか、やっぱり駄目か、と思う。

しかし、満85歳、アルツハイマー10年。不機嫌な表情のお年寄りが多い中、母は笑顔でみなさんに好かれている様子。それだけで、十分。
母の笑顔は、相手の合わせ鏡。嫌なことをされれば不機嫌になり、気持ちが良ければ笑顔になる。
残りの日々を、母は穏やかに過ごしているということだろう。

穏やかに、苦痛なく、尊厳をもってお過ごしいただけるよう対応します、とのこと。
あとは神様にお任せしよう・・・。

3/13
転院後安心していたら、割とすぐに「肺炎です」と留守電が入っていたのが先週の始め。
え?!

やっと落ち着いたと思ったが、2週間で誤嚥性肺炎。
もう駄目か、と思った。

が、軽かったのか、熱は早めに下がり、点滴のお世話になったものの、昨日の昼からまた流動食にもどる。
やれやれ。

それに、全く口をきかなくなったと思ったら、何と介護のスタッフの一声でしゃべったという。
妹が、いつまで点滴ですかと尋ねたら、先生の判断待ちとのこと。
しかし、「先生が来たら、ご飯が食べたいですって言ってね」に「ご飯が食べたい」と答えたとか。(^-^;

私も心配で昨日行って、食事の様子を確認。
うん、上手にゴックンできてるね。
そして、「Reikoちゃんって言って。」とトライしてみると、
「Reikoちゃん!」と声を出して、にっこり。

おお!
分かっているのかいないのか、そのあたりは微妙ながら、働きかければしゃべると分かったのは成果だ。
いやはや、ジェットコースターに乗っているような気分の1週間だった。

2/20
一昨日やっと、介護療養型医療施設に転院。無事に移動できて、ほっとした。
しかし、転院時の検査ではいろいろ問題が見つかった。というよりも、再確認した。
やはりいろいろ状況は厳しいことに変わりはない。

しかし、食事にしても投薬にしても、その他もろもろ、今度の所ではケアが手厚い感じがする。それに、何より病院の感じがよい。
後はお任せするだけ。

少し安心した。

2/8
漸く転院日が決まった。が、面談で、今後の厳しい状況を指摘された。。
しかし、これが現実だろう。

今でも唾液の誤嚥があるなら、口からの食事は肺炎につながるので厳しくなるだろう、とのこと。
「こちらも最大限努力しますが、口から食べらでなくなったらどうしますか?」

この病院の入院の条件が、延命措置を取らないことになっている。つまり、脱水を防ぐ点滴以外はできない、ということ。高カロリー輸液を希望なら、入れないのだ。
つまり、そこから「自然死」を待つという状態にはいるということ。もっと言えば、数日で「看取り」ということ。

これをすんなり、はい、とは本当に言えない。言えないが、言わないと先に進めない。苦渋の選択をどんどん迫られていく。

転院も、軽く車いすで移動と思ったら無理だろうと。ストレッチャー・タクシーでの移動となった。病院で手配してくれるのは助かるが、僅かな距離でも高価なのは、父の時にも経験済み。母が楽なことを考えれば仕方ない。

昨日はとても良い状態で安心したが、今日行ったら真っ赤な顔をしていた。
え?!
しかし、看護師さんは忙しそうで捕まらない。最初はおでこも熱いかなと思ったが、頬だけになった。おでこはすぐに平熱っぽい感じに。
通りがかった看護師さんは、「この部屋は暑いから。」

裸の胸がはだけそうな薄着にされているのもそのせい?

疑問符はいろいろつくが、とにかくも、何とかもう少し頑張って乗り切ってほしい。
ああ、一難去ってまた一難。
私の精神ももっとタフにならないと!

2/5
昨日はホーム退去の最終手続き。電動ベッドを業者に下取りしてもらい、先週・今週と二度の荷物運びだしで、部屋は空っぽになった。
担当のスタッフTさんとも挨拶。本当に良くしてくれた。残念なことに、隣室で、同時に入院したおじいさんは亡くなったとのこと。ホームで看取りをしたらしい。
3人同時に入院し、無事戻ったのはAさん一人。すっかり元気に歩いておられた。

電動ベッドについては本当に後が大変らしい。大半は無料どころか、お金を払って搬出・処分してもらうらしい。買う時は10数万でも、処分するときは有料!これも、重すぎて、分解・運搬にもお金がかかるから。
下取りし、値段が付くだけで御の字とか・・・。さらに、メーカーも、大手どころでないと駄目らしい。

借りていたとしても、介護保険の枠は超えているので、月々1万円以上かかると聞くので、ほぼ2年使ったことで、これでも買った方が安くついたようだ。因みに、うちのはパラマウンドの3モーター。1万円近いマットレスもつけて、買値は8000円。

一番の問題は、母がまだ完全には回復していないこと。
7度台の微熱が続いている。嚥下障害も出てきて、食事がむせて吸引してもらったという。反応も多少は良くなったのか、それとも、ぼ〜っとしているだけなのか、一進一退。

インフルもA型にも二種類あるというし、もういつも生きた心地がしない。早く終息して!

問題は山積している。次の問題は、療養型病院の受け入れがまだ決定していないこと。
明日その最終面接があるが、決まったとしてもいつ入れるかも分からない。

ホームから運び出した家具や荷物で家の中は大変な状態。カオスは続く・・・。

1/29
母の様子は、改善したものの、なかなか治らない感じ。
食事もとり始め、熱も下がってきてぐっと良くなるかと思えば、まだ痰も多く、微熱が続いているという。

ニュースで高齢者の、施設や病院での死亡が続々と伝えられるたびにドキッとする。
明日は我が身。合併症や再度の肺炎、気管支炎が怖い。

こちらは祈るのみ。ほぼ毎日、マスクをして訪ねるものの、母の反応も鈍いまま・・・。

1/23
昨日、妹が行ってくれて、熱が下がり始めたという。
まだ高めだが、痰も減って、快方に向かい始めたようだ、と。

よく頑張ってくれた。
でもまだ安心はできない。

とはいえ、久しぶりに枕を高くして眠ることができた。
もう一息!
頑張って!

1/22
高熱が5日間も下がらず、流石に覚悟も必要かと思った。
顔を見ても、苦しそうで目を開けることもできない様子。厳しいだろうな、と。

職場にも非常時に備えて連絡先を確認しておく。電話を気にして安眠できない。

1/20
ようやく症状も安定し、また、見学に行った療養型病院も印象が良くて安心していたら、何とインフルに感染してしまった。
病院にいてうつるとは思わなかったが、十分あることなのだろう。
体力が落ちているところにインフルと聞き、ショック。これで肺炎まで進んだらアウトだろう。

いきなり高熱が出て、すぐに治療は開始したという。熱が出た翌日の検査では、まだ肺炎には至っていないという。
水、木とお見舞いに行ったが非常に苦しそうだった。病院も急患も入院患者も含めてインフル蔓延しているとか。防げないのかと思うと本当に悔しいが、仕方ない面もあるのだろう。

とにかく、母の体力が持ってくれることを祈るのみ。
今日もまだ8度の熱があるという。

1/14
退院予定の日。携帯に着信記録あり。ちょっとドキッとするが、時刻的に昼休みという感じだったので、翌日の退院に関する支払いの確認かと思いきや、 何と「ナースストップ」がかかって、退院は延期となった。

延期どころか、「今後も痰の吸引が絶対的に必要となると思いますが、今の施設ではそれができますか?」とのこと。
グループホームには看護師はいない。痰の頻度や、治ればなくなるのかと尋ねると、結局、力がないので唾液も肺に入っている可能性が高いとのこと。
そのため、今後も日常的に吸引が必要になるだろうから、介護医療型の病院に入るしかないと思うとのこと。

思わず絶句。

当然のようにホームに戻って元の暮らしができると考えていたので、考えがまとまらない。
取りあえず、病院のソーシャルワーカーとの面談予約をし、家に帰って調べ始めた。

では看護師が居る施設に移る?
短期間で痰が無くなるなら、自費でも訪問で看護師を頼む??

山友の看護師という力強い援軍に相談。

しかし、はっきりとした結論は出そうででない。

考えてみれば、母も満85才。アルツハイマー歴も10年。ホームに入ってもうすぐ丸4年。
最近は、かかとの褥瘡、肩の骨折、そして肺炎。アルツ患者終末期の記述にすべて当てはまることに気づいて頭を抱える。

昨日はかなり笑顔も良くて、反応もしっかりしていて、これならもしかして?!と期待したのだが、今日はなかなか咳が辛そうだった。
肺炎で体力も消耗したし、寝たきり生活も3週間目。確かに、現実は厳しい。

まずは介護病院の見学をして、良さそうなら、そこに入ることになるかもしれない。

2019/1/6
昨日漸く退院許可が出る。丸2週間。肺炎は治っても、この後が心配。
ホームでは、受け入れ後はまた出来るだけ「日常」生活に戻すつもりで頑張るという。なので、退院時はパジャマではなく普通に服を着せて連れ帰る予定。

今日面会に行くと、同室の方がちょうど亡くなられて遺体の搬出にぶつかってしまった。
ほんの数日前にはお見舞いの家族と話をしていたのでちょっと信じられない気持ち。とはいえ、明日は我が身と痛感する。

とりあえず、昨日は新しいパジャマを用意し、今日はホームの自室を整えてきた。
慌ただしい年末年始がようやく終わりそうだ。

しかし、いつまた肺炎になるかもしれず、その際は相当厳しそうだ。
覚悟の年になるかもしれない。


<この下:2018年>
****************************************************************************
12/30
入院から毎日面会に。翌日はバスタオル1枚をかけられ、点滴を受けている。反応も鈍く、まだ辛そうだ。

その翌日は布団をかけており、反応も良く、「大丈夫?」と聞くと、はっきりと「大丈夫」と声を出してくれた。やっとほっとする。洗濯物を持ち帰る。

さらに翌日は、あれ、病室に居ない!
一瞬ドキッとしたが、大部屋に空きが出て、移動してくていたのだった。やれやれ。
でもまたバスタオル。熱がぶり返したのかな。何となく顔がむくんで見える。点滴は今度は足からに変わっていた。反応も鈍く、少し不安になる。

さて、今日も寝ていたが、布団をかけている。熱が下がったのかな?
声をかけると目を開け、話はしないものの、こちらの呼びかけにはしっかり反応。点滴の管もみえなかった。
気になるので看護師に様子を尋ねると、昨日までは抗生物質の投与、2日目から食事も介助で食べ始め、今日は微熱で点滴も1日1回になったとのこと。
ああ、これで無事に年を越せそうだ。

ほっとしたらどっと疲れた。

12/26
年末に入院となった。
9度近い高熱が下がらないと連絡が来たのが26日午前。ホームのかかりつけ医まで、車いすのまま押していくこと10分。点滴を打ち、また小さなクリニックのため母の状態ではレントゲンも撮れず、血液採取で様子見となった。

少し落ち着いたかに見えたが、帰宅後夕方また電話。熱がぶり返し、9度に。脈も106ということで、再度かかりつけ医に連絡すると、連れてくるか、無理なら解熱剤で様子見という指示だったという。
流石にホーム側も、すぐに結果が出る総合病院の方に連れていくほうがいいのでは、とのこと。
熱が高すぎ、こちらも非常に不安だったので、再度ホームに駆け付ける。

これまた車いすを押しながら5分。CT,レントゲン、血液検査に心電図。
母の顔は赤く、身体はほてっている。結局、左肺の肺炎で、即入院。年末でベッドの空きがないと看護師が話し合っているのが筒抜け。とはいえ、兎にも角にも入院できて少しだけ胸をなでおろす。
それにしても、かかりつけ医の判断には疑問符が・・・。

早速点滴を受け、4人部屋の差額ベッドとなったが、日額4320円。何とか許容範囲。。。。

11/11
ようやくバリアフリーの眼科へ連れて行った。子供やお年寄りに優しいとうたった医院なので、とてもよかった。
特に大きな病気は無く、目やにが止まる点眼薬を貰って終わり。ただ、白内障はあるという。
多分、それもあって視界不良なのだろうな・・・。考えてはいないものの、「手術も難しいと思います」とのこと。
そのままで行くしかなさそう。

ともあれ、一仕事終わった感じ。連れ出す際に、20分ほど、本当に久しぶりのドライブもできて、一応ご機嫌もよく、ほっとした。声も良く出ていたし、あとはまた定期健診に連れて行くだけ。
これまた二人がかりだけど。

11/6
母は85歳になった。アレンジの花を持っていくと、「綺麗だね!」と言ってくれた。ああ、綺麗なお花って、分かったのね。
表情も良く、昔のアルバムをまた持って行って多少おしゃべりしたが、暫くするとまた寝てしまった。

急に雨が降ったのでまたドライブは延期。ついでに父の墓参りも相当ご無沙汰。気になっているのだが、生きている人優先ということで。

眼科は予約できるところを見つけたので近日中に連れていけそうだ。
今度こそ久しぶりのドライブ行けるかな?

10/29
昨日の母は久しぶりに饒舌だった。私一人だったので、気候も良いので車いすを押しながら近所を散歩してきた。
スタッフが言うに、このところずっと便秘で大変だったらしく、薬をいろいろ調整して、先週は効きすぎて布団をかなり汚してしまったようだった。(勿論洗濯済だったが、かなりのシミが残っていた)
しかし、分量を減らして、お腹の調子がよくなってきたら、急に明るく元気になったという。なるほど!
父もずいぶんと便秘に苦しんでいた。運動量が減るし、筋肉も弱っているだろうから、これは切実な問題だろう。

目下、ちょっと片目だけ目やにが酷いので、アレルギーのような気もする。眼科に連れていきたいが、これまた付き添いが一人では無理なので、なかなか思うようにならないのは申し訳なく思っている。
ネットで、予約可能な眼科を見つけたので、近いうちにとは思う。

ホームの訪問リハビリの単価が上がり、週3日やっていたら高額になってびっくり。これは2日に減らしてもらった。まあ、2日でも効果はあるだろう。
11月が誕生日。ホームではいつもケーキを焼いてお祝いしてくれる。まだまだ豊かな感情があるので、きっと喜ぶだろう。私たちはお花でも持って行こうかな。

10/15
昨日の母はにこやかだった。従兄のお嫁さんTさんがまた来てくれて、私たちが着く前にすでに1時間程度お相手してくれていた。
このところ、「お昼寝中」が多かったが、昨日はリビングに座ってTさんと「お話」中。相変わらず、Reikoちゃんとしか名前は出てこなかった模様。Tさんが、「〇〇ちゃんもいるでしょう?」と振っても、妹の名前は出てこないらしいが、 まあともかくも、誰か一人でも名前が出れば上等だろう。

機能回復のマッサージを週3日受けているが、費用改定もあって、かなり高額になってしまったので、2回に減らすことに。
今はオムツ関係でもかなりの出費があるので、まあ仕方ないかな、と。

もうすぐ85歳。100歳を迎えた伯母には及ばないが、でも笑顔が嬉しい。
そろそろドライブも行けるかな。もっとも、今週末は私は留守だけど・・・。

9/17
敬老の日。花でも持っていく?と妹と相談したら、「誕生日も母の日も上げてるから、いいんじゃない?」・・・ふ〜ん。
ということでマンゴーゼリーだけもって訪問。スタッフによると、母は食事前にいきなりテーブルに突っ伏してしまうことが多くなったとか。そのせいか、テーブルには母用なのか、丸い小さなクッションが常備されている。

突っ伏した後はなかなか顔を上げず、食事させるのが大変らしい。あるいは食べた後いきなり突っ伏すとか。
まあ、様子を見ながら、ということで。

折よく医療マッサージの人が来て、その様子を見学。体を少しずつ動かし、関節が固くならないよう施術してくれる。これはやはり必要なことだろう。もっとも、結構経費も気になるようにはなっているが。
ま、母のためになるのなら安いものだ。

あまりの暑さにまだまだドライブは再開できずだが、古いアルバムをとっかえひっかえ持って行って、開いては話しかける。ずいぶんいろいろなところに行ったね〜。
妹と、「この写真の時って、今の私たちよりず〜っと若いんだよね(笑)。」
面白いことに、当時の母は、従妹に似ていたり、また当然ながら私に似ていたり。

余り反応ないのかな〜と思って見せていたら、写真に写る自分(母)の姿を指さして、「Reikoちゃん」と言う。おお、半分は理解できてるかも?(笑)

分かっていないようで分かっている母なのだ。

9/9
今日もホームで母と対話。今日はリビングで懐メロの録画を見ていた。
ちょっと目が赤いので、とスタッフが報告してくれるが、大したことはなさそう。近く診察があるので見てもらうそう。

この頃笑顔がなかなか良くて、毎回のように妹がスマホでパチリ。口数は減ったが、まずまずの様子にほっとする。
もう少し涼しくなれば久しぶりのお出かけもできるが、まだ車の中が暑いので、月末くらいには・・・。

骨折も治ったし、いい季節に向かって、現状維持でいてもらえたら。

8/27
母の肩の経過観察も無事終了で、ちょっとほっとする。連日の暑さで、ずっとドライブはお預け。しかし、一緒におやつを食べながら話すのはそれはそれで楽しい。 まるで恋人でも眺めるかのように、母はいつも私に微笑みをくれる。

新潟の伯母がついに100歳に到達。お祝いに行ってきた。流石に従兄しかわからず、それもどうやら「お父さん」と呼んでいることから、自分の世界に生きている様子がうかがえるが、母もそうだが最期にお父さんやらお母さんが出てくるのは幸せな子供時代を過ごしたからだと思いたい。

特注のすてきなピンクの羽織と帽子を身につけ、記念撮影。母もあやかりたいものだ。

7/31
このところの猛暑で、クーラーをかけても車内が日差しで暑くなることもあり、母とのドライブはちょっとお休み中。
ホーム内で、写真集を見ながら話しかけたり、一緒にゼリーを食べたりしてゆっくり過ごしている。
この頃はドライブ中も少し疲れて見えることがあり、また、運転していると余りゆっくり話せないので、こうやってゆっくり向きあって話す方が母にとっては嬉しいことかもしれない・・・。

肩も痛がることは無くなったという。前々回は訪問理髪と重なり、カットを見守った。横は少しだけ長くしたままにしてもらい、カワイイ感じに。母も満足そうだった。
前回はいつもの通りお昼寝中だったので、ベッドの背中を起こしてまた写真を見せたり本を見せたりして過ごした。また眠たそうだったのでまた寝かし、今までで一番短い訪問となった。

半月ほど前、舌が茶色く変色し、一応診察を受け、薬を貰ったらしい。体力が落ちているからだろうか。
御機嫌は良かったが、少しずつ体力が落ちてきているかなあと感じる。

7/12
骨折で保険金が出た。思ったより多くてびっくり。請求してみるものだなと思った。(月額2000円の「転ばぬ先の〜」という傷害保険)
この前の母は、御機嫌はだいぶ良くなっていたが、舌が茶色くなっているという。かかりつけ医には報告済みで、様子見だそうだが、体力が落ちているからかもしれない。

やはり84歳ともなると、いつも元気という訳にはいかない。食事はまた元気になって自立してできているそうだが、うつらうつらしていることも多い。百歳になろうという伯母もそんな感じらしい。
机に顔をつけて突っ伏してしまうので、(なぜか)鼻に豆のようなものができてしまった。

ドライブでもちょっと姿勢の保持が難しくなり(いつもは小さなクッションを背中と肩の間に挟んでいる)、体調がイマイチだと30分持たない。真夏はちょっと自粛したほうがいいのかも・・・。

7/2
今日も診察日。梅雨明けの猛暑の中、車いすを押していくのもちょっと大変。母には帽子をかぶせ、できるだけ木陰を進む。
画像を見るとさらに骨がくっついてきたようで、次回は8月半ばとなった。保険請求の手続きも済ませ、ちょっと一段落。

先週はイマイチ元気がなく、ドライブ中にうつらうつら。一昨日も口数がすくなくて気掛かりだったが、今日はニコニコ顔だったのでほっとした。
1時間ほどで全て終わり、ホームに戻ると、折よくリハビリのお兄さんが来たところで、安心して任せてきた。

ホームも丸3年が過ぎ、母も古株になってきた。スタッフも2人ほど変わったが、大半はそのまま。毎月20数万円かかるのはキツイが、母の笑顔には変えられない。今日も目を見て「Reikoちゃん、大好き。」と言ってくれた。
これでまた私も頑張れる・・・。

6/4
今日も整形外科。幸い予約ありだったので、30分程で終了。診察が終わり次第母をいったんホームに送っていき、また戻って会計。日差しが強かったが、まだ午前中なので何とか。
骨折部位の方は、骨を繋ぐ物質がどんどん固まってきているようで、とりあえず順調とのこと。ほっとした。

ただ、また少し微熱があるとか。迎えに行った時も、会計をして戻った時も、机に突っ伏していたのは、体調が悪いからだろうか。
でも、病院では相変わらず笑顔で御機嫌だった。

次の診察は来月。完全にくっつくまではもう暫く経過を見させてくださいとのこと。真夏の暑さが始まる前に通院が終わるとよいのだが。

骨折した場合に降りる保険を請求するものの、一体いくら貰えるか不明。診断書代以上になればよいのだが。まあ請求してみることにした。

5/19
昨日再度診察を受け(予約がなく2時間以上待つことになり、途中で母がダウン。ベッドに寝かせてもらった)、やっと骨折内容がはっきりした。肩の付け根の外側が折れて、少し関節?の内側に入っているそうだ。
やはり動きが多少制約を受けるものの、このままくっつくのを待つしかない。次は二週間後。

本人は、寝かせてもらったら元気を回復、帰るころはニコニコしていてほっとしたが、車いすのまま待つのは辛かっただろう。とはいえ、ホームから押していくにも晴天でなければならず、移乗するには肩の骨折部位が微妙で怖いし、 昨日連れていくしか選択肢はなかったのだが。
ホームでは食欲も出たそうで、これで歩けなくならないよう、リハビリも再開することにした。完治まで1か月ほどかかるようだが、来やすい服を少し持って行って、何とかしのいでいる。

思いがけないことが起こるのが老人。でも、まあ、やっとほっとした。

5/14
土曜にホームから連絡があり、発熱とのこと。左上腕も腫れているとか。提携医に連絡し、8度を越えたら解熱剤を飲ませるという指示だという。
夜また電話があり、7度6分まで上がったという。その後また電話が鳴るかと安眠できなかったが、夜間の電話はなかった。

早めにホームを訪ね、母の様子を見ると、熱は少し下がったそうだが、腕の腫れは尋常ではなく、また熱を持っていて、さらに紫色になっている。
熱より腕の方が心配なので、日曜だが近くの病院の救急外来に連れていく。整形外科でレントゲンを取ってみると、何と「骨折ですね。」
画像を見せられても途中でポッキリ、ではなく、肩のところで骨がズレたような感じに写っている。ホームの話では3日位前から腕が痛いというので見たところ、打撲等の跡もなく、把握している範囲では転倒もなかったというが、腫れがだんだんひどくなってきたそうだ。

若い医者曰く、「三角巾で吊るしかないですね。湿布と痛み止め要りますか?」
休日勤務の「坊や」にちょっとむかついたものの(笑)、そのうちくっつくということで、1週間後にまた診察、で終わり。

まあ老人に転倒はつきもので、目の届かない所で転んだ可能性はゼロではないが、余り考えにくい。何よりホーム側が骨折と聞いて非常に驚いていた。
いつも左肩を下にして寝ているため、骨粗鬆症(を調べたことは無いが)で疲労骨折のようにして折れたのだろうか、とスタッフが言っていたが、それもなきにしもあらず?

本人は骨折の割には痛がらないものの、脱ぎ着もできないし、ちょっと大変だ。暫く寝間着着たまましかないかもしれないな・・・。

ともあれ、左肩でよかったのかも。脚だと寝た切り!!右腕だと食事等も大変。不幸中の幸いとしか言いようがない。とんだ母の日になってしまったが、ともかくも胸をなでおろした。
ちなみに、内科では、発熱での心配はないと言われた。こちらは腰の低い若者で、感じもよかった。心音も異常なく、血中酸素量もOKなので、肺炎の心配もないという。骨折での発熱は考えられないそうなので、これは風邪か。
幸いすぐに見てもらえ、雨も降る前で良かった。この日は、田舎から出てきた従兄と娘を案内する約束で、途中でどうしても連絡がつかず、結局待たせてしまい、母のことで心配もかけてしまったが、その後の日程は全部無事こなせ、 喜んでくれた。しかし、長い1日だった。

5/9
ホームから電話で、定例の診察時、脈が飛ぶので心電図を取るかどうかという。
そういえば、昨年の検診でも心電図は所見ありで、期外収縮(上室)となっていた。その医師は、異常は異常だが、特別に何か対策を講じるのではなく、注意深く見守ればよいという話だった。
ホームには、近日中にかかりつけ医に連れていくと返事をしたが、さてどうしたものか。

ホーム入居前にも、心筋梗塞が疑われる症状が出て、一時ニトロも貰ったが、その後は症状が出なかった。ただ、本人は適切に症状を訴えられない状態だし、このところ、水分補給が十分できなくてホームでも困っているので、楽観はできない。

毎週のドライブでは、必ず水分を補給しているが、そこでの100〜150mlでさえ、ホームでは有り難いという。手を変え品を変えて勧めても、なかなか飲んでくれないそうだ。

ホームも丸3年。毎月の出費は相当なものだが、ギリギリ母の年金全額で賄える。
今はオムツよりはリハビリパンツ利用で、失禁があまりないようだ。不思議と少し回復している感じ。相変わらず手を引けば何とか歩けるし、表情も良く、反応も良い。冗談に笑ったりするので、スタッフもそこそこ対応しやすい様子。

明日何が起こるか全く予測できないが、母には穏やかな日々が続くことが一番。
さて、心電図取ってもなあ・・・。(^-^;

5/7
母の居室用に買ったニトリの木製のダンス、だいぶ前から引き出しがうまく動かず騙し騙し使っていたが、どうどう開かなくなってホームからも買い替えを、と言われたので今度はプラの4段に買い替えた。
ニトリのは、全体が36キロと重く、木製と言っても1万円未満なので仕方ないのだろうが、それでも1年半でガタが来るのは不良品。安かろう悪かろうの典型となった。

当初、プラの箪笥も考えたのだが、ちょっと安っぽくて…と思い、探したものだったが、組み立ても運び込みも重すぎて、やっぱり使い勝手が悪かった。
今度のはプラながら1万円越え。でも表面は濃いチョコレートブラウンの鏡面仕上げでなかなか感じはよかった。引き出しもすんなり開く。

入れ替えはスタッフがやってくれて、服は引き出しに綺麗に畳まれていた。細かいところも丁寧でいつも有り難い。電話でも必ず「〇野〇子さんのことで」、とフルネームだし、居室に入るのも必ずノックする。
こんなことの積み重ねが入所者を大切にすることの現れだと思う。
他の入所者も大半は笑顔だ。最後までこのホームに居られたら、と思わずにはいられない。

4/9
福祉車両に変えて1年。当時、母は車いすで、歩けなかった。
それが今では手を引けば自分で歩いて車に乗れ、車内でも手をたたいて歌うなどいつも御機嫌だ。老化も認知症の進行も不可逆的と思っていたが、少なくとも今は時計が少し逆戻りしたようだ。

車に乗ればいつも御機嫌。当初は童謡や唱歌を一緒に歌ったが、流石にずっとだと歌い疲れるようで(笑)、今は少し童謡を流して、途中で隣のトトロに変えたり。
ただ、元気一杯の継続時間は少しずつ短くなってきている。最短30分、最長1時間。様子を見て、ホームに戻る時間を決めている。

甲子園と福岡山行で2週空けてしまったが、何とその間、妹が運転すると妹に対してReikoちゃん、と呼びかけたとか。(^-^;
う〜む微妙な反応。御機嫌よくドライブしてくれたので全く問題ないが、果たして私を本当に認識しているのかな(笑)。

ただ、二人一緒に連れ出す際は、時々妹の方は知らない人だと感じて、腕を振り払おうとすることがある。そうなると妹も気の毒なのだが、私が振り払われたことは、ない。

兎に角も、母が元気で、更には笑顔でいてくれればこれ以上何を望むだろうか。
時々妹に、私に化けてもらって、ちょっと山行を増やそうかな?!(笑)

1/28
酷寒の中、ホームは暖かい。家族会もあって、母は元気だ。
同じフロアでも昨年1年でかなりの方の出入りがあった。入院、退所、死亡・・・。母が元気でいられるのは、本当は奇跡なのかもしれない。
昨日は「私は〇〇〇子さん」と旧姓を名乗っていた。で、兄弟は?と聞いたら3人、と。何番目?と聞くと「3番目。」
ふ〜ん。長女が私らしい(笑)。ま、いいか。

2018 1/7
今日も穏やかな日差しの中、1時間のドライブ。先週もまたちょっと吐いたらしい。が、まあ心配するほどのことでもなさそうだ。
車の中では童謡を一緒に歌いながら、ニコニコしている母。一旦車を停めて、短いお茶タイム。この頃は和菓子を買って持っていく。甘いものは大好きだ。

コートに手を通すのが大変なので、妹がバーゲンでケープを買ってきた。寝間着の上に羽織るものなのだが、まあかわいい花柄で、母も気に入った様子。居室から駐車場の往復にのみ利用。
スタッフによれば、この頃は食事も自分でしっかりとれるし、状態は良いという。確かに、ひょいっと立つのが上手になった。
年齢ゆえに、状態には波があるだろうが、まずまずの滑り出し。今年も何とか良い状態を維持したい。

12/31
今年も何とか無事に年を越すことができた。年初に比べて母の状態はむしろ改善したと言えそうだ。
手を引けば何とか駐車場までは歩けるようになったし、口数も増え、語彙も増えた。笑顔がカワイイ母の姿に私たちが一番救われている。

母にとっての1年はどうだったのだろう。
そして、いつまで満面の笑顔で「Reikoちゃんだ!」と言ってくれるだろうか。

12/3
まだ鼻水が出るというが、元気そうだった。珍しく(?)かなり暖かい恰好をさせてもらっていて安心する。いつもちょっと薄着のような気がしていたが、流石に風邪気味ということでだろうか。
暖かかったので、両側で手を引きながらなんとか駐車場まで歩いてもらい、ドライブ。先日母のために選んだ童謡のCDをかけると反応バッチリ!手をたたいて歌ってくれた。

歌が好きなので、車内のトトロのCDだと時折声をだすのだが、思いついて同様にしたのが正解だった。ただ、選ぶのは意外と大変。小学唱歌がいいのかもしれないが、見つからず。昔の流行歌は時代の選択が難しいし、普段歌っているのを聞いたこともない。
童謡でも、今どきの「みんなのうた」では難しい。で、手ごろな価格でもあり、選んだのは母と子の音楽会 どうよう@">。私たちも一緒に歌える。多分、子育て期間に当たる歌がいいのだろう。

またドライブ時間が充実してきた(笑)。

11/23
母の脈が時々飛ぶという。健康診断があれば心電図を取るよう言われた。
先日、検診に連れて行ったが、結果は後日改めて聞くことにはなっているものの、やはり異常は認められるという。
だが、それもすぐに治療が必要なものではなく、まあ様子を見ながら大事にしていく、というこのようだ。

確かに一度心筋梗塞らしき症状が出たが、それも3年ほど前になる。
もっとも、検診に行くのに寒かったのか、病院で風邪菌を貰ったのか、母は今日は微熱があるという。ホームに様子見に行くと、暖かくして寝ていたが、声をかけると起きて、持って行ったプリンを美味しそうに食べてくれた。
ホームでは、かかりつけ医に抗生剤を貰ったとのこと。インフルの注射もしてあるし、大事に至らないよう願っている。
また週末に様子を見に行くつもり。

11/9
日曜日はやっと晴れて、墓参りを兼ねて久々のドライブ。母は御機嫌だった。
ホームからは、食べこぼしが増えたので、洗える前掛けを用意するように、とのこと。早速ネットで明るい柄のを注文。
また、時々脈が飛ぶので、検診をとのこと。来週つれていくことにする。歩けるようになったかなと思ったら、この頃は時折足が痛いと言って、車いすの時もあるという。また膝に水でもたまったかと心配になるが、そうでもないらしい。
月1回の嘱託医の診察と、さらに訪問看護師で健康をチェックする体制。まあ御機嫌がいいということは、体調も悪くないということだろう。

週末にはいつもお菓子を持っていく。柔らかくて甘くて、のどに詰まらず、食べやすいもの。プリンだったり、和菓子だったり。味がわかるうちは週1回くらいはちょっと凝ったものを食べさせたい。
ホームでもおやつは出るのだが、ビスコだったりして、ちょっと・・・。

週末は、またデパートで見つけた可愛い熊ちゃん柄のバスタオルと、バーゲンで見つけた薄いピンクの、暖かくて洗濯も乾燥機も大丈夫なタートルネックを持って行こう。

10/15
母の足は快調。玄関まで位なら歩けるようになった。そして、反応もすこぶる良い。
ただし、疲れるのか、90分相手をすると眠ってしまう。

週末は雨なので、ヨーロッパの風景の写真集を買って持って行った。開くたびに反応も良く、あそこに行ったね、ここはいった?などと会話しながら並んで座って楽しく過ごした。

この前は花の写真集を見せてもらっていたので、自前で2Lにプリントしてミニアルバムを作って持って行った。
今は表情も反応もとても穏やかで、本当に嬉しい。今の母の状態、これでもアルツハイマーだと言ったら、誰もが少しは安心するのでは、と思う。

よく、子供は3歳までに親の恩を全て返すというが、今の母はまさにこの逆バージョン。今の母は、今までの私の介護の苦労にすべて報いてくれている。

目が合えば、あ、Reikoちゃんだ!Reikoちゃんは○○だね!!ともう凄いほめ殺しなのだが(笑)、母の記憶に残る私がそういう姿であるのは嬉しい。
母は私に随分と期待していたんだなと分かる。その期待にまあきっと、それなりに応えられたということだろうか。

84歳、アルツハイマーと診断されて10年。
こんな平和な時間が訪れようとは。

9/25
この週末も母は御機嫌で、手を引いて駐車場まで歩き、帰りも同様に。車内ではジブリのCDに合わせて歌も歌ってくれた。
久しぶりに弟の名前もひょっこり出て、良い感じ。この日はドライブが1時間に及んでも何とか持ってくれた。
いつものようにミニストップのソフトを食べて、ドライブして戻る。
先週持って行ったブラウスを着ていたのは、スタッフの心遣い。迎えに行くと「ああ、よかった。一緒に帰ろう」と言うのはちょっと困ったが、まあ送っていけば抵抗なくホームに戻ってくれるので問題なし。

マッサージの効果がじわじわ出てきたようで、車いすからよくぞここまで戻ったものだと感心する。
高望みはしないが、自分の足で歩けば脳も刺激されるだろうし、悪いことは1つもない。母も頑張っている。私も頑張らないと!

9/21
敬老の日ということもあり、月曜日に母を訪ねた。このところ、マッサージの効果を多少疑う気持ちになっていたが、この日は手を引けば駐車場まで歩けるようになっていた。
表情も明るく、台風一過の青空を眩しそうに見上げて嬉しそうだった。日によって体調に大きな波があるのは分かっていたが、これならばもう少し続けてもらおうかという気になる。

たが、やはり体力は継続的に衰えており、訪ねるとベッドで横になっていることも多くなった。それはまあ仕方のないことだろう。
黒地に白の花柄のブラウスを縫ったので持っていき、着替えさせてから車に乗せた。分かってくれたのだろうか。
このところ、ドライブも3,40分が限度のようだ。それでも外の風に当たるのはずいぶん気分も違うだろう。今また小康状態の感じなので、このまま穏やかに過ごしてくれたらと願わずにはいられない。

9/4
ちょっと間が空いたが、母はすぐにReikoちゃん!と言って笑顔で手を握ってくれた。車椅子からの脱却を目指している。まだ一人ですたすた歩けるわけではないが、少しでも手を引けば歩けるようになったのは素晴らしい。
一旦車いすになってから数ヶ月。まさか歩けるようになるとは思わなかった。

しかし、食卓につくと、すぐにテーブルに顔を着けて伏せてしまうという。劇的に回復することはあり得ないし、徐々に進行しているのも間違いないので、あちら立てばこちら立たず、仕方ないのだろう。
ドライブ中の口数は少し増えたが、姿勢の維持がますます大変になってきているようだ。ミニクッションを使って少しでも楽な姿勢を保てるよう努めてはいるのだが。

この頃雑誌の見出しで、「老親のリスク回避」的なものが目立つ気がする。確かに、介護は思いもよらぬ負担をかけるものだろう。しかし、まるで100%厄介者みたいな扱いの見出しを見ると、一体それでいいのかと思う。
迷惑かけたっていいじゃないの、家族なんだから、とも言いたくなる。

間違いなく相当の「面倒」には違いないし、お金も予想外にかかる。介護ストレスは相当なものだし、見たくないことも見なければならない。
でも、肉親に対してあまりにドライな態度の勧めにはとても割り切れない。
それに、明日は我が身、と思ったらそんな対応できる?

良いことも悪いことも全部ひっくるめて家族なんだから、迷惑かけるのは当たり前。勿論、私だって相当な葛藤を経ているけれど、だからといってまるで「厄介者払い」みたいなことは考えない。(まあ、父の時は大変だったが、それでも総合的には受け入れてきたと思うし。)

何だか本当に冷たい世の中なのかなと思う。

8/18
相談の結果、週2,3回のマッサージを受けることに決める。スタッフはとても期待しているが、どうだろうか。
辛いリハビリのようなことはさせたくないが、歩けるようになれば、それは大幅にQOLが上がるので嬉しいことだ。
とりあえず、様子を見てみようと思う。一旦車いすになった人がまた自分で歩けるようになるとすれば、お金をかける価値はあると思う。もっとも、医療費扱いになるそうなので、1回400円位になるという。ちょっと安心。
そうでなくとも、オムツになっているので、費用がかさむこの頃。でもまあ、母のためなら惜しくない。それに、また元気になってくれれば、「着せ替え」の楽しみも増えるだろうし。

嬉しい誤算になってくれたら!

8/13
ホームに迎えに行くと、何と今日は車いすではなく、歩いて車に乗り、歩いてホームの自室に戻った。数日前に、自分で立ったのだという。それで、スタッフが、手を引けば歩けますよ、というので半信半疑だったが、本当だった。
膝痛も治り、食欲も出たので、体調も大きく持ち直したのだろうか。スタッフには、リハビリを勧められるほど。

辛いリハビリはどうかと思ったが、マッサージなどして、少しずつ機能回復を図るので良いのでは、とのこと。考えてみようかと思う。
それにしても、本当にこの時期に良くなるとは有り難い。嬉しい誤算というべきか。

8/3
このところ母は調子がよい。食欲も回復して、自分の手でお箸を持って食べられるまでに回復したという。皮膚科も治りが良いのは食事がきちんととれているからだろうとのことで、通院も終わった。
ただ、ドライブが長くなると疲れるようだ。1時間だとちょっと持たない感じなので、3,40分が限度かもしれない。それでも、御機嫌が良くて本当に有り難い。
体調が良ければ万事良し。頭の回転も戻ったようだ。
さて、いつまでこの小康状態が続いてくれるだろうか。祈るような気持である。

7/16
先週行けなかったので気になっていたが、母は元気だった。入れ歯を外して寝ていたが、ドライブ行く?と聞くと起きてくれた。
私の顔を見るなり「あ〜よかった、Reikoちゃんだ」と言う。幸い妹の名前もすぐ出て、先週もそうだったという。このところ、少し頭の回転が速くなったようだ。その分、どういう訳か、また久しぶりに英単語が出てくる。99歳の伯母もなぜかOnly Oneとばかり言っていたが、英語は脳の何か普通とは違う場所に記憶されているのだろうか、と思う。
余りに暑いので心配するが、車の中は涼しいし、風向きと風量に注意し、助手席に火が当たりすぎないよう注意して走るので、一応快適。
このところ、珍しく、ソフトクリームをよく食べてくれる。今日はミニストップのソフトを8割がた食べてくれた。

ちょっと安心。かかとももうすぐ治るだろうか。

7/3
東京は蒸し風呂。この猛暑の中、母の通院。あまりの暑さに絶句したが、皮膚はずいぶん改善し、3週間後にもう1回行けば終わりそうという。ほっとした。
入れ歯の調整をしてもらったせいか、昨日は久しぶりに饒舌だった母。妹の名前もすらすら出てきて、自分の弟妹の名前も出たのには驚かされた。
連日のお相手で、母は御機嫌。食欲も出たという。これで少しほっとできそうだ。これも偏に信頼できるスタッフのお陰。有り難い。

6/24
踵の褥瘡はかなり良くなってきた様子でほっとする。今日は特に口数が多かった。花柄のモンペ風ズボン、とりあえずホームに置いてきたが、スタッフも、「花柄はよくわかったいらっしゃいますね。これ私のって、おっしゃっていますよ。」とのこと。
今までに作ったものもちゃんと判別してくれているようでほっとする。今夏のは素敵な柄だが、ちょっと地が薄いので真夏向きかも。とにかく、手入れが大変そうな布だったので、これだけはうちで洗濯します、と伝えてきた。

腰の曲がり方が激しいので、ドライブも1時間が限度。姿勢を保つのが大変なのだ。でも、今日は顔を見るなり、「良かった!迎えに来てくれた!」と言った。この言葉、2年ぶりくらい。水分補給も食事も足りてきたからかもしれない。

1時間ドライブしつつ、ミニストップでソフトを買い、一緒に食べた。少しは食べてくれたのでほっとした。今うちに美味しいアイスが沢山あり、それを持っていけるといいのだが。
暑くなってきたのでいろいろ気を付けつつ、もう暫くドライブできるといいなと思う。

6/15
ホームから、脱水が進んだので、やや強制的に水を飲ませて良いかという電話。そういえば、日曜日もあまり元気がなかったのはそのせいかも。
食事や水を拒否するのも認知症の典型らしいが、これは全く困ってしまう。栄養が悪いから、褥瘡も治りにくいらしいし。
当然ながら、見舞ってくれた従兄のことは分からないが、車の中では、暫くしたら話を少しだけし始めた。こちらも結構水分は気にして飲ませようとするが、もういらない、ばかり。
ちょっとネット検索したら、同じような状態で困っている人が沢山いると知った。もっと進行したら点滴かな・・・。

座ってばかりなので、今度はズボンの丈が短すぎる。花柄の生地を買ったので、長めに作ってあげるつもりだ。気に入ってくれるかなあ・・・。(何と、イタリア製!)

6/5
ホームから、かかとにできた水ぶくれがずっと治らず、とうとう褥瘡になったので皮膚科へという連絡。近くの病院の皮膚科は月水金というので、朝連れて行った。
妹が無理だったので、ホームから1人付き添ってもらい、車いすで。この頃家にはもう連れ帰れず、足湯も出来なかったので、どれほど悪化しているか分からなかったが、結構悪かったようだ。(勿論、ホームでも看護師等に見せて薬を塗ったりしている)
月曜は混む。でも仕方ない。結局全部終わって薬を貰ったのが3時間後。診察が終わったのが2時間半後だったので、スタッフには母を先に連れ帰ってもらった。

母の機嫌を取り、騒ぎすぎないように相手をしながらの待ち時間は結構大変。ただ、スタッフとも話ができ、それなりに有効な時間ではあったが、帰りにちょっとまた布地を買ったので、夏期講習が始まる前に緩いズボンを縫おうと思う。
オムツ+車いすになったので、更にゆとりが必要。安売り店でちょっと見たものの、やっぱり帯に短し・・・で、縫うしかない。布も選択肢が少ないものの、何とかニットの薄地が買えた。
ホームでは、同じ階の方が一人亡くなったという。脳腫瘍があって、あっという間だったとか。自分で自分の不調を的確に説明できないだけに、他人ごとではない。

でも、足のむくみは見事に治っていて驚いた。車いすながら、自分の足を動かして移動するため、血の巡りが良くなったのかも。これは1つ嬉しいことだった。
これからまた定期的に皮膚科通い。ちょっとかかりますよ、と言われた。母にとっては待ち時間がつらいが、予約になったので、次回はもう少し楽になるだろう。先週抜けた分、昨日・今日と連続で会えたのは良かった。
母の笑った顔を見るのは、私にとって、何よりのご褒美。また日曜日には多分従兄と一緒に行けるだろう。待っててね。(^^)/

5/29
昨日もまた母が夕食後吐いたという。とりあえず様子見ということで、目下連絡がないので、その後は落ち着いているのだと思う。
ちょっと連続したので気になるところ。ただ、ホームもよく様子を見ていてくれるので、任せておいて大丈夫と思う。

日曜日は妹に任せたのでドライブ抜きだが、御機嫌は良かったという。それだけに直後の嘔吐で驚いている。やはり姿勢の問題なのか、何か薬の影響?でも新しい薬はなさそうだし。ホームドクターにも連絡を取っていると思うので、それも次の電話が来るまでは大丈夫だろう。

来月は最後の新潟行。伯母の見舞いも最後にすると伝えたら、富山の従兄もまた行くという。今年も従兄がそろってうれしい。ただ、母が心配なので、今回は日帰りの予定。
運転は大変だが、二人いるし、夜遅くても構わないのでゆっくり帰京できればOK.

5/23
先週末は母とまたドライブ。いつものお墓参り方面と逆に、多摩川の向こうあたりまで。昔父が入っていたホームがあったあたり。
父が亡くなってもうすぐ10年になる。新潟に行った伯母もまだ存命。98歳になろうというところ。

萩方面に旅行中にホームから着信があり、驚いて折り返すと、母が吐いたという。それもかなりの量を。とりあえず妹に連絡し、何かあればいってもらうことにしたが、結局その後はむしろ調子もよく、問題なかった。 少し便秘気味でもあり、そのせいかも?という。
先週は妹一人だったので、車ではなくバスで行ったという。一人で載せるのは難しいし、仕方ない。やはり妹を認識できず、時折不可思議なことを言ったというが、私が行ったときは終始ゴキゲンで、笑顔の母に戻っていた。私も顔を見てほっとしたところ。

新しい車いす用のクッションの成果なのか、食欲も戻ったというし、いろいろ安心できた週末だった。

来月はまた新潟の伯母の見舞いに行くつもりだが、私の体力と母の様子、そしてもう従兄も分からないようだという伯母の状態を考えて、今度で打ち止めにしようと思う。元気であれば顔をに見にだけでも行きたいのだが・・・。
従兄も十分にわかっていて、もういいよ、と言ってくれている。お互い、自分の親だけで精一杯。昨年亡くなった叔父のお墓参りも、ずっと気になったまま。まあ、叔母自身が母の見舞いに来られないのだから、これもお互い様。

介護する人の健康第一。
言うのは簡単だけど、心はみんな、ちょっと辛い・・・。

5/2
先週末は妹が旅行中なので一人。車への移乗の「秘密兵器」を試してみる。車いすを寄せて、何とか抱え、とりあえず助手席へ。
当然ごく浅く腰掛けた状態で、椅子を回すことさえ不可能。だが、この「秘密兵器」の威力は抜群で、するっと奥まで体を寄せることができた!おお、これは凄い。

これが何かというと、実はただのビニールシート。ホームセンターなどで売っている、テーブルクロスの上に乗せる、透明のカバー。ちょっと厚めのものを、座席より少し長めに切って(50cm×60cm位)載せただけ。滑りがいいので、 母の腰をちょっと押せば、奥まで体が楽に動くという仕組み。我ながらGood idea?!
ただ、シートベルトのホルダーの方は、効果のほどは限定的なようだ。これも試行錯誤だろう。

ホームでは、母のためのシートをいろいろお試し中。何と、あるシートの上に座らせたら、食事も独りで完食したとか。これにはびっくり。姿勢がしっかり保てたからなのか、シートの威力に驚かされる。
座っている間、御機嫌がいいシートがあるようで、そのタイプを選んでもらうよう依頼。これで一安心…と思ったら、今度はベッドが少し硬いようで、寝返りが打てない様子だという。
比較的体圧が分散できるマットを買ったのだが、それなら、以前使っていたシートを重ねてもらおうかと思う。あのシートもかなり高価だったが、洗ってずっと使えるし、腰痛持ちにも良いと聞いて買ったもの。
一旦家に持ち帰ったが、今度また持って行こう。

いろいろ状態が変化し続ける母。今は少しでも笑顔の時間が長くなるようにと願わずにはいられない。

4/17
週末は妹が忙しくて私一人。母はトイレ介助の優しいスタッフに悪態をつきながら(!)も、私の顔を見てニッコリ笑った。
助手席の回転はとても助かる。しかし、すっかり足腰が弱って立てない状態なので、移乗が大変。特に浅く腰掛けた後、深く座らせるのが難しい。
それに、最近は助手席でもいろいろなことが気になる様子で、車のレバーを触ろうとしたりするのでちょっと心配だ。
シートベルトも、身長が低いうえに腰が曲がって更に小さくなったため、どうもベルト位置が気になるらしく、外そうとするのも困る。

困る、困る、と言いながらも、週末に母に会うのは私の楽しみでもある。もう葉桜になってきた並木道をあちこち走って、壊れたレコードのような母との会話を楽しむ。
帰宅後は、介護の仕方をあれこれ動画サイトでお勉強。そうか、頭の位置を変えれば楽に座らせられるんだな・・・。
折角買い換えた車。母に少しでも快適にドライブを楽しんでもらいたい。

でも、歩けなくなったため、もう家に連れ帰るのは難しい。何より、一度座ると立たせるのが困難。低い椅子にしたり、座面が少し硬めにすれば可能かもしれないが、一人での介護は無理だし、転倒も怖い。
無理せずに、穏やかな気候の間は、途中でどこか公園でも、車椅子を押してゆっくり一緒に過ごせたらいいなあ、と思う。

そう思いつつも、これからだんだん山が忙しくなってくる季節。泊りがけも目白押し!
ああ、ごめんね〜!!

4/12
この頃の母は食欲が本当にない。以前はおやつのお菓子はペロッと食べたのに、今は一口で「もういい。」
お匙ですくって口元まで運ぶとやっと食べてくれるが、それも3回くらいで「もういらない。」・・・ホームの食事も同様だそうだ。体重は減っていないが、おかゆ食をお匙で食べてもらおうとしても、どうもうまく行かないそうだ。
先週末にフロア長と相談をしたが、慎重に見極めつつ、もう少し様子を見て、極力自分の意志で食べられるようにしたいとのこと。お任せした。

相変わらず右足がむくんでいる。膝痛も完治はしていないが、腫れてはいないのでとりあえずそのまま。トイレは歩いて行っているそうだが、長い距離は車いす。日曜日に車が来たので、小雨ながら載せてみた。
助手席が回転するだけだが、これだけでも随分と乗り降りが楽になった。今度の車は長くなったうえに、ちょっと大きくなったのだが、幸い運転は前よりずっと楽に感じる。後ろの座席の乗り心地もずっと良くなった。ドライブ自体も楽しめそうだ。前の車に乗って10年。この間の進化が感じられるという訳だ。

お花見ドライブをしたものの、母にとっては絶えず話し相手が隣に居ることが嬉しいようだ。相変わらず最大級の褒め言葉で私の名前を呼んでくれる。これだけで本当に救われる気がする。
でもまあひっきりなしに「Reikoちゃん大好きだよ〜。」「Reikoちゃんがいるから安心だ。」と言われると思わずほめ殺しですか、と突っ込みたくなるが、真剣に相手をしてあげないと、ね。
殆ど忘却の彼方となってしまった妹にはちょっと気の毒だが・・・。でも妹は妹で、極力一緒に母を訪ねようとしてくれる。これは本当に嬉しいことだ。介護は家族全員で支えるもの。今は私は幸せだ。

3/21
先週末は何より表情が良くてホッとしたが、右足が凄くむくんでいて、靴が履けないほど。ちょっと心配。
トイレは自分で歩いて行っているそうだが、移動は車いす。何とか車に乗せて、久しぶりに家に連れ帰った。が、案の定立ち上がりが困難で、連れ帰るのになかなか苦労した。

妹とも相談の結果、助手席の母が乗り降りしやすく、車いすが積める車に買い替えることにした。座席が回転するもの、更に下まで降りるものなどがあるが、福祉車両ってどんなに高いんだろうかと思ったら、意外とそうでもない。

ぜひ実物を見てから、とネット検索し、とある営業所まで1時間かけて行って見たら、何と、1台も置いていないという。実はほかの営業所に貸し出し中だとか。 がっかりしたが、戻って近所の営業所でいろいろ相談。

福祉車両はなかなか中古での出物が少ないという。取りあえず、そこまで該当車を持ってきてくれるというので、やっと実物とご対面できそうだ。
車の買い替え時期なので、何にしようか結構悩んだが、ある意味、母のお陰で絞り込めた。

母の大好きな助手席。もう家に上がれなくなっても、ドライブには行けるし、車いすを押して外に出ることも出来る。ちょっと今年のお花見には間に合わないかもしれないが・・・。

3/14
週末に訪ねるとまた車いすで、足が痛いという。幸い食欲はまあまあとのことで、月曜日のホームドクターの診断如何ではまた整形に、ということになる。で、電話が来て、やはり診察を受けた方がいいとのことで、急遽月曜日にまた訪ね、連れて行った。
また水を少し抜き、湿布を貰い、少し弱い鎮痛剤に変えてもらって戻る。 少し歩けるようになったかなと思ったら、また車いす。これはやっぱりもう仕方ないのかもしれないが・・・。
幸い、母自身はすぐに注射針の痛みも忘れ、ホームではゴキゲンで3時のおやつを貰っていた。その笑顔にほっとした。そして、何とか夕方からの生徒にはセーフ。

3/5
ホームからいつ電話が来るかと気が気ではなかった1週間。連絡がないところを見ると母も落ち着いたのだろうと思って訪れる。
着くと、以前のようにテーブルに向かってお茶を飲んでいるが表情は穏やか。部屋には車いすが置いてあったが、手を引けば歩ける状態。痛みもなくなったようだ。
暖かい日だったので、ドライブがてらお墓参りに連れ出した。車に乗るまでのほんの5,60m程が大変だったが、何とか両手を引けば歩いてくれた。墓地では車いすを借り、無事にお参りも出来た。

車内では以前のようにゴキゲンで、「Reikoちゃんがいるから安心だ。」「Reikoちゃんと一緒だから嬉しいよ。」などと言ってくれる。 後部座席の妹の話題が出ないのは何とも気の毒だが、満面の笑みでそう言ってもらうと今までの苦労が全部吹き飛ぶよう。

とはいえ、それがひっきりなしなので、合いの手を打つにも一苦労だが、母は安心しきっている様子なので何よりだ。先週とは別人の変わりように、驚いたりホッとしたり。これならまた来週は家に連れ帰ることもできるかもしれない。
車内でも、ジュースを飲んでくれたし、プリンも食べてくれた。ホームでも食事もできるようになったそうで、一安心。

2/26
木曜日にホームから電話。膝が痛いと訴えていて、訪問看護師が膝に水が溜まっているようだというので、すぐに病院に連れていくという。翌日の午前中なら出られるので、では私が行きます、と電話を切った。妹に連絡すると、土曜日の午前なら何とかなるというので、結局土曜に連れていくことに。
ホームに行って見ると、想像以上に状態が悪く、車いすなのはまだしも、痛みで食事も水分もままならず、かなり大変な状態だった。勿論、医師の指示で高カロリーのゼリーなどをスプーンで口に運んでもらっていたが、それでもかなり心配な様子だという。電話口のスタッフの慌てた感じに合点がいった。

一体数日でどうなっちゃったのかなと思ったが、車椅子から車に移すのも痛がって無理なので、車いすのまま病院まで連れていった。(車椅子を押して行ける程度の距離。)

何が大変かというと、待ち時間の長さ。何とかあやしながら、待ってもらう。次に大変だったのがレントゲン撮影。とにかく、ベッドに移すのが3人がかり。
「あとは私たちがやりますから」と部屋の外に出されて、心配しながら聞き耳を立てていると・・。
「痛い痛い!やめて!」
「大丈夫ですよ。はい、移りますよ」
「痛い〜!バカヤロ〜!
「ちょっとだけ我慢してくださいね」
「あ〜痛い!死んだ〜!!!
「大丈夫、まだ死んでませんよ〜。」
(^-^;
でも、終わってから車いすに移されると、憑き物でも落ちたように好機嫌。で、また延々待ってやっと診察。
ここでも移乗で大騒ぎ。(まあ痛いんだから無理もないが。)結局、骨折ではなく水が溜まっているからということで、注射器で抜いてもらう。太い注射器1本分。いきなり刺されてこれまた大混乱だったが、湿布も貼ってもらい、痛み止めも貰ってやっと終了。所要3時間。

ホームには無事立派なベッドも組み立てられ、ホッとしたのもつかの間。これはまた車いす生活になるのか、とちょっとがっかりする。
ただ、ホームには余分の車いすが沢山あるので、当面貸してくれるという。良い座布団もあるということで、有り難くお借りする。

向精神薬はやめているが、まだ抜けきっていないようだ。口の方はだいぶ前と同じ感じになったが、手が震え、箸も持てないという。早く戻ってくれるといいのだが、体の状態が戻らないと一気に状態が悪化するかもしれない。何より、食事と水分補給に非常に 困難だということで、それが一番の気掛かりだ。

う〜ん、なかなか大変な1週間だった。

2/19
先週半ばに電話があり、セロクエルから変えた薬を三日飲んだだけで体調が一気に悪化したので、薬を中止するとのこと。精神系の薬は一切ストップ。
心配なので土曜日に行ってみると、薬をやめたことでかなり回復してきたものの、ベッドから全く起き上がれなかったし、食事も難しいほどになっていたという。この日は何とか両手を引けばゆっくりと歩けたので、気分転換にドライブに連れ出し、家につれてきた。

ところが、妹のことが理解できず、支えた腕を振り払った反動で倒れこんでしまった。幸い私がもう一方の腕を持っていたので、ゆっくりと尻もちをつくような格好になって、どこもぶつけず、怪我もなかったが、これはもう車いすが必要なレベルだ。
椅子からも容易に立ち上がれず、支えたり腰を引っ張ったりして何とか車に乗せ、ホームに送り届けた。
今日は美容院の予約があったので久しぶりに連れていくことにしたのだが、迎えに行くとまだ昼食を食べていた。おかゆ状にしてもらってあったが、お匙でやっとすくっている状態。ちょっと手伝って、6割がた食べさせる。

美容院へ向かうにも、今日は車いすを借りてそのまま移乗させ、着いてからも、降りるのに一苦労。さらにおとなしく座っているものさらに難しくなった。もう連れ出しての美容院は無理のようだ。
ベッドはもちろんだが、これは早晩車いすを買わなければならないだろう。ただ、大変と言えば大変ながら、一旦車いすになれば、連れ出す際には行動範囲は意外と広がる。そうだ、トランクが広い車にしなくっちゃ。

昨日今日と母のお相手をしたのでゴキゲンは良かったし、幸い、頭の方は元に戻りつつある。大したことでもないのに、気にして薬を貰ったことで、かえってぐっと状態を悪くしてしまったことを非常に悔やんでいる。スタッフも、以前のままでも全く問題 はなかったので、今後はそのまま精神系の薬はやめましょうということで一致。
しかし、薬でこうも状態が変わるとは恐ろしい限りだ。

2/14
週末にスタッフから報告を受けた。どうも変えた薬が合わないのか、いろいろ問題が起こっているという。更に、起き上がりが難しくなり、電動ベッドをそろそろ検討するよう言われる。
介護枠は使い切っているので全額自費となり、レンタルしても半年か1年で買うのと同額程度になってしまうので、買うことになるだろう。

水分の補給が非常に大変で、そのためにかなりの便秘にもなっているそうだ。超ハイな様子はかなり収まったものの、歩行もかなりヨロヨロになってきて、どうも変えた薬のせいはないかという印象だという。
薬の名前を聞くと、結局中身はセロクエルだということでびっくり。この薬は、1週間位はとても合う感じだが、すぐにまた変わらなくなってしまう。過去にも使ってそう思ったので、早速別の薬にしてもらうよう頼む。(かかりつけ医にほかの選択肢も示されているし、ホームから随時相談もしている。)

また排泄も更に感覚が悪くなり、完全にリハパン等のオムツとなった。食事量もかなり減っていて、箸の使い方もわからなくなっているようだという。
問題は、それが全てセロクエルのせいなのか、それとも認知症の進行によるものなのか、ということだ。ともかく、多少ハイであろうとも、元気な方がいいに決まっているので、スタッフに薬の件は特にお願いしておいた。

で、電動ベッド。細かい上下のためにはモーターが2つ、3つと必要になり、定価でいうと30万円にもなろうという代物。レンタルでも1か月1万円するので、ネットで新品を検索しつつ、中古も調べている。 でもまあ、母のため。今後を考え、また故障したらどうするかも考えて、恐らく、3モーターのを買うことになるだろう。

母はこの頃私を姉だと思っている。そしてとても「頼りにしている」。私の顔を見ると嬉しそうで、それだけですべての心配も吹き飛ぶというもの。新しい、かわいいパジャマも気に入ってくれたようだ。

2/6
車に乗るといつも浮き浮きしている母。昨日は珍しく一度も「スコッティって書いてある!」を言わなかった。心配した雨もほとんど気にならず、家でまったりした。
中村屋の幼い二人の番組を一緒に楽しみ、伸びた手の爪を切って、夕方送り返した。

スタッフによると、体を動かすのがだんだん難しくなり、寝返りを打っていないようだという。また、出来ることを本人にさせるためにも、寝間着がもう少し伸縮性のあるものを、とのこと。帰りに早速ヨーカ堂に寄って、伸びのよいパジャマを2組買った。
またリハパン使用のため、もっとウエストが大きいものが必要で、ジャージようなパンツで3L(!)をゲット。丈を調整して、また週末に持って行こう。

髪もまた伸びてきた。この半年ほどお世話になっている美容院は認知症でも受け入れてくれるのだが、それでもだんだん対応が難しくなってきた。どうしようかな・・・。
ザンギリ頭にされてしまうことを我慢すれば、ホームへの出張カットにまたお願いすることもできるのだが。本当は、できることならお顔の手入れもさせてあげたい。乳液などはホームの自室に置いてあるものの、 マメに使ってくださいと言いにくい。家に来た時に、足湯の際に一緒に塗ったりするものの、目が合っていない時はたまに急にキレルこともあって、なかなか難しい。

立ち上がりも歩くのもどんどん大変になってきた。車いすもそろそろ考えなければならないかもしれない・・・。

1/22
昨日はホームの家族会だった。9人中、5人の家族が集まった。昨年は入所者の入れ替わりが結構あったが、亡くなった方もあり、特養に入った方もあったそうだ。
母は寝ていて、起こそうとすると、肩が痛くて起きられないと言う。何とか起こして一緒に食事したのだが、そろそろ昼間もトイレの失敗が出てきて、リハビリ・パンツ(リハパン)に移行しつつある。
娘の名前はよく出るものの、話の中身はますます「自分の世界」に収まってしまい、入所して2年弱でずいぶん進んだなと改めて思う。

骨折を繰り返した方もいたそうで、母も起き上がりが難しくなったりしてきたので、ちょっと危なくなと思っている。勿論、スタッフが良く見守りをしてくれているけれど、事故は必ずしも避けられるわけではない。 また今年もいろいろなことが起こるだろうけれど、予測はできないので、今できることをしておくしかない。
今日はホームで一緒に昼食を食べたので、嬉しそうだった。常に話しかけることが一番の薬のようだ。・・・なかなかできないけれど・・・。

1/16
先週また精神科を受診。ハイテンションは、認知症の進行に伴って「抑制」が外れたからという可能性も高いという。なるほど。
今回は予約制とはいえ、実際に受診するまでの待ち時間を何とか「あやし」ながら凌ぐのに苦労した。「もう帰ろうか」となってしまうのだ。無理もない。

幸い、医師は前回と変わったが、優しそうで丁寧に説明してくれた。放置するのもありだが、酷くなって他人物に手を伸ばしたりするとホーム暮らしに支障が出るうえに、そうなってからの投薬は効かなかったり多量の服用で副作用が心配になったりする ので、ごくごく少量を試してみることになった。
既にやめたアリセプトは、どちらかと言えばテンションが上がる方で、続けているメマリーは抑える方と言えるそうだ。メマリーをMaxにする方法もあるというが、まずは穏やかな安定剤の方を処方してもらった。
2週間試してみて、他の候補も上げたので、あとはかかりつけ医に相談することになった。勿論、問題があればまたこの病院を受診できるのだが。

ホームに連れ帰ると、他の入所者と一緒にすぐにテレビを見てくれた。が、すぐに画面を見て早速大きな声で「〇×〇×!!」と余りふさわしくない言葉を叫んでくれたのでガックリ。
でも、スタッフはそれを見てニコニコ顔。「いいんですよ、ストレス発散したほうが。」・・その言葉に私が救われた。

日曜日に連れ帰ったときは久しぶりに足湯をした。幸い足の爪は綺麗に切ってあった。冷えた足を暖め、カサカサの肌に乳液を塗って、気持ちいいと言った母の笑顔を見てほっとする。
出来ることを出来るときに少しずつ。これしかないな・・・。

1/9
土曜日の母は、相変わらずややハイテンション。ずっと手でリズムを打っている。スタッフは、「こちらは全く構わないのですが、訪問看護師が、この状態だとたぶんご本人が疲れてしまうだろうからと受診を勧められました」とのこと。
今日は今年初めて家に連れ帰る。いつも、至近距離までくると、「次はどっちに曲がろうか?」と聞いている。直近の3か所はいつも間違えない。が、この日は最後の曲がり角も逆を指した。う〜ん。

家では妹がショートケーキを買ってきたので一緒にテーブルで食べる。はいどうぞ、とフォークを添えて出したのだが、いきなり手づかみ。おっとっと・・・。フォークの使い方が分からなかった様子。あわてて手を拭き、小さめに切手から「はいどうぞ」と勧めてみる。何とかクリア・・・と思ったら 途中でまた手づかみ。確かに、ケーキは食べにくい。お饅頭の方がよかったかな・・・。

今週は精神科受診もある。妹が休めなかったので私一人。母にもちょっとだけ頑張ってもらわないと。
週末は妹に任せる、と言ったら、「あれ、通院があるでしょ?」「あるけど、週末は週末で、行けるときは行かないとね。」「わかった。」・・・母と意味のある言葉を交わして意思疎通できる時間は少ないのではないかと痛感している。
出来るときに出来ることをする。そして、一人で抱えすぎないこと、も。これが今年の私の方針。

2017 1/6
迷った末、今年もまた元日に母を迎えに行く。ただし、ドライブが好きなので、空いているはずの都心を走ることにした。

ところが、意外にも環八に出るまでに大渋滞。ようやく首都高に乗って羽田まで行く。母はそれなりに喜んだが、飛行機が頭上を飛んでいく迫力を求め、さらに京浜島まで。
ここでちょっぴり母を待たせ、カメラ片手に待機。が、時間帯が悪かったのか、写す前に車内で見た2機のほかは、反対方向に飛び去るのみ・・・。

帰り道、初めての長すぎるトンネル走行に、古いカーナビが大混乱。結局、ずっとトンネルを走り続けてようやく新宿に出た。どうやら新しく(といっても既に1,2年経ったらしいが)長大な(総延長18キロ!)トンネルが 出来ていたのだった。…知らなかった。

で、母の相手をしながらホームまで送っていった。 母の話はいつも「お父さん(母の父親)」と「ちびちゃん」が出てくる。この「ちびちゃん」は、弟・妹だったり、うちのインコだったり、赤ん坊の頃?の私たちだったりするようだ。

客観的に見れば、母は間違いなく「精神的に正常ではない人」そのもの。他人がこんな人を見たら、きっと誰でもすっと避けるだろう。
でも、私たちには、そのとりとめもない内容は子守歌のよう。時々合いの手をうちながら、全く問題なく聞き流す母の声でしかない。さてさて正常と異常との差はどこにあるのだろう・・・。

いや、明らかに母の症状は進んでいる。しかし、まだ会話は成り立っている。話しかければちゃんと反応してくれる。・・・少なくとも私はそう感じている。


戻る [Up↑]