と過ごす日々(アルツハイマー介護日誌)

・これまでの進行状況(2008〜2013)

介護日誌2014

介護日誌2015〜
*これまでの進行状況(2008〜2013)

2008年
9月(74歳10ヶ月)
午前中に一緒に買い出しに行った母が、それをすっかり忘れて、午後に再度一人で買い物をしてきた時、これはおかしいと気づく。
ネットで検索し、物忘れ外来に連れていく

10月
病院で記憶力などを主に検査。かなりよい成績だったが、一度に多くの情報を与えられると全く処理できなかった(記憶力だけが飛びぬけて低い)。
ただ、テストによっては、回数をこなすと改善が見られ、検査官には、日常生活ではメモを利用し、また同時に複数の指示を出さないようにとのアドバイスを受ける。

12月
MRI検査を含む各種検査の結果が出揃う。画像では海馬がごく僅かに縮小しているという。アルツハイマー病の初期で間違いないとの診断

2009年
1月アリセプトを飲み始める

3月
判断力の低下を実感する出来事。(インコが怪我で出血しているのに、どうしてよいか分からず、私が起きるまで待って報告。)

4月
『寝言』から。→初期の認知症に効果がある(進行を遅らせる)というアリセプトを処方されて飲んでいる母だが、このところ短期の記憶力が著しく低下している。1時間前に話したことを覚えていないし、こちらの全く予想しない行動に出たりする。 最後は、それは大したことじゃない(のにどうしてそんなに指摘されなければならないのか)で終わってしまう。
これでは飲む前の方がマシのような気もして、担当医に中止を申し出た方がいいのかどうか、非常に迷っている。
ご機嫌がいいときは何事も相談してくれるので混乱は起きないのだが、相手の言葉のある一部分だけに固執したり、感情を高ぶらせたりする。
一日中一緒にいる私としては、つい気になって声を荒げてしまうことも多く、その後は私自身も自己嫌悪に陥ったり。(ただ、私自身は大分精神的に強くなって、イライラ度合いは下がっている。)

7月
・診断から半年を経て、病気が進行する前に一緒に旅行に行こうと思い、上海へ「皆既日食ツアー」に出かける。
(*この時期の旅行は全く問題なし。)

8月
『寝言』から→
精神科のいつもの診察に付いて行って、日食を見た話をしたら、医師から「心から感動した経験は忘れませんよ。」と言われ、嬉しかった。
まだまだ衝突することも多いが(本人が物忘れの自覚がないため、前日に言った事と今日言った事の区別が付かず、伝言等が何かと行き違ってしまうため)、それもまたすぐ忘れてしまうので、ケロケロと明るく生きている母を見て、またどこかへ連れて行こうと心に誓う。

10月
『寝言』から→
母は以前言われたことをランダムに思い出すので、非常に混乱する。今朝は、数ヶ月前に話題に出たことを(しかもこの間、全く話題にしていない)「昨日頼まれたこと、電話しておいたよ。」というのでびっくり。
ついつい「そんなことは全く言っていないけど!」と声を荒げてしまう。電話を掛ける前に一声掛けて確認してくれればよいのだが、本人は全く記憶障害という意識がなく、「昨夜私に頼まれたから」と思い込んでの行動なので、気持ちが行き違って混乱するばかり。最近はそんなことの繰り返しだ。
頭の回路が時々ショートするのか、別々の状況で話題になったことを、結びつけて判断し、更に行動してしまう。困ったものだ。
私も気持ちの整理がつかず、極力妹に話して「困ったねえ。大変だったね。」で何とか気持ちを抑えているが、時々爆発。そして反省。

余り問い詰めると更に混乱するのでやめておくのだが、良かれと思って行動しているので、私の反応を見てのショックが大きいようだ。 大体1日に1回以上この状況になる。はっきりボケていたり、つじつまが合わなければこちらも病人と思って受け流せるのだが、そこがまた見かけは全く正常なので、ついつい「しっかりしてよ」という気分になってしまう。

・母が旧友と会いに出かけ、待ち合わせに40分遅れても平気(時間の認識、迷惑をかけたと言う認識がない。)だったので驚く。
しかし、いろいろメモや画像を持たせたので、待ち合わせの駅までは自力で辿りついていた。この頃は携帯も持たせ、最低限は使えていたような??

12月(76歳1ヶ月)
生きている人の家族宛てにお悔やみの手紙を出そうとしていてびっくり。

2010年
1月
『寝言』から→
「大丈夫だよ!」が口癖の母。私から見ればとんでもない状態でも、本人は至って楽観的。しかし、とうとうそれも通らなくなってきた。 先日何と銀行から「キャッシュカードをお忘れになりました」と電話が。電話が来るまで私は勿論、本人もカードがないことを全く意識していなかったのも驚きだが、カードを使われるとどういう事態が起こりうるかは、当然ながら全く想像不可能であった。
3月
一緒に済州島個人旅行。

5月
『寝言』から→
母と言えば、記憶の波が激しい。ゴミ出しで、「近所の人が嫌がらせに、収集日でないのに○○を出している。」というので確認に行くと、なんとそれはうちで出しているゴミ。つまり、母が 自分で出したのに、その記憶がないのだ・・・。
分別収集のため、自分で確認しながら出しているはずなのだが、自分は間違えていないという不思議な?確信があるため、「犯人」は△だ!と思いこむらしい。 フィットネスクラブでも、母の話によると何か不愉快で不可解なことがあったらしく、盗難が多い、とよく話している。
だんだん「物盗られ」幻想に囚われ出したのかと気になるが、半分くらいは母の思い違いで、残り半分くらいは正しいらしい。
いずれにせよ、論理的に長々説明しても結局分かってもらえないので、不安に感じる点だけをしっかりクリアにしておくだけにとどめることにした。
今年は喜寿。母ではなく祖母と思って接した方がいいのかもしれない・・。

6月
・財布が無いと大騒ぎ。(別の場所から財布を発見。本人の勘違い。)
・妹と母で北海道旅行。
『寝言』から→
母がフィットネスクラブでちょっとしたトラブルに巻き込まれているようだ。事情は書けないが、盗難絡みの出来ごとで、同じような事例がこれで3度目。
(*この頃は、まだ一人で近所のフィットネスクラブに通い、エアロビクスなどをしていた。)

8月
『寝言』から→
今年もこの日がやってきた。2年いやいや、もう3年だ・・・。
あの年も今年以上の猛暑というか酷暑が続いていた。あの大嵐の吹き荒れた数年も、不意を突くように一瞬で終止符を打たれた。
3年経ち、ようやく気持ちのゆとりを持って振り返ることもできるようになってきた。が、あの5年間、そしてその後の3年間、平穏な日々はなかなか訪れなかった。 どんなに振り返っても、もう戻ることのない時間。しかし、あの血を吐くような日々も、既にセピア色に風化しつつある。
時がすべてを解決するというのは本当だろう。でも、落ち着けば今度は限りない自責の念にも襲われる。結局人間は一人ぼっち、一番大切のは我が身には違いないのだが、 家族という繋がりは良くも悪くも人を縛り付ける。 もし父があのような病気ではなく、精神状態がまともであったなら、どんなに中身の濃い時間が持てただろう、と思うことがある。病を得るまでは、頭のいい性格の穏やかな人だった。 しかし、もう何も変えられない。すべての決断を一人で下してきたのは私である。その結果も責任もすべて私が引き受けるものであり、それをしっかりと背負って生きていくのが私の宿命である。
今また母に対しても、少しずつ進んでいく様子を見ながら、重なる不運を嘆くのではなく、その中に確かにある「幸運」をしっかり受け止め、与えられた穏やかな時間を少しでも長く保てるよう、 最大の努力を払うのが私の今の責任だと思っている。
人の人生は、その終え方ですべて決まるように感じられてならない。父を見送り、母を見守りながら、私はいずれ一人になった時の我が身の振り方をしっかり見据えなければならない。 8月13日と言う日は、私にとってそういう日になった。

9月
母は旧友と3人で草津3泊。高速バス乗り場まで見送る。

10月
オーストラリア個人旅行に連れていく。

12月(77歳1ヶ月)
『寝言』から→
今日は父の誕生日。生きていれば84歳。ご近所にもこの位の年齢のおじいちゃまはおられる。それなりにお元気で、自分で杖をついてお散歩されていることを思うと、 いろいろ感じることも。 しかし、あの戦いと苦悩の日々も、だんだんと忘却という霞の向こうに追いやられ、何だかほっこりとした思い出に変換されつつある。時の流れとは何と偉大なことか。
やがて始まるであろう次の「戦い」までの時間をどう過ごすかが、今後の課題でもある。が、例によって計画を立て過ぎず(絶対に計画通りには進まないものだから。)、 その時その時を笑顔で過ごせるように、と思っている。
世の中には幸せなことも沢山ある。その幸せを素直に喜ぶことが一番大切ではないだろううか。 そんな境地に至った、今年の年末である。

2011年
1月
百人一首で遊ぶとかなり健闘。流石、元「文学少女」(笑)。
昨年末から腰痛を訴えるので整形外科へ。(*なかなか良くならないのでその後MRIを撮ったら、腰椎圧迫骨折と分かる。コルセット誂え、半年締める。原因は、フィットネスで張り切り過ぎ。自分の限界が分からなかったということ。

2月
トイレ使用後、流さないことが頻繁になる。

3月
母のフィットネスクラブを別の所に変更。その日に東日本大震災。

4月
母とソウルへ個人旅行。

6月
地方自治体主催のボケ防止教室に母が通い始める。が、すぐに一人で会場に辿りつけなくなる。何度か迷い、雨の中2時間歩きまわったり。地理感覚が麻痺していると気づく。
道迷いが顕著になった(が自力で帰宅は可能)ため、介護を受けられるのかどうかと考え始める。

8月
地域包括支援センターに行き、介護の相談。道迷い程度ではダメかと思ったが、その後要支援1となる。

9月
深夜に起き出し、玄関のチャイムが鳴ったと言う。

11月(満78歳)
初めてのデイサービス。[楽しかった」と言う。
12月
母と釜山個人旅行。
カルチャーセンターの英会話初級(にまだ通っていた!)のテキストを持参し忘れ。

2012年
1月
『寝言』から→
そろそろ母も料理の手順が怪しく、極力一緒に料理するようにしている。来年はどうなるだろうか・・・。

2月
ケアマネSさんに「この頃母は料理の手順が怪しい」と報告。(まだ一人で料理できていた、ということ。)

3月
デイの通所日数を増やす。週3日に。

5月
・近所の歯科へ40分遅れたとのこと。道に迷ったらしい。まっすぐ行けば5分の場所。
・『寝言』から→
方向感覚とか空間認識が欠落しているのだろうかと思う。目下一人で行けるのは、バス1本で下車目の前にある内科医院と、バス通りにある郵便局とコンビニへの「お遣い」、そして隔週通っている最寄駅そばのカルチャーセンターだけ。
迷うのも怖いが、極力一人で行けるところは行かせるよう心がけている。安全な昼間に、私が家で待っている場合には。
物忘れの度合いも、進んでいるような、前からこんな感じだったような。たとえが変だが、何というか「日本語が通じない」感じがする。 もう料理は怪しいのでほぼ無理。ご飯を炊くのも、私が指示。味噌汁くらいは何とか。でも、自発的に何かを料理するのは全く不可能。

家の中はだんだん貼り紙が増えていく。それを見て確認しながらでないと、何事もできない。 でも、これもかなり前から同じ様子だったようにも感じる。
医師と相談して、アリセプトを段階的に10mgに増やすことになった。これで改善するとは思えないが、少しスピードダウンすれば、と思う。 秋になると79歳。80歳までは何とか自宅で無理なく暮らせるよう祈っている。

7月
・迷ったが、私は10日間のカナダ旅行へ出発。留守中の食事等を冷凍したり、それに日付を貼りつけたりし、更に内容を一覧表にして残す。
戻ってみると、食事はしていたものの、用意したものは殆ど手つかずだった。が、とりあえず一人で留守番は出来た。
・『寝言』から→この頃の母は、まずまずの状態が続いている。先週は、血圧で通院の病院で「悪いところはないから大丈夫です。」と言われ、 もう飲む必要が無いと判断してやっぱり薬を貰い忘れて帰ってきた。処方箋が出ているのに・・・。 そこで、後から薬局に取りに行かせらた、そこがたまたまお休みで、帰りが遅いので心配していると、 バスを乗り継いで最寄駅の別の薬局で処方してもらってきた。あらまあびっくり。
しかしながら、コンビニに行くと、なぜか「おいしそうだったし安かったから」と弁当を買ってくる。今日はお寿司を買ってきた。ビニール袋の口が縛ってあったため。発見が遅れたのだが、 冷蔵庫に入れていない。「今日の夕食に食べるからいいんだ。」という。 生ものなんだから、すぐに冷蔵庫に入れなければだめじゃない、と言うと、「もうすぐ夕飯だからいい。」という。また3時間以上あるのに。

8月
母迷子に。バス停と妹と待ち合わせるも、行き違いになり、そのままどこかへ行ってしまう。午後2時に待ち合わせ、見つかったのは12時間後の午前2時。
猛暑で夕立もあり、本当に心配した。捜索願を出してもなかなか見つからないものだと痛感。国道の歩道に座り込んでいたところを発見された。
怪我はなく、脱水もなく、救急病院での診察を終えて家に連れ帰ったのが午前5時。

その日の『寝言』→
気がついたら8月。でも一番忙しい週が無事終わり、ほっとして高尾に出かけて帰ったら・・・大変な事態が待ち受けていた。
2時間前に母と待ち合わせたのに、いまだに会えないという妹。交代であちこち探しても見つからず、この暑さで外を出歩いていたら一体どうなるだろうと ・・・。夜になっても一向にもどらず、気が気ではないがもう私達の手には負えない。
結局、午前2時過ぎに無事保護され、車で迎えに行ったのだが、母には何の責任もなく、本当に悪いことをしてしまったが、相当離れた場所で保護されたので、その体力にも驚かされた。

一番ショックを受けたのは勿論本人だが、妹も相当なショックで、私と言えば高尾で遊んでいたのだから・・・。 とにかく、その後救急外来で診察を受けたものの問題もなく、脱水症状もなかったので本当にほっとした。不幸中の幸いとはまさにこのことだ。
しかし、老婆が一人徘徊していても、誰も通報してくれないという現実にも改めて衝撃を受ける。
幸い、母は自分から出ていくことはないので今はその心配はないのだが、一見大丈夫に見えても、症状は進んでいることがよく分かった。 特に、想定外のことが起きたり、土地勘などが欠落しているので、現金をそれなりに持っていたのに12時間、自分からは何も連絡したり相談したりができなかったのだった。

本当の徘徊老人と言われる人たちを抱える家族の心中は察するに余りある。
母は今は自宅で毎日同じ行動をとっているので一見問題なく暮らしているように見えるが、もう実質的に一人で料理は出来ないし、判断力が欠落しているので見守りが欠かせない。 病院の待合室で、母を膝枕で寝かしつけながら、親子の立場が完全に逆転したことを改めて痛感した。

でも、母は私が守る。私が元気でいる限り、母に二度とこのような心配をかけないよう、気を配るつもりだ。これが災い転じて福となるように・・・。

9月
薬の追加。(段階的にメマリー20rに。)
・『寝言』から→
このところ母は「お気楽度」がかなり上がった感じで、診察時にも「大事なことはみ〜んな娘に任せているので、私はいいんです〜♪」といった口調。 勿論、過日の「事件」の記憶は既になく、更には結婚時や私達が生まれた頃の記憶さえ「飛んで」いるようだった。
医師によれば、一番幸せだった頃の記憶もあやふやということは、少々進んだと言える。よってメマリーを使ってみよう、ということだった。1週間ずつ薬の量を増やすので、2週間後にまた診察予約が入っている。 相変わらずデイケアには楽しく通っているが、家ではもう料理も相当怪しいし、あちこちに貼ったメモを何度も確認して行動している。
さて、とりあえず「平穏な」日々はいつまで続くだろうか。

10月
・私の韓国旅行3泊4日の間、一人でも留守番できた。(1日は妹が立ち寄る。)
・『寝言』から→
母は週3回のデイケアを非常に楽しんでいる。が、家事は余り出来ないので、留守中に私が奮闘することになる。
何とか洗濯機は回せる、が洗剤の量が判らない。
入れ歯の管理が怪しい。(洗浄剤を使わない・入れたまま就寝する・古い方と交互に使ってしまう、など) 炊飯が時々怪しい。(うちは文化鍋を使ってガスで焚くのだが、鍋の区別が怪しい・水の量が怪しい) 食品の管理が非常に怪しい。(夏でも、目を話すとお刺身を室温で放置しても平気、まな板の洗浄が不完全、など。)
料理の手順はもう分からないので、一人で作るのは全く無理。(みそ汁も、目を話すと、水から味噌を入れ、ジャガイモを入れ、ぐつぐつ煮込んでも平気。) まあ、挙げればきりがないのだが、発想を転換して「まだ〜は出来る」と考えるしかない。
デイケアから戻ると非常にご機嫌で、何かするとすぐに「ありがとう〜♪」と言ってくれる。インコ達の世話は何とかできる。いつエサや水を交換したか自分で不安らしいのだが、 逆に目に着くとすぐ世話をしてくれるので、常に水も新鮮、エサも満タン。
韓国ドラマは一緒に楽しんで見ているし、ハングル講座も一緒に見ている。まだまだ韓国にも行きたそうなので、思案しているところ。 物忘れは進んでいるので、もとより薬の管理は私だが、うっかり見落としたら、薬は数日分飲み忘れ!(表にはチェックがついていたので・・・。)あ〜。
デイケアに入っている間と寝ている間以外は結構気疲れするものの、何とか現状維持で行ってくれるといいのだが・・・。

11月(満79歳)
『寝言』から→
勤労感謝の日ということで、久しぶりに寝坊を決め込む。母は8時過ぎに起きだしたのは確認済み。
このところ、朝晩の冷え込みが厳しく、ストーブ(ガスのFF式)をつけているが、母が先に起きた日は、自分が寒くないからと、 部屋のドアは開けっぱなし、寒がりなうちのインコたちは防寒用のビニールを外され、室温14度で震えていた。
で、これは毎日指摘しても直らないので、今度は毎度の貼り紙作戦。これでほっとしていたら、また・・。
そう言えば壁のカレンダーのx印が1日狂っているなと気づいた時点でそれを直すべきだったのだが、私が起きてチェックしてみると薬を2日分飲んでしまっていた。 しまった!と思ってももう遅い。う〜ん・・・。
日付の観念が怪しいので、勿論対策を取っている。食卓の上に大きな電波時計を置いてあるので、日付も時刻も正確だ。薬は勿論、外袋にも日付のチェック欄、錠剤1つ1つにも上から日付をマジックで書いてある。 なのに、である。「何で?!」と何度も言いたくなるが、言っても無駄なのが認知症である。そう言えば、一昨日から、朝届いたばかりの新聞を、古新聞の袋にしまってあったのは、自分でxをつけたカ レンダーの日付を信じていたからだろう。
血圧の薬まで2錠飲んでしまったので心配だが、もう仕方ない。「じゃあ、明日飲まなければいいじゃん。」と言うのが母の言い訳。やれやれ・・・。
12月
妹が母を台湾へ連れていく(個人旅行)。


2013年
1月
・ケアマネ交代。
・初のショートステイ。1泊。
・家事・身の回りのことなど、一人ではうまく出来ない。何事にも見守りが必要。
・『寝言』から→
母にはできる家事は極力任せるようにしているものの、もう一人で出来ることはないので、ほぼつきっきりで見守ることになる。 食器洗いを頼んでも、うっかり目を離すと、食器用のスポンジと、流しの掃除用のスポンジの区別がつかず、とんでもないことになる。
母としては、流しを綺麗に掃除しているのに、なぜ叱られたのかが分からない。無理もないのだが。
入浴後も、着替えを一式置いておくが、チェックしないと、一旦全部服を着てその上に寝巻を着ていたりする。 いつも手の爪はチェックしているのだが、この前、足の爪を見て絶句。一瞬動物の足かと思った。
爪が1センチ以上も伸びていて、3本は爪が死んで真っ黒になっていた。爪ってここまで伸びるものかと驚いたが、それでも本人は涼しい顔。
普通なら入浴時に自分で気づくはずだが・・・とにかく、母に「なぜ?!」は通用しない。

この頃は、朝食を食べたかどうかもちょっと怪しい。パンならば枚数で分かるのだが、冷凍の分もあって、よく分からないこともある。更に、薬を飲みちがえていて、 何日か先の分までカラになっている。・・・あ〜またやられた〜。
仕方ないので、1日ごとに小袋に入れ、日付を書いて、空き袋でチェックするように変えた。
母の行動と思考は幼稚園の子と同じ感じだが、子供は成長し、老人はますます退化していく。80歳を超えてもお元気な方が本当にうらやましい。 まあ、母のよい点は脳天気で明るいこと。私もそれにならって、今年は(今年も)「何やってるの!?」と言う前に一呼吸し、極力何でも笑い飛ばす ことにしよう・・・。
・『寝言』から→
この頃の母は、また少し変わってきたように感じる。先日ケアマネさんと会った際、母の様子を聞き少し驚いた。
デイケアへの送迎バスの中で、突然、わっと一気に姉妹のことなどを話し始めることがあるそうだ。また、デイケア内では、最初の頃に比べて 口数が非常に減ったとも。私が気づいた変化は、指でOKマークを出したり、×マークを作ったりすることが非常に多くなったことだ。 その話をすると、ケアマネさんは、言葉で全部説明できず、それでサインを出すのだということだった。それだけ、言語能力が退化し始めたということだろう。

デイケアへの通所は相変わらず非常に楽しみにしており、お習字をしたり、絵手紙を書いたりしている。知り合いも1人いたので、話し相手には事欠かず、 私もほっとしていたのだが、やはりそろそろ進み始めたのは間違いない。
ケアマネさんは、そろそろ慣れるためにも、是非ショートステイを利用するようにと勧めてくれた。但し、平日の出入りということで、週末だけ利用と言う訳にはいかないそうだ。週3日通所しているので、それを休ませるのも ちょっとかわいそうなので、思案しているところ。 ただ、ショートステイに慣れ、金曜日に入って月曜日に帰ってきてもらえれば、私が週末に出かけても安心だ。
とにかく、またトイレで困らない限りは大丈夫だとのこと。そうだ、それがこれからの最大の難問だった・・・。
この頃じっとしていることが多いので今日は少し散歩に連れ出した。ワカケホンセイ・インコが飛んでいて、2人で空を見上げて歓声を上げた。勿論、籠脱け鳥が繁殖したもので余り良いことではないのだが、 まあインコ好きの我々としては、緑色の尾の長い鳥が鳴きながら目の前を飛んで行くのは、オーストラリアでもない限り滅多にないことなので、 単純に喜んだ・・・。

母にとってだんだん残された時間が少なくなっていくように感じ、考えさせられた。 う〜ん、また旅行に連れていかないとダメかな。

2月
5年ぶりに病院で心理テスト。図形問題も出来が悪い。デイサービスの回数を更に1回増やすようアドバイスを受ける。

3月
・『寝言』から→
曜日の感覚が無い母は、毎朝デイケアに行くつもりで支度している。目覚ましのセットを教えたので、セットできる確率は半々。さてこの絵入りの説明書きをいつまで理解できるだろうか・・・。 余りまともに顔を見つめないこともあって、気づくのが遅れたのだが、何と眉を油性マジックで書いていた。 慌てて石鹸をつけてこすったのだが、びっくりするとともに、考えさせられた。
この2,3ヶ月、眉を書くのはいいのだが、まるで変形しており、色も濃すぎて余りにおかしい。それで私が眉墨を隠しておいたのだが、 母にはこの薄い眉が嫌なのだろう、それでペンシルとおもってか、黒のマジックで顔に書いたという訳だ。 ・『寝言』から→
母の状態がこのところ急激に悪くなってきた感もあり、相談の結果、デイケアの日数を増やすことにした。土曜日に山に行く際にも、居留守を使うよう、母の居場所あちこりに貼り紙をしておくのだが、果たして効果があるかどうかは微妙である。 それに、相変わらず寒さ暑さの感覚がおかしいので、朝起きてもストーブをつけていなかったり、インコ達の保温用のビニールを外したままにしていたり、と目が離せない。
ちかいうちにまたちょっと旅行するのだが、その3泊4日がかなり心配になってきた。このところ、食事をしたかどうかの感覚も怪しいし。 出かけるときには毎食分を区分けして大きなメモ書きを残すつもりだが、一人で朝起きられない日もあるので、留守中に一人でデイケアに行けるかどうかも不安が残る。(但し、玄関先まで送迎バスが来るし、職員さんも鍵をかけたか、鍵は持ったかと確認してくれるので助かる。)

家事一切も一人では不可能なので、ちょうど幼稚園の子供程度の「お手伝い」をしてもらい、何とか「刺激」を与えるようにはしている。 要介護1でも毎日デイケアに行くことは可能らしい。もう少しケアマネを急かしてみよう・・・。


この頃さらに進行してきた感じがする。それで、一人での短時間の留守番も私の方がかなり不安になってきた。曜日によっては、訪問販売が来たり、勧誘の電話が3本もかかってきたりするのは、住民票や名簿などを利用し、年寄りのいる家庭を狙い撃ちしているのだろう。 もうクレジットカードも銀行のカードも、印鑑や通帳も本人の手の届かない場所にあるうえ、暗証番号を聞かれても覚えていないためにそういう心配はないのだが、呼び鈴がなると不用意にドアを開けて出て行ってしまうのが一番心配。 私が留守の時は、居間や玄関のドアに何枚も貼り紙をして、居留守をするよう厳重に言い聞かせてから出てくるのだが、それもいつまで効果があるか不明。途中で何度か電話をかけて確認するのだが、出ない時もあって、それがさらに不安を誘う。
母も自分がいろいろ不安なのだと思うが、この頃は妙に素直なのが又気がかりだ。何かを言うと「ごめんね」と言うようになったので驚いている。 父の時のような暴言や激高は確かに困るのだが、余り素直になってしまうのも心配になる。

食事をしたかどうかも非常に怪しいが、それも本人が悪いのではなく、その時その場に一緒にいられなかった私の方に責任がある訳だし、母を責めても何の解決にもならない。それはそれでよく分かっているのだが、いくら同居と言っても、24時間監視する訳にはいかないし、私も息抜きをしないと共倒れになってしまう。 その辺りが介護のネックの1つだ。それが一緒にいられない家族の場合にはどれほど心配だろう。心配でもそうしてやれない方が辛いかもしれない。そこかで線を引かなければならないとい、その割切り方が難しい。 親不孝な私としては、とりあえず自分が第一、とお教のように唱えることに決めた。余り実行はできていないが・・・。

4月
・これで最後と思い、母を韓国お花見ツアーに連れていく。余り歩けないので、ツアー中は、一緒にバスの中で待機することもあったが、それなりに楽しんでくれた。
但し、ホテル宿泊中は非常に気を使う。(夜中のトイレで部屋から出たりしないかどうか。)
・駅前商店街の薬局で薬を待つ間(5分程)に母が失踪。幸い、一人で歩いて帰宅していた。(お向かいさんに電話して探してもらい、勝手口で発見される。)
・また夜中に起きて、階下へ行き、「大丈夫、玄関には誰も来ていないよ!」と叫ぶ。
・『寝言』から
→土曜日はデイケアに行く母より先に出かけたため、夕方家に戻って母を見たらびっくり。あ〜!
薄いセーターの上に、真っ黒な肌着を着ていた・・・。この格好でデイサービスに行っていたとは。いつもは着るものを全て揃え、着る順番に椅子の上に置いておくのだが、昨日は入浴もしなかったため、脱いだものをそのまままた来てくれるだろうとチェックしなかったのが災いした。 普段も、出しておいても自分で勝手に箪笥にしまい込んだり、入浴後にまた一式着こんでからその上に寝巻を着ていたり、とチェックはかかせなくなった。
もう風邪をひく季節でもないし、大汗をかくほどの気温でもないからよいが、これからはますます注意しないと。

着るに関しては、別の意味でちょっと気を遣っている。下はいつもパンツスタイルだが、上は明るい色の服を選んでいる。パステルピンク、淡いオレンジ、ゆずのような黄色、オートミールのような明るいベージュ、そして若草色。いわゆる年寄りじみたグレーやこげ茶などは着せたくない。 だからこそ、真っ黒な(山用の暖かい)下着を一番上に来ている姿を見て絶句。本人は何も感じていないのだから、なぜ私が驚いているかも分からない。 改めて、母の現状を突き付けられたようで、ちょっと辛くもある。
とにかく、気を取り直し、また明日からカワイイ明るい服を着せよう。

・『寝言』から→
母を連れての旅行は、それなりに気を遣う。一番心配したのはホテルでの夜。
夜中にトイレに起きた時、混乱しないかととても心配した。幸い、浴室の外は人の動く気配で自動的に灯りがついた。が、数秒で消えるため、浴室内の灯りをつけないと真っ暗に。
ところが母は浴室の灯りのスイッチが分からない。いや、場所は分かるのだが、押し方が分からないので一人では点灯できないのだ。 それから、トイレも流し方が分からない。うちのトイレと違うデザインだと、どこを押すのか分からず、一人でうろうろ。勿論、何度教えてもその都度忘れてしまうから無駄ではあるが。

足元灯を探したがないので、カーテンを少し開けておき、室内がうっすら見える状態にしておいた。 運よく、母が起きたことに私も気づいたため、2時でも4時でも電気をつけ、トイレも流してあげることができた。ひょっとして室内で粗相をしては、というのは杞憂に終わり、ほっとした。

この秋にはパスポートも切れるため、これで海外は終わりだろう。あとは国内だが、トイレが一番気になるところ。いつまで大丈夫だろうか・・・。
この頃はいろいろ心配事が増えたが、外を歩くときは転ぶのも怖いので、手をつなぐことにした。母の手はいつも冷たい。 でも、つないであげると、気のせいか、母も安心してくれるようだ。親子が逆転した状態だが、これが本当のスキンシップかもしれない。

5月
・『寝言』から→
このところ、母はとても落ち着きが無い。私が2階の自室にいて母が1階の居間にいると、ほぼ15分に1度、そ〜っと上に上がってきて私の部屋のドアの外に立ち、中に私が居るのを確認してまた降りて行く、という動作を何度も繰り返す。 「寝るには早いから、もう少しテレビでも見ていてね。」と言うと、「わかった。」と良い返事をするのだが、それからまた10分ほどです〜っと2階に上がって来るのだ。
多分、一人でいると不安になるのだろう。言われたことを覚えていないのは前からだが、最近はそれが5分と持たない感じだ。
もっと困るのは、寝たと思ったらすぐに起きだしてくることが増えたこと。妹によれば、GWの私の留守中には、寝たと思ったら服を着て起き出してきて、「もう寝てね」と寝かしつけてもそれからすぐにまた同じことを繰り返したという。それも、3回も。
今朝も、一番最初にセーター、その上に肌着を着て平気。(まあこれはもう想定内・・・。) う〜ん、少し寝る前に運動でもさせた方がいいのだろうか。まだまだ昼夜が逆転して欲しくないのだが・・・。

・『寝言』から→母のケアマネがまた交代。しかし、今度はとても良い人に当たった。経験も豊富で、今後入所を踏まえてのショートステイの利用なども含め、適切なアドバイスも貰え、ほっとした。 母はこのところ、非常に従順である。何でも私に言われたとおりに「はいよ〜。」と明るく返事してマメに動いてはくれるのだが、如何せん、何でも見守りが必要。
出来ることはさせたいのだが、もう食器洗いも目を離すと 「下水用」とマジックで大きく書いて隅っこに隠れるように置いてあるスポンジをわざわざ見つけ出して食器を洗ってくれる。 なぜか「ちょいちょい〜♪」とか言いながら、使った湯のみを、中だけさっとゆすいですぐに伏せてしまう。それを布巾で拭くから、いつもすぐに染みだらけ。それを台布巾にすると、今度はそれでお皿を拭いてくれる・・・。
「あ〜!」と思わず大きな声を上げてしまうことも。極力気をつけているのだが、目を離すとすぐに・・・。 まだまだ私も修行が足らないようで・・・。

・『寝言』から→
この頃,母は時間の観念が狂い始めた。ちょっと目を離すと、夕方5時の、まだ煌々と明るい時間に寝巻を着て、居間のカーテンを閉め、インコ達を寝かしつけて自分もベッドに入ってしまう。 私がフィットネスから戻ったら、自室で寝ていたのでびっくり。「夕飯もまだでしょう!」と思わず言うと、「あ、そうだね」と慌てて起きだす始末。
このところ、朝食を食べていなくても食べたという。その対策は、専用のトレイ。私が寝る前にテーブルの上にパンと、カップを用意し、ポットにお湯を入れておく。そしてその上に「朝食です」という紙を置いておけば、何とか食べてくれる。
これで一安心と思ったら、何故かこの頃少し家の外に出るようになったので気にしている。私道の落ち葉を掃いたり、今朝は庭の草むしりしていたので 大慌てで家に連れ戻す。デイサービスに出かける前のわずかの時間ながら、ちょっと注意して見守っているところ。 落ち葉の方の対策は、この木を近いうちに切る予定。草は、昨日私がかなりむしったのだが、それを見ていて気になったのだろう。

とにかく、ドアが開く音がすると耳を澄ませ、ゴミも曜日に関係なく出してしまうので回収しておくのだが、母が自発的に動けば動くほど、私の方は手がかかる。家の中にじ〜っとしているよりはちょっとマシなのだが・・・。
これらは以前にもそれなりに困っていたことだが、時間の方は最近かなり理解度が下がっている実感がある。 夜も、夕食を食べると7:30にもう寝ようとする。これを10時頃まで何とか起こしておくのも一苦労。何度言っても自室に入ろうとするので、これは こちらの頭を切り替えて、階段の上り下りがよい運動になっていると考えることにした。

忍耐力比べという気もするが、極力発想の転換で、私も爆発しないよう、頑張ってみようと思う。

・『寝言』から→
妹に夏の留守番の相談をしたら、「頑張るけど、2日が限度だった。あと1日はショートステイの日にかかるようにしてもらえると有難い」という。まあ、そうだろう。
たとえ昼間はデイサービスに行っていても、食事の世話、入浴の管理、寝かせたと思ったらすぐに起きてくる、など目が離せないゆえ、連日の世話は慣れないと負担だろう。
妹にとっても貴重な休みを母のために使うのは精神的にも負担だろう。だからこそ、今年の夏は海外を諦めたのだが、私も2泊3日位は山に行きたい。
どう頑張っても、完全に見守ることは出来ないし、私も妹もそれなりに休養が必要だ。となれば、少し目をつぶるしかない。
土曜日は、母のデイサービスの送迎前後の時間を気にしつつも、何とか注意喚起の貼り紙(「帰宅後はカギをかけて、居留守にしてね」「家族以外は電話に出ないでね」等を書いたプレート)を、玄関や居間、ドアに貼っておくと、どうにか実行してくれている。それで私も何とか高尾山あたりには行けるし、日曜日に妹に居てもらって、泊りに行ける場合もある。 何とか交代でそれぞれに休みを取れるよう、もう暫くは綱渡りの日々が続きそうだ。


6月
・『寝言』から→
ケアマネと、特別養護老人ホームの見学。ここでのショートステイの評判が非常によいという。
特養なんて、まだまだ母には無関係のように思っていたが、ここはとても雰囲気がよく、ケアマネによれば、スタッフの質が非常に高いという。
むしろこちらに併設のデイサービスを主体にし、毎月のショートも長めの期間で申し込んだ方がよいという。

このところ、ほぼ常時、母の見守りが必要な状況になり、これ以上進むと、いくら私が家にいても、そろそろ仕事に支障が出るほどになってきた。 この状態はどれ位続くのか(逆に言えば、施設に入所が必要になるまでにどれ位時間が残されているか)をケアマネに訪ねると、「率直に言っても良いか」という。
そうして欲しいと言うと、「半年ですね。アルツハイマー10年説というのがあって、発病から最後までが約10年というものです。病院を訪ねてから5年、その2年位まえから始まっていたとして、・・・あと3年と考えた方がよいと思います。」

半年、か。自分では1年は持たないかと思ったが、そんなに早いかと少し驚く。でも、そうかもしれない。ここへきて、進行のスピードが急に早まってきた印象が強い。
介護認定もすぐにアップさせて、もっとサービスを使わないと無理だとは感じていた。
2ヶ月ぶりの受診でも、母はもう時計の文字盤すら正確に書けなかった。質問の意味すら理解出来ていないようだった。それを見て、担当医も「進んだね。」と認識してくれたので、介護度を上げられるよう話しをしてきたばかりだ。
家で見られるのもあと数カ月かもしれないと思うと、複雑な気持ちになる。いずれ私が誰だか、やっぱり分からなくなるのだろうか。いや、なるのだろう。 でもまたその実感が、ない。

・『寝言』から→
先週からずっと母の介護認定の区分変更申請と、ショートステイ先の見学・申し込み、そのための病院での検査で目が回る忙しさ。
ショートも、申し込み後は本人との面談もあり、それから「お試し」お泊りを経て、正式なショートステイの申し込みが可能になるという手順。来週からは夏期講習も始まって大車輪ということで、とにかく今月中に出来ることはすべて片付けたいと頑張っているところ。

母は更に進行中。来月から日曜日以外はデイサービスに通所できるようにしてもらい、更に土曜日の帰りの送り時間を1時間ほど遅くしてもらった。
夏期講習中は朝は私が先に出るが、帰りは間に合うようにしてある。これからの湿気と暑さで、留守の間母一人と言うのは無理なので、何とか手配が間に合って良かった。来月からはショートも定期的に入るし、まあ平日の2泊3日なので大したことはないのだが、夜も熟睡できるし、仕事や勉強も捗るだろう。
何とかこの7,8月を乗り切りたい。

・『寝言』から→
この頃母はテレビを見ながら、しきりと相槌を打っている。「うん」「へえ」「やだ」etc.
頻繁過ぎて煩いのだが、それに反応しないことにして、聞き流している。程度の差こそあれ、そういえば大昔、祖母もテレビを見ながら何かつぶやいていたし・・・。 先日の「面談」では、何と英語で返答してくれて、あっけにとられた。Do you understand? って、何でここで出てくるの?!・・・

元祖「教育ママ」の名残なのか、腰を痛める前まで通っていた英会話初級の記憶なのか、こちらは苦笑するばかり。勿論、相談員さんもびっくり。
よほどご機嫌が良かったのか、まだまだしゃべってくれたが、いい加減でストップをかけておいた。 でも、もう暫く面白い会話が楽しめそうだ。


7月
・デイサービスの日数が増えて平日は全てになる。
・特養でのショートステイ(5泊6日)に初めて行く。担当者が若くてもとてもしっかりしていて好印象。
・ケア担当者会議。母がデイサービスで問題行動をしていると聞き驚く。(認知症の進んだ人に対してちょっとした暴言を吐くなど)
それを受けて、担当医に薬を処方してもらう(ドグマチール→セロクエル)

・『寝言』から→
この猛暑で、毎日デイサービスに通う母でも、帰宅後、私が家で生徒に教えている間さえ気が気ではない。冷房の利いた部屋にいるよう、紙に書いて貼ってあるし、目の前にもそう書いた紙があるのに、いつの間にか2階の自室にそ〜っと入っていく。 その気配を感じ、大慌てで確認に行くと、36度にもなる部屋で新聞を読もうとしてる。そして、冷房の利いた1階の部屋のドアは開けっぱなし。

別室で生徒を教えながらも気が気ではない。余り頻繁に出入りすれば生徒に申し訳ないし・・・。
この猛暑で無ければ多少は目をつぶるのだが、絶えず水分を補給し、居所を確認しておかないと大変なことになる。

来週と再来週は2泊3日ながらショートステイがある。これだとむしろ私にとっては準備や送迎で忙しいだけなのだが、ステイに慣れてもらうことが第一。泊りがけで山に行けるよう、週末を挟んで予約できるとよいのだが、なかなかそううまくは事が運ばない。
少しずつ状況を変えていくしかない。要介護度が上がることは間違いない。一気に3になるとサービスと言う点では有難いのだが、さてどう言う結果が出るか。

8月
・『寝言』から→
今朝5時に玄関の開閉の音がして飛び起きる。母が外に出たので慌てて階下へ降りると、寝巻のまま新聞を手に持って戻ってきた。 「玄関に誰か来たと思って」・・・毎回同じセリフである。ピンポーンと鳴ったのだというのだ。(勿論空耳。)
今までは、玄関まで降りていっても戻ってきたのだが、今日は外まで出てしまった。 本人は呼び鈴が鳴ったから応対したという意識なので、 誰もいないのを確認して家の中に戻ってきた、「それだけのこと」という感覚。
だが、とうとう玄関を開けて外に出てしまったことが私にはショック。これがエスカレートしていくと、徘徊になるのかもしれない。

頼みの綱のショートステイは送迎が必要。それが私の仕事の日程と合わず、折角空きが出ても余り利用できない。 ケアマネは「妹さんは代わってくれないのですか」というが、急な出張も良くあるし、直前にダメとなったら大変だ。もう少し柔軟な対応ができないと。常に家に誰かがいることを前提したシステムで、実態に合わないのは本当に困る。

母は薬も少しずつ増えたり変わったりしてきた。今はアリセプト+メマリーに加え、ドグマチールを試し、それをセロクエルに変えて試している。 進行を食い止めることができなくなってきたのなら、もしかしたらアリセプトもメマリーももう卒業してもいいのかなとも思うが、どうなのだろう。ここ2回は続けて妹に診察に連れて行ってもらったので、次回私が先生とよく相談しなければ、と思っている。
このところ、排泄の方も少し怪しい点が見られはじめ、おむつを試した方がいいのかも、と思ったり。

・『寝言』から→
母は今月からデイサービスでは認知症対応のグループに入れてもらい、マイペースでデイサービスを楽しんでいる様子。毎回の連絡表もあり、様子がよく分かる。 また、セロクエルを半錠飲んでいるが、割と相性が良い感じで、デイサービスでも少し落ち着いてきたらしく、その変化に驚いていた。
このところ、夜8時になると眠くなるようで、変な時間に起きられても、と思って何とか引っ張るのだが、それでも就寝は8:30過ぎ。まあ、寝てくれることで、私もようやく落ち着いて仕事ができるのだが。
いろいろケアマネと相談しているところだが、朝私が出かけた後、母のデイのお迎えが来るまでの90分程が私にとって不安になってきたので、30分ではあるが、誰かに来てもらうようサービス業者を調べてもらっている。 それも 9月からは週1,2回で済むと思うので、少しでも不安は取り除いて、母に不測の事態が起きないよう、できることはしておきたい。

この間は、テーブルの上に置いてあったお萩を何と朝一人で4個全部食べてしまっていたのには驚いた。しまった、と思ったがもう遅い。幸い、お腹も壊さず何とかなったが、本当に小さい子と同じで、 こちらのちょっとした気の緩みが大事になりかねず、ちょっと反省。
昼間はデイサービスがあるので本当に助かるが、夕方も一人でポツンとテレビを見るのも寂しい様子。しかし、私もずっと一緒にいるわけにもいかず、自室で仕事をしていると、やっぱり覗きに上がってくる。やれやれ。
時々一緒に韓国ドラマを見たり、(手乗り)インコを籠から出して、母の「相手」をさせたりしているのだが・・・。
夕方は一緒に窓辺に座って、夜空の稲妻と轟音を花火代りに「鑑賞」した。横に座っていると安心する様子。私も少しまた気持の余裕が持てるようになってきたので、極力また相手をしてやろうと思う。

・『寝言』から→
今日は昼の12時に階下でカーテンを閉める音がする。ひょっとして、と思っていると母が上がってきて、自室に入った。ああ、やっぱり。
真昼間から寝巻に着替え布団に入ろうとしている。「何してるの?」と一応聞いてみると、時計を指さしながら「もうこんな時間だから寝なきゃ!」
昨日は「今何時?」と試しに聞くと、アナログ時計を見ながら言葉に詰まっていた。もう時計の文字盤が読めないのだ。
しかし、今日は読めたようだが、昼と夜の区別がついていない。

「外見てご覧。こんなに明るいんだから、真夜中のはずないでしょ。」
「・・・」
一人にしておくとどうしていいか自分でも判らなくなってきた様子。かといって、付きっきりでは私も仕事もなにも全く出来ないし、メモをあちこち貼っておいても、結局目に入らないので役に立たない。 今日は妹が私の留守中によく相手をしてくれたので、出かける用事も安心してこなせたものの、この状態からはもう回復は出来ないのではないかと感じている。

寝ている間にふらっと出て行ったりしなければよいのだが・・・。

要介護3の認定。セロクエルの効果か、デイサービスから問題行動が減ったとのこと。家でも口数が増えた。

9月
・『寝言』から→
この夏から母の薬を少しずつ試している。 1つは飲んですぐに良い効果が現れたように感じられたが、その後、細かい体の震えがあるようで気になっていた。前回の診察で、更にもう1種類試してみる ことになり、併用してみたが、これまたかえって本人が少し混乱しているように感じられるので、両方ともやめてみることにした。
担当医からは、様子を見て調整してよいことになっている。いずれも精神薬で、父にも飲ませた薬であり、父の比べれば母の方にはまだ不要な気もする。

アルツハイマーの症状が進み始めたことを、これらの薬で止められる訳ではないので、別の方法で少しずつまた精神の安定を取り戻せるよう、私の方で対策を考えなければ。 少し風邪気味だったので日曜日に昼寝をさせたせいか、昨日は午前2時に起きだして、洗面し始めたのであわてて連れ戻した。
今朝は、いきなり玄関から出ていったので慌てて飛び出すと、デイケアのお迎えの1時間前なのに、玄関前で送迎バスを待っていた。
これはとても気になる行動だが、昨日から精神薬をやめたので、数日でもう少し落ち着くのではないかと淡い期待を抱いている。
出来るだけ母ではなく私が行動することで対策を考えなければ。今朝も、要は私がもっと早起きすれば良いだけの話。
・・・しかし、2時に起こされて7時過ぎに起きるのも・・・。

とにかく、一人で外へ出ないようにさせなければ。

・『寝言』から→
 八ヶ岳に行っている間、母はショートステイ。今回は今までで一番長く、5泊6日。
山から戻ってからも数日母がいないと私の方がちょっと寂しかった。母はと言えば、「寂しくなかった」そう。多分、日数の感覚が無いので、余り感じないのだろう。その点では助かった。 これから1週間程度のショートが毎月入ることになっている。これをうまく利用して、安心して山に出かける予定。

今のところ、夜中に起きたりしているかもしれないが、こちらが寝ていて気付かないこともある。たいていはトイレに起きるたびに気づくのだが・・・。 比較的精神的にも安定しているようで、ほっとしている。 これならまだまだ在宅で介護できそうだが・・・。

10月
・『寝言』から→
久しぶりにフィットネス。1ヶ月ぶりだった。その間、八ヶ岳へ行ってきたから全く運動出来なかった訳ではないが、ついつい出不精になっている。 幼稚園の子がいるようなもので、母の帰宅時間までには家に戻らないと、と思うと、ついつい億劫になる。
今日は出かけるのが遅くなって迷ったものの、思い切って出かけた。帰りに買い物をして戻ると数分早く帰宅していた。 家につくのと同時に携帯が鳴り、デイケアのスタッフが心配しての電話だった。その辺りの対応は有難い。

で、着いてみると玄関はかぎがかかっておらず、中に入ると案の定、もう寝る支度の真っ最中。リビングはカーテンを引いて真っ暗、インコも強制的に 寝かされている。ちょうど電気を消してでてきたところだった。
この頃はメモを残そうが、何度言おうが、ともかく私が側にいないと(いや、居てもちょっと目を離すと)午後5時頃には寝ようとする。 外が暗くなり始めるともう抑えが利かない感じ。この時間帯は家に生徒が来ていることが多く、そうなると母の行動が分かっても対応できない。
仕方なく、仕事が終わってから起こして夕食を食べさせるのだが、やっぱり8時にはうつらうつら。 もう無理だと寝かしつければ、今度は夜中の1時、2時に起きだしてくる・・・。

更には私が熟睡している3時〜5時あたりには一度起きて階下のリビングに降りたりしているようて、こうなると流石に対応できない。
今はまだ良いが、寒くなると風邪を引くし、勝手にストーブをつけたりするのも困る。(FF式なので火事の心配はないが、ドアを開け放して暖房するは、寝巻のまま平気で起きている、ということが十分予想される。) さてこれをどうするか、思案のしどころ。むやみに睡眠薬を使いたくないものの、家で見るには、それなりに眠っていて貰わないと無理だし・・・。

ただ、母が在宅の時間帯は私が一緒に居るので、物忘れの度合いに比較すると、感情面は随分落ち着いているし、問題行動は(昼夜逆転が始まりつつあることを除けは)ほとんどない。 来月には満80歳。「韓国は良かったね。」・・・不思議とよく覚えている。何をしたかは忘れていても、韓国へ行ったことは覚えているようだ。まあ、毎日韓国ドラマばかり見せられているせいかもしれないが。(笑)
とりあえず、あとは私が決断するしかないだろう。でも、まだ、もう少しは・・・。

11月(80歳)
・『寝言』から→
昨日は母の80歳の誕生日。近くの花屋でミニ・アレンジを作ってもらって渡したら喜んでくれた。前日に暖かい靴下もあげたのだが、やはり誕生日といえばケーキか花だろう。いくつになったのかも判らない母だが、来年はどうなっているだろう。
先日初めて7泊8日のショートステイに行ったのだが、時間の感覚がずれているので、むしろ長いという感じが無いようで、寂しくなかったと言うのだけは有難い。 が、家では全く問題なく出来たことが、ホームでは出来ず、失禁を含め、いろいろあったそうだ。これが家で起こらない限りはまだ私も対応できるのだが。

寒くなってきたので風邪を引かせないよう、何かと注意が必要。やはりぼ〜っとしている時間が長くなってきたので、デイサービスから戻った後が問題で、私が生徒に対応している間、だんだん一人で 大人しく待っていられなくなりそうだ。 いろいろあるけれど、今のところはまだ会話も楽しめるし、精神薬をやめたので落ち着いているし、何とかなりそうだ・・・。

・『寝言』から→母がまた失踪。ちょっと目を離した隙に・・・。
今回は5時間ほどで連絡が来たのでほっとして迎えに行ったのだが、やはり思いがけない場所にいた。何も持っていなかったのに、多分バスを乗り継いだのだろう。 自分で、とあるお店に入っていき、何故か私の紹介で来た、と言ったのでお店の人が不審に思い、連絡が来たのだ。

電話番号は言えるところが凄いと思うが、ほっとして迎えに行ってみると、怪我をしている。どうやら転んだらしい。勿論本人は覚えていない。 心配なので、救急外来に連れて行ったのだが、待合室は満員で驚いた。
多分問題ないだろうと言うことで家に戻ったのが午後9時。とにかく、大事に至らず不幸中の幸いだった。
普段行かない場所に一緒に出かけたので、一人で家に歩いて戻るのは無理と思い、すぐ警察に届け出たのだが、いつものようにスタスタ歩いているだろうから、多分 夜遅くなってどこかに座り込んででもいない限り見つからないと覚悟を決めていた。 が、どうやら自分の住所も分かるようで、お金も一切持っていなかったのに、多分、バスを2つ位乗りついで、某駅まで行ったらしい。そこは、うちを通りこして更に北にある鉄道路線だったのだが、本当にどうやって辿りついたのか不思議でならない。

今回は多分に私のミスで、目を離したのがいけないのだが、一人で出ていくことは考えにくい状況だったので、考えさせられた。
服装も、万一を考えて、もっと目立つものにしなければいけないなと思った。でもまあ、本当に早く見つかってよかった。やはり誰かがどこかで見守ってくれているのかもしれない、と感じた。 母には本当に悪いことをしたと思っている。

12月
・『寝言』から→
今朝は先に起きてストーブをつけ、お湯を出るようにしてから起こした後、どうにも眠くて15分ほどまた寝てしまった。その後見に行くと、何と、薬を2日分飲んでいた。あ〜やられた〜と思いつつ、100%私の責任なので、もう何とも言えない気分になる。 いつもは机の上に日付入りで出しておけばとりあえず飲んでくれるのだが、昨夜一緒に薬の仕分け作業をして、一旦大きな袋にしまっておいた。それを私の部屋に持って上がるのを忘れてソファの上に置いたままだったのを母が見つけて、中の薬袋を全部チェックしたらしい。
日付入りの袋(20個程)には手をつけなかったのに、「見本」と書いて4種類の薬を入れておいたものを探し出して、中身を飲んでしまっていたのだった。ああ・・・。

しまうのを忘れたとはいえ、全く離れた場所にまとめておいてあったのでまさか、と思ったがもう遅い。予測不可能な、それでいて不思議な判断力が働くようだ。血圧の薬も入っているので心配だったが、以前にもそういうことがあったが大丈夫だったので、一応デイサービスの職員さんに知らせておき、 薬は全部また片付けた。 2歳位の子供が思いがけないものを口に運んでしまうように、母の中途半端な判断にはもっと注意すべきだった。後悔先に立たず。

夜になって寝かした後、トイレの出入りを確認したが、どうも部屋でゴソゴソ音がするので見に行くと、何と失禁していた。もしかしたら薬のせいかもしれないが、ショートステイでもトイレの場所が分からず失禁があったそうなので、そろそろそういう段階になってきたのかもしれない。 とりあえずベッドには防水パッドを敷いていたのと、どうやらトイレの中で失禁した様子なので、パジャマと下着を脱がせ、パンツタイプのおむつがあるのでそれを穿かせて寝かせた。(勿論、叱ったりはしない。)洗濯は明日でいいし・・・。
トイレのスイッチには蛍光タイプのテープを貼ったし、常夜灯の小さい(けれど相当明るい)のを点けているが、もう少し対策が要るかも・・・。 アルツハイマーの症状が進んできた証拠かも。(大の方も稀にあるし・・・。)

取れる対策はすべて取って、出来るだけ家で過ごせるよう私も頑張ろう。(トイレの中に常夜灯を点けておいて、ドアを少し開けておくのもいいかもしれない。ネットでまた調べてみよう・・・。) とは言いつつ、年末は少しショートステイが入っているので、留守中に少し休めるだろう。
まあ、なるようにしかならないので、こちらも焦らず淡々と・・・出来るかな(^_^;)

・『寝言』から→
ショートステイから戻った母は、デイサービスも年末年始休業中ゆえ、1日家にいるので流石に対応が大変。ちょっと目を離すと真昼間だろうがなんだろうが寝巻に着替えて寝てしまう。年末の買い出しも、家に残すと不安なので、マスクをさせて完全防備で連れ歩く。ほんの数日とはいえ、 これがかなり気を使うので、夕方には私の方がうつらうつら。 でも昼寝をしようものなら、これまたあっという間に寝支度されてしまう。テレビ保育はいけません、と幼児向けに啓蒙しているが、母もテレビ画面を見ていても、ほとんどのことには余り関心を示さないので、結局常に相手をしなくてはならない。


4日位からデイも始まるので、その後少し一息つけるといいのだが・・・。
多分、家で介護するのも来年半ばには無理になるだろうと感じている。それまで何とか無事に家で過ごせることを祈りつつ、今年も残り数時間。 来年もストレスを溜め過ぎないよう頑張らないと!

*注*『寝言』はこのHPの「カエルの寝言」のことです。


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