母と過ごす日々(アルツハイマー介護日誌)


2014年
1月
・『寝言』から→
母はますます落ち着きが無くなってきた。生徒が来て仕事をしている間、部屋で待っていてもらうのだが、それが出来なくなりつつある。一人で部屋にぽつんと待っていると、たとえテレビがついていても、何だか不安になってしまうようだ。 で、その結果は、昼夜を問わず自室に戻って寝てしまうことなので、ある意味では楽なのだが。
昨日は朝方私が爆睡していたため、母が先に起きたのに気付くのが遅れた。が、階下のドアの音で目が覚め、慌てて母を自室に連れ戻す。寝巻のままふらふらと起き、リビングに用意してある朝食を食べようとしていたのだった。 幸いストーブのスイッチは(メモ書きが複数置いてあるため)入れてくれたが、この格好では風邪を引いてしまう。

このところ、どうも夜中に起きている可能性があるので、寝る時もエアコンを入れている。その室外機の振動が、何故か私の部屋によく響いてちょっと煩いのだが。 それに夜中に何度か母がトイレに起きるので、朝方は毎回「また部屋に戻ってね!」と声を掛ける。 夜中に起きない日が無い、と言えるほど。この前(多分)一度も夜中に起きず熟睡したらしい日は、一緒にかなりの距離を散歩させた日の夜だった。
日曜日以外はデイサービスがあるので、連れ出すのも日曜日だけ。外は寒いし、歩くのが非常に遅いので、毎週は無理。

家で入浴させる日は週に1日程(デイサービスで週に1,2回入浴あり)だが、入れる前に母の部屋のエアコンを入れ、加湿器を入れ、洋服を着る順番に並べ(ても順不同に着るが)、それからようやくお風呂。 入浴中もつきっきりで声をかけつつ見守り。出た後は、乾燥するので乳液を体に塗ってあげると機嫌はすこぶる良い。
湯ざめしないように気をつけて一緒に階段をゆっくり上がり、常夜灯を点けてからやっと「おやすみ〜」と部屋の電気を消す。あ〜終わった〜と一服するも、 大体2時間すればゴソゴソ起きてくる。トイレに入るとまた戻る、の繰り返し。午前1時頃までは私が起きているので分かるが、それから明け方までの行動は分からない。すぐにまた布団に入ってくれればよいのだが・・・。

物盗られ幻想もないし、食事を食べ過ぎることもないし、虐待されているなどと騒ぐこともなく、徘徊することもなく、本当に手がかからないはずなのに、だんだんストレスが溜まってくる。ある意味で、仕事にかまけて妹が「逃げて」いるからでもあるが、 こちらが山に行くからと母のお守りをさせるのも、つい気が引けてしまう。山が無ければ持たないな、と痛感してはいるのだが。
だんだん負担感が増してくると、うまい具合にショートステイが入。あと数日、頑張ろう。

2月
・『寝言』から→
認知症で一番困るのは、自分の状態を適切に表現できないこと。特に具合が悪い時に本当に困ってしまう。
一昨日は食事中に胸を押さえて苦しそうだったので驚いたが、数秒で「何ともない」と言う。明らかに異常だったので問いただしても、埒が明かない。食欲も普段の半分程。 しかし、その時だけなので様子をみていたら、昨日も少し元気が無く、食欲もやはりない。この1週間ほど下痢気味だったので、内科で貰った薬を飲んだのが悪かったのかとも思うが、 いくらなんでも関連はなさそうだ。

本人は「苦しかった?」と聞けば「う〜ん、今は大丈夫」、「痛かったの?」と聞けば「何ともない」、「今は大丈夫だけど、さっきは苦しかった?」と聞けば「覚えてない」・・・。堂々巡りで終わってしまう。
迷った末、救急外来へ。診察の結果は、気になるならまた診察を受けてくれとのこと。それで今朝また大学病院の外来へ。
再度心電図を取り、診察を受けたが、心電図から明らかな異常はなさそうという。これ以上検査しても費用対効果の問題や、本人が適切に説明不可能なこと、万が一狭心症の発作だったとしてもこれが初回なら、様子見で良いだろうと言うことで、とりあえず胸を撫で下ろした。
まだ食欲が回復せず、ちょっと元気が無いが、昨夜、今朝、と長時間待たされたことがあるかもしれない。
何より今日からショートステイの予定だったので、昼過ぎにようやく連れて行くことができた。スタッフ、看護師さんには詳細に様子と診断内容を伝え、救急で貰ったニトロも念のため預けて、ちょっぴり後ろ髪を引かれる思いで戻ってきた。

ただ、家に置いておくよりは、むしろショートに居る方が、人の目も多く、看護師もいるので安心かとも思う。不測の事態は或る程度覚悟の上。 多分、そこに至るまでに何か兆候があったはずだが、本人は何も教えてくれない。検査、検査で病院を連れ回すのも、あれこれ考えると私の気が進まない。心臓に問題があれば即刻命に関わると思い、救急外来にも連れて行ったのだが、 まあその点は大丈夫らしいことで納得するしかない。
昨日も今日も随分時間がかかったが、「あ〜面倒だ!」と、「どこが悪いのだろう」という心配と、「仕事が暇な日で良かった!」という安堵で気持ちが揺れ動く。 また、診察には体力が要る。検査があったせいか、昨日は3時間、今日は2時間かかった。母の方が辛かっただろう。

この頃また父の介護の頃をふと思い出す。だんだん母も手がかかるようになってきたからだろう。それでも、手がかかるようになったことを極度に負担に感じたり、もう嫌だと思っている訳ではない。 今一番気になるのは、母との意思疎通が少しずつ図れなくなりつつあると感じること。 例えば寝たきりであっても、認知症でなければどんなにましだろう、と思うことがある。絶えず声をかけ、姿を見せておかないと、母の不安はとても大きいようだ。側に居て相手をしてやりたくても、仕事の間は一人で待っていて貰わなければならない。 でもそれがどんどん難しくなっている。
だんだん選択を迫られてきているのかもしれない。

3月
・『寝言』から→
ショートステイが長くなり、そこでの規則的な生活の方に慣れたせいか、デイサービスから帰った後の時間の過ごし方に戸惑っている様子。どうしても夕方からの仕事があるので、 自室に戻ってテレビを見て待つように言っても、カーテンを閉めて寝てしまう。あるいは、何度も様子を探りに部屋を出ようとする。 大きく指示を書いた紙を3枚くらい部屋に置いておいても、それを片付けてしまい、効果なし、という場合もしばしば。
夜中にそ〜っと起きだすことも又始まったようで、一昨日は1:30と3:30に起き出した。3:30の時は私も寝込んでいたが、ドアの音で目が覚め、慌てて布団から飛び出すと、母はまた階段を上って来るところだった。 何でもない、とか、誰かが呼んだから、とかその都度それなりの理由を述べるが、これが続くと私もかなり消耗する。

幸い、だいぶ暖かくなってきたので、多少家の中を寝巻で歩きまわっても風邪を心配する必要が減ったものの、そ〜っとドアを開けられると気づきにくい。 いつもは私が寝る前に再度、階段と玄関内の電気を点けておくのだが、さっきは起きてきたのでトイレかなと聞き耳を立てていると、その後も音がしない。それで慌てて追いかけると、まだ電気を点けてなかった 真っ暗な階段を下りているところだった。 手すりがあるのでそれに掴まって降りていたのだが、この頃足腰も少し弱り気味だし、一層表情が乏しくなってきたのが非常に気がかりだ。更に症状が進んできた実感がある。
部屋が2階にあるので、その点でも「限界」は少し早まるだろうと思うが、・・・と書いていたらまた起きだしてきた。
今度はトイレだったが、戻ってから枕にラベンダー・エッセンスを垂らしてきた。そう言えば最近は非常に減ったが、以前はよく大声で寝言(というより叫び声)を上げていたので、その時以降ラベンダーを使っている。私自身も寝つきが悪い時によく使うのだが、 香りの効果もかなりあると思う。

でもそろそろ睡眠剤でも使った方がよいかもしれない。が、半端に覚醒した頭で階段を降りようとしたら、と思うと恐ろしくなる。幼児のように通路をブロックすべきだろうか。それでも難なく「突破」されそうな気もするし。 いや、それともセンサーか。通過したら私の枕元でブザーが鳴るように?・・・そうなると私の方が先にダウンしそうで、それだけは避けたい気分。

母の病気の進行はもう止められない。もうしばらく、何事も起こらないで過ごすことはできないだろうか・・・。
とりあえず、センサーを使ってみようと思う。ネット検索で改めて思い出した。そういえば父の時は離床センサーを使っていたっけ。だんだん似てきたかなあ。。。

5月
・『寝言』から→
何だか忙しい。何故だ?・・・あ、母が戻ってきたからだ。(笑)
ショートステイで留守の間は、早く戻ってこないかな〜と思ったが、実際に戻ってくると今度は本当にお相手するのが大変。それに月曜日は通院日で、もう1つ受診したのでひたすら時間がかかる。 ショートの間はあまり失禁もなかったらしいが、帰る日にちょっとやらかしてくれたらしい。詳細な報告を頂けるのは有難いが、それに対して常に「すみません、お世話をおかけしました」と言うしかなく、その意図はないと分かっていても、咎められているように感じてしまう。

今の母は大体「幼稚園児」レベル。ただ、比較的ご機嫌も良く、ニコニコしていてくれるので助かる。
ただ、忙しくて相手が出来ない時は、ただぼ〜っと座っているだけで、その姿がとても哀れに見える。でもずっと相手をすることは不可能なので見なかったことにでもするしかない。

GWもほぼショートで家にいないと知った妹、「な〜んだ、折角の休みだから相手をしてあげようと思ったのに。連れ出して遊んであげようかな。」
・・・このところ家に来る回数が激減している妹。たまに相手する分には その深刻さがピンと来ないだろう。半日、いや数時間でも付きっきりで相手をするのは大変。 面倒なことはしないで、と思わず口に出そうになるが、我慢、我慢。

6月
・『寝言』から→
母が戻ってくると1日が6時間ぐらいに感じる。昨日は朝レッスン一人終えて、すぐに車で通院。それも2つ重なり、そのあと薬局に回り、ついでに銀行に寄り、週末の伯母詣でのお土産を買い、2時近くに帰宅。 お昼を食べさせ、少し相手をして、自室にテレビをつけて居て貰う。
一息ついて自分の練習、それからレッスン2人を終えるともう7時過ぎ。夕食を作って食べさせ、たまにはお風呂を沸かして入浴させ(一緒に入らないだけで、つきっきり)、入れ歯をしっかり洗って貰ってから寝せる。 それから洗いものをし、インコを寝かせ(笑)、自室に戻って翌日の教材の準備、調べ物。

・・・ 昨日の通院では、担当医にそろそろ3ヶ月の入所も利用したらと言われた。確かに、もうそういう段階なのかな、とも思う。
この1年半、仕事を犠牲にしてきたが、もう戻さないといけないし、なんだかんだと言って結局夏期講習もコマが増えて、例年より少し少ない程度に落ち着いた。 こうなると出かける前に母を送り出さねばならず、幼い子を持つ働くお母さんと同じ境遇。預かって貰ったり、早く迎えに来てもらったりと手配も必須。
それでもこれで対応できるなら、とついつい思ってしまうのだが・・・。

・『寝言』から→
気がつけば、というのが常套句となったこのごろ。昨日は久しぶりに高尾に行って、バテバテ。日影沢の途中で帰ろうかと思った。 その上、ちょっと判断ミスをして、確認すべき所をスルーしてしまった。やれやれ。

でも、Mさん、Kさんのお陰で何とか歩き、これまたこの頃定番の、リフトで帰還。母の送りの時間には余裕で間に合った。
もうすぐまた短期入所日。要介護は4になった。またいろいろ手を打たなくては・・・。
この夏は他にも工事が入ったりして、とても慌ただしい。夏期講習期間はまた預かってもらえることになったのでよかったが、9月以降は母をどうするか、いろいろ大きく動きだしそうだ。 とにかく、私がダウンする前に・・・。

・『寝言』から→
これから先の母の居場所探しがそろそろ始まった。今のデイサービスの一部を、いわゆる「お泊りデイ」に振り替え、私の仕事の繁忙期やその他大変な時は連続的にショートステイを使う方針になった。 見学した施設は少人数で良さそうだったが、ちょっと落ち着かない雰囲気で母にはNGだろう、ということだった。またショートステイ先の方が事情をよく考えて下さって、夏休みの講習期間も受け入れてくれることに。
日数的には多いが、1年通して半分までということなので、この様子では1年後もこの状態で利用を続けることはなかろうから、もうどんどん使っていこうということ。 8月の末になったらまた新しくオープンするところも多いそうなのでそこを見学してから考えることに。

・・・まあ織り込み済みだが、自宅で母を見る時間も残り僅かになってきたなあと思う。
いや、我ながらよく面倒を見ているなとも思う(笑)。そろそろ足腰が弱ってきて、二階の自室への移動も危なっかしいので、それも限界かも。

実は旅館の浴室で転倒したし(しっかり確保していたため、どこも打たず、全く怪我もなかったが、見事にスッテン!あとからゾッとした。)、ベッドからなら立ち上がれるが、敷いた布団からは一人で立ち上がれなかった・・・。 自宅以外の環境にいて初めて分かることも多く、ああ進んでいるんだなと痛感した。 家で一緒に過ごす時間が限られてきたと思うと、介護の苦労も消えていく。
ただし、流石にこちらの限界も迫ってきているので、無理せず、お互いにできるところまで・・・。

7月
・私が帯状疱疹に。
・家の改装工事のため、1ヶ月間ショートステイに入所させてもらう。

8月
・『寝言』から→
今日は出かけて、帰りが母の帰宅時間に間に合うかどうか微妙だったので、ホームに停め置いて貰った。この暑い中、一人で帰宅して、猛暑の二階の自室で服の上から更に寝巻を着て、毛布をかけて寝られたら熱中症間違いなし。それを避けるには 安全第一。幸い、余り遅くならずに迎えに行けたが、その帰りに見た空は久々に凄い・・・地震雲? 台風気配もあり、何だか嫌な予感がするが、大事に至らぬことを祈るばかり。甲子園も始まったと思ったら雨天延期になりそうだし、同級生も交通手段の確保で悩ましいことだろう。
母がいる期間は確かに忙しい。でも、昼寝の時間が増えた分だけ、少し楽と言えば楽になった。玄関も、中から勝手に出られないカギになって、安心度もアップ。これでまた暫く、二週間のショートと二週間のデイサービスのサイクルになりそうだ。
特養も申し込んであるが、介護度が1つ上がって、一体どれだけ順番が繰り上がっただろうか。上がったとしても順番待ちがまだまだ相当ありそうだ。 ショート期間はとても馴染んでいるので、このまま居られたら本当に助かるものの、もっと深刻な待機者が沢山いるはず。
くじ引きなら、運の強さで引き当てることができるかもしれないが(笑)、まあ、こればっかりは・・・。
とりあえず、9月からの塾の仕事が沢山入って、朝2時間は自費でサービスを依頼しなければならない。デイのお迎えが9時半前後では致し方ない。お勤めの人は一体どうしているのだろう。ショートの送り迎えも家族のみだし・・・。 そう考えると、まだまだ実態に合わない運用が続いていると思う。
で、これはまた子どもを預ける母親も同じことだろう。みんな苦労しているな〜、とつくづく思うこの頃。

10月
・『寝言』から→
今日は母を新しい精神科の医師に連れていく。ついでに健康診断もしてもらい、お昼を食べさせてからまたショートステイに連れ戻す。この頃は、連れていくとすぐに一緒に帰りたがるものの、 スタッフがとても上手に扱うので、うまく残して帰ってきた。 それでも滞在中は結構ご機嫌で、寂しくもなく他の入所者と(時々喧嘩しつつも)うまく馴染んでいるらしい。
ショートに行くこと自体は嫌がらないが、私が離れると不安になるのかもしれない。

仕事がだんだん忙しくなると、母がいない状態が常態化してもそれが普通と感じるようになってきた。ある意味で当然、でもちょっと複雑。
もう少し相手してあげられれば、母も不安なく家で暮らせるのかもしれない。問題行動は殆どないし、少し大人しくなった今の方が、一頃よりよほど扱いは楽だ。問題は、階段の上り下りが不安なことくらい。

・『寝言』から→
日曜日。母のお守りで一日終わる。1時間位はテレビにお守りをさせようと思うが、すぐに飽きてしまい、「もう寝る」。(正午前だろうがお構いなし。) もう少し、と騙し騙し、番組を変えてまたテレビの前に座らせるが、これまたすぐに集中力が無くなる。
で、お昼を食べさせ、ソファに移すと、今度は薬のせいで私の意識が朦朧とするので、仕方なく二人して「お昼寝」。

何やら物音で目が覚めると、何と外はもう真っ暗(>_<)
ボケた頭で起き出して、夕飯の支度。それから母を起こし、食べさせて、少しだけテレビを見ていてもらうが、すぐに「もう寝る」。 でも今日こそはお風呂に入れたいので、我慢させ、早々に入浴準備。頭も洗ってやり、乾かして寝巻をきせ、布団に入れてお世話完了!
それで8:30。夕食の片付け後、ドラマをちょっと見て、ようやく11時前に少し英語の下調べ。 こうなると今度は今更ながらに頭が冴えてきて、寝られない。何より運動不足もある。

・『寝言』から→
今日は母を歯科に連れて行き、入れ歯の調整。本人は大丈夫です、しか言わないので、いろいろ「通訳」が必要。
とはいえ、長いお付き合いの歯科医院なので、ボケた母でも安心してお任せ出来るのは有難い。父の時も、家に来て診察してくれたし。
明日からまたショートステイ。行くのを嫌がらないのだけは本当に助かるが、この頃、送っていくと、一緒に帰ろうとするのがちょっと切ない。滞在自体はそれなりに 楽しんでいるし、友達も出来たらしいが、迎えに行くと「迎えに来てくれてよかった」と言う。何となく不安があるのだろうか・・・。

家の中では少しずつ階段が大変になってきたし、結局相手が出来ないので寝ていてもらうしかなくなってしまった。何が母にとってbetterなのか、時々分からなくなる。 語彙は本当に少なめながら、少なくとも家では穏やかで、冗談も一応通じるし、大体言う通りにしてくれるので、その点では手がかからない。 なのに、1週間するとこちらは何だかへとへとになってくる。こちらの体力が落ちているからかもしれない。

11月(満81歳)
・『寝言』から→
母が家にいる期間は気が抜けない。ただ、このところ、低め安定ながらご機嫌もよく問題行動もゼロ。但し、足が随分弱って、階段の上り下りが心もとない。 もちろん、必ず私が下方に立って、万一の転倒や落下に備えているものの、足腰の弱化が顕著だ。 入浴介助するも、浴槽内に座ろうとすると体を支え切れず滑る。自宅での入浴はそろそろ難しいかもしれない(週1,2回はデイサービス中に入浴させてもらっている)。

腰椎の骨折で腰が曲がったままだが、一番飛び出た骨のあたりの皮膚が赤い。一種の痣として残っているのかと思ったが、それが少し広がっていると指摘され、看護師のSさんに相談すると、 床ずれの初期だろうと言う。
確かに、この頃は寝ている時間が多く(いや、家では私の都合で寝かせてしまっているという方が適切かも)、上を向いて寝ているので腰がずっと圧迫されているのは間違いない。 床ずれは寝た切りの人がなると思いこんでいたのでちょっと驚いた。いかん、いかん。対策を考えねば。

二か所のデイサービスと、半月のショートステイで凌いでいるが、仕事の関係でこの頃はいろいろ厳しい。ケアマネさんのアドバイスに従って、そろそろ「お泊りデイ」とショートとの二本立てがよいのかもしれない。いろいろ不安もあるが、 朝7時から夜7時までの対応も依頼出来、何より「お泊り」させてもらえるのは、急な用事の時などに本当に助かる。 私もこの頃体力が落ち、ちょっとしたことで病気になりがちなので、早く手を打った方がいいかもしれない・・・。
ついつい自分で出来るからと抱え込んでしまうが、共倒れの危険性を前もって回避しなければならない。

とはいうものの、施設の見学やら手続き、他に母の薬を貰いに行ったりインフルエンザの接種に連れていくなど、何かと時間を取られるのは事実で、それを考えるとつい億劫になってしまう。 先日やっと自分のインフルエンザの接種はしたものの、母はまだ。この間変わった、心療内科の医師にもまた連れて行かなければならない。
あ〜時間が無い!

・『寝言』から→
母を連れて家族旅行へ。歩くのもだいぶ大変そうなので、観光地へ連れて行くにしても選択肢が非常に狭くなる。 美術館へ行って、お昼を食べ、少し展示物を見て、それからミニ演奏会を聞いてから宿へ向かう。

早めに宿に着き、とりあえず「昼寝」させると、寝たと思ったら何だか小声で延々と話し始める
最初は寝言かと思ったが、それにしては長すぎる。その上、一応内容は整っていて、聞いていると 子ども時分に戻って兄弟と話をしているようだ。ちょうどヒソヒソ話をするような感じ。 しかも、普段と違う口ぶり(普段は決して使わないような言葉を使う。それはやめてほしいな、と思う感じの話し方。)なのでちょっと驚くが、 その割にケアセンターに行って、などと現在の話題も出てくるのだ。

余りに驚き、不思議なのでそっと顔を覗きこむが、一応目は閉じていて、寝ている感じ。また、話の中身は5分位で一巡する内容を延々と繰り返す感じで、それを途切れなく30分以上「囁き」続ける。放置すれば何時間でも続けそうだ。
いつからなのか全く不明。だが、半年前に泊った時はこの現象はなかった。もしかして、家でも「話して」いるかもしれないが、別室だし、私が寝る頃には静かなので、寝入りばなだけなのかもしれない。が、心配になる。 その後私が大浴場へ「偵察」に行った間も途切れなく話していたそうで、手を叩いて歌まで歌っていたとか。う〜ん。どうなっているんだろう。急に心配になる。

で、お風呂の方はやっぱり足腰が弱って転倒が心配なので諦め、内風呂に入れた。幸い広い浴槽で、ゆったり入れたのは良かった。 が、どうもお腹の調子がイマイチだったようで、その後とんでもないことに・・・。 ああ大浴場でなくて良かった、と胸を撫で下ろす。

その後先に寝かせると、やっぱり声が聞こえてくる。かなり小さな声だが私も耳が敏感なのですぐに気付く。そっと覗くと、寝ているような感じだが、また同じ内容で話している。 念のため録画・録音しようとそっと近づくと、今度は「娘が来たからやめる」と言って黙ってしまった。え?起きてるの??
翌朝尋ねると、全然覚えていない、という。まあ、そうだろうけど。・・・幸い来週に診察日があるので、早速相談しなくては。

夜もトイレに何度か起きるので、対策が必要。外に出ていかないよう、ドアは大きなテーブルでしっかりブロック。それからトイレが分かるように 部屋のドアは開放し、洗面所の明かりを点けたままにしておく。 幸い、夜何度か起きたものの、迷うことなくトイレに行けたし、私もその都度目が覚めたので、布団の中から見守っていたので無事だった。
寝入りばなに少しまた「話」をしていたが、その後は静かになり、朝方またちょっと「話」をしていた。
そうそう、今回も夜になると「家に帰りたい」、朝になると「ケアセンターに行きたい」と言う。また、私か妹のどちらかが見えないととても気にする。 自家用車で、妹と二人がかりでもやっぱり旅行はもう大変。本人もちょっと出歩くと疲れるし、自宅や慣れた場所でないと少し興奮するのかもしれない。 母が心配で私も寝不足になるし、運転も一人なのでそろそろ限界かな。

それでも帰りの車の中では相変わらず冗談を言えば良く反応してくれるし、歌をかければ手を叩くこともあり、楽しく「会話」できるのは嬉しい。 結局、誰かがいつも近くに居ると安心するのだろう。その意味では、デイサービスでもショートステイでも、母は安心して過ごしているのだと思う。

私の仕事の関係から、「お泊りデイ」への移行を考えている。でも何だか母に申し訳ないような気持が常に付きまとう。
しかし、私自身、気づかぬうちにやはり心身の無理が積み重なっているかなとも感じる。それである日バッタリ・・・もあり得ると思うし・・・。 介護はその辺りの判断が一番難しいと思う。

12月
・『寝言』から→
土曜日に母を病院に連れて行った。車なので駐車場所の確保も要る。一人では無理なので妹が来られる土曜日となったのだが、病院で風邪でも貰ってこないようにと気を遣う。 心配していた個所は、まあ、こんなものでしょう、ということで安心するも、2時間待って母も疲れたことだろう。
月曜日には月例のケアマネさんの訪問があり、床ずれの危険解消に専用のマットレスの購入を相談。3割引きで買えるとのことで、ケアマネさんを通じて依頼。これで少しは良くなるだろうか。 折りたたみ出来るので、特養でのショート時にも持ち込み可能と言うことでほっとした。

この頃、とにかく目を離すとすぐに寝てしまう母。常に話しかけないと、何事にも集中できず、「もう寝たい」となる。デイサービス中は、歌を歌ったり体操をしたりと常に気を紛らわせることがあるが、 家に1日いる日曜日はお互いに大変。

それでも穏やかに過ごしているせいか、やっぱりごく初期から薬を飲み始めたせいか、一度ガクンと悪くなったものの、そこでまた進行が停まって、それなりに安定している感じがする。 今月は年末年始のショートの受け入れ不可の関係で、またすぐショートに送り出すので、その間に大掃除?中掃除?いや、小掃除??をしておかないと!

・『寝言』から→
29日まで預かって貰うはずの母が、23日夕方戻る羽目に。インフルエンザが発生したためだ。幸い母はまだ発病していないが、感染を防ぐために引き取ることに。 こちらは予定が大幅に狂って大変だったが、とりあえず、今日から土曜日まではデイサービスに再度依頼し、やっと一息ついたところ。
まあそれでも一緒にクリスマスを過ごせて良かったのかもしれない。

ただ、1週間短くなって、仕事が一番詰まっている時に戻ってきたので大わらわ。大掃除も留守の間にしようと思ったのに。更には 今年最後の山行も吹き飛んだ。ま、それはそれで想定内なのだが・・・。
何だか日頃の疲れが取ずに夕方仮眠していたら「引き取りに来て下さい」との電話だったので、ぼ〜っとする頭で慌てて母の部屋を片付け、車で迎えに行った。特養はクリスマスの飾りがとても綺麗だった。 でも元気で戻ってきたのだから有難いと思わないと。あと2日で私も仕事納め。大掃除は無理そうなので、来週は一緒にビデオでも見ながら静かに過ごすしかなさそうだ。(^_^;)
あ、いやいや、それでも黒豆に煮物位は作らないと!

実は一番困るのは買い出し。母が居ると留守番させられないので、必ず連れて歩かなければならない。幼児と一緒である。 特にインフルエンザが怖いので、マスクは勿論、手洗いうがいと、最後まで気を抜かずに守らないと!

とにかく、『焦らず、慌てず、穏やかに』と唱えながら母との長〜い時間を何とか過ごし、無事に新年を迎えたいものだ。特に来年は例年より早く、そして多く塾の仕事が入ったので、 またヘルパーさんを依頼してある。仕事を余計にした分は、しっかり春に遊ぶ軍資金に充てるつもり。
泣いても笑ってもあと一週間。 母と過ごす時間を、まずは一緒に楽しまないと!


*注*『寝言』はこのHPの「カエルの寝言」のことです。

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