ウォールストリート・ジャーナル
2013年5月23日
ラコステ以後
ゲーム……セット……すべては完璧にマッチ:現在のコート内外におけるテニスウェア
文:TINA GAUDOIN

セルビアのノバク・ジョコビッチはユニクロを身につけている。

日焼けした小麦色のふくらはぎ、すっきりとフィットした白いショートパンツに振り返った事のない女性がいるだろうか? もしいたら、私は彼女にメガネ屋への道順を教える。白いテニスウェアを身につけた健康な男ほどセクシーなものはない。

健康的な日焼けの色といったテニスアイテムには、ほぼ誰をも斬新かつ上手く見せる力がある(奇妙な事だが、私はクリケットの白いウェアには同じ事を感じないのである。だがそれは多分、クリケット選手はショートパンツをはかないからだろう)。しかし主要な目的を忘れないようにしよう:それはコートで素速く快適に動き回れるようにする事だ。

伝統的な白いテニスウェアを再考案したのは、フランスのルネ・ラコステ―――ワニというあだ名の1920年代のトップ・プレーヤー―――だった。彼が開襟で半袖のコットンシャツをコートで着始めたのだ。彼のトレードマークだったワニの商標が付いたラコステのポロシャツは、 今なお近代の男子テニスウェアの原点となっている―――そしてフランス BCBG ブランドの若い愛好者の間ではマスト・アイテムである。「ラ・ソシエテ・シュミーズ・ラコステ」として1933年に創業されたラコステ社は、今年80周年を迎えた―――しかしそのクロコダイルが実際はアリゲーターであったかどうかについては、今なお結論が出ていない。
*ルネ・ラコステにはアメリカでは「アリゲーター」、フランスでは「クロコダイル」というあだ名が付けられた。

他にもコートから離れ、人気の高いスポーツウェアへと歩み出したウェアがある。1920年代にアメリカのビル・チルデンが着ていたVネックに縄編みのニットセーターは、私立高校の制服となった―――そして現在も続いている。そしてフレッド・ペリー―――イギリス労働者階級の英雄はオール・イングランド・クラブの息がつまりそうな保守性に幻滅し、アメリカ市民権を取得した―――がデザインした月桂樹ロゴのピッタリしたポロシャツは、1960年代には反抗的ファッションを好むモッズと呼ばれた若者に受け入れられ、さらに最近では、イギリスの国民的ロックバンド、オアシスの熱狂的なファンに好まれている。アメリカのスタン・スミスが履いていた緑と白のシューズは、もうコート上では見かけないかも知れないが、「スタニーズ」は今なお多くのしゃれ者にとっては選り抜きのスニーカーである。

しかし現在、かつては伝統的な着こなしと、白一色である事を誇りとしていたスポーツは、派手なオンコート・ファッションを大目に見るようになってきた―――コークやペプシに充分な見返りを与えるであろう賑々しいロゴの数々。

テニスウェアの遺伝子貯蔵庫を汚したのは、ビョルン・ボルグの責任と私は考える。多くの人々に今なお史上最高と信じられているプレーヤーが、もし自身の比類なきテニスにふさわしい服装感覚を持ちあわせていたなら、我々は現在のけばけばしく悪趣味で、窮屈なウェアなど着ていなかったかも知れない。

ボルグ氏はコート上における色覚異常の男性の典型で、彼のウェアであるフィラのストライプ、チェック、そして色づかいが調和しない事になんの後ろめたさも覚えていなかった。アンドレ・アガシ―――もう1人のひどい服装感覚の持ち主―――とは異なり、ボルグ氏の不品行なファッションは、意図的ではないように思われた。彼が身に付けていたものは、ゲームそれ自身に対してはほとんど付随的、あるいは偶然と言う者もいるかも知れない。
ラコステの白いウェアで品良くまとめよう。右から時計回りに、プレーンなラコステ・スポーツポロ:85ポンド。ナイキ・シティ・コート VII テニスシューズ:42ポンド。ロロ・ピアーナの綿・麻混紡ストレート・ズボン:335ポンド。Mr Porter(ミスターポーター、イギリス発のメンズウェア界を代表する高級オンライン・ショップ)より。

ボルグ以後、1980年代の「ロゴ狂」と、いわゆる「個性的な人柄」テニスの水門を閉じるには、もはや手遅れだった。スポンサーは人気者の選手に自社のロゴを付けさせようと競い合った。そして彼らの着る人気の自社ブランド商品を展開する事ができた。選手は目立てば目立つほど、そしてユニークであればあるほど、良しとされた。

ナイキは初期のアガシ氏のヘビメタ・ロック風いで立ちを積極的に認めていなかった、と私は確信する。しかし同様に、気にしていなかった事もかなり確かだ。ナイキにとっては、ネオン色のショートパンツとシューズという外観で、自社ブランドに注意を引き付ける事(1990年にアガシ氏がロックバンドのレッド・ホット・チリ・ペッパーズと共演したスポット広告が証拠である)が業務だったのだ。爆発したような髪型、そしてさらに大きい感情の爆発で、ジョン・マッケンローはすでにアガシ氏への道を開いていた。彼は赤いヘッドバンド、セルジオ・タッキーニのウェア、そしてナイキの SB チャレンジ・コート・シューズを身に付けていた。

個性的人柄、ロゴのテニスが1980年代を特徴づけたとすれば、その後ピート・サンプラスは、より物静かで謙虚なかつての栄光へと、ゲームとそのウェアを戻した。サンプラス氏のスポンサー、セルジオ・タッキーニのブランドは、より穏やかなロゴの付け方と色づかいで彼のプレーと人柄を反映させた。

テニス界の素晴らしいコメディアン、そして世界ナンバー1のノバク・ジョコビッチとの提携を通し、セルジオ・タッキーニ社はそのゲーム性―――そして色づかい―――を増した。しかしスポンサー契約は2012年5月に破棄され、現在ジョコビッチ氏は新しいスポンサー、ユニクロの広告キャンペーンに登場している。彼に敬意を表してエアリズム(AIRism) という名を冠した一連の新しい肌着と布地を作ってきた日本の小売業者は、同じく今週、セルビア人の過去4回のグランドスラム大会での装いをベースとして、新しいコレクションを発表した。
さらに現代的なファッションで、ラファエル・ナダルに続こう。上から時計回りで、アディダス・ローラン・ギャロス・オンコート・ポロ:33ポンド。 ユニクロ ND ドライ・ショートパンツ FRA:29.90ポンド、ノバク・ジョコビッチの試合用ウェア・コレクションから。ナイキ・スウッシュ・テニスバンダナ:11ポンド。

一方、2006年にラファエル・ナダルとスポンサー契約を結んだナイキは、彼と関連づけた広範囲のウェアを作り、販売促進を続けている。それは芝生でよりも地中海のスペイン領イビサ島(ナダルはマヨルカ島出身なのだが?)での方が、より馴染んで見えるかも知れない 。スペイン人の独特な筋骨たくましいテニススタイルを反映するために、ナイキは色鮮やかな袖なしTシャツ、だぶだぶのショートパンツ、特大のスエットバンド、幅広でバンダナスタイルのヘッドバンド等を提供している。

対照的に、同じナイキでもロジャー・フェデラー用のウェアは、服装にもそつのない、堅実なスイス人の控え目な表現にたけている。私は必ずしも、フェデラー氏の気取った入場用ジャージ、あるいはむしろ自意識過剰とも言えるスポーツジャケットを気に入っている訳ではない。しかしセンターコートであれ、地元のテニスクラブであれ、身なりを整えた礼儀正しい人間と見えるようにできる事をナイキは例示している。

迷う時には、普通の人間は、ゆったりした、しかしバギーではないショートパンツとポロシャツ(衿つきで)、そして可能な限り白に近いウェアで、シンプルに装うべきである。しかしシャツ、ショートパンツあるいはソックスに、ワンポイント的な色が入っているのは許される。

あなたが地区代表選手、あるいはそれ以上でないなら、ナダル・タイプのバンダナはしない。あなたの名前がアンディ・マレーではないなら、野球帽はかぶらない。もちろん黒いソックスは絶対に穿かない。金輪際。スエットバンドをつける唯一の基準は、温度が摂氏20度を超えるかどうかである。それを基本として、もしあなたがイギリスに住んでいるなら、浪費しそうな金、そしておべんちゃらはポケットに詰め込まずに出掛けた方が無難だろう。


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