テレグラフ
2010年6月21日
もしピート・サンプラスがロジャー・フェデラーと対戦したら、どちらが勝つだろうか?
文:Simon Briggs


2001年7月2日、ロジャーフェデラーとピート・サンプラスは、ATP ツアーで唯一となった対戦を果たした。それはウィンブルドンの4回戦で、伸び盛りの19歳とキャリア終盤に差し掛かった29歳のスターとの対決だった。

こういった状況ではよくある事だが、接戦ではあったものの、若獅子が老いたライオンを上回ったのだった:フェデラーが第5セット7-5で勝利した。

その日、 フェデラーは彼が破った対戦相手から「少しばかり特別の存在」だと認められた。それは先見の明ある見解だった。9年が経って、彼はロンドンへと戻り、サンプラスの7ウィンブルドン・タイトルに並ぶ事を狙っている。賭け屋を信じるならば、彼とこの高遠な野心の間に立ちふさがるのは、ラファエル・ナダルだけである。

次の2週間に繰り広げられる戦いすべてと共に、この疑問が浮かび上がるに違いない―――理想的なセンターコート上でプレーされるファンタジー対決では、フェデラーが再びサンプラスを倒す事になるだろうか?

我々は想像する。堂々たる両者はここで、すさまじい一連のストロークだけでなく、多くの対戦相手を意気阻喪させてきた無敵の雰囲気を備えている。

それは阻止できない力と阻止できない力のぶつかり合いである。それをテニスにおける一種の大型ハドロン衝突型加速器(Large Hadron Collider。陽子ビームを7TeVまで加速し、正面衝突させる事で、これまでにない高エネルギーでの素粒子反応を起こす事ができる)と見なそう。

芝生でプレーするとなれば、ピストル・ピートと彼の強力なサーブに頭を垂れたくなるに違いない―――確かに、テニス界で最も速く、最も致命的なミサイルであった。英国の射撃の名手が、木と弦で作った即席の弓でゲシュタポのスパイを殺す、という1940年代のカルト小説がある。サンプラスのファーストサーブは、似たような素材で撃ち出され、殺傷力の点でわずかに下回るだけだった。

これはジョン・マッケンローの見解である。彼自身、前の世代における並はずれたグラスコート・プレーヤーだった。「もし彼らが互いの全盛期に芝生で10回対戦したら、ピートが6回あるいは7回勝つだろう」とマッケンローは語った。「彼はテニス史で最も素晴らしい、最も厳しいサーブを持っていた」と。我々が忘れがちなのは、この生体力学的に完璧な驚異について考える時、サンプラスのサーブがいかに彼のゲーム全体を組み立てていたかという事である。

まず、彼のボレーを大いに楽にした。彼が肩を斜めにしたあの独特な方法で身をかがめてネットへと踏み出す時には、ボールはコートのコーナーに向かって引き寄せられていくように見えた。3ストロークのラリーが、彼の14グランドスラム・タイトルの主たる相場だった。

2番目の効用は、サンプラスを危険なリターナーに変えるという事だった。もちろん、彼は針の穴を通すようなアンドレ・アガシのサービスリターン能力を持っている訳ではなかった。その必要もなかったのだ。ティム・ヘンマンも言ったように、「ある年のウィンブルドンで、彼は118回のサービスゲームで2回しかブレークされなかった。それはプレーする際の大いなる基盤となる。リターナーとして、リスクを冒す事ができるのだ。同じく、対戦相手はもし自分が1回サービスゲームを落とせば、そのセットは終わりだと気づいている。したがって、初めから途轍もないプレッシャーをかけている事になるのだ」

ふーむ、それはなかなかのパッケージである。それでは、フェデラーからはお返しとして何を期待できるのか? 我々が検討を始める前に、彼は殺されているのではないのか? まあ、恐らくそれはないだろう。フェデラーに関する重要なポイントは、彼の途方もない多才さなのだ。彼はバレエ・ダンサーのような足さばきと彫刻家のような手技で、彼が望むどんなスタイルででもプレーする事ができる。フェデラーは多彩な技量を持つテニス界のキツネ―――アイザイア・バーリンの有名な類推を用いれば―――である。一方サンプラス、アガシ、そしてラファエル・ナダルでさえ、ただ1つの巧みな芸を持つだけのハリネズミである。その芸は優れたものであるにせよ。
訳注:アイザイア・バーリン:1909〜1997年。ロシア帝政下のラトビア・リガ生まれ。ユダヤ系の政治哲学者にして思想史家。

フェデラーはサーブ&ボレー時代が終焉を迎える時期に、ウィンブルドン・キャリアを始める事となった。彼が2001年にサンプラスを破った時には、両者ともあらゆる機会にネットへと突き進んだ。にもかかわらず、フェデラーが2003年に初タイトルを獲得した時には、サーブ&ボレーは彼の唯一の戦術から、対戦相手を無防備にするために用いる、時折のチェンジアップ的なオプションとなっていた。

「この10年の前半に、コートでのプレー法には微妙な変化があった」と現在ヘンマンは語る。「芝生はきめが粗くなってボールに食いつくようになり、プレーヤーには時間的余裕が生まれた。したがって長いラリーが増え、ボールは浮き上がり、そして選手たちはよりきついスピンをかけるようになった」

その相違は数分の1秒にすぎなかったが、フェデラーに他の資質、しなやかな動きや完璧なグラウンドストロークといった要素で補足させるには充分だった。ベースラインからの戦術には、大いなる配当があった: 先週末にレイトン・ヒューイットがドイツで彼を倒したが、それは過去7年間にフェデラーが芝生で敗北を喫したわずか2回目の出来事だったのだ。

はい、もし唸りを上げるサーブを打ち続ける事が純粋なグラスコート・テニスだと考えるなら、サンプラスこそが純粋なグラスコート・プレーヤーであったかも知れない。しかし、真の問題は「誰がより上手く他の時代に順応しただろうか?」という事なのだ。

その答えは確実にフェデラーである。もし彼がサンプラスほどの高名なサーバーでないとすれば、それはゲームが変化したから、というのが理由の一部である。今でも一定の選手たちは、バックフェンスへとサーブを強打してはいる。しかし彼らは、かつてゴラン・イワニセビッチがしていたように、トロフィーを目指してエースを決めにいっているのではない。

我々はサーブ&ボレーヤーの失われた妙技を恋しがるとしても、それはゲームをより良くするためでなければならない。

この議論はまだ終わっていない。もう2つウィンブルドン・タイトルを獲得すれば、フェデラーは問題をきっぱりと解決するだろう。もう1つなら、彼のより優れた創造性と見る者を楽しませる価値によって、ぎりぎりの判定で彼が第一人者となる筈だ。しかし彼はそこに到達できるだろうか? パリでロビン・ソダーリングにショッキングな敗北を喫した後、チャンピオンとそれ以外の者を分ける決定的な半歩を、彼は失いつつあるのかも知れないとの囁きが聞こえてくる。

フェデラー・ファンの立場とすれば、そのような些末な事が問題となる時期は終わっている。たとえ彼が1回戦で負けようが、たとえ今後グランドスラム大会での優勝がなかろうが、我々の多くは彼をノーマン・「Bites Yer Legs(足にかじりつく)」ハンター以来の、芝生で最強の男として、なお崇拝するのだ。
訳注:ノーマン・ハンター:イングランドの元サッカー選手。1966年イングランド代表。1973〜1974年シーズンに、イングランド国内でプレーしている選手を対象としたPFA年間最優秀選手賞を受賞。タックルの強さから「Bites Yer Legs」のニックネームがある。

残念ながら、証拠物件は我々に不利である。フェデラーがもう1回トロフィーを掲げるまでは、ウィンブルドンの数字遊びでは、常にサンプラスが優位に立つだろう。


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