ブリーチャー・レポート(外野席からのレポート)
2009年12月13日
メカニックス - メカニックス: 能動型のサンプラスとの反応型のフェデラー
文:antiMatter

クアラルンプール、マレーシア。2007年11月22日:アジアで開催されたエキシビション・シリーズ中に、感謝祭の食事でくつろぐフェデラーとサンプラス。

マリアンヌと私は共同でサンプラスとフェデラーのゲームを分析し、その類似性と相違点にスポットライトを当てている。私は相違点を分析してきたが、類似性については彼女の記事をチェックしてほしい。どちらが「より優れているか」を立証する事が、この試みの目的ではない事に留意してほしい。

木の枝にぶら下がる目標―――例えばマンゴー―――に石を投げるには、2つの「方法」がある。

1つは、目標を直接、全力で狙う事である。石はほぼまっすぐに飛び、目標に当たる。もう1つは、ゆっくりとだが高い弾道で投げる方法である。石はマンゴーの前で最高点に達し、そして目標の上に落ちる。

前者の投法は力と精度を表し、後者は熟慮と想像力を表す。

これはイースタン・フォアハンドのグリップと、セミ・ウェスタンの相違とでも言えるだろう。前者はプレーヤーに、ボールの直径にまっすぐ当てる事を可能にする。水平方向の速度とスピンに比べて垂直方向の速度比率が小さいため、ボールはコート表面を滑るように進む。後者は手首による操作をより可能にする。ボールの持ち上げとスピンに対するコントロール性を高め、従ってストロークに多様性を加える。

さらに明確に言えば、前者のグリップを用いるプレーヤーは、ライン「に」狙いを定める。一方で後者を用いる者は、ライン「の方向に」狙いを定めるだけである。

ピート・サンプラスはイースタン・フォアハンドのグリッブを用いたが、フェデラーはセミ・ウェスタンを用いている。彼らの主要なストロークは、この事を裏付けるメカニックスの相違を明らかに示していた。サンプラスのフォアハンドはパワー、速度、精度で威圧した。精度については、そのグリップがネットを越える際のエラー・マージンを与えなかったという事実のため、少しばかり欠けていた。一方、 フェデラーのフォアハンドはその驚くべき多様性と可能性によって、対戦相手を困惑させる。

対戦相手は、彼らのバックハンドをムーンボールで攻めるという似通った戦術を用いるが、彼らの弱点のサイドにも相違があり、サンプラスは手首を打ち振るようなフェデラーのバックハンドを称賛している。

「ストロークごと」の比較は、ここで意図するものではなく、恐らく筆者をも困難に陥れるだろう。むしろ上記の例は、両者の基本的な身体的武器が何かを指摘する意味合いがある。従って、彼らの選択したプレースタイルにおいて、これらがどのように最適な手段となったかを評価する方が、より容易かも知れない。

サンプラスはコートがより速く、ボールの回転数がより少ない時代に成功を収めた。そのコンディションは、能動型のプレーヤーに恩恵をより与えた。良いプレースメントのボレー、あるいはフラットな軌跡を描くフォアハンドを放てば、ボールは返ってこなかったのだ。ゲームはラリーにおける特定のストロークを分化させ、これらのショットでポイントが決した。

サンプラスは自分のゲームを、この特質が際立つ1つの攻撃的な武器を中心に組み立てていった。彼にはパワーと精度があり、フラットなストロークでベースラインから攻撃して、相手から返球のいとまを奪う事ができた。さらに彼の運動能力は、自分が同様の状況になった場合、それに備える時間的ゆとりをもたらした。ネットでの支配力は世代の最高ではなかったものの、彼は優れた手練を持っていた。そして恐らく史上最高と言えるサービスを後押しとして、最も強靭な「ゲームキープ」の手腕を備えていた。

現在、コートはより遅く、そしてスピンにより反応する。この事は相手に準備の時間をより与え、追いかけやすいバウンドを生じるために、攻撃的戦術のいくらかを弱めている。攻撃的ゲームがリスクを冒す見返りの比率は、現在の方が以前より悪化し、経済上の意味をなさない。

現在のゲームは、ラリーにおける全ストロークの相乗効果で、ポイントのゆくえが決定する。それゆえに、フェデラーのゲームは破壊的なポイントよりも、ポイントの組み立てを中心においているのだ。幅広い多様性のあるストロークでラリーに対処し、多くの事ができるという効果は、ラリーが続くにつれて蓄積され、最終的にポイントを勝ち取る事につながる。

サンプラスのゲームは主導権を握ろうとするものだ。次にどこへボールが来るかを知るその瞬間に、サンプラスは自分が何をするつもりかを承知する。そこには第2の選択も疑問もない。これは彼の動き方からも明らかだ―――彼は多くの場合、寸分の狂いもない方向へと、全力で疾走する。

サンプラスはゲームを、何手先までも深く読む事はあまりなかった。それはまさに、ゲームを長く続けたいと望む気持ちも、あまり深くなかったからだ―――王手詰みへと手筈を整えた動きの後には、それに続く動きなどもくろまないものだ。したがって彼のゲームは、戦術を練る事よりも、実行する事に基盤が置かれていた。ピストルが「オン」の時、相手にできる事は何もなかったのだ。

一方フェデラーは、行動の結果によってその後の行動を修正する。彼はポイントを組み立てるだけでなく、試合進行の間に自分のプレースタイルも順応させる。彼は素晴らしい予測力を持っているが、それはあたかも、矢筒から適量の毒を塗った矢を選び、取り出すチャンスを楽しむかのようだ。

フェデラーはまた、全体的な戦術と申し分なく調和する方法で動く―――短く刻むステップは、いっそう滑らかに流れるような動きとなり、さらに、念頭においていた事を変更したくなった場合に備えて、途中でのスムースな調整を可能にする。ポイントを組み立てるに際して、 フェデラーは多様性をより最大限まで用いる。彼は個々のポイントで対戦相手を一方的に圧倒するような事はしないが、試合全体のスコアとしてはそうなっている。

動きについて言えば、前者は NBA プレーヤーのようで、後者はサッカープレーヤーのようだと述べずにはいられない。

両選手は、各々の世代における最高のオールコート・プレーヤーとして名を残すだろう。両者ともフォアハンド、ランニング、サーブに類似した強さを持ち、バックハンドに弱点を持っている。

しかし彼らの技巧の質は、より詳しく調べてみると異なっている。結局のところ、微妙な相違のすべてもまた、彼らの総合的な戦術とゲームスタイルにおける大きな相違を正しく認識する事につながる。その意味では、彼らのゲームは頑丈に建てられた大建造物で、構造の各部分は互いに支え合っているのだ。恐らく偉大な選手のゲームとは、そのような特徴があるのかも知れない―――徹底的にやられるには、リヒタースケール(地震の規模、マグニチュードを表す尺度)を超える規模の地震によって揺さぶられる必要があるのだろう。

(ピートはUSオープンでサフィンに遭遇し、フェデラーはフレンチ・オープンで ナダルに遭遇した)。


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