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スポーツ・イラストレイテッド 2002年9月16日 偉大なる 祭典 文:S. L. Price |
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セレナ・ウィリアムズは女子のフィールドを猛攻する一方、ピート・サンプラスは5回目の USオープン優勝を遂げ、彼が史上最も偉大な選手である事に疑いはなかった |
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長い間、彼は必要としていなかった。ファンのサポートも、家族が試合を見にくる事も、コート上での芝居じみた振る舞いも。 5年前の全盛期には、ピート・サンプラスは「それが、僕の言っている事だ!」と、セットを取った後に叫んだりしなかった。1枚の紙に愛情込めて走り書きされた言葉から、モチベーションを得たりはしなかった。 彼のテニスは、偉大さへのクールで孤独な行軍だった。時に身体が不可解な脆さで彼を裏切ると、才能が何度も彼を支えてきた。当時は、彼には髪の毛も気力もあった。その全てを失ったり、不面目な目に遭うなど、ありそうもなかった。 日曜日の午後7時38分、サンプラスはコートの向こう側に長年のライバルをちらっと認め、左腕を挙げて、涼しくなっていくニューヨークの夜空へとテニスボールを放り上げた。 |
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その年、最もありそうもなかったグランドスラム決勝戦の第4セット、5-4、30-0、誰も予想していなかった勝利まであと2ポイント、テニス界最高のリターナーへセカンドサーブを打とうとして、サンプラスは背後に風を感じた。彼の胃はむかつき始めた。頭は空回りしていた:もしミスしたら? もしボールが長く飛んだら? だが今回、過去2年間によくそうなったのとは異なり、彼はたじろがなかった。彼は何も抑えなかった。彼の右腕は振り下ろされ、ラケットのストリングスは快い音を発した。そしてボールは時速119マイルのスピードで、鮮やかにセンターへと飛んでいった。エースが通り過ぎていった時、アンドレ・アガシは動けなかった。そして長年のうちで初めて、再びサンプラスの心に言葉が現われた:僕はそれをするつもりだ。 突然、他の皆もそれを知った。アーサー・アッシュ・スタジアムを埋め尽くす23,157人の観客、そしてテレビで見守る何百万もの人間は、顎を落として身体を傾けた。何も意味をなさなかった。4月にエフゲニー・カフェルニコフは、多くの敗戦で偉功を汚していると、サンプラスに引退を呼びかけてはいなかったか? ほんの6日前、グレッグ・ルゼツキーはサンプラスに5セットで敗れた後、「ピート・サンプラス、13回のグランドスラム・チャンピオンを見慣れてきた。今は同じ選手ではないね」と言い放ったのではなかったか? 31歳のサンプラスが、どれほど引退に近づいているかを、もし彼らが知っていたならば。だが彼はここにいた。彼よりフィットしている、より高いランクの対戦相手に勝利して、14個目のグランドスラム・タイトルを手にUSオープンを終えようとしていた。今ひとたび、これまでテニスをしてきた者の中で最も偉大な男である事を、確証しようとしていた。 サンプラスは言う。「このタイトルは今までのどれよりも、多くを意味するかも知れない。才能、心意気、そして精神、自分が全てのパッケージを持っている事を誇りに思うよ。そして僕が心意気と精神とサポートを必要とした年があったとすれば、それは今年だ。自分が空っぽだと感じる時があった。それを乗り越え、カムバックして若い選手達を倒し、決勝でアガシを破る、それは終わりにふさわしい」 |
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サンプラスが6-3、6-4、5-7、6-4で勝利し、決勝戦が終わった後、テニス界の偉人トニー・トラバートはファンに「王者は死んでいません」と告げた。それは彼の女王の功績だろう。サンプラスは盛りを過ぎたという論議にずっと煩わされてきたのだ。 それは彼に大会優勝がないという事態が33大会続くにつれて、ますます騒がしくなっていった。だが、女優ブリジット・ウィルソンとの結婚が原因かも知れないという憶測ほど、彼を激怒させたものはなかった。結婚は、2000年にウインブルドンで最後の大会優勝を遂げてから2カ月半後の事だった。 正反対だった。敗戦が重なり、サンプラスがコーチを次々と替え、そして彼にとってテニスが喜びよりも重荷となるにつれて、 ブリジットは彼が進み続ける唯一の理由となったのだ。一度ならず、殊に今年のウインブルドンで無名のジョージ・バストルに対して喫した悪夢のような敗戦の後、サンプラスは辞める事を考えた。 |
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ブリジットはそれに耳を貸さなかった。彼女は彼に言い聞かせた。「皆が言っている戯言は信じないで。辞めるなら、あなた自身の考えで辞めて。私にそれを約束して」 サンプラスは約束した。「彼女がそう言ってくれた時、救われたような気分になった。僕はまるで、他の人間なんてくそくらえ、ただ信じるんだって感じだったよ」 立ち去る代わりに、彼はポール・アナコーンを再びコーチに迎え、容赦のない、激しく攻撃的なテニスに取り組み始めた。それは今年のオープンでの彼の快進撃を、たいそう爽快なものにした。 男子ツアーはブリジットに感謝状を送るべきだ。過密なスケジュールと、ツアーのかつてない層の厚さに疲れ、今年のオープンではケイレンや怪我のため、記録となった10人の男子選手が試合中に途中棄権した。一方、ツアーの次世代スター達―――ディフェンディング・チャンピオンのレイトン・ヒューイット、2位のマラト・サフィン、そして誇大宣伝ぎみのアメリカ人、アンディ・ロディックとジェームズ・ブレイク―――は、テニスシーズンで最も疲れる、そして最も公平なテストであるフラッシングメドウのハードコートの万力に屈服した。 オーストラリアン・オープン優勝者トーマス・ヨハンソン、フレンチ・オープン優勝者アルベルト・コスタといった、精彩を欠いたグランドスラム・チャンピオンが今年の特徴で、USオープン決勝戦の主役が第6シードと第17シードになるという見込みは、ATP のスタッフを意気消沈させたかも知れない。しかし、そのシード選手がアガシとサンプラスであるとは、誰も予想していなかった。 |
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「各シード選手がどこにいるか、ドローを見る気にもならなかったのは、この8年間のスラム大会で初めてだ」 先週の土曜日の夜、ATP トレーナーのダグ・スプリーンは言った。「馴染みのものを見せてくれよ」 32歳のアガシは今年4大会で優勝していたが、2001年のオーストラリアン・オープン優勝以降、スラム大会での決勝進出はなかった。そして、1年前のフラッシングメドウで4セットの名勝負に負けてから、サンプラスと大舞台での邂逅がなかった。 |
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だが突然、2人の男達にもう1回―――そして恐らく最後の―――グランドスラム決勝戦での対決がほの見えてきた。あまり有名でない選手達が消えていき、雨が誰もの神経を参らせる中、アガシとサンプラスは、最近の脆さをつゆほども見せずにドローを勝ち進み、お互いへと近づいていた。 偉大さは、それにふさわしいレベルを求めていた。土曜日の午後、男子準決勝の終了後にやっと、テニス界が有する、申し分のない嵐に最も近いものを引き起こす事を、運命が目論んできたのだと明確になった。男子で比肩しうる唯一のライバル関係は、ジョン・マッケンローとジミー・コナーズだが、彼らは34試合を戦ってきた。この決勝戦はアガシとサンプラスにとり、34回目の対戦となる。 「観客の声を聞いたかい?」 アガシが2番目の準決勝でトップシードのヒューイットを追い出した後、スプリーンは彼に尋ねた。 「明日まで待ってよ」とアガシは言った。 アガシはよりタフな試合を制して決勝に辿り着いた。季節外れの暑さの下、ヒューイットと3時間の死闘を繰り広げ、6-4、7-6、6-7、6-2で彼を葬り去ったのだ。サンプラスは格下のシェーン・シャルケンを7-6、7-6、6-2で始末した。しかしその前には、この夏最もホットな選手の1人、グレッグ・ルゼツキーを、第3シードのトミー・ハースを、そして20歳のロディックを切り抜けてこなければならなかった。「彼が始めからずっと言っていた事だよ」ストレートセットでサンプラスに粉砕された後、ロディックは言った。「僕はまだ終わっていない、と」 |
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またしてもロディックは、スラム大会で壁を越える事に失敗した。ホアン・イグナシオ・チェラとの4回戦における驚くべき1ポイントを別にすると、ニューヨークでロディックが最も耳目を集めたのは、10歳になる前、彼とセレナ・ウィリアムズがフロリダのリック・マッキ・テニスアカデミーにいた頃、ある対戦でウィリアムズが彼を負かしたというニュース・フラッシュが流れた時だった。 「彼に訊いてちょうだい」と先週ウィリアムズは言った。「間接的に、私は男子ツアーの多くの選手たちを負かした事になるわ」 |
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まあ、彼女には自慢する権利があった。歴史的なUSオープン決勝戦で姉のビーナスに敗れた1年後、セレナは断固として土曜夜の再戦に6-4、6-3で勝利し、3大会連続でスラムの決勝を―――すべてビーナスを倒して―――制した。そして女子のゲームをもう一段階上げる事を強要したのだ。ほんの1週間前には、次のような共通判断があった。2人のウィリアムズはこの世界を支配し、マルチナ・ナヴラチロワやシュテフィ・グラフでは考えられもしなかったレベルにまでゲームを引き上げた、と。 「セレナとビーナスは、2人ともより優れていると思うわ」準々決勝でビーナスに6-2、6-3で敗れた後、モニカ・セレシュは語った。「マルチナもシュテフィも、セレナやビーナスほどハードなサーブが打てたとは思わない」 しかし今、セレナは単独で君臨している。足首の捻挫のため、オーストラリアン・オープンは欠場を余儀なくされた。だがそれ以来、46試合で3敗しかしておらず、最高の勝率だった。彼女は身体にピッタリの黒いキャットスーツを身に纏い、マーベル・コミックでしか思いつかないような曲線と筋肉を誇示していた。ストーカーの逮捕にも、姉の感情にも惑わされる事なく、20歳のセレナは1セットも失わずにオープンを勝ち進んでいった。 |
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彼女のサーブはとても強烈で読みづらく、クイーンズ(フラッシングメドウのある地区)での正当な挑戦者の1人、リンゼイ・ダベンポートは、彼女をサンプラスになぞらえた。決勝では、セレナは容易に主導権を握り、かつて彼女にあらゆる事を教えてくれた選手を、力で圧倒した。 「小さな妹は、昨年の間に少しばかり良くなったようですね?」 完敗の後、トラバートはコート上でビーナスに尋ねた。ビーナスは言葉もなくそこに立ち、弱々しく笑った。 |
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2人の姉妹は感動的なウインブルドン決勝戦の再現に失敗した。それは、偉大な試合に要求される競い合いの激しさを、彼女たちは奮い起こせないのではないか、という懸念を甦らせた。だが、より問題なのは、22歳のビーナスがオープンで、抜け殻のようだったという事実である。彼女はオープンに先だって3大会に優勝し、もしオープンで優勝すれば1位の座を奪う筈だった。 しかし彼女はフラッシングメドウで、活気をほとんど見せなかった。彼女は疲労困憊を感じていると語った。「私は全てを無視しなければならなかった。―――皆が私を疲れさせ、あれこれ言うわ」「私はただ大騒ぎから逃れたかった。セレナは注目を浴びるのが好きだと思うけど」 彼女は、いつだって注目が好きだった。ビーナスが昨年のオープン決勝戦で彼女を決定的に負かした時から、セレナは違った選手になった。バックハンドでリスクを冒すのが減り、サーブのプレースメントが良くなり、ビーナスとの練習で再び勝つ方法を学んできた。「自分が3つ全て(のスラム・タイトル)を獲得できると思った訳ではないわ」 土曜日の夜、セレナは語った。「ただ『私は負けるのに飽きた。もう負けるつもりはないわ』と言ったの。人生は私の脇を通り過ぎていたのだもの」 |
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テニス界で、その切迫感をアガシとサンプラスほど知る者はいない。2人の男たち―――彼らがフラッシングメドウで初対戦したのは1990年で、19歳のサンプラスが20歳のアガシをストレートセットで叩きのめし、5つのオープン・タイトルのうち最初の1つを獲得した―――は常に、あらゆる点で正反対だった。 性格も、プレースタイルも、名声へのアプローチも。彼らは友人ではなかったが、時が彼らをライバルであると同時に、盟友にしていった。 |
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彼らは共に、歴史上で最も素晴らしいテニスマッチを演じてきた。永遠に大衆の心の中で対にされ、互いに髪が薄くなり、恋に落ち、失恋し、大きな勝利を収め、大いに負けるのを見てきた。90年から全てが変わってきた。アガシの妻、シュテフィ・グラフは彼の試合を見守り、生後10カ月になる彼らの息子の世話をしている。ブリジット・ウィルソン・サンプラスは子供を身ごもっている。日曜日の午後、2人の男たちがロッカールームで顔を合わせた時、駆け引きは何もなく、ただにっこり笑い、「どうだい?」と素早く言葉を交わしてすれ違った。 ピートのバッグの中には、ブリジットからのメモが入っていた。「あなたをとても誇りに思うわ」と彼女は書いていた。「コートに出て、今日という日を、自分自身を楽しんで。最初のポイントから彼を攻撃して。あなたが今までしてきた事をし続けて………。強いあなたでいて。あなたの領域を見つけて。ここはあなたの家よ」 サンプラスは手紙の指示に従った。最初の2セット半、彼はまさに偉大な選手だけが出来るプレーをした。サーブを炸裂させ、ネットへ攻め、ベースラインからさえアガシに打ち勝った。だが第3セットでは、疲労と変化し続ける風が、彼を弱らせていった。そしてアガシは、観客が叫ぶ激励を受けて、ボールを強打し始めた。彼は第12ゲームでサンプラスをブレークし、そのセットを取った。第4セットでは、サンプラスは熾烈な7回のデュースをかろうじて耐え、サービスゲームをキープして2-2のタイにした。 |
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そして4-4では、彼は完全に立ち直ったようだった。不意にオールコートのストロークの嵐を放ち、アガシをブレークしたのだ。今や突如として、彼はサービング・フォー・マッチを迎えていた。 今、彼はセカンドサーブのエースを打ち、40 - 0とした。アガシはマッチポイントを1本逃れた。だが40 - 15で、サンプラスはもはや殆ど誰もしないようなサーブ&ボレーを披露し、バックハンド・ボレーをカットして、彼のキャリアで最も驚くべき快進撃を終えた。 「なんだか不可解な感じだった」 後に彼は言った。「終わりは全てがとても速く起こったんだ」 |
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年齢を重ねるにつれ、そして夏が終わりに近づくと、時はそのように進むのだ。サンプラスは両腕を突き上げ、それから、信じられないといった風に手を頭上に当てた。彼はネットへ向かい、アガシを抱きしめた。そしてテニスコート上では初めて、サンプラスは彼に「君は僕が対戦した最高の相手だよ」と言った。それからサンプラスはラケットを脇に放り、彼の妻が立つ所まで階段を登っていった。彼女を捉えて抱きしめ、そして囁いた。「愛しているよ。ありがとう。君が僕を支えてくれたんだ」 サンプラスは自分が再びオープンへ戻ってくるかどうか、分からないでいる。スタンドから投げかけられる喝采に、彼はにっこり笑った。アガシは無表情な顔で立っていた。他の世界ではまだ若いが、この世界では年を取った2人の男たちは、10年を経て共に立って(持ちこたえて)いた。誰もが望むよりも早く、彼らは去るだろう。 |
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