USA トゥデイ
2006年8月29日
アガシの成熟は永続的なイメージである
文:Ian O'Connor


ニューヨーク―――アンドレ・アガシは愚かなガキ、10代の不良としてUSオープンに参加し、そして大人の男として去る。この転換は、ピート・サンプラスが最も称賛するところである。彼がライバルと見なす男の、遅きに失する前に成長を遂げた能力。

アガシは非常に多くのメジャー大会を、最良の時を、浪費した。そしてサンプラスには、それを気にも留めなかった時期があった。彼は驚くべき率でグランドスラム・タイトルを積み上げていたのだ。そして(ジャック)ニクラウスには(アーノルド)パーマーを、(モハメド)アリには(ジョー)フレーザーを必要とする、という事を気に掛けていなかった。

「僕は結局、ただトロフィーを掲げる事を望んでいたんだ」
月曜日、アガシが最後のオープンの2回戦へ達するため、アンドレイ・パベルという名前の何者からの、恐るべき深夜の挑戦をしのぐ前に、サンプラスは電話で語った。

成長し、より賢明になるにつれて、サンプラスはトロフィー以上のものを必要とするようになった。彼はタイガー・ウッズが今後1〜2年で必要となるものを必要とした。痺れるような勝利の快感が、彼をほとほと退屈させ始めた時に。

サンプラスは、彼の偉大さの限界を引き延ばせる対戦相手を必要とした。彼は絶好調のアンドレ・アガシを必要とした。

「僕は素晴らしいライバル関係が欲しかった。それに直面したくなかったが、同時に、応じたくもあった。アンドレは僕のゲームを限界まで追い込み、スーパーボールのようなライバル関係を築ける1人の選手だった。彼は僕の偉功をより高みへと引き上げてくれる人間だった」

サンプラスの偉功を高める事で、アガシは自分自身の偉功を高めた。自ら捨てたセットとチーズバーガーの食事、チャレンジャー大会出場まで身を落とした順位の急落などで汚した前歴から脱却し、アガシは信頼できる政治的人間、責任を果たしうるチャンピオン、貧しい子供たちのために学校を建てる気前の良い慈善家へと成熟した。

「アンドレが自分のキャリアを変えた事には、敬意を感じている」とサンプラスは語った。「アンドレは人を楽しませるためにコートへ向かっていた時期があった。そして今、彼がコートへ向かう時、心にあるのはただ1つ、勝つ事だ」

「アンドレは自家用の(ボーイング?)727を持つ男から、一般の飛行機に乗る人間になった。彼は我々の目の前で成熟していった。そしてシュテフィ(グラフ)との関係、彼女がどれほどひたむきに集中していたかという事が、彼に大きな影響を与えたのだと思う」

グラフはアガシに、青年期にウインブルドンでのプレーを3年間拒否したのは、ひどい思いつきであったと悟らせたのだろうか? 映画を見るためにアーサー・アッシュ・スタジアムの開所式典をすっぽかす事は、無作法だと忠告したのだろうか? 「イメージが全て」というマントラは、彼の死亡記事の中で、ちらとでも触れてほしいものではないと言い聞かせたのだろうか?

彼がバーブラ・ストライザンドの世界で禅マスターとして仕えていた間に、人生最大とも言える3つのミスを犯す以前には、グラフはアガシと結婚しなかった。彼は教師のニック・ボロテリーに解雇された。彼はイワン・レンドルに「ヘアスタイルとフォアハンド」と描写された。

その通り、だがアガシには、あのデニムショーツとロックスターの髪型以外にも、何かがあった。95年のオープン決勝戦でサンプラスと対戦するまでに、彼はすでに一度、あるいは二度、再生していた。そして今回、アガシは揺るぎない力を持っているように見えた。彼はディフェンディング・チャンピオンであり、世界1位であり、ハードコートで26連勝中だった。

そしてアガシとサンプラスは、彼らを永遠に分かつポイントをプレーした。第1セットのセットポイント、サンプラスがリターナーの時、2人は20数回のラリーを交わした。互いをクウィーンズ(USオープン会場がある地区)じゅうに追い立てんとばかりに、ベースラインからクロスのバックハンド、フォアハンドを打ち合い、ファンを熱狂させた。ついにサンプラスが勝利のバックハンドを放った時、彼はまるで年間グランドスラムを制したかのように、空に向かって腕を突き上げた。

「アンドレはあのポイント、あるいはあのオープン敗北から、本当の意味では立ち直らなかった。あのポイントの後、僕はある方向へ向かい、彼は別の方向へ向かった」

サンプラスは1位になり、アガシは141位にまで転落し、苦労して這い上がってきた。2001年の準々決勝では、彼らは雄壮な4つのタイブレークを披露した。48ゲームの間、どちらもサービスブレークを許さず、結局アガシが敗れた。

翌年、サンプラスはアガシを再びオープン決勝で破り、自身のキャリアの終止符となる勝利を収めた。「アンドレは僕のベストを引き出してくれた」

第3セット0 - 4の失態を逃れ、4セットでパベルを倒す遙か前に、アガシは自分自身のベストを引き出していた。ボロテリーからブラッド・ギルバートへ、ストライザンドからブルック・シールズへ、アガシは完全に進化した成人として、プロの、そして個人的な関係を切り抜けてきた。

今、彼は36歳で、背中を痛めた父親であり、贅沢な子供時代のおもちゃの大半を手放し、ミニバンを運転している。「今やアンドレは、8つのメジャー大会で優勝し、チャンピオンへと成長した様を記憶される。それ以外の事よりも」とサンプラスは語った。

つまり、アガシは最後のオープンの初戦を勝つ前に、すでに勝利を収めていたのだ。彼の最も永続的な勝利は、実体がイメージを、本質がスタイルを凌駕した事であった。


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