USTA マガジン
1992年12月号
少年 vs. 少女
文:Cindy Starr


特定の要因が、性別によるテニスのプレー方法を決定づけるのか?

それをコート上の性差と呼ぼう。

概して少年は成長とともに、少女より大きく、強く、そして速くなるという明白な事実を別にしても、コーチおよび発育に関する専門家は、他の要因もまた、少女と少年がテニスをする方法に相違を生み出すと認める。

専門家は言う。情緒的な感受性と身体的な発育速度における生まれつきの相違は、厳然として存在すると。同様に、それらの相違は社会によっても作り出される。一般的に少女よりも少年に多くを期待し、運動をする機会もより多く提供する。さらに遺伝学・文化・教育が結びついて性差を引き起こす。その差は狭まっているが、やはりダブルス・アレー程度の幅はある。

従って、多くの少女は優れたサーブを身につけていくが、少女のサーブ上達を手伝う事は、「抜歯のようだ」とよく感じる、と USTA(アメリカ・テニス協会)コーチのロドニー・ハーモンは言う。

さらに、少年と同じくらい根性のある少女もいるが、シンシナティを本拠とするコーチ、ジョン・クックは、女子学生に注意する時には、めったに声を荒げないと言う。

なぜ少女は概して少年よりも、サーブに苦労するのだろうか? 少女は少年ほどオーバーハンドで投げる動作を伴うスポーツをしないからだ、と考える者もいる。もちろん、シュテフィ・グラフのように、ピート・サンプラスにも匹敵するフォームを身につける女性もいる。

また、世界最高のボレーヤーは女性にもいたが、国内ランキングを持つ3人の子供の父親、ヴィンス・スペイディアは、攻撃的にネットへ仕掛けるのは男の子だと気づいている。彼の息子(プロのヴィンス・スペイディアか?)と2人の娘は、全員「同じゲームをしている」とスペイディアは言う。「だが、微妙に違う」

コーチ・教師・親がどう性差に取り組むかは、子供の成功にとって極めて重要である。期待と固定観念は、自己変革を生み出さないかも知れない。他方、もし微妙な性の相違が認められなければ、選手は興味をなくしたり、あるいは自尊心を傷つけられて、コーチから離れていく危険性もある。

たとえば、少女の感情に鈍感なコーチの下では、大いに成功する少女は生まれないだろう。

「少女は少年よりも複雑で繊細な傾向がある、と理解する事が重要である」と、フロリダ州レーヤー/グロッペル(エチェベリー)サドルブルック・スポーツ科学の教育学博士・スポーツ心理学者ジム・レーヤーは語る。

「彼女たちは物事をより深く感じ取る。生化学的な構造ゆえに、女性は生来的に情緒や感情に同調しやすく、周りの世界に敏感である」

「少年を指導してきたコーチの多くは、少女にも同じ粗野なやり方を用いる。彼らは少女を男と同様に扱い、そして期待する反応が返ってこない事になる」

全米大学体育協会の傑出した選手アンドレア・ファーリーを指導し、現在はツアープロのエイミー・フレージャーをコーチするクックは同意する。彼が教えた少女たちは厳しい口調を気にしなかったが、女子生徒の大半はそれを嫌っていると承知している。

「一緒にやっている1人の少女へ、もし私が声を荒げて話せば、彼女はすぐにやる気を失う」と彼は言う。「彼女は何も返事をしなくなる。同じ口調で少年に話す事はできるだろう。蛙のつらに水のようなものだ」

高い感受性という問題は、特定のコーチは少女や女性のコーチングに素晴らしい成功を収めてきた事の、1つの理由となるかも知れない。娘のクリスジェニファー・カプリアティを育て上げたジミー・エバート、フェデレーション・カップ監督のマーティー・リエッセン等が思い浮かぶ。

同じく、少女と少年は概して、競技へ異なった取り組み方をする。少年は成長の途上でチームスポーツを経験するが、そこでは勝つ事と負ける事が日々の現実の一部である。一方、少女が競い合う機会はいまだ少ない。その結果、「彼女たちは競技をより感情的に受け止める」と、国内代表チーム監督リン・ローレイは言う。

性の相違は早期から明らかになる。フロリダ大学の運動とスポーツ科学の教授で、 USTA スポーツ科学委員会のメンバーでもあるボブ・シンガー博士によれば、教室で女児はじっと座って集中する事に長けていると研究は示唆している。

「男児はもっと落ち着かない。一般に、女児の方がじっとして集中する能力がある。それは女児がより良い成績を得る説明となるかも知れない」

テニスコートでは、集中力の持続における相違とは、少年は飽きっぽく、退屈なドリル練習をあまり楽しまない傾向がある事を意味する。少年が興味を持続するには、より多くの刺激が必要だとハーモンは考えている。そして彼は少女に対してよりも、頻繁にドリル練習の種類を変える。

一方、長く集中できる少女の能力は、見事に―――人によっては見事すぎると言うかも知れないが―――ベースラインへと転移する。多くの女性は、そこでテニス人生の大半を過ごす。ベースラインプレーの単調さは、彼女たちを煩わせない。そしてコーチは、変更を強いるのに乗り気でないか、あるいは好まないかも知れない。

「少女に充分なネットプレー練習をさせないのは、指導者の誤りだ」とブッチ・シーワゴンは言う。彼はニューヨークを本拠とするチルドレンズ・アスレティック・トレーニング・スクール(子供のための運動競技訓練学校)で、幼い子供に指導をしている。

「私はそういった先入観を持たない。ネットとバックコート両方に同じ時間をかける。プレーヤーに偏ってほしくないのだ」

実際、コーチが女児にも男児と同様の時間をネットプレーにかけない理由はない。ジェリー・トーマス博士はアリゾナ州立大学大学院の副学部長であり、性の相違の研究者だが、彼によれば、思春期前の少女と少年は、身体的にも運動能力の点でも非常に似通っているという。

1985年出版の心理学学会会報において、トーマスと、サウス・カロライナ大学で筋肉運動発達学を専門とするカレン・フレンチ博士は、4〜5歳の少年少女によって行われた20の異なる筋肉運動協調動作の研究結果を報告した。19の動作には、走る・ボールを受ける・蹴る動作が含まれていたが、相違はわずかだった。トーマスは語った。「平均すると、少年はより速く走る。だが少年より速く走る少女もたくさんいる」

しかしオーバーハンドで投げる動作については、両性の間に注目すべき差が生じた。この技能における男児と女児の差異は、他のいかなる技能における最大の差異と比べても3倍あった。このような調査結果は、テニスコーチの参考になるかも知れない。投げる動作はサーブの従兄弟とも言えるからである。ハーモンが指摘するように、「最大の問題は、少女の大半はボールの正しい投げ方を知らないという事である」

もちろん、シュテフィ・グラフマルチナ・ナヴラチロワの絵に描いたような申し分ないサーブが証明するように、女性はサーブを習得できる。そしてハーモンは、7歳の娘チェルシーは見事にボールを投げられると報告している。

トーマスらは次のように考えている。サーブの困難さは存在するが、それは少女が少年ほどオーバーハンドで投げる動作を伴うスポーツをしない、という事実から主として生じている。野球とフットボールは、今でももっぱら男性の専門分野である。

ところで、小さな事ではあるが、警告がある。4〜5歳の子供たちに行った20の筋肉運動技能に関する研究で、トーマスとフレンチは4つの身体的相違に注目した。それは少年と少女の投げる能力に影響を与えうるものだった。少年はわずかばかり脂肪が少なく、腕が長く、肩と腰の比率が大きく、膝と肘の関節径が大きかったのだ。

別の研究は、少年は少女よりも左脚が発達している傾向があり、すなわち右利きの少年が投げる能力を増大させうる特徴がある、と提示している。

進化の必然性が、上手く(槍を)投げて狩りを成功させうるよう、選別的な偏向を男性にもたらした可能性をトーマスは挙げる。

しかし―――大いなる「しかし」だが―――トーマス博士は、研究で気付く類の微妙な身体的相違は、オーバーハンドで投げる事の些細な差異を説明しているに過ぎない、と断言する。

「それが主な要因だとは全く思わない」と彼は言う。「副次的な役割は果たしているかも知れない。少年と少女が異なっている理由は、我々が彼らをそのように作り上げてきたという事である。そうでないようにも作り上げられるのだ」

少女に投げる練習をさせるのに、裏庭で母親か父親とキャッチボールをする事は適切な第一歩である。リック・ マッキコーチの指導の下、フォームラバー製のフットボールを投げる事で、カプリアティはサービスモーションに取り組んだ。このように早期からなされる訓練は、ローリー現象―――劣ったサービスモーションを持つ優秀な女性プレーヤー―――をなくすのに役立つであろう。早くから少女に働きかける事がカギとなる。なぜならサービスモーションは、ひとたび身に付いてしまうと変える事が非常に難しいからである。

少女には10歳、少年には11〜12歳で訪れる思春期直前の急成長に伴い、少年少女間の身体・動作の類似性は消える。そして性差は広がっていく。少年には力強さ・敏捷性・身体の大きさが加わり、サーブとボレーがずっと容易になる。

しかしながら、成長速度においては、少年は少女に及ばない。14歳のエリート少女テニスプレーヤーはプロにごく近い状態かも知れないが、14歳のエリート少年はいまだ数年を要する。

スペイディアの3人の子供は、国内ジュニア選手権で上位に進出したが(ヴィンス・ジュニアは昨年の夏、少年18歳の部でブライアン・ダンに敗れ、準優勝者となった)、少年のゆっくりとした発達は利点であると彼は考えている。

「誰も少年に14歳でプロになる事を期待しない」と彼は言う。「彼らはコートでちょっと荒削りでも差し支えない。もう少し時間的余裕がある」

早期に成功するようプレッシャーを受け、少女は人生において早くも試練の時を迎えるようになる。アメリカ大学女性協会による最近の研究では、少女は少年よりもずっと、高校に入学すると自負心を失いがちになる事が明らかになった。研究では、少年のほぼ50パーセントが高校で自分に満足している一方、同様の満足感を表明した少女は29パーセントに過ぎなかった。

レーヤーは言う。少女の場合、月経の周期および付随するホルモン分泌が気分の変動に影響し、活気と絶望感の背景に余計な一撃を浴びせる事もありうる、と。

結局、性の相違は絶えず提起されるが、少年少女への指導は、つまるところ人間を教育する術であると皆が認める。


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