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グローブ&メール(カナダ) 1996年9月10日 サンプラスは貧血症かもしれないとテニス界は憶測する 文:Tom Tebbutt |
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日曜日のUSオープン決勝でマイケル・チャンに6-1、6-4、7-6(7-3)と圧倒したピート・サンプラスは、支配的に見えたかもしれない。しかし今や4度のチャンピオンにとり、災厄ともなり得た展開のサイドストーリーがあった。 世界ナンバー1選手はある形質の貧血症を抱えており、先週木曜日の準々決勝アレックス・コレチャ戦で見られた身体の衰弱は、それで説明がつくという見解がテニス界にある。 もしチャンが第3セット6-5のセットポイントを取り、試合を長引かせる事ができていたなら、コレチャ戦でサンプラスが極度の疲労に陥り、試合の最終盤でコート上に吐いたのと同様の事態を引き起こせたかもしれない。 実際はバックハンドの強打がコードボールとなり、サンプラスにパッシングショットを叩き込むため構える余裕を与えてしまい、彼はボレーをミスしたのだが。 |
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「僕は胃の具合が悪くて、胃ケイレンを起こしていた」 土曜日、サンプラスは CBS テレビのテープで、マッチポイントを逃れた後に勝利するという、身を捩るような第5セット・タイブレークを見直しながら語った。 「充分な水分を摂っていなかったのと、緊張と気象条件のせいだと思う」と、サンプラスは説明して言った。「暑さにやられたようだ」 「1992年USオープンのジム・クーリエ戦でも、胃の具合が悪くなったんだ」と、彼は付け加えた。その時は、サンプラスはかろうじて準決勝で勝利を収め、その後でコレチャ戦の時のように点滴を受けなければならなかった。わずか*20時間後の決勝戦では、第1セットを取った後にサンプラスはひどく衰えていき、4セットでステファン・エドバーグに敗れた。 訳注:準決勝終了が夜遅くで、決勝開始が翌日の午後だったので、10数時間の間違いではないかと思われる。 |
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その1992年準決勝は、暑くてむしむしする天候の時に、サンプラスが長く厳しい試合で著しく疲れ切っているように見えた、多くの例の1つにすぎない。 1994年、彼はUSオープン4回戦でハイメ・イサガに敗れたが、その時もコレチャ戦と同じくらい具合が悪く、蹌踉とした様子だった。 |
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昨年、いくつかの事件があった。3月のリプトン(マイアミ)決勝アンドレ・アガシ戦では、彼が「限界にきた」ように見えた時、第2セットで連続19ポイントを失った(自分のサービスゲームを2回、ラブゲームで失ったのを含む)。モントリオールでは、ジョナサン・スタークに対して完全に「意識朦朧とした」様子だったが、どうにかもち直して3セットで勝利した。 シンシナティでは、ミハエル・シュティッヒに第2セット・タイブレークを失った後、彼は第3セットでひどく元気がなくなって6-7、7-6、6-1で敗れ、頑張りが足りないと観客からブーイングを浴びせられた。 |
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年末にモスクワの屋内クレーで行われたデビスカップ決勝戦では、アンドレイ・チェスノコフに勝利した直後、ケイレンのため引きずられてコートを去らなければならなかった。 しかし、またしても奇跡的なことに、彼はカムバックして翌日はダブルスで勝ち、その翌日にはエフゲニー・カフェルニコフを倒してアメリカの勝利を確定した。 今年のフレンチ・オープンでは、5セットまでもつれて消耗戦となった準々決勝クーリエ戦の後、2日の休みがあった。 だが準決勝のカフェルニコフ戦で第1セットを失うと、サンプラスは疲れ切り、コートを動き回るのがやっとのエネルギーしか残っていなかった。 彼は7-6、6-0、6-2で敗れた。 |
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それらの例などを考えると、サンプラスの身体的問題が偶然あるいは1回限りのハプニングであるとは、言えそうもない。25歳のアメリカ人は、体質(生命にはかかわらないが)ゆえに練習セッションを短縮しなければならない事もあり、それは練習をし過ぎると、長引いた試合では同じような事態が起こりかねないからだと思われている。 「軽い貧血症なら、それほど影響がないかもしれない」と、トロントの血液学学者 ウィリアム Francombe 博士は語った。「マリリン・ベルという女性は1954年にオンタリオ湖を泳いで渡ったが、彼女は軽い貧血症だった。だが検査をしてみないことには、ハッキリした事は言えない」 「彼がある程度の貧血症でも、体調がとても良くて、それに対処できるという可能性もある。それでもあるポイントを越えると、彼は極度の疲労に陥る」 |
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サンプラスが土曜日にゴラン・イワニセビッチ、続く日曜日にはチャンに勝利した事は、彼がコレチャ戦で体験した苦難を考えると、注目に値した。しかしながら、午後遅くの涼しい気温、そして両試合とも対戦相手が前半で不出来だったおかげで、彼は素早く勝てるという自信を得る事ができたのだ。 同時に、彼は素晴らしいプレーをした。ロケットのようなサーブを放ち、フォアハンドを叩き込んでラリーを素早く終わらせ、エネルギーの節約を可能にした。 サンプラスの恋人デレイナ・マルケイは、CBS 解説者マリー・カリロに語った。サンプラスは今でもティム・ガリクソンの死を悼んでいるが、前コーチが5月に亡くなって以降初めてのグランドスラム・タイトルを勝ち取った後は、「終結したという意識」を感じてほしいと。 ガリクソンの魂は、初夏のローラン・ギャロスあるいはウインブルドンでは、サンプラスに難局を切り抜けさせる事ができなかった。しかし確かに、きわめて危険なUSオープンを生き残る助けとなる事には成功したのだ。 |
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<関連記事> タンパ・トリビューン 1996年9月13日 サンプラスは貧血症の憶測についてコメントを拒否する グローブ&メール(カナダ) 1996年9月24日 サンプラスは遺伝性の貧血症と戦う |
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この年のUSオープン終了後、にわかに(と見えた)浮上したピートの貧血症疑惑。「サラセミア=地中海性貧血症」なんて初めて目にする単語で、当時はどうやって調べたらよいのかも分からず、書店まで医学事典を立ち読み(笑)しに行ったりしたものでした。結局よく分からずじまいでしたが、地中海地方やアフリカの人に多く、日本人には非常に稀なようです。 私は1993年ウインブルドン準々決勝を見ながら「彼は体力ないからな〜」なんて呟いていたので、当時から既にシッカリ「見切って」いたらしい。これも愛のなせるわざか。←バカ でも、この暴露記事?を読んでいろんな事が腑に落ちたので、トム・テビュー氏グッジョブ!と言うべきかな。 ここにご紹介した記事の他、後日なぜかマレーシアだかの記事で、ピートのお姉さんがこの件について認める内容の発言をしたのを読んだ記憶があるのですが、保存したつもりのその記事が見つからない。お姉さんも同様の貧血症を抱えているそうです。 いずれにせよ、1997年全豪オープンでは実況の岩佐氏も触れていたし、「ピート=貧血症持ち」というのは定説になっていきました。ピート自身が認めたのは、「アメリカ版TENNIS」2000年9月号に掲載されたインタビュー記事の中でした。 |
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