 |
◆4つ目の寄港地、スリランカのコロンボ港に到着。一日目は名古屋ボラ仲間のゆ〇ーのと自由行動。しかし昼過ぎまでUPAの物資積み下ろしなどをしたので(詳しくはUPAのコーナーで)、港から出たのは他の人たちより随分後になった。 |
|
|
 |
◆港からコロンボ市内へは歩いて行けると聞いていたので、そうすることに。そして歩いていると波が素敵な海岸が。しかし、写真を撮っていたら、「ここは撮影禁止だ」と銃を持った兵士に注意された。どうやらここは大統領官邸の裏だったらしい(笑)しかもこの道、遠回りだった。ゲート近くの兵士に道聞いたのに。 |
|
|
 |
◆歩いていると、しつこいくらいに三輪タクシーのおっちゃんが声をかけてくる。しかし私たちは歩くことに。ええ。ひたすら。特に店に入るわけでもなく、ブラブラと。まともに入ったのは、お昼を食べたちっちゃい食堂とスーパーくらい。食堂は観光客なんざまず来ないだろうって感じの店で、地元客と同じように手でカレーを食べた。ちっちゃい器に入った何種類ものカレーとご飯 |
とチャパティ。それにフレッシュなオレンジジュース。これで250Rsくらいだっただろうか。めちゃくちゃ美味しかった。辛いのは辛いが、後をひく辛さ。それに甘いのもある。味にすごい深みがあるし、モルジブフィッシュ(かつおの天日干し)でも入ってるのかな。
◆そういえばこの店、ゆ〇ーのが「ティーがほしい」と注文し、店員も「ティーだね」とちゃんとTeaティーと確認をとってくれたのにもかかわらず、出てきたのはあま〜いホットミルクだった(笑)スリランカではこれがティーなんかな?(違うやろ)
◆カレーでお腹を満たし、再び何をするわけでもなく歩く。暑い!!暑すぎる。市場を歩いたり(魚市場は臭すぎて入り口で退散)、土産を買ったりしたものの、暑くすぎるのでヒルトンホテルで涼むことに(笑)ゴージャスなソファーでアイスティーを飲んで疲れを癒す。ここで「ここのヒルトンってさ〜、一泊いくらかな?」「カードあるけどな〜。」「明日のツアーに間に合えばええよな〜。」、とどちらかがあと一押しすれば、一泊しそうな勢いだった。あぶな〜【´Д`;】
◆本当に会話が危なかった(笑)ので、スーパーを探しがてら船に帰ることに。そして一軒のスーパーで買い物。紅茶や香辛料、お菓子など色々購入。しかし、レジでやられました。ゆ〇ーのが過剰請求されそうになった。しかし、しっかりものの彼女は、ちゃんとクレームをつける。泣き寝入りする弱い日本人ばかりとちゃうねん!しかし店員は悪びれる様子もなく、さらに釣りを誤魔化すっちゅー最悪なヤツだった。そしてそこの店長らしき人物もヒジョーに感じが悪かった。「燃やすぞ!」って一瞬思ったけど、でも「何があの店の人たちにああいう行為に走らせるんだろう・・・」って考えさせられた。 |
|
 |
◆二日目。「Sri Yasodara Devi Young Girls' Home」という、女の子だけの孤児院を訪問。ここにも支援物資を届ける。((詳しくはUPAコーナーで。)写真はその孤児院の前。ゴミだらけ。そして隣は空軍基地だとか。こうやって生活しているスグ傍で、犬やヤギ(か?)がゴミを漁っているなんて・・・あまりの光景にショック・・・ |
|
|
 |
◆外で相当なショックを受けた私だったが、中に入るとたくさんの可愛い子どもたちと、孤児院のスタッフ(尼さん)が暖かく出迎えてくれた。写真はジンジャーティーとあちらでは高級品である黒砂糖のお菓子。代表のロクマニヨさんの挨拶をききながら、これらを頂く。凄く気持ちの安らぐ優しい味だった。 |
|
|
 |
◆お茶を頂いた後、子どもたちがいろんな出し物で私たちを歓迎してくれた。年齢別かな、歌や踊りや劇など。中には自分が何をすべきか分かってない子もいて、それがまた可愛い(笑) |
|
|
 |
◆ここではベトナムの時とは違い、私たちも料理をすることになっていた。子どもたちと少し遊んだり、こちらからも出し物(南中ソーランなど)をした後、日本のカレーとあちらのカレーで交流。孤児院を案内してもらったり、キッチンでカレーの準備を(日本の)手伝ったり。写真はスリランカのカレーを美味しそうにパクつくN〇nちゃん。辛いけど美味しかった。あんなに複雑な香のハーモニーを奏でるカレーを食べているスリランカの人には、日本のカレーは物足りないような気がする。子どもたちの反応がよくわからなかったが、あれがカレーだと思ってくれたのかな。私が彼女たちだったら・・・思わないと思う(爆)気持ちが伝われば良し!(無理やり) |
|
|
 |
◆子どもとの交流の様子。折り紙中心で遊んだが、この子は私の膝に座ってじっとしていた。なかなか写真のように、笑顔が見えず、緊張していたのかな。でも私の手をぎゅっと握ってくれたり、膝からなかなか下りなかった。そしてふと周りを見渡すと、同じような光景が。子どもたちがぴたっと寄り添ったり、手を繋いだり。この子たちは親と離れたり、また親を亡くしたりしている。尼さんたちだってなかなかいつも一人ひとり抱きしめてあげられないと思う。もしも、私たちが抱きしめて、遊んで、ってしたことが彼女たちにとって「暖かさ」「幸せ」となったのなら、支援物資を渡すことのようにそれも「支援」と呼べるのではないだろうか。 |
|
|
 |
◆今回のツアーは、相手を訪問するだけでなく、孤児院側をTOPAZ号に招待するという企画も用意してあった。もちろん子どもたち全員は無理なので、二台のバスに分かれて一部の子と尼さんたちだけを招待し、船の中を案内した。私はカマーリという少女とペアを組んだ。そしてゆ〇ーのも一人別の子と組、私たちは屋上デッキへ足を運んだ。 |
|
|
 |
◆この二人。背の高いほうがカマーリ。もう一人がブッディーカ。カマーリは結構英語ができるようだ。恥ずかしいのかあまり話さないが、こちらの言っていることは理解していた。前方デッキからの美しい眺めを、ちょっとコワゴワ(高いから)見ていた。でも「ほら、この綺麗な景色。これがカマーリの国だよ。とっても綺麗な国なんだよ。」と言うと、はにかみながら首をユラユラと左右に揺らす。これがスリランカでは「Yes」の意味。じっと私の顔や遠くを見つめながら、彼女は何を考えていたんだろう。 |
|
|
 |
◆楽しい船内見学をするも、時間はどんどん過ぎていった。少女たちは下船し、お別れとなった。ツアー参加者は、ダダダーっとデッキまで掛け戻り、みんな自分のパートナーだった子たちに手を振る。叫ぶ。 |
「さよなら〜!」と。私は「さよなら」ではなく、「また会おうな〜!会いに行くでなぁ〜!」と叫んだ。いつか、本当にいつか、再びガールズホームを訪ねたい。 |
|
◆今回は自由行動でもツアーでもすごくショッキングなことが沢山だった。中でもある一人の物乞いが今でも忘れられない。ツアーバスで孤児院に向かっている時だった。バスは信号で止まり、ふと窓の外を見たら、一人の女性がフラフラとちょうど私の窓の下へやってきた。そして両手をかかげ、物を乞う。彼女と目があった。あの目。力ない目。すごく悲しそうな目。生きるのに必死な目。涙が溢れそうになった。泣きたかった。彼女に何もできない自分に腹がたった。そして「もしかしたら、彼女の子どもがこれから向かう孤児院におるんちゃうやろか」と思った。もの凄くショックで、本当に今でも鮮明に脳裏に焼きついている。今、彼女はどうしているんだろうか。生き延びていてほしい・・・ |