伝 言

― 2 ―




 足音を聞いて新一が顔を上げると、平次がすぐそばに立っていた。
「ああ、服部。いま……」
「工藤」
 新一の言葉を聞かずに、平次が持っていた携帯電話ごと、新一の手首をつかんだ。
 見上げた彼の表情は、怖いほど真剣だった。
 瞳には苛立ちが浮かんでいる。

「今の、誰や?」
 今まで聞いたことがないような、平次の低い声。
「は?」
 新一は眉をひそめて問い返した。
 意味がわからない。
 彼の苛立ちの理由も、問いかけの内容も。
 平次の不機嫌が伝播して、新一も彼を睨み上げた。

「誰や、て聞いとるんや」
「だから、なにがって聞いているんだ」
 新一の手首を握る平次の手に力がこもった。
 見下ろされるのを嫌い、新一もベンチから立ち上がった。そして真っ正面から睨み合う。
「服部君、ちょっと!」
 高木がふたりの間に割って入ろうとする。
 しかし、それを平次が腕を払って簡単に拒んだ。
「取り込み中や」
 新一はちらりと高木を見やった。彼は半分泣きそうな顔をしている。

「せやから、電話の相手や!」
 平次が新一を見据えて言う。
「電話?」
 新一は繰り返した。
 手首が痛むが、振り払う隙がない。
「しとったやろ、今」
 やっと新一に平次の言っていることがわかった。
「してたんじゃねぇ。聞いてたんだ」
「なにを?」

「てめえの伝言をだ、馬鹿野郎!」
 訳のわからない苛立ちをぶつけられていた腹いせに、新一は平次の足を思い切り蹴り上げた。さすがに平次がうめく。
 足を抱えてうずくまる平次を睨み下ろし、新一は言い放った。
「なにが、どこにおる、だ。事件だったらコンパをドタキャンするから必ず呼べ、だ。わざわざ留守電に入れるような内容じゃねぇだろうが」
 コンパよりもおまえと一緒におる方が楽しいわ。
 伝言はその言葉で終わっていた。
 事件現場でマナーモードに切り替えたままでいたので、つい先ほどまで平次の入れたメッセージに気がつかなかったのだ。

「おまえの留守電を聞いていて、なんで怒鳴られないといけないんだよ!」
 毒気の抜けた顔で平次は呆然と新一のことを見上げている。
 そのあまりにも惚けた表情に、新一はもう一度彼の抱えている足を蹴りつけた。
「痛いって、工藤。けど、ほんまに?」
「なにがだよ?」
「いや、ほんまにさっき聞いとったんは、俺の留守電なん?」
「くどいぞ。そうだよ、それがなんだっていうんだよ?」
「うそ……」
 平次が新一の顔をまじまじと見つめる。
「信じられへん」
 見たこともない物を見るような目で見られて、新一の心にまた苛立ちが募る。

 新一がもう一回ぐらい蹴ってやろうかと考えていると、その気配を察したのか高木が新一の腕を引いた。
「工藤君、落ち着いて」
「僕は落ち着いてます」
 にっこり笑って新一が答えると、高木の顔が引きつった。
「服部君は、平気かい?」
「こいつは丈夫ですから平気でしょう」
 この程度では壊れないと笑うと、ますます高木がおびえる。
 平次はまだうずくまったまま、「ほんまかい」などとと呟いている。
 やはり訳がわからない。
 いきなり食ってかかってきたかと思えば、急にへたり込んでいる。
 実は平次は酔っぱらっているのではないかと、新一は密かに訝しんだ。壊れた可能性もある。

「とにかく、喧嘩はやめよう。ね?」
「喧嘩じゃないですって」
 新一をなだめる高木の腕にコンビニの袋が引っかかっている。それを見て、新一は彼の食事の邪魔をしていることに気がついた。
「あ、すみません。もう帰りますね。ゆっくり食事をしてください。おい、服部」
 呼びかけると彼が顔を上げる。
 見上げてきた表情は、いつもの平次と変わらないようだった。
「帰るぞ。バイクで来たんだろ? 俺の分のメットも持ってきてくれているんだろうな」
「おう!」
 と応えて、平次が勢いよく立ち上がった。
 彼はなにか吹っ切れたような笑顔を浮かべている。
「じゃ、気をつけて帰るんだよ」
 心なしかほっとした様子の高木がふたりに手を振る。
「お騒がせしてもうて」
「おまえのせいだ」
 一発平次の後頭部を殴ってから、新一は高木に頭を下げた。





 新一が外に出てみると、想像以上に冷え込んでいた。バイクで走るのはつらいかも知れない。
「さむ」
 つぶやきも白くなる。
「行こか」
 平次が新一の腕を引く。
 高木と別れてからずっと、彼は新一の腕をつかんだままだ。
 休憩所での一件で彼が怒っているのかと表情を窺ってみても、そう言う気配はなく、どちらかと言えば機嫌は良さそうだ。
「おい、服部、いい加減手を離せ」
「ええやん。誰も見とらんのやし」
「そう言う問題じゃないだろ」
 触れられているのは落ち着かないのだ。
 だがそれを彼に伝えるわけにはいかない。
 理由を聞かれても答えようがないのだから。
「そんなら、どうゆう問題や?」
 平次が耳元に口を寄せてきて、新一は慌てて身体を遠ざけた。
「歩きにくいんだよ」
 事実の一部を突きつけてやると、彼は困ったように笑った。だが、腕を離す気配はない。

 駐車場の端に平次のバイクが止めてあるのが見えた。
 そちらに向かおうとする新一をとどめて、平次が植え込みのある方へと新一を引っ張る。
「おい、服部? どこへ行くんだよ」
 答えを濁しながらも、平次は足を止めない。止めないどころか、歩みを早める。半ば引きずられるように新一は彼についていった。
 街灯の届かない薄暗い場所で、ようやく彼は立ち止まった。
 大通りを挟んだビルの窓の光を背景に、平次の姿はシルエットになる。行き交う車の騒音が遠く聞こえた。

「なんなんだよ、服部。さっきからわけのわからねぇことばっかりしやがって。ちゃんと説明しろよ」
 相手の顔も見えない暗がりで、新一は平次を睨んだ。
 しかし、応えは返らない。
 ただじっと見つめられているのだけはわかる。
「服部!」
 新一が声を荒げたのと、平次の腕が離れたのがほぼ同時。
 次の瞬間、新一は平次に抱きすくめられていた。

 反射的に腕をふりほどこうとした新一の耳元に、彼がささやいた。
「好きや、工藤」
 新一の呼吸が一瞬止まった。
 大きく目を見開いたまま、立ちすくむ。
 背中に回る腕、押しつけられた胸。何よりも近い平次の体温が、新一から思考を奪う。
 抵抗を忘れた新一の身体を、ますます強く平次が抱きしめる。

「服部……」
 無意識に呼んだ名は、ひどくかすれた。
「好きや」
 重ねて言う平次の声は、小さくとも力強い。
「好きって」
 意味なく新一は問い返した。
 彼の行動をみれば、勘違いのしようなどない。
 顔が熱くなるのを感じて、新一は彼の肩に顔を埋めた。
 ぎこちなく平次の背中に腕を回す。彼の身体の厚みを実感して、新一は腕に力を込めた。

「酔っぱらってゆうとった工藤の好きなやつて、俺のことやな?」
 耳に唇が触れるような近さで、平次が確認を取る。
「……ああそうだ」
 じわじわとわき上がってくる幸せに新一は目を閉じた。
「安心したわ。もしちゃうゆわれたら、立ち直れんとこやった」
 耳元で安堵のため息をついた平次が笑う。

 排気音が闇をふるわせた。
 見やると駐車場に一台の乗用車が入ってきたところだった。ふたりのすぐそばをヘッドライトがかすめて通る。
 新一は平次の腕をほどいて、彼の胸から逃げ出した。
「あのさ。もしかして、気がついていたのか」
 自分の抱えていた想いに。
 暗がりから出ながら新一は平次に聞いた。
「最近、もしかしたらと薄々思うててん。好きなやつがおるゆうてる割には、そいつに接触取ろうとせぇへんし。けど、勘違いやったらダメージでかいやんか。せやから慎重にいこう思うてた矢先に、さっきの工藤の顔や」
 振り返ると街灯の光の下で、平次が嬉しそうに笑っている。

 妙に照れくさくて、新一は目をそらしてバイクの方へ足を速めた。乗用車から降りたふたり組が、ふたりの前を横切って正面玄関へと歩いていく。
「さっきの俺の顔?」
 背中を向けたまま問いかける。
「そうや。留守電のメッセージを聞いとる顔。あれが俺からのもんを聞いとる顔やって知って、確信した。初めはおまえが俺のしらん好きなやつと話しとると思うて、めっちゃ嫉妬してしてもうた」
 苦笑混じりの声を背中で聞く。
 あからさまに想いが顔に出ていたのだろうかと、新一は今更ながらに恥ずかしくなった。だが、誰もいない場所でひとり聞く彼の声が愛おしかったのは事実だ。

「これからは馬鹿な嫉妬はするなよ」
 振り返って一言言っておく。
「気ぃつけます」
 両手をあげる平次は、しないとは言わない。
「気をつけるだけか」
「せぇへんのは無理やで」
 きっぱりと言い切られて、新一は苦笑した。
「努力しろよ。馬鹿な嫉妬をしたら、またさっきみたいに蹴り倒すからな」
 おそらく彼の足にはしばらく消えない痣が出来たことだろう。

 了解、と笑う平次がふと思いついたように言った。
「なぁ、クリスマスに指輪を贈ったら、してくれる?」
 プレゼントにはペアの品物を。
 昨夜彼がこだわっていたことだ。
「ペアリングか?」
 さすがに男同士でそんな物をしていたら、勘ぐられるどころではなく大騒ぎになりそうだ。
 新一の懸念を読んだか、平次が首を振る。
「工藤は指輪。俺はまたなんか別のもんで。そんで、ぱっと見ペアに見えんようなやつを探そうや」
「何で俺は指輪で決定なんだ?」
 平次のバイクの脇に立ち、新一はくくりつけてあった自分のヘルメットを外した。
「そら、工藤にはちゃんと相手がおるんやでって、はっきりわかるもんを身につけて欲しいだけや」
「指輪ぐらいでそう思うかよ」
「工藤はただしとってくれたらええよ。俺が噂を広めるさかい。あれは恋人からもろたらしいでってな」

 平次がバイクのエンジンを掛ける。
 腹の底に響く振動が駐車場の空気をふるわせた。
「おまえは?」
「俺は彼女がいるゆうことになっとるし。嘘がばれんようにフォローし続ければいいだけや。さて、工藤飯まだやろ? 食いに行こか」
 平次が自分のヘルメットを被った。新一もつられて被る。
「おい、コンパで食ってきたんじゃないのか?」
 さすがの平次も今夜は飲んではいないと思うが、食事ぐらいはしているはずだ。
 バイザー越しに平次がため息をついた。
「それがめっちゃまずかってん。味は濃いし、油っぽいし。食えたもんちゃうかってん。せやから腹八分目以下なんですわ。どこで食う?」
「任せる。昨日中華だったから、それ以外がいい」
「そんなら、あの飲み屋に行こか。工藤がシャーベットで記憶なくしたとこ。店の駐車場に一晩バイク止めて、帰りはタクシーを拾お」

 平次がバイクに跨る。
 平次の笑顔に下心を見たような気がして、新一はにっこりと笑った。
「酔った人間に手を出すようなやつに惚れた覚えはないからな」
 自分が彼より酒に弱いのは、否定出来ない事実だ。こればかりは体質なのでどうしようもない。
 新一の刺した釘に平次が短く唸った。
「考えていたのか?」
「まさかそんなことはありません」
 標準語で答えるあたりがかなり怪しい。
 吹き出した新一に、平次が自分の後ろを叩く。乗れと言うのだろう。
 新一は素直に従って、彼の後ろに跨った。
 腰に腕を回し、背中に胸を押しつける。
 これまで何度も乗ってきたが、今夜のタンデムは特別だ。

「行くで」
 平次が声を掛ける。
 新一は腕に力を込めて、それに応えた。
 ゆるやかに加速して、バイクが駐車場を出る。
 今夜はふたりで祝杯をあげよう。
 その先は、平次次第だ。
 新一はヘルメットの下でこっそりと微笑んだ。 


 


ここまでのおつき合い、ありがとうございました。お疲れさまでした。

1へ 
小説TOPへ