身から出たサビ? -後-



 クッションを枕に新一は活字をにらんでいた。
 昼食後のことである。
 冷たい床の上に寝転がり、読書を満喫している……ように見えるようがんばっていた。
 が、実は全然話が頭に入ってきていなかった。
 以前読んだことのある本であったと気がついたのも、ついさっき、半分以上も読んだ後のことだ。
 視界の端にいる平次に覚られないように、そうっと息を吐き出す。
 平次も本を読んでいた。
 ソファに座らず寄りかかって、黙々と本を読んでいる。
 平次の方を見ないようにしながら、新一は彼を観察した。
 ──男らしいって言うんだろうな。
 高い鼻梁の線。
 少しこけた感じのする頬は、かえって彼を大人びて見せている。
 やかましいほど関西弁を繰り出してくる口元も、今は引き結ばれていて、りりしい。
 真剣な眼差しで活字を追っている平次の横顔は、謎解きをしている彼を彷彿とさせる。
 ふだん何かとぼけをかましてくれる彼だが、事件の時は誰よりも信頼できる。
 ──ライバル。ライバル、なんだけどな。
 どうにもそれだけでは収まらないものになってしまったような気がする。
 だからといって、どうしようもないのだが。
 新一は活字に目を戻した。
 どこまで読んでいたのか、さっぱりわからなくなっていた。

 平次が本を閉じて立ち上がった。
「本、替えてくるけど、なんか取ってくるもんあるか?」
「ない」
 本から目を離さずに新一は答えた。
 平次が居間を出ていく。
 扉が閉まり、彼の足音が遠ざかってから、新一は本を閉じて大きく息を吐き出した。
 ──あー、なんか疲れた。
 本を読む振りをしながら平次の観察をしていれば、疲れるだろう。
 気疲れというやつだ。
 新一は本を脇に置いて、目を閉じた。
 ──蘭たち、早く来てくれねぇかなぁ。
 先ほどよりはまだましな願いであった。
 平次はなかなか帰ってこない。
 そのうち、新一はうつらうつらとし始めてしまった。



 平次はでっかい書斎の中で立ちつくしていた。
 個人所蔵とは思えないほど、工藤邸には本がある。
 しかし、平次が悩んでいるのは本のことについてではなかった。
 新一のことである。
 ──今夜、一緒に過ごすんか。
 ちょっと自分の理性に自信がもてなかった。
 先ほども、本よりも新一が気にかかって、せっかくの内容が全然頭に入らなかったのだ。
 以前から読みたいと思っていた推理小説だったのに。
 幼なじみたちが来る時間までは、まだ結構ある。
 それまで居間で本を読んでいるのは、かなりつらい。
 ──没頭できる本があったらなぁ。
 しかし、どんな本を選んでも絶対夢中にはなれないだろう。
 平次はがっくりと肩を落とした。
 ──時間がつぶせればええか。
 そして、適当に読んだことのある本を選んで、居間に戻ることにした。

 冷房のよく効いた居間のドアを開けると、新一は寝ていた。
 フローリングの床の上に。
 頭はクッションに乗っているからいいものの、身体が痛くなりそうだ。
 ──ソファで寝たらええのに。
 起こしてやろうかと近づいて、平次は息をのんだ。
 クッションの上に散った黒髪。
 色白の線の細い顔立ちに、そこだけ赤い唇。
 白雪姫もかくやの新一の寝顔。
 ──これで男なんやから、詐欺や。
 男というだけではない。
 警察関係者からも一目置かれる名探偵。
 新一は平次が唯一認める好敵手であり相棒なのだ。
 尊敬できる相手でもある。
 平次は座り込んで新一の寝顔を見つめた。
 ──見た目と中身のギャップは結構あるんやけどな。
 冷静沈着そうに見えて、結構短気なところがある。
 秀麗な顔立ちに似合わず、口が悪い。
 怒れば手よりも先に足が出る。
 しかし、たいがい新一を怒らすのは平次なので、被害者になるのも平次だ。
 ──その反応がおもろいゆうたら、また蹴られるやろな。
 平次は新一の髪に手を伸ばしかけ、やめた。
 彼が起きてしまうのが少しもったいなかったからだ。
 平次は新一の隣に横になった。
 思っていたより痛くない。
 かえって床の冷たさが気持ちいいぐらいだ。
 自分の腕を枕にして新一の顔をのぞき込む。
 ──これなら、この家に泊まっても大丈夫そうやな。
 理性は充分働いている。
 少しだけ安堵して、平次は目を閉じた。



 蘭はインターホンを鳴らさずに、合い鍵で工藤邸の扉を開けた。
 声をかけてみたが、なかからの返事はない。
 朝からの雨はまだ降っている。
 食料品の袋を抱えて傘を持つのは大変だった。
 濡れた傘を傘立てに入れて、袋を玄関ホールに置く。
「静かやね」
「本を読んでいるのよ、きっと」
 後ろから入ってきた和葉に小声で答える。
「何も聞こえてないのよ」
「平次もそうや。読んどるときには、なんも耳に入らん」
 顔を見合わせて苦笑した。
 二人は袋を抱えて工藤邸に上がり込んだ。

 先に居間の扉を開けたのは、和葉だった。
 彼女はそのままの格好で硬直した。
 蘭は和葉の後ろから居間をのぞいて、やはり固まった。
 二人の手から、とさりと荷物が滑り落ちる。

 居間では、新一と平次が眠っていた。
 抱き合って。

 クッションを枕にした平次の腕に新一の頭が乗っていた。
 平次の空いた手は、新一の肩に回っている。
 新一の腕はといえば、平次の腰を抱き寄せている。
 ぴったりと寄り添うようにして、彼女たちの幼なじみは眠っていたのだ。
 ただ単に、エアコンで寒くなった平次と新一が、ぬくもりを求めて無意識のうちにすり寄ってしまっただけなのだが、そんなことは蘭にも和葉にもわからない。
 あまりにショッキングな光景を目にしてしまった二人は、しばらく呆然と立ちつくしていた。



 蘭が和葉の袖を引いた。
 和葉はゆっくりと振り返って、蘭の顔を見た。
 蘭が目顔で「ここから離れよう」と言っていた。
 和葉は音を立てないように扉を閉めて、蘭について玄関ホールへと戻った。
 蘭がぺたりとホールに座り込む。
 和葉も足から力が抜けて座り込んでしまった。
 沈黙を破ったのは、和葉の方だった。
「……おかしい思とったんや。あたし」
 蘭がゆるゆると和葉を見る。
「平次、工藤君が行方不明の時から工藤工藤ゆうて、いっつも工藤君の話ばっかりしよったし。工藤君が帰ってきてからは用もないのに東京へ行ったりしとったし……」
「新一もね、私よりも服部君の方にこまめに連絡してたみたいなの。行方不明の間。服部君の方が新一の置かれていた状況に詳しかったのよ」
 力無く蘭が笑う。
「こういう事だとは思わなかったけど」
「ほんまや、さすがに考えつかんかったわ」
 和葉は“工藤”は東京の女で平次の彼女ではないか、と考えたことはあった。
 しかし、“工藤”が男でありながら、平次の恋人だとはさすがに想像できなかった。
 ずっと想っていた幼なじみが、まさか男と恋仲になっているとは。
 女ではなく男に取られたのはショックだが、それが工藤新一となると複雑な思いにかられてしまう。
 彼以上に平次の隣が似合う“人間”が果たしているだろうか。



「……新一、ずっと隠してたのね」
 ぽつりと蘭は言った。
「なかなか認められんからやろな」
 和葉の声もしんみりしている。
「そうよね、新一のことをよく知っている私でさえこんなに驚いちゃったんだもん。他人には理解してもらえないと思うわよね」
「そうやろね」
 蘭は真っ直ぐ和葉の顔を見た。
 想い続けた幼なじみの選んだ道なのだ。
 きちんと自分の恋を吹っ切るためにも、応援してやりたい。
「味方になろうと思うの、私」
 和葉がきょとんとする。
「せめてご両親に認めて貰うことは出来ないかしら」
「……親が理解してくれたら、心強いやろな」
 和葉が同意してくれたのに力を得て、蘭は立ち上がった。
「ら、蘭ちゃん?」
「説得、してみる」
 蘭は靴を履いた。
 和葉が慌ててそれに続く。
「できるん?」
「やってみないとわからないけど、大丈夫だと思うんだ」
 新一の両親は世界的に有名な作家と元人気女優だ。
 きっと普通の親より広い世界に理解があるに違いない。
 蘭は心の中で拳を固めた。
 ──新一、待っていてね!
「平次んとこは、どうやろ?」
「服部君のお父さん、厳格そうだったから無理かしら……」
「そないでもないで。いろんな世界をみとると思うし」
 和葉がようやく笑った。
「あたしもやってみるわ。やってみんことにはわからんし。反対されても、あたしだけは味方でおったる」
 蘭も笑って玄関を開けた。
 まだ雨は降っている。
 二人は傘を差して、工藤邸を後にした。
 攻略するのは、まず手近なところから。
 二人が向かったのは、お隣、阿笠邸であった。



 灰原哀は、阿笠博士の合い鍵を使って工藤邸に入った。
 居間の扉の前に袋が二つ置いてあるのが、玄関からも見えた。
 ──あれが彼女たちの買ってきた物ね。
 阿笠邸にやってきた蘭と和葉は、まず博士をパニックに陥れた。彼は現在放心状態だ。心臓が止まらなかっただけ良かったと哀は思う。
 そして、蘭も和葉も今は電話に忙しい。
 博士を説得しようとする二人の話を聞き、哀はその話を確かめるべく工藤邸にやってきたのだ。
 居間の扉を開けると、蘭たちの話通り、平次と新一が抱き合って眠っている。
 ──……馬鹿としかいいようがないわ。
 ついでだったので、哀は廊下に置きっぱなしの荷物をキッチンに運び、食料を冷蔵庫に納めた。
 別に音を立てないようにしているわけではないのに、探偵二人組は目覚めない。
 哀は二人の枕元に立つと、声をかけた。
「起きた方がいいんじゃなくて?」
 平次が先に目を開けた。
 ぼやけた瞳を上からのぞき込んでやる。
「あれ? ちっこいねーちゃん。なんでここにおるん?」
 平次が動いたせいでか、新一も目覚めた。
「……灰原?」
「二人とも、状況が見えてないようね」
 平次と新一は顔を見合わせ、弾かれたように離れた。
「ななな、な、なんだよ、はっとり!!」
「く、くどうかて!」
 慌てぶりを確認して、哀はわざとらしくため息をついた。
「なにをやっていたのかしら?」
「な、なにて、別になんも! なぁ」
「お、おう。なんにもしてねぇぞ、俺は」
「俺かてなんもしとらんわ!」
「ほんとかよ! だいたいなんでおめぇが隣に寝てたんだよ?」
「あ、や、それはやな……」
「あやしいぞ、てめぇ!」
 騒ぐ二人を冷ややかに見て、哀はきっぱり言い切った。
「アヤシイのは二人ともよ」
 口を噤んだ平次と新一に、哀はにっこりと笑った。
「自分たちでまいた種は、自分たちで刈り取ることね」
 くるりと背を向け、居間を出る。
「おい! 灰原!」
 玄関ホールまで来たところで声がかかったが、無視して外に出る。
 雨は先ほどよりも弱くなっていた。
 ──誤解、なのかしら?
 二人の慌てぶりは、演技には見えなかった。
 かといって、あの寝姿は尋常ではない。
 ──ま、どういうことになるのか、楽しみではあるわね。
 哀は開いた傘をくるりと回して、阿笠邸へと帰った。



「なんやったんや……?」
 床に座り込んだまま、平次はつぶやいた。
 玄関が閉まる音がしてから、だいぶ経っていた。
 いまいち、時間の感覚がはっきりしない。
 外はすでに暗くなっているが、日没のせいなのか、雨のせいなのか。
「……蘭たち遅いな」
 ぼうっとした声で新一が言う。
 二人は顔を見合わせて、気の抜けた笑顔を交わした。
 なんだか、とても疲れていた。

 いきなりテーブルの上に置きっぱなしにしていた平次の携帯電話が鳴った。
 飛び上がるほど驚いた平次は、相手の名前も見ずに電話に出た。
「はい! 服部!」
『……平次か』
 鬼より怖い父、平蔵からの電話だった。
 平次の背が条件反射でぴんと伸びる。
『和葉ちゃんから聞いたで。おまえ、工藤君とつきおうとるんやってな』
「あ、ああ、そうやけど……?」
 友人としても探偵としても、つきあっている。
 説教するような低い声で指摘されるようなことでもないと思いながらも、平次は答えた。
『それやったら、一度彼をうちにつれてきなさい』
「受験終わったら……」
『いや、早いほうがええ』
 深刻な声で遮られる。
『頭ごなしに反対する気ぃはないから、安心せぇ。工藤君の噂はよう聞いとる。悪い話は聞かへん。せやけどな、平次。噂はあくまでも噂や。会うて見て、認めるかどうか判断したいと思うてるんや』
「おおげさな」
『平次!』
 厳しい声が飛んで、平次はぎくりと硬直した。
 背中に冷たいものが伝う。
『これはおまえだけの問題やない』
 なんで友人関係にここまで言われなければならないのか、平次は疑問に思ったが、口には出せなかった。
 平蔵の気迫が怖かったからである。
『出来れば、工藤君のご両親にもお会いしたいんや。将来のことを話し合うには、そのほうがええと思うてな』
「はい?」
 平次は間抜けな声を上げた。
 ──将来って、なんや?
 気がつくのがちょっと遅かった。
 平蔵の後ろの空気がざわめく。
『あぁ、なんや起こったようや。詳しいことはまた後でな。工藤君に、おまえの恋人によろしゅう』
 平次の頭が一瞬にして白くなった。
「ちょ、ちょお、まて、親父!!」
 平次が叫んだときには、とっくに通話は切れていた。
 呆然と手の中の携帯を見つめる。
 ──恋人、やて?
 将来。
 両親。
 反対。
 つきあう。
 単語が脈絡なく頭の中を飛び交う。
 平次は引きつった笑顔を浮かべた。
 他にどんな顔をしていいのかわからない。
 確かに新一に惹かれてはいるが、間違っても恋人じゃない。
 ──和葉、ゆうてたな。なんで、そこであいつが出てくんねん?!
 彼女に問いただそうと携帯を持ち直した瞬間、それが鳴った。
 ディスプレイには、実家の名前。
 ──今度はおかん……か。
 大当たりだった。



 平次に電話がかかってきた直後、工藤邸にも電話があった。
 直立不動の平次を横目に、新一はソファにくつろいで子機を取った。
『おー、新一かぁ?』
 明るい声は父、優作のものだった。
「こっちが名乗る前にひとのこと呼んでいるんじゃねぇよ」
 新一の文句にも笑い声が返ってくるだけだ。
 どこからの電話なのか知らないが、海外であることはたぶん間違いない。
 現地時間を無視した脳天気な電話はいつものことだ。
『いやー、蘭ちゃんから聞いたんだけどな。新一にも春が来たんだねぇ。よかったよかった!』
 言っていることが意味不明なのも、いつものことなので聞き流す。
「なに言っているんだよ、父さん。で、母さんは元気?」
『もちろん、有希子は元気だよ。まぁ、蘭ちゃんがお相手でなかったと聞いたときにはさすがに驚いていたけどね。今はすっかり盛り上がっているよ』
『新ちゃん!』
 突然相手が母、有希子に代わった。
 新一はめまいを覚えて額に手を当てた。
『服部君って、写真でしか見たことないけど、とっても二枚目よね! やるわぁ、新ちゃん。もう、面食いなんだから!』
 母の言うことは父に輪をかけてわからない。
『で、やっぱりドレスを着るのは新ちゃんなの? そうよねぇ。服部君、体格良さそうだものね、ちょっと無理そうだわ。それにわたし、前から新ちゃんには白が似合うと思っていたのよ! 今度デザイナーを紹介するわ!』
「は?」
 話がまったく見えない。
 彼女の声の後ろに優作の声も聞こえる。
『有希子。その前に向こうのご両親ともお会いしておかないと。私たちはいいけれど、もしかすると反対されているのかもしれないよ』
『そうよね』
 今度は優作が電話に出た。
『新一。タイミング良く脱稿したばかりなんだ。明日にでも日本へ帰るから、服部君のご両親と会えるように手配をしておいてくれないか? 大丈夫。かわいい新一のためだ。反対されていても、私が服部君のご両親を説得してみせるよ』
『そうよ、新ちゃん! 私たちは新ちゃんの味方なんだから、安心してね。ひとを好きになることは、いいことなのよ。それがたとえ同性であってもよ。隠すことはないわ』
 やっと新一にも話が見えた。
 が、しかしそれは遅かった。
『じゃあ、新一。到着時刻がわかったら、また連絡するよ』
 言うだけ言って、電話が切れた。
 反論するひまも、訂正する余裕もなかった。
 真っ白になった頭で、呆然と受話器を見つめる。
 ──同性。好きになる。服部。ってことは……。
 どうやら新一の両親は誤解している。
 というか、先走っている。
 ──服部に惹かれているのは、確かに事実なんだけど……。
 なんでこんな事になったのか、さっぱりわからない。
 新一は混乱したまま、力無く笑った。
 投げやりな笑顔だった。



 平次は、母からの電話を受けていた。
 父からの電話で、誤解されているのはあらかじめわかっているのだが、訂正を入れる隙がない。
『有希子さん、今でもきれいなんやろなぁ。なに着て会うたらええんやろ? あぁ、それよりも料理や。関西の味付け、口に合うやろか?』
 すっかりお出迎えモードになっている母に、平次は口を挟めなかった。
『ここは、毛利さんもおいしいゆうてくれはったてっちりにしたほうがええんやろか。けど、鍋ゆうんのも、席に合わんような気ぃするし……』
「おかん。おかん!」
『なんやの平次! ひとが考え事をしているときに! あ、そうや、工藤君に好物を訊いといてや。工藤君だけやのうて、ご両親の分もやで。こっそりな。気ぃつかれへんように聞き出すんやで』
「せ、せやからな、おかん」
『平次はなんでも真っ正面から訊くから、心配やわ。……それとも、どこぞ料亭で席を設けたほうがええんやろか。どう思う、平次?』
「そんなん、俺はしらん!」
『なにゆうてますの! あんたの一生が決まるかもしれへんのやで? もっと真面目に考えんとあきません!』
 平次は泣きたい気分になった。
 ──こっちの話をぜんぜん聞いてくれへん!
 このままだと、どうなるのか。
 予想はついた。
 しかし、その結末は、別に嫌なものではなかった。
 それが、平次の反論を鈍らせる。
『あとでまた電話しますわ。好物の件、頼みましたよ』
「あ! ちょ、ちょお!」
 電話が切れた。
 平次は携帯を見つめた。
 ものすごく見慣れない物に見えた。


 新一がのろのろと平次に視線を移すと、彼は携帯を持ったまま立ちすくんでいた。
「……はっとり」
 平次がゆっくりと携帯から顔を上げる。
 疲れたような表情で、似たようなことが彼の身にも降りかかったことがしれた。
 よろよろと歩いてきた平次が、身を投げ出すように新一の隣に座った。
「電話、誰?」
「おとんと、おかんと、別々にきたわ。そっちは?」
「うちは両親交互に電話にでやがった。内容は……」
「想像つくわ。俺とおまえが恋人やっちゅう話やろ?」
「やっぱり、おまえもか。忍ぶ恋みたいにいわれた。おまえの親を説得するってさ。でも、うちの両親、面白がっているとしか思えねぇ」
 ──なにが、ドレスだ! 白が似合うだ! 俺は絶対、着ねぇぞ!
「おとんはさすがに慎重やったけど、おかんが盛り上がっとった。手ぇつけられへん」
 顔を見合わせて、乾いた笑いを交わす。



「和葉が発端らしいわ」
 平次は携帯をテーブルの上に放った。
「こっちは蘭だ。……さっきの見られたんだな、きっと」
 新一も子機を投げ出す。
「それが、なんでこうなる?」
 抱き合って眠っているのを見られたのだ。
 どんな誤解をされたかということぐらい容易に想像できる。
 ──そら、アヤシイわな。男同士やし。
 だが、なぜその誤解が、こういう結果に飛んだのか、いまいちわからない。
 ため息をつきつつ、平次は新一を窺った。
 苦笑しているように見えた。
 少なくとも、本気でいやがっているようには見えない。
 ──どない思うてるんやろ?
 このままでもいいかな、と平次は思う。
 この際だから、誤解に便乗して、相棒から恋人へと昇格するというのも。
 ──……悪ないわ。


 しばらくの沈黙を破って、平次が言った。
「どないする?」
「そうだな……」
 新一は考えた。
 現在、親に反抗する気力がない。
「俺な」
 平次が言う。
 新一は彼の顔を見た。
 平次は照れたように頬を掻きながら、続けた。
「工藤が相手やったら、このままでもええかなぁと思うとる」
「服部……」
「あ、もちろん、工藤が嫌やゆうなら、誤解を解いてまわるさかい」
 新一は笑った。
 誤解を解く気なら、すぐさま電話をかけ直せば良かったのだ。
 しなかったのは、単に、流されてもいいかと思ったからだ。
 ──相手がこいつなら。
「ばーろ」
「くどう?」
「俺の相手は大変だぞ? 事件最優先だからな」
 平次が嬉しそうに笑った。
 新一は照れて横を向いた。
 頬が熱くなっているのが自分でもわかる。
 平次の腕が新一の身体に回った。
 引き寄せられて振り向くと、そこには優しい瞳があった。
「ほんなら、末永くよろしゅう」
「こ、こちらこそ」
 小さな声で応えた新一に平次が微笑む。

 二人は誓いのキスを交わした。


 とりあえず、こうして名探偵二人の大事件は終わったのである。


 後日。
 服部家、工藤家の両親の顔合わせがあり、晴れて平次と新一は親公認の恋人となった。

 もう一つ、後日。
 蘭と和葉の元には、新一と平次から、抱えきれないほど大きな花束が贈られた。

 さらに後日。
 阿笠博士と灰原哀から二人に、揃いのネクタイと、通信機能付きネクタイピンが贈られた。博士は事件の日から二日ほど寝込んだそうである。



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