無自覚な関係シリーズ 第六章

発 覚

― 前 ―




 今まさに掴もうとしたノブが回って、平次は手を引いた。勢いよく開いた扉から飛び出してきたのは顔なじみの刑事だった。彼がそこから出てくるのは別に不思議なことではない。平次が入ろうとしていたのは、本庁の捜査一課の部屋だったからだ。
「うわ!」
 大きな叫び声を上げられて、平次は苦笑する。驚いたのはお互い様だというのに、これでは自分がおどかしたようだ。
「大げさちゃいますか、高木さん」
 扉から飛び退いていた優男が、引きつった笑みを浮かべた。
「本当にびっくりしたんだよ」
 胸を押さえているところから見ても、よほど驚いたらしい。
 大きく開け放たれた扉からは、雑然とした一課の内部が見渡せる。ブラインドが閉め切られているが、射し込む夏の日差しを防ぎ切れていないようだ。エアコンが入っているはずなのに、あまり涼しく感じない。
「あれ、服部くんひとり?」
 立ち直った高木が平次の後ろを見て、首を傾げた。新一の姿がないのが不思議なのだろう。
「いっつもひっついてるわけちゃいますよ。ちょうどよかったわ。ちょお調べたいもんがあるんで、資料室におりますから」
 いくら馴染みになっているからとはいえ無断で資料室に入るわけにはいかない。とりあえず、断りを入れておこうと思った矢先に高木が出てきたのだ。
 笑顔で了解した高木に手を振って、平次は資料室に向かった。
 ひとりになった平次の顔に硬い表情が浮かぶ。
 今日、新一には用事があるとだけ告げて、平次は家を出てきていた。同居人の快斗は朝早くから出かけ、今夜は久しぶりに実家に泊まるらしい。
 ふたりに気づかれないように調べなければならないことが平次にはあった。






 しんと静まりかえった資料室を平次は足音を殺して歩いた。立ち並ぶ書棚の数は多く、通路は狭い。あちらこちらに捜し物をする職員の姿がある。きっちりと分類された棚をひとつずつ確かめながら、平次は目的のものを探した。十年近く前の捜査報告書だが、残っているはずだ。なぜならばそれは、怪盗キッドに関するものだからだ。
 平次が「怪盗キッドは黒羽快斗だ」と探に告げられてから、すでに二週間が経とうとしていた。
 夏はいままさに本番で、新一などは涼しい時間帯しか動かない。昼間は事件でもなければ外出しようとしないで家にこもっている。それに引き換え、快斗は精力的に動き回り、一日中家にいることの方が珍しい。
 笑顔で彼を送り出したあと、平次はいつも表情を引き締める。
 本当に快斗の言うとおり友人たちと遊んでいるのならいい。だが、実際のところ、彼はどこでなにをしているのか。ここ数日は帰るのも深夜だ。
 ――そんで、今日はキッドの予告日や。
 情報収集に下調べ、進入経路、逃走経路の確保など、ひとつ事件を起こすのにやらなければならないことはたくさんある。そのために快斗は頻繁に外出していたのだろうと平次は考えている。

 探の言葉だけでは、平次は快斗が怪盗キッドであると信じ切れなかった。出来れば信じたくなかった。
 だが、探と会った夜、彼に電球を取り替えてもらって確信した。
 玄関の天井の切れた電球を取り替えるために持ち出した、高い脚立の上に快斗は危なげなく立っていた。薄暗いなか、どこかで見たことのあるシルエットだと平次は思っていた。そして、照明を点けて愕然とした。明るい光をバックに立つ快斗の影は、見知った怪盗のものと重なったのだ。
 頭でわかっていたことが、すとんと腹の底に落ちた。
 ――キッドはこいつや。
 探の言葉を疑っていたわけではなかったが、平次が納得したのはこのときだった。






 平次は目的の棚を見つけた。さすがに国際手配されているだけのことはある。怪盗キッドは彼ひとりで棚をひとつ独占していた。
 怪盗キッドの活躍の時期は、大きく分けて二つある。
 平次が生まれる前から小学校低学年の頃までの第一期と、高校二年から現在に至るまでの第二期。
 平次はまず第一期のファイルを片っ端から見ていった。狙いのほとんどは宝石というのは今と変わらない。そして最後のファイルを開いて、平次は眉を寄せた。
 盆に実家に帰る予定の平次は、それにかこつけて親族の死因や命日の話題を出し、快斗の父親の命日を聞きだしていた。第一期最後の盗みの日付はその三日前になっていたのだ。
『あいつは組織に親を殺されている』
 新一は平次にそう教えてくれた。だが、快斗本人は事故だったと語っている。
 平次はそっとため息をついてファイルを閉じた。
 事実を語っているのは新一だろう。
 快斗は父親の跡を継ぎ、怪盗をしている。それが第二期の怪盗キッドだ。

 平次は棚を離れ、部屋の奥にしつらえてあるパソコンに向かった。過去の新聞記事を検索する。
 快斗の父が亡くなった事件は、殺人ではなく事故として処理されているはずだ。そうでなければ快斗が事故だとは言わない。幸い日付ははっきりしている。平次はすぐに目的の記事を見つけることが出来た。
 脱出ショーのリハーサル中の事故。脱出する前に閉じこめられていた箱が爆発したという。
 快斗の父、盗一は海外でも有名なマジシャンだっただけに、扱いは大きかった。平次は各社の記事を隅々まで読んだ。
 原因は装置の誤作動とあった。設定されていた時間よりも早く起爆装置が作動したらしい。
 平次は画面を睨んだ。
 これが組織の仕業だったとして、なぜ盗一は狙われたのか。
 どれだけ有名だったとしても、彼は一介のマジシャンだ。それを隠れ蓑に組織の人間だったとでもいうのなら、「灰原とは立場が違う」などと新一は言わなかっただろう。
 となると、新一と同じように組織にとって邪魔な人物だったのか。
 盗一個人に理由があったのか。
 マジシャンだったからか。
 それともキッドだったからか。
 事実、第二期のキッドも組織に狙われていたと探は言っていた。
 だがそれがキッドという存在を組織が狙っていた証拠にはならない。
 大きな爆発事故だったようだ。遺体の損傷は激しかったに違いない。そうなると、出た死体は偽装で、第二期のキッドも盗一だと組織が考えたとしても不思議ではない。快斗個人が狙われていないことを考えると、充分にあり得る仮説だ。実際、正体を知らない警察は、第一期も二期も同じキッドの仕業だと考えている。
 そうなるとやはり、狙われた理由がわからない。
 平次は腕組みをして背もたれに寄りかかった。
 残されている記事だけでは材料が足りない。

「あいつを責めるな。俺が引きずり込んだんだ」
 真後ろから声がして、平次は椅子から転げ落ちそうになった。机を掴んで振り返ると、厳しい表情をした新一がいた。
「工藤!?」
 真夏の午後。一番気温の高い時間だ。そして、新一がもっとも外出を嫌う時間帯でもあった。だからこそ平次はこの時間帯を選んで調べに来ていたのだ。
「昼寝はどないした」
 椅子の上で体勢を立て直したものの、平次の居心地は悪い。
「寝ている場合じゃねぇような気がした」
 新一は表情をゆるめることなく近くの椅子を持ってきて平次の隣に座った。
「この間からちょっとおまえの快斗に対する態度が気になっていたんだ。今夜は快斗の外泊日だ。そして、おまえはそれを狙ったように出かけた。高木刑事に確認をとったら資料室に来ているって言うじゃないか。もしかしたらと思っていたんだが」
 大当たりだったと新一が目で開いたままの画面を指す。
 平次は大きくため息をはき出した。
 快斗がキッドであるとわかってから、態度には十分注意していたつもりだ。これまでと変わらないように心がけていたというのに、新一相手には無駄だったらしい。

「なんで止めへんのや」
 見て見ぬ振りをするのか。
 責めるつもりはなかったが、言葉はつい厳しくなった。
 新一が平次を見る。
 まっすぐで曇りのない眼差しには、嘘が通じない。その代わりその目では嘘がつけない。
「あいつにはあいつの考えがある」
「けどな」
「信念があり、目的がある。それを達成しない限り、あいつはやめない。俺も止めない」
「おまえのリスクは? あいつはしゃあないとしても、工藤の」
「それはおまえにも言えるだろう、服部。知っている知らないなんて、部外者には関係ない。一緒に住んでいるだけで俺と同罪に見られるだろうよ。出ていくのなら今の内だぜ」
 同じ大学になると決まったとき、同居を持ち出したのは平次だ。すでにひとり同居人がいるのだから、増えてもあまり負担にはならないだろうと軽く思っていたのだが、承諾の返事があったのは翌日だった。思えばそれが自分を巻き込むことへの彼らの躊躇だったのかも知れない。

「かばうんか、あいつを」
「すでに共犯なんだよ。しかも、その関係に持ち込んだのは俺だ。それにあいつの協力がなかったら俺はまだここにいない」
 新一が小声で言いきる。
 平次は新一の眼差しを受け止めきれずに目を伏せた。
 いいようのない寂しさがじわじわとはい上がってくる。
 彼らから事実を話してもらえなかったこと。それが保身のためであって致し方のないことだというのはよく理解できる。だが、理解できたからといって、割り切れるものではない。
 そして、新一の最も近い位置に立っていると思っていたのが、それは自分の思い上がりだったようだ。それが情けなく、寂しい。
 悄然とする平次の肩を叩き、新一が開いたままのパソコンを閉じた。
「場所を変えるぞ」
 立ち上がった新一に促されて、平次も席を立つ。
 出口に向かいながら新一が平次を振り返った。
「勘違いするなよ。俺はおまえにも感謝している。おまえがいなかったらやっぱり俺はここにいないだろうからな」
 親友の苦笑に、平次はぎこちなく笑っておおきにと答えた。






 署内を出ようというとき、ふたりは探と出会った。真夏だというのに、彼の顔には汗ひとつない。またお抱え運転手付きの車でご出勤と言うことらしい。
「お揃いですね」
 探はつかみ所のない微笑を浮かべている。
「今夜、キッドの予告が出ているのは工藤くんも知っているでしょう? どうです、一緒に」
「いや、遠慮しとく。俺の専門は殺人だ。キッドが殺しをやったら、そのときは参戦させてもらうよ」
 探がにこやかに誘えば、新一もまた笑顔でそれに応えている。ふたりとも目は笑っていない。
 顔を引きつらせないように注意しながら彼らの応酬を傍観していた平次に、探が話題を振った。
「君はどうです?」
「……俺も殺しなら動くけどな」
 探のように追いかける側に回るのか、新一のように共犯となるのか。平次はまだ決めかねている。考えなくてはならないことを今知ったばかりなのだ。
「君も、ですか?」
 探のニュアンスが変わる。新一と同じように快斗に取り込まれたのかと、彼の目はいっている。
「俺は俺の判断で動く。誰の指図も受けへん。たとえ親でもな」
「それはそれは」
 探の笑みが意味深に深まる。
「おまえかてそうやろ」
 キッドを捕らえる決定的な証拠を握っていながらそれを使おうとしない探に、文句を言われる筋合いはないと平次は思う。
 探が目を見張り、破顔した。
「そうですね。この件に関しては、僕も親の指示に素直に従う気はないです」
 じゃぁ。と言って探は奥へ消えていった。

 彼が充分離れてから、新一が平次に聞いてきた。
「白馬と何かあったのか?」
「この間、白馬に会ってあいつの話を聞いたんや」
 平次は新一の腕をとって出口に向かった。ガラス戸の近くへ寄っただけで、外の熱気が伝わってくる。開ければ外は想像通りの蒸し暑さだった。
「自分で気がついたんじゃなかったのかよ」
「おかしいやっちゃなとは思うててんけど、さすがにそこまでは考えへんかった」
 新一が駐車場に車が止めてあるという。
 ふたりは日差しを避けて影を歩いた。
「聞いたとき信じられへんかったけど、嘘やとは言えんかったな。なんちゅうか、あいつに感じていた違和感の理由が納得できてもうて」
 新一が軽く肩をすくめる。
 炎天下の駐車場に新一の車が止まっている。免許を取った祝いに両親から贈られた新車だ。国産車ではあるが、とても学生の乗るような車ではない。高級車をぽんと贈る親も親だが、それにちゃんと若葉マークをつけて乗り回している新一もちょっとずれていると平次は思う。
 運転席に乗り込む新一に続いて、平次も助手席に収まった。予想通り車の中はサウナのようになっている。
「とりあえず詳しい話は家に帰ってからだ」
 平次は彼の言葉に頷いて、シートに身体を預けた。



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