無自覚な関係シリーズ 第一章

再 会

−後−




 平次は柱に寄りかかるようにして、改札口から出てくる人たちを眺めていた。新大阪駅の中央改札口の前には、平次と同じように人を待っている人影がかなりある。おそらく最終列車が終わるまで消えることはないのだろう。
 平次は待ち人の顔を知らない。知っているのは、相手もまた高校生であると言うことぐらいだ。
『俺、学ラン着とるからすぐ見つかると思うわ』
 新幹線に乗り込んだ快斗から電話があった際、平次は彼にそう伝えた。同じホテルに彼の部屋を取ることが出来たことも同時に伝えた。
『大丈夫。俺は服部の顔、知っているから』
 それに、一目見て俺ってわかるよ。
 意味を問いただした平次に答えず、到着時刻だけを告げて、快斗からの通話は切れた。最後に残した笑い声が気にかかる。

 平次は携帯電話で時間を確認した。
 まさにその時刻。
 改札口の奥へ目をやると、ばらばらと人波が向かってきていた。スーツ姿のサラリーマンたちの影から、ちらりと若い男の顔が見えた。彼は平次を認め、にっと笑う。
「わかる、て」
 平次は思わず呟いていた。
 声が似ていることからして、新一と快斗の顔の骨格が似ているだろうということは予想が付いていたが、まさか造作までもが似ているとは思っていなかった。
 いたずらが成功したのを喜ぶように、笑顔を浮かべたままの快斗が足取りも軽く改札口を抜けてくる。
「ども、服部。新一の様子はどう?」
 快斗の声は、電話越しで聞くよりも新一に似ていた。
「よう寝とったから、部屋にそのままにしてきたわ。熱は出とらんよ。それにしてもこない遅くによう来たな。お疲れさん」
「新一のためなら火の中、水の中ってね。そっか、よく寝てるのか。大丈夫だと思うけど、早く自分の目で確かめたい」
「ほな行こか」
 平次は快斗を促して歩き出した。ホテルは歩いてすぐだ。

「すぐ俺ってわかったでしょ」
 駅の階段を下りながら、快斗が楽しげに笑う。
「わかるっちゅうか、間違えようがないわ。ほんま驚かせてくれる。まじで親戚か?」
 平次は改めて快斗の顔をじっくり見た。
 いっそ双子の兄弟とでも言われた方がしっくり来るほど、新一と快斗は似ている。
「違うって。建前上遠い親戚になっているけどね。哀ちゃんに言わせると、顔ほど中身は似ていないってさ」 
「それは電話でもわかるわ。工藤は黒羽のこと因縁の相手てゆうてたけど」
「ああ、うん。因縁の相手。そうだね、それが一番ぴったりな表現かな」
 あまり良い意味では使わない単語に、快斗が何度も頷く。
 明るすぎるほどの駅を出ると、深夜であることを思い出す。昼間と違い人気のなくなった道に、コンビニだけがやけに明るい。宿泊しているホテルが見えてきた。
「あそこが泊まっとるホテルや。なんかいるもんあるんやったら、そこのコンビニで買うてったらええ」
 快斗は手ぶらだ。身軽にもほどがある。
「あとで買いに出るよ」
「あ、そや、替えの下着なら俺がさっき買うたやつがあるさかい、それやるわ。二枚組やってん」
「ありがと。じゃ、遠慮なくもらう」
 まずは新一、と快斗がホテルに向かって足を速める。
 平次も彼の横に並んでホテルを目指した。

***

 チェックインをして、快斗がまず向かったのは新一と平次の部屋だった。
 平次がフロントで受け取ったキーで扉を開けると、快斗は真っ先に部屋に入り新一の眠るベッドへ向かった。彼のあとに続き、平次もベッドの脇に立つ。部屋は出てきたときのまま、灯りを落としてあり薄暗い。
 新一の額に触れ、脈を計る快斗の横顔は、真剣そのものだ。平次は息を詰めてその様子を見ていた。
 軽く息を吐いて、快斗が平次を見た。浮かんでいる表情は柔らかい。
「大丈夫」
 ささやいた快斗に、平次も大きく息を吐き出した。
「安心したわ。あんときはどないしようかと思った」
「新一、なにも言っていなかったんだってね」
 快斗がベッドから離れ、窓際のテーブルセットの椅子に座った。平次も彼の正面の椅子に腰を下ろす。
「なんもゆうてくれんかったわ。おかげで今日は焦った」
 後遺症として発作が起きるのだと聞いていれば、なにか対応の仕方があったはずだ。
 平次はベッドの上の新一を見やった。寝顔は安らかだ。
 快斗もじっと新一のことを見ている。

「あのさ」
 しばらくの沈黙の後に、快斗が口を開いた。
「たぶん、この先も新一は服部に発作について詳しいことを話さないと思うんだ」
 平次は快斗に視線を移した。
 彼の目はまっすぐに平次を捉えている。
「なんで?」
「新一が負けず嫌いだから」
 苦笑混じりに言ったあと、快斗が表情を改める。
「でも、俺は服部に知っておいて欲しい。回数は確かに前より減ったけどさ、いつまで新一が発作に悩まされるのか、哀ちゃんにも予測がついていないんだ」
 だから、と快斗は言う。
「工藤本人は言いたくないんやろ。それを勝手に話すんか」
 悔しいけれど、彼はまったく話さなかった。平次自身も聞かなかった。明日の朝、問いつめたら、話してくれるだろうか。
「新一の意地はこの際無視だよ。発作の引き金はもうわかっているんだ。それにさえ気をつけた生活を送れば、発作を起こさずに済む。この先も服部が新一とつき合う気なら、知っておかないといけないことだと思うんだよ。聞く?」
「そらもちろん、聞くに決まっとるやろ」
 新一との関係を断ち切ってしまうことなど考えたこともない。
「で、なんや、その引き金っちゅうのは」
 平次はテーブルの上に身を乗り出した。
「その前に、今回の発作の直前に新一はなにをしていた?」
 平次は思い返してみた。

 あれは平次のことを新一が「親父くさい」と笑った直後だった。
「工藤が俺のことでベッドに突っ伏して爆笑したんで、そのままあいつの後頭部を押さえつけてシーツに埋めたったんや。そんで、その手を離して少し会話したあと、急に倒れたんやった」
 平次の話を聞いて、快斗が頭を抱えた。
「ごく普通のじゃれ合いやろ?」
「確かにね。別にふざけてプロレス技を掛けたって、友達同士なら不思議じゃないけど。でも、それが発作のきっかけだよ」
「じゃれ合いが、か?」
「そのものがじゃなくて、その結果がだね」
 快斗の言う意味がくみ取れず、平次は怪訝な顔をした。
「服部は新一がコナンに戻るところを見たことがある?」
「それはないわ。高校生の姿でおるときは、たいがい体調が悪そうやったのはよく覚えとるけど」
「胸を押さえていたでしょ?」
 確かにそうだったと、平次は頷いた。
「身体が変化するときはね、心臓にものすごく負担がかかるんだって」
 ようやく快斗が本題に入った。
 平次は新一に視線をやって、また快斗を見つめた。
「胸全体が心臓になったみたいになって、鼓動が大きく聞こえるって言っていた。哀ちゃんもそう。今回の解毒薬でもやっぱり心臓にかなり負担がかかったらしくて、まだそのダメージが残っているんだろうって、哀ちゃんは診ている。だから、心拍数が上がるようなことは厳禁なんだよ。血圧が上がるのもよくない。ちょっとした刺激にも敏感に反応するんだ」
「そんでか」
 発作が起きる直前、新一の顔は紅潮していた。暴れていたのも確かだし、笑いすぎて呼吸困難にもなっていた。
「けど、あんだけで」
「だから、自宅軟禁だったんだよ。初めの頃は階段の上り下りも出来なくて、俺が背負って運んでいたんだ。風呂も入れなくて、シャワーを浴びるのがせいぜいだったし。それに発作が起きるたびに、身体の大きさが変化して苦しそうだった。十歳ぐらいの身体にまで戻ったこともあったっけ。今ではその心配はないけどね」
 平次は快斗の話の途中から、新一のことを見ていた。
 ――発作が起きるたび頭を過ぎるんだ。また、コナンになるんじゃないかって。
 眠りに落ちる直前に、新一は呟いていた。
 あれは杞憂などではなく、本当の恐怖だったのだ。

「俺には、なんもいわんと」
 電話での会話といえば、お互いの読んだ推理小説の内容や、平次の手がけている事件の話ばかり。新一は自分の体調のことなど、話そうともしなかった。
 なにも言わないということは大丈夫ということなのだろう、と勝手に解釈していた自分が情けない。
「信用されてへんのかな」
 思わずこぼれた嘆きに快斗が首を振った。
「そんなことはないって」
「そしたら、なんで」
「だから、はじめに言ったじゃん。ただの負けず嫌いなんだよ、きっと。服部には弱みを見せたくなかったんだろうね」
 後遺症が弱みになるのか。
 平次は新一の寝顔を睨んだ。
 発作のことを話しておいてくれれば、今夜だってふざけたりせずに体調を気遣うことが出来たのに。
「服部には、気を遣われたくないんだと思うな」
「なんで?」
「さぁ、理由は新一に聞いてよ。俺に聞かれたって知らないって」
 自分には見せなかった弱みをすべてさらけ出していた相手。
 平次は今更ながらに、快斗と新一の関係が気になった。

「なぁ、黒羽と工藤はいつ知り合うたん? 親戚ちゃうんやろ」
「いつだったかはっきり覚えてないけど、コナンの頃だよ。それがなに?」
 快斗は笑顔を浮かべている。それが彼の本心を隠しているように平次には思えた。
「コナンの頃ゆうことは、正体を見抜いたゆうことか」
 快斗が当然と頷く。
 小学生のコナンが行方不明の高校生、工藤新一だと見抜いた男が、ごく普通の高校生だとは思えない。哀の作った薬に関しても平次より理解が深いようだ。
 探偵ならば新一は平次にそう紹介するだろう。ならば、組織の関係者なのだろうか。
「なにもんや、おまえ。組織のもんか」
「組織とは無関係だよ。ただの新一の因縁の相手だって」
 やはり笑顔が邪魔だ。
 はぐらかされて、平次は目を細めた。
 平次に向かってにやりと笑うと快斗は立ち上がった。新一のベッドに歩み寄り、また彼の額に手を当てる。
「今夜はもう平気そうだ。服部と部屋を代わってもらおうかと思っていたんだけど、そこまでしなくてもいいかな。何か起きたらすぐ呼んで」
「わかった」
 快斗の部屋番号は平次の頭に入っている。内線でも携帯電話でもすぐに連絡が出来る。
「明日の朝、六時半頃に起こしに来るからね」
 快斗がそのまま部屋を出ていこうとする。
 平次は彼の背中に向かって声を掛けた。
「ほれ、約束の品や」
 コンビニの袋ごと新品の下着を投げてやる。
「あ、忘れてた。ありがと」
 快斗は非の打ち所がない笑顔を残して出ていった。

 閉まった扉を見て、平次はため息をついた。
 電話で声だけを聞いていたときよりも、快斗の謎が深まったようだ。新一に問いただしたくても、起こすわけにはいかない。
「明日の朝、聞けるようやったら聞いてみるか」
 ぼそりと呟いて、平次は学ランを脱いだ。ハンガーに掛けて仕舞い、一度は着た浴衣に袖を通す。
 目の前のベッドには新一が横たわっている。
「あほ」
 平次は新一に手を伸ばした。触れた額に発熱の様子はない。
「なんでなんも言わんのや」
 問いかけたところで、眠っている新一からはもちろんなんの応えも返らない。
 弱みを見せたくなかった。
 気を遣われたくなかった。
 そう言う新一の気持ちは、平次にもわからないでもない。
 だが、快斗には頼り、自分には頼ろうとしなかった、新一の心はわからない。
 少し乱れた新一の掛け布団をかけ直してやり、平次は自分のベッドに潜り込んだ。
「おやすみ。工藤」
 寝顔に声を掛けて、平次も目を閉じた。

***

「新一、新一。朝だよ。起きて」
 快斗の声が耳元で響いて、新一は目を閉じたまま顔をしかめた。
 身体を揺すった快斗の腕が掛け布団を引きはがそうとする。新一はそれに抵抗して、布団も潜り込もうとした。
「もうちょっと、あと五分」
「だめだって、ほら」
 一気に布団を剥がされて、新一はシーツの上で丸くなった。
「眠いんだって。快斗」
 新一の抗議の声に、笑い声が被った。
「工藤ってこない寝起きがわるかったんやな」
 関西弁が新一の脳を刺激した。目を開くと、見慣れない景色がそこにある。
「あ、れ?」
「あれじゃないって、新一」
 あきれた声に顔を上げると、苦笑を浮かべた快斗がベッドの脇に立っていた。その後ろでは、自分のベッドに腰を下ろした平次が腹を抱えて笑っている。彼はすでに学ランを着込んでいた。
 大阪のホテルに泊まっていたことを、新一はようやく思いだした。
「うるせー、笑うな、服部。それにしても、なんで快斗がここにいるんだよ」
 追いかけて来るかも知れないと予想はしていたが、結局彼から連絡はなかったはずだ。
「昨日、家に電話したら新一いないし。それで携帯に掛けたら、服部が出て大阪で新一が倒れたって言うからさ。慌ててきたんだよ。まったくまだ無理しちゃだめなのに」
 起きあがった新一に、快斗が腕を組んで言う。
「家にメモを残してきたんだぞ。だいたい灰原の許可をもらって外出したんだからな。文句を言われる筋合いはない」
「発作さえ起こさなければね」
 快斗の機嫌は斜めのようだ。
 新一はすねて視線をそらせた。
「起こしたくて起こしたんじゃねぇよ」
「起こしたくないんやったら、なんで俺に発作のことを教えんかったんや?」
 今度は別方向から攻撃が来た。
「しっとったら、俺かて注意したのに」
 大笑いをしていたのが嘘のように、平次が真剣な顔で新一のことを睨んでいた。
「あれはおまえのせいじゃない」
「そういうことをゆうてるんとちゃう。なんで教えんかったんか、理由が知りたいだけや」
 新一は平次の目を見返した。
 彼は怒っていると言うより、悔しげな表情を浮かべている。

「先、着替えなよ。新一」
 ハンガーに掛けてあったシャツを新一に放って、快斗がふたりの間に割り込んだ。寝乱れた浴衣を肩から落とす。新一の背中を見た平次が叫び声を上げた。
「工藤! なんや、その傷は。まさか、あんときの」
 肩口が痛むと思ったら、また自分の爪で傷を付けてしまったらしい。新一は場所を確認して、内心ため息をついた。四本の爪の跡がくっきりと残り、ところどころ血が固まっている。またしばらく痕が残るだろう。自分の二の腕や脇腹に色素沈殿を起こした古い傷があることも新一は知っていた。
「ああ、またやっちゃったんだね。薬塗るから、まだシャツ着ないでよ」
 ため息をついた快斗が勝手に新一の鞄をあさる。それを横目に見ながら、新一は平次に弁明した。
「発作のとき、身体に爪を立てる癖が付いてさ。やめろって言われているんだけど、なかなかやめられないんだ。無意識だから」
 平次の視線がきつくなる。
 ふたりにかまわず、快斗が黙々と新一の傷に薬を塗っていく。
「無意識、て。そないな傷、かなり痛むやろうに」
「気づかないんだよ。発作のときはそれどころじゃない」
「いいよ、シャツ着て」
 快斗の許可が出て、新一はシャツを羽織った。
「発作起こしてしもうたら、そない苦しむのに。わかっとって、なんでゆわん」
 平次がまた蒸し返す。
「ちゃんと説明する。先に準備をさせてくれ。快斗、新幹線の切符は?」
 着替えをしながら、新一は快斗を見た。
 新一の鞄の中を整理していた快斗が、まだと首を振る。
「じゃ、悪いけど、先に行って取っておいてくれ」
 平次に発作のことを言わなかった理由を、新一は快斗に聞かせたくなかった。
「東京行きは本数が多いから、その場で自由席を買えば間に合うと思うけど」
「今日は平日やし、甘いかもしれへんで。サラリーマンで朝と夜は混むねん」
 新一の思惑を知ってか知らずか、平次が上手く後押しをしてくれる。
「そういえば、来たときもスーツを着た人ばっかりだったっけ」
 快斗が思い返すのに、新一はこれ幸いと追い打ちを掛けた。
「俺、待つの嫌だからな。悪いけど、先に指定席の切符取っといてくれよ。禁煙席で頼むぜ」
 いいよ、と快斗が立ち上がる。
 部屋を出かける彼の背に、さらに新一は声を掛けた。
「ついでにこっちの部屋の精算もしといてくれ。金はあとで払う」
「当然だよ」
 振り返った快斗が、扉の影から苦笑を投げてよこした。
 後ろでは平次が「なんか命じ慣れてないか」と呟くのが聞こえた。

***

 ホテルを出ると、暖かな日差しが新一を待ち受けていた。朝も早いせいか、風はまだ冷たい。
 すぐ目の前に新大阪駅が見える。
 新一は隣を歩く平次をちらりと見た。
「あのさ。発作のことをおまえに言わなかった理由は、気を遣われたくなかったからだ」
「なんで。なんで俺に気を遣われたくないん」
 ようやく聞きたいことを話し出した新一に、平次が詰め寄ってくる。
「快斗に灰原に博士。この三人が俺のことを壊れ物でも扱うようにしてくるんだ。確かに初めの頃は発作の回数も多くて、本当に壊れかけていたけど、今はもう違う。それなのに、みんな過保護でさ」
「そんだけ工藤のことが心配なんやろ。大事にされとることは、悪いことやない」
「それには、感謝している」
 新一は素直に頷いた。
 特に快斗には負担を掛けている。
 だからこそ、このわがままを聞かせたくなかった。

「だからさ、おまえには言わなかった」
「意味がわからんぞ、工藤」
 飛んだ内容に平次が怪訝な顔をする。
「ひとりぐらい発作のことを知らないで、以前と同じ扱いをしてくれるやつが欲しかったんだよ」
 興奮するといけないからと、新一の前での事件の話がタブーになったり。ニュースや報道番組を見せてもらえなかったり。庭に出るときも付き添いが必要で、小走りになったぐらいで注意された。
 確かに皆が、自分のことを心配してくれて、気を掛けてくれているのだということは痛いほどわかっていた。
 だが、たまには、自由に羽を伸ばしたかったのだ。
「おまえがバイクに乗せてやるって言い出したときには、うれしかった。断るのが惜しいぐらいだったんだけどな」
「乗せんで正解やった。最中に発作が起きて落としてもうたら、と思うと怖いわ」
 平次が首を振る。
 昨夜、情けないと新一が弱音を吐いたとき、平次は即座に否定してくれた。
 基本的に優しく出来ているこの男は、一度発作のことを知ってしまったら、快斗以上に気遣うようになる。新一はそう思っていたが、まさに予想通りだったようだ。
「だろ。だから、言いたくなかったんだ。ああ、早く普通の生活に戻りたいぜ」
 事件の捜査に参加したい。
 高校の授業にも出たい。
 自由気ままに外出もしたいし、バイクにも乗りたい。
「それやったら、もう少しおとなしくしとり。もうちょい自分の身体を大事にせいや。少しずつよくなっているんやろ。せやったら、発作起こして後退させるようなことをするなや」
 諭すような眼差しで平次が言う。

 新大阪の駅に着いた。サラリーマンが急ぎ足で新一たちを追い抜いて、駅の中に吸い込まれていく。
 新一は目の前の階段を見上げた。上に快斗がいるのが見える。彼に手を振って見せて、新一は階段に足をかけた。
「服部みたいに無謀なやつには、あんまりいわれたくねぇ」
「無謀は工藤やろ」
 横に並びながら平次が言い返してくる。
「毒を受けて入院していたくせに病院脱走した、前科持ちだろうが、おまえは」
「あ、あれは」
 平次が頭を掻く。
「俺の服を盗んで行きおった工藤がなにをやらかす気か、想像がついたさかい追っかけたんや。体調悪いのに、のこのこ犯人の前に出ていった工藤の方が、無謀やろうが」
「あの時使った薬の都合上、一時的に具合が悪くなったんだよ。初めから悪かったんじゃねぇ」
 言い争いながら階段を上っていると、快斗の声がかかった。
「まぁまぁ、喧嘩をしないでよ。新一、十五分後のひかりが取れたよ。どっかで朝ご飯を買って中で食べよう。平次はどうする?」
「俺も買って、学校で食べるわ」
 そのまま三人は弁当が売っている店の方に移動した。





「春休みに入ったら、予定通り工藤のとこへ行くで」
 改札口の前で別れる直前、平次が言いだした。
「予定通りって、そんなこと予定していたのか、おまえは」
「当然やろ。それまで来るなゆうてたのは、工藤やんか。禁止期限が終わったら行くに決まっとる」
 意味なく胸を張る平次に、新一はあきれた。
「勝手に決めるな」
「服部、来てもらっても新一には遊ぶ暇がないんだ」
 新一が言いたかったことを快斗が言った。
 平次がふたりの顔を見比べる。どちらを問いつめたらいいのか迷っているのだろう。
「悪いな。進級のかかっている試験と補習でほとんど毎日つぶれそうなんだ」
「ほんまかい!」
 叫ぶ平次に快斗が追い打ちを掛ける。
「それに、服部が来ると事件が起きるって、博士も哀ちゃんも言っているしさ」
「妙なジンクスを作るんやない。本人のいないところで。ええやん、久しぶりの上京を楽しみにしとるのに」
「だめ!」
 快斗がぴしりと断る。
「服部が来ると、新一が無理をしそうな気がする」
「おい!」
 今度は新一が抗議の声を上げた。
 だが、言われた平次自身は「ああ、そうか」と頷いている。
 やはり平次も快斗の同類かと、新一は深くため息をついた。
「しゃあない。春休みは諦める。せやから工藤、しっかりおとなしくして、ゴールデンウィークまでには治しておきや。バイクで上京するさかい、乗せたる」
 さすがに平次は切り替えが早い。
 な? と笑いかけられて、新一もつられたように笑顔を返した。五月晴れの空の下、バイクで走るのはきっと気持ちがいいだろう。
「来るときに事故起こすなよ」
「あほ、誰にゆうとるんや」
 素直ではない新一の同意に、平次が笑って言い返してきた。楽しみにしているのが、伝わってしまったのだろう。妙に照れくさくて新一は平次から目をそらせた。
「そろそろホームに行かないと」
 掲示板の時計を見上げた快斗が新一を促す。
 平次が改札を抜けたふたりに手を振った。
「黒羽、工藤を頼むな。工藤もはよ体調戻せや」
 ふたりは振り返って、それぞれ「おう」と手を挙げた。



 昇りのエスカレーターに乗り、ホームへ向かっていると快斗が新一にささやいた。
「服部に俺のことなんて説明した? 聞いてきたでしょ?」
 新一は彼を見返して、首を振った。一段下に立つ快斗のクセっ毛が新一の目の前で揺れている。
「別になにも聞いてこなかったぜ」
「へぇ、昨日の段階では結構気にしているみたいだったんだけどな」
「ただ単に忘れたんじゃねぇの」
 上がったホームには新一たちの乗る新大阪発の新幹線がすでに止まっていた。やはりここでもサラリーマンの姿が目立つ。
「俺のことより、新一のことが重要ってことかぁ」
「仕方がないだろ。それだけつきあいが深いんだから」
 快斗に手渡された切符に従い、乗り込む車両へ向かう。新一の横を歩きながら、快斗がまだぼやいている。
「エンターテイナーとしては、無視されるのはつらいな」
「誰がエンターテイナーだ」
 突っ込むのと同時に、新一は腕を組んで悩んでいる振りをしている快斗を車両の中に押し込んだ。
 ふたりの向かう東海道は、今日もよく晴れている。



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