「ニセメイド」論

はじめに

 オタクはメイド好き、と言われるが本当にそうなのだろうか。メイドを勘違いした自称メイド萌えが増えただけのようにも思える。そういう連中が好んでいるのは、実は、メイドではない別の属性なのではないか。

 正しいメイドと区別して、AVや風俗などのエロジャンルやお手軽系萌え作品における僭称版メイドを「ニセメイド」と呼ぼう。もちろん、こっちは正しいメイド、あっちは「ニセメイド」、とすべてのキャラをきちんと分類できるわけではない。しかしながら、メイドブームの文脈で言及される「メイド」の多くが正しいメイドの姿からはかけ離れている、ということは、まあ皆さんうすうす気づいているのではないか。それは、ハリウッドの「ニンジャ」や「カラテカ」が正しい姿からかけ離れているのと同じような事態と言える。

 そのような「ニセメイド」キャラ、「ニセメイド」萌えを、浅薄だ、といって批判するのは容易い。しかし、ただ批判するだけでは生産的ではない。エロジャンルにおける中身のないコスプレの隆盛は今に始まったことではないので、まあいいとしよう。とりわけ我々オタクの萌えにおいて、なぜメイド属性は変質して「ニセメイド」属性になってしまったのか、を明らかにしなければならないのである。

1 正しいメイド萌え

 あるべきメイド萌えのあり方を確認しておこう。

 私の理解では、メイド萌えの核は、「身分が異なるし雇用関係もあるので対等な人間関係は成立しえないはずなのにもかかわらず、深い心の通い合いがはからずも実現してしまうさま」にある。すなわち、メイド萌えの醍醐味は「メイドとご主人様が壁を乗り越えるさま」にあるということだ。つまり、メイドとご主人様との間には、そもそも「壁」がなければならない。「壁」の存在が萌えの前提になっているのである。

 さて、その「壁」を支えているのが何かといえば、「身分の違い」と「雇用関係」ということになる。とりわけ重要なのが階級制である。メイド萌えは階級制という社会規範を侵犯する「背徳性」を本質とするのである。そうであるならば、メイド萌えは、特定の社会制度や文化状況の描写のもとではじめて成立しうるものとなる。

 結論としてはこうなる。メイドをメイド単体として規定することはできない。ご主人様との二項関係に拠ってもまだ不十分だ。メイドとご主人様が置かれた社会や文化への言及が必須なのである。

2 「ニセメイド」萌え

 以上のような正しいメイド萌えを理解しておられる方も少なくない。有名どころでは森薫の一連の作品はそうである。その他にも、ネットなどを回ってみれば、「わかっている」人がいろいろとみつかる。しかし一方で、多くのエロジャンルやオタク向け萌え作品において、先の原則が無視されていることも否めない。「ニセメイド」ばかりなのだ。

 「ニセメイド」の核とは何か。簡単に言ってしまえば、「エロにおける奉仕」ということになろうか。「ニセメイド」とは、「ご主人様」のエロ要求(パンツ見せる程度の軽いものからガチエロまでレベルはあるが)に「奉仕」で応えてくれる存在なのである。その判りやすい象徴を一つ指摘すれば、メイド服のスカート丈であろうか。「ニセメイド」ほど短くなるわけだ。しかし、これはメイドの本質規定に反している。まず、屈折なしにメイドを恋愛や友情や性的欲望の対象とするのは間違いだ。さらに、メイドという職業の規定にエロ奉仕なぞ入っているはずもないので、雇用関係のあるべき姿も踏み越えてしまっている。ついでに私見を述べておくならば、丈が膝上になった時点で本来のメイドの制服としては失格である。はしたない。

 似たような服装なので混同しやすいが、メイドと「ニセメイド」はまったく異なる。つまりは、メイド萌えと「ニセメイド」萌えもまったく異なるわけだ。

3 「ニセメイド」はどうして生じたか

 メイドと「ニセメイド」が違うのはわかった。しかし、どうしてメイドが「ニセメイド」になってしまったのか。これが問題になる。理由はいくつか考えられる。

 自覚的に「ニセメイド」が選択される場合がある。

 今日において正しいメイドキャラを立てようとするならば、先に指摘した「壁」を支える社会制度や文化状況についての設定を練り上げることが必要となる。そんな面倒くさい作業は省略して手っ取り早くエロや萌えが欲しい、という意識が生まれれば、たんに女の子にメイドっぽい服でも着せればいいや、ということになる。まあただのコスプレである。この手の「ニセメイド」はエロジャンルに多い。

 メイドを志向しつつも失敗する場合もある。

 現代の日本で平凡に生まれ育った者は、「身分の違い」にそれほどリアリティを感じることができない。メイドとご主人様の間に越え難い「壁」がある、ということを実感できない。そのため、素のままの我々は、メイド服を着た可愛い女性の甲斐甲斐しさに屈折なしに萌えてしまう。本来ならば、それが当然、単なるお仕事、と無感動でいなければならないのに、だ。もちろん、これは現代庶民として仕方のないことでもある。しかし、この萌えにどこまでも無反省にのっかって、そもそもの「壁」の存在を忘却してしまうと、メイド萌えの核は見失われてしまう。そして、メイドと「ニセメイド」の区別もできなくなってしまうのだ。このような事態は、ヌルい自称メイド萌えヒヨコオタクたちによく見られるものである。

 だいたいこのような次第で、「エロにおける奉仕」を属性の核とする「ニセメイド」が登場したのではないか。

 メイド服はよいものだ。しかし、それを着せるだけではメイドにならない。メイドの魂がなければならない。ところが、メイドの魂をキャラに注入すること、そしてその魂に感応することは、かなり難しいのである。そのため、メイドは「ニセメイド」に、メイド萌えは「ニセメイド」萌えに、容易に堕落するのである。

4 変形した近親属性としての「ニセメイド」

 メイドからの変質という観点から、「ニセメイド」を考えてみた。しかし、これだけの議論では弱い。「ニセメイド」の発生は説明できても、その定着までは説明できていない。なぜ「ニセメイド」のイメージはこれほどまでに普及してしまったのだろうか。ここで私は近親属性との類似性を指摘したい。

 妹、姉、母等々、近親系の属性の萌えの醍醐味はいろいろと考えられる。しかし、もう少し浅いレベルでこれらの属性の隆盛の原因を探ってみるならば、「相手にベタ惚れしてもらうのに努力が不要」という、「萌えないしはエロのお手軽さ」にあると考えられよう。(近親属性のお手軽さについては「ハーレムの論理」で簡単に指摘しておいた。)そして、「ニセメイド」もまた、「それがお仕事」であるからして、「相手にベタベタ甘やかしてもらうのに努力が不要」ということになる。「ニセメイド」の奉仕は、使用人ではなく家族の奉仕なのである。

 さらに言えば、「ニセメイド」は真正の近親属性のように対象が限定されていない。また、ちょっと引いてしまうような真正の「肉奴隷」のような鬼畜外道性も(少なくとも見かけは)備えていない。とにかくお手軽なのである。この、このうえないお手軽さこそが「ニセメイド」の最大の武器と思われる。

5 Noblesse Obligeはどこへいった

 私は「ニセメイド」萌えが悪いと主張しているのではない。メイド属性と「ニセメイド」属性はまったく別モノであり、混同されるべきではない、と言いたいだけである。とはいえ、「ニセメイド」万歳と素直に叫べるほど坊やでもない。私が気になるのは、「ニセメイド」の「ご主人様」のあり方である。

 まずはメイドを考えよう。メイドであればなんでもいいわけではない。よいメイドでなくては萌えない。では、よいメイドとは何か。やはりよいご主人様に仕えていなければならないだろう。では、よいご主人様とは何だろうか。

 こういう次第で、メイド萌えについて語るためには、ご主人様道について語る必要もまた出てくる。

 簡単に言えば、萌えるメイドを雇うには、それなりの資格が要求される、というわけだ。Noblesse Obligeと言ってもいいだろう。ダメなご主人様は、メイドの魅力を曇らせるのである。同様のことは、執事にも言える。たとえば清川元夢声の執事を片腕とするには、それなりの主人としての格が必要なのである。

 ところが、「ニセメイド」になると、この発想がまったく失われてしまう。

 階級制も雇用の縛りも取り払われた結果、「ご主人様」のあり方について、なんらの制約もなくなってしまう。どんなにクズでヘタレなダメ人間であっても、お手軽に「ニセメイド」の「ご主人様」になれてしまうのだ。極端な話、今日の予定が「任意の時間にネットうろついてオナニーして寝る」(by田丸浩史)でもいいわけだ。これは、「ニセメイド」のお手軽さからくる当然の帰結である。しかし、やはり「ご主人様」の堕落は、それに仕える「ニセメイド」の魅力も失墜させていくのではないか。このあたり、気になるところである。

6 その他の関連属性について

 これまでメイドおよび「ニセメイド」について考えてきた。いくつか関連する論点を指摘しておきたい。

 一点め。最初にも述べたが、メイドと「ニセメイド」が厳密に分類できるわけではない。その中間くらいに、階級制の不在を笑いでごまかす「ギャグメイド」みたいなものもあったりする。師走冬子『スーパーメイドちるみさん』あたりを思いうかべてもらいたい。ちまき教官いいなあ。本稿はメイドと「ニセメイド」のみを理念型で扱っている。

 二点め。 椎名高志『(有)椎名百貨店』の「ミソッカス」、そしてもちろん『To Heart』の「マルチ」あたりを源流とする、「メイドロボ」について。考えてみると、「メイドロボ」が意外に大きな可能性を秘めていることに気づく。メイドという観点からみた「メイドロボ」の核心とは、これまで階級制が担っていた「壁」を、人間と機械の間の「壁」に置き換えたことにあると思われる。「メイドロボ」において、本来のメイド萌えに相似した萌えが成立する可能性があるわけだ。これはなかなかに興味深い。

 三点め。お嬢様お姫様属性について。本格的なお嬢様萌えには、「そのお嬢様は我々庶民とは異なる階級に属している」という認識が必要である。ご主人様とメイドとは真逆の方向で、「壁」が必要となるわけだ。そして、これまで論じてきたように、我々は階級制を扱うのが下手であるがゆえに、正しいメイドと同様、本格派お嬢様を描写するのにもかなりの困難を抱えている。「Noblesse Obligeに基づく高貴さ」をどうしても描ききれないわけだ。それゆえに、萌え狙い作品のお嬢様は、たいがい「天然系おっとり」か「成金的傲慢」になってしまう。これらも悪くないのだが、本格派お嬢様属性はもう少し別の次元にある。『∀ガンダム』あたりは本格派お嬢様お姫様の宝庫である。さすがは富野御大、というべきか。ガッチリと背景の社会制度や文化状況をつくりこんであるから、これができるわけだ。

おわりに

 だいたいこんなところであろうか。私は「ニセメイド」を否定はしない。メイド萌えと混同さえしなければ、何にどう萌えようが個人の自由である。

 ただまあ、「メイド喫茶が好きなヤツがメイド萌え」とか寝惚けたことを言う連中も多いのだ。そういう与太を言ってもらっては困る。いやしくもオタクを名乗るのであれば、たんなるコスプレと真の属性の区別くらいはつけてしかるべきだ。

 メイド萌えの核心はメイド服にあるのではない、メイドとご主人様の紡ぐ「物語」にこそあるのだ。

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