タックル問題についての一考察

タックル問題

 電波人間タックルは、なぜ仮面ライダー八号ではないのか。
 これは、仮面ライダー解釈史上の重要な問題の一つである。
 もっとも有力な解釈は、平山亨や村枝賢一などのもので、城茂は岬ユリ子を戦士として葬ることを好まなかった、というものである。
 私は、この解釈を否定するものではない。しかし、もう少し別の角度から考えることもできるのではないか、と思うのだ。

問題の立て直し

 電波人間タックルは、なぜ仮面ライダー八号ではないのか。これを問う前に、違う問題を考えたい。
 ストロンガーは、いつから仮面ライダー七号になったのだろうか。
 「称号としての仮面ライダー」で述べておいたが、「仮面ライダー」とは、一つの称号である。人類の平和と正義のために戦う戦士として認められた者だけが、「仮面ライダー」を名乗ることを許されるのだ。
 これは、別の角度から述べるならば、「仮面ライダー」を正当に名乗るためには、少なくとも他者から「仮面ライダー」として認められねばならない、ということを意味するだろう。
 ところが。こうなると、以下の点が問題になる。
 『仮面ライダーストロンガー』第一話で、なるほど城茂は「仮面ライダー」を名乗る。しかし、これはただ自分で言っているだけ。自称にすぎない。
 物語の冒頭では、ストロンガーは「仮面ライダー」の称号を借りているだけなのだ。この段階では、ストロンガーはただの改造電気人間であって、「仮面ライダー」ではないのである。

復讐鬼ストロンガー

 そもそも冒頭のストロンガーには、「仮面ライダー」を名乗る資格はない。
 城茂の戦いの最初の出発点は復讐にあった。親友沼田五郎を殺された復讐のため、城茂はブラックサタンに戦いを挑んだのだ。すなわち、ストロンガーの戦いは、まずもって個人的な動機からはじまったのである。
 これは、「仮面ライダー」を名乗るには相応しくない。
 復讐に燃える漢がヒーローになれないわけではない。たとえば早川健はヒーローの中のヒーローである。同様に、城茂、改造電気人間ストロンガーも、ヒーローではある。
 しかし、だ。「仮面ライダー」という称号は、たんなる「ヒーロー」という称号とは違う。ヒーローである、というのは、「仮面ライダー」であるための必要条件ではあっても十分条件ではない。
 「仮面ライダー」には究極の純粋性が要求される。
 自らの復讐のために悪と戦うのでは駄目なのだ。
 ただただ人類の平和と正義のためだけに戦う存在でなければ、「仮面ライダー」とは言えないのである。
 こういうわけで、ブラックサタン編においては、いくら城茂が「仮面ライダー」を名乗っても、実はそれは自称にしかなっていなかったのである。

タックルの死の意味

 問いを繰り返そう。
 ストロンガーは、いつから真の仮面ライダー七号になったのだろうか。
 もうおわかりだろう。
 岬ユリ子の死を経てはじめて、改造電気人間ストロンガーは、仮面ライダーストロンガーとなったのである。
 岬ユリ子は死んだ。
 もはや城茂は、復讐のために戦うのではない。

 世の中が平和になったら、どこか遠くへ、二人で。

 果たしえなかったあの約束のため、城茂は戦うのだ。
 このときはじめて、城茂の戦いは、純粋な正義の戦いとなった。ストロンガーは真に「仮面ライダー」と呼ばれるべき戦士へと脱皮したのである。
 こう考えれば、タックルをけっして八号ライダーとしてはならないことが理解できる。
 タックルが、岬ユリ子が、その死をもって、七番目の仮面ライダーを誕生させたのである。タックルの存在はもはや七番目の仮面ライダーの一部をなしている。どうして今さら八号の名を贈る意味があろうか。
 これが私のタックル問題についての回答である。

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