さらなる燃えと萌えのために。もっとイタく、もっときもちわるく。
怪獣は得意分野ではないので簡潔に述べたい。
怪獣は怪獣でなければならない。怪獣でないものは怪獣ではない。
これは当たり前のように思える。しかし、ここで問題は、怪獣とは何か、ということだ。これが判っていなければどうにもならない。
私の答は単純である。でも、実はちょっとひねってある。
怪獣とはわけのわからないものなのだ。
ソレがなにか、が明確に定義できてしまうものは、怪獣ではない。ソレは、ソノ何かである。ソレが怪獣と呼ばれるのは、なにがなんだかよくわからない存在だからである。
種が何なのか不明。そもそも生物なのかも不明。行動原理も不明。意味不明理解不可能の生ける暴力の塊、これが怪獣なのだ。
怪獣とは何か、という問いに正面から答えを与えてはならない。その何か、ということが明確ではないもの、それが怪獣なのだから。
怪獣中の怪獣であるところの1954年のゴジラを思い出してほしい。意味不明理解不能の塊である。たしかに劇中、恐竜が放射能でゴジラ化、という説明がなされているように思える。しかし、(今更の解釈なのだが)これが説明のようで説明でないところが1954ゴジラの肝である。これでゴジラが理解可能になるわけではない。逆に、ゴジラの不可解さに引きずられ、説明原理のはずの放射能の意味不明さ理解不能さがメッセージとして立ち現れることになるのだ。なにがなんだかよくわからない暴力の塊として、ゴジラ=放射能は暴虐の限りを尽くす。
たとえばゴジラ対ビオランテは一応これを理解している。1954ゴジラの「放射能」の位置に、ただ「バイオテクノロジー」を入れただけ、と言えばそうなのだが。
平成ガメラ三部作はたしかに面白かったのだが、どうしても割り切れない思いが残った。それは、結局、怪獣を怪獣でなくしてしまったからだ。
平成ガメラは、余計な説明の嵐である。単純に言おう。「古代に遺伝子操作で創造された生物兵器」は「古代に遺伝子操作で創造された生物兵器」であって、「怪獣」ではない。ちゃんと定義ができて本質や存在理由もわかってしまったモノは、怪獣でもなんでもないのである。
余計なお喋りが頂点に達するのが、言うまでもない、G3である。酷い。とにかくすべてに説明が与えられる。ガメラやイリスの行動原理までもが、しょうもないエコ論理や、思春期の少女のココロでペラペラ語られる。
いくら特撮がよくても、これではダメだ。説明がついてしまった時点で、怪獣は怪獣でなくなる。
ところで、怪獣と人間のキャラクターを重ねる場合にどうしたらよいのか。イリスと前田愛(の演じたキャラ)はダメだ。模範は、ガメラ対バルゴン、バルゴンと小野寺さんである。
ガメラ対バルゴンには、(ガメラ以外に)モンスターが二体いる。一体はもちろん怪獣バルゴン。もう一体は、欲に眩んだ人非人、小野寺さんである。このスケールの異なる二体のモンスターが、前景と後景に入れ替わりながら暴れ回る。これにより、ガメラ対バルゴンは立体感あふれる構成となったわけだ。
オパールの輝きに魅せられた小野寺さんは、まさにバルゴンの化身として暴走する。しかし。小野寺さんとバルゴンの間には、やはり「越えられない壁」がある。各々存分に暴れまわった末、劇の終盤近く、小野寺さんとバルゴンは二度目の、そして最後の邂逅を果たす。そこでどうなるか。
小野寺さんはパクリとバルゴンに喰われてしまうのだ。なすすべなく。更に言えば、バルゴンは小野寺さんを食べたわけですらない。宝石を喰おうとしたついでに飲み込んじゃっただけなのだ。
人間のモンスターがどれだけ極悪だろうと、怪獣という真のモンスターの前では塵芥同然。一言で言えば、こうだ。ガメラ対バルゴンでは、怪獣の論理が人間の論理に優先する。これが正しい。
ところが、G3は違う。怪獣のイリスが、人間である前田愛の論理で動いてしまうのだ。こりゃダメだ。平成組のギャオスやレギオンと比べても、イリスがどうしてもヘタレて見えるのは、このせいである。人間の小娘の情念で説明されてしまう存在なぞ、怪獣の名に価しないのである。
角度を変えて表現してみよう。同じ特撮ジャンルであるが、SFと怪獣は明確に異なるわけだ。SFに必要なのは、強靭な論理の一貫性である。怪獣に必要なのは、一貫した論理を逸脱する理解不能なモノの描写である。
この基本的な理念に則っていなければ、怪獣ではない。怪獣の論理は、広義の燃えの論理に分類される。拙論「萌えの主観説」で既に指摘したが、燃えは、萌えと異なり、エピソード単位で喚起されるものではない。個々の特撮シーンにいくらケレン味があって痛快でも、そこに理念の顕現がなければ、怪獣の燃えは十全に生じることはないのだ。
さて、こう考えてみると、怪獣映画史上に燦然と輝くあのバカ台詞の解釈も変わってくる。
ギャオって鳴くからギャオスだよ。
ヒドイと言えばヒドすぎる。しかし、考えてほしい。あんな変なモノに、他にどうやって名前をつけたらいいのだ。ギャオって鳴くからギャオス、としか名づけようがないではないか。ここまで意味不明だからこそ、昭和ギャオスは怪獣の中の怪獣なのである。