高年齢ニワカ問題

 以下の話は仮説である。また、私が単独で思いついた話でもない。先日友人と飲んでいて、そこでの話の流れのなかで示唆されて盛り上がった論点である。酔いがさめたあとで考えなおしてみたが、なんとなく何分かの理があるように思えるので、メモしておく。

 私はこれまでレベルの低い言動をするオタクたちのことを「若い子」と呼ぶことが多かった。そして、「まあ若いんだから仕方がないよね」という感じで自分を納得させてきた。しかし、そうではないのではないか。

 オタク趣味が社会的に認知されるにつれ、大ヒット作などをきっかけにして、比較的高年齢でオタク趣味に目覚める人の割合が増えていることはたしかであろう。どこからが高年齢になるのか、という線引きは難しいが、とりあえず私は、大学に入ってからオタクデビューしました、というあたりから上をイメージしている。たとえば、大学に入ってから、あるいは社会人になってから、『エヴァ』なり『ハルヒ』なり『まどマギ』なりが入口になって、これまで興味もなかったアニメを見るようになりました、というわけだ。こういった人たちをひっくるめて、「高年齢ニワカ」と呼ぶことができるだろう。

 もちろん、高年齢ニワカたちが、だんだんとその趣味を成熟させていくこともあるだろう。そうであれば、ここにはなにも問題はない。しばらくすれば、一般的な成長経路を辿ってきたオタクたちと区別がつかなくなるであろうから。しかし、高年齢ニワカには、固有の落とし穴があるように思われるのである。

 それは、ニワカであるにもかかわらず、そこそこ語ることができてしまう、というものである。

 高年齢ニワカは、高年齢であるがゆえに、これまでにいろいろな文化的経験を積んでいる。そのため、オタク的教養が欠如していても、その他の経験を利用して、それなりにもっともらしい感想やら批評やらをものにすることができてしまうのである。もちろん、そのうちには傾聴に値する洞察も多々あるだろう。しかし、だ。オタク趣味もそう甘いものではない。ニワカはやはりニワカ。その言説がどこか的外れなものになってしまう危険はつねにある。ところが、高年齢ニワカは、高年齢であるがゆえに、プライドが高い。自分が頓珍漢なことを言っているとか自分には教養が足りないとかいったことを、アニメや漫画ごときにかんして認めるのに抵抗を感じてしまいがちだ。それゆえ、その的外れな言説に不必要に固執してしまうのではないか。そして、そのまま、オタクとして成熟することなく、いつまでも高年齢ニワカでありつづけることになってしまうのである。

 レベルの低い言動をすることそれ自体は、誰にでもあることであり、仕方のないことである。自分がそういった言動をする危険性があることを自覚し、なるべくそうならないように注意し、そうしてしまったときに過ちをすぐに認めるのであれば、とくに問題とする必要はない。つまり、ニワカであること自体に問題があるわけではない。問題が生じるのは、自らのレベルの低い言動をそれとしてきちんと認めることができない、という場合においてである。そして、そのような態度を採ってしまう危険性が高年齢ニワカは大きいのではないか、ということが私の仮説というわけである。

 つまり、レベルの低い言動をすることが問題化してしまいがちなタイプとして注目すべきは、若く未熟なオタクではなく、一部の高年齢ニワカなのではないか、ということである。

 さらにいくつかの論点を付け加えつつ、話を具体化してみたい。

 高年齢ニワカは高年齢であるがゆえにたいてい職をもち、社会生活に疲れている。(職がない場合には、当然のことながら、もっと人生に疲れている可能性が高い。)そのため、オタク趣味に精神的なエネルギーを十分に費やせる若い世代よりも、ヌルい作品を好む傾向があるのではないか。端的に言えば、萌え豚とおっさんおばさんとは相性がよいのではないか、ということである。この論点については、かつて「おっさんは萌えアニメがお好き」でも指摘した。繰り返しになるが、萌え豚的態度を採ることそのものは問題ではない。問題は、紆余曲折を経て萌え豚的態度に辿りついたオタクにとっては、そういった態度を相対化することが比較的容易であるのにたいして、高年齢ニワカは、萌え豚的態度こそがオタクである、というように、自分の芸風を固めすぎてしまいがちだ、というところにある。これは勿体ないことであろう。

 また、高年齢ニワカは高年齢であるがゆえに購買力が強い。そのため、作品なりキャラなりへの愛を表現するさいに、過剰な消費という手段を選びがちなのではないか。もちろん、金をつぎ込む、ということも立派な愛情表現ではあるが、これに傾斜しすぎると、オタクならではの濃い語りがそのぶん衰退してしまいそうである。先ほどと同じようにまとめるならは、高年齢ニワカは、過激な消費こそがオタク的愛である、というように、自分の芸風を固めすぎてしまいがちなのである。これもまた勿体ないことである。

 態度ではなく信念の内容に目を向けてみよう。評論家が生半可にオタク分野に手を出して、高年齢ニワカ丸出しの文章書いてしまうことがよくある。それなりに練られたオタクであれば、この手の言説の胡散臭さを直感的に嗅ぎわけることができるわけだが、高年齢ニワカにとっては、それが難しい。理由は簡単、ニワカだからだ。さらにそこに、高年齢ならではの、年齢に見合った知的さを手っ取り早く装いたい、という横着な欲望が加わる。このようなわけで、高年齢ニワカは、知的権威を装った低レベルな語りに騙されやすいと推定される。かつての低レベルな『エヴァ』論ブームなどを想起されたい。ああいった言説に存在の余地を与えてしまっていたのは、高年齢ニワカだったのではないか。ところで、低年齢ニワカは、ニワカであっても低年齢であるがゆえに、そもそも評論家連中が書くような小難しい見かけのものに興味をもたない。だから、騙される可能性がそもそも少ないだろう。すなわち、高年齢ニワカは、オタクリテラシーの弱さにつけこまれやすく、誤ったオタク的言説を真実だと思い込みがちである、というわけだ。

 こんなところであろうか。言わずもがなの断り書きをしておけば、もちろん私は、すべての高年齢ニワカが上のような問題をもつ、と主張しているのではない。さらに、当然のことながら、私は、問題的なレベルの低い言動のすべてを高年齢ニワカに押しつけるものでもない。低年齢であるがゆえに問題行動をしているオタクも少なくないはずだ。いや、ニワカかそうでないか以前に、たんに馬鹿であるがゆえに低レベルな言動をしてしまう人が大部分なのであろう。さらに付け加えれば、能力の高いオタクであっても、自分の苦手なジャンルについて語る場合には、高年齢ニワカのような状態になってしまう場合はありうるので、気をつけねばならない。ただ、これらのことを認めたうえでなお、「高年齢ニワカ」というくくりに注目することには意味があるのではないか、と私は考えているのである。

 追記。加筆にあたって掲示板でのB_D氏とのやりとりが参考になった。ありがとうございました。

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