『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』、ジャンル、萌え軍隊モノ

はじめに

 『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』、面白いではないの。私はけっこう気に入りました。ただ、この作品、根っコ部分にちょっと脇が甘いところがあって、初めの一歩で接し方を間違えるとその後も上手く付き合えなかったりするようだ。そのあたりの事情をしばらくいろいろと考えていたので、まとめてみたい。注意しておけば、作品そのものの出来については、このテキストの枠内では褒めても貶してもいない。評価云々の一歩前の話をしている。

1 萌え軍隊モノというジャンル

 娯楽作品の評価は、そもそもその作品がどのジャンルに属すると見なすのか、によって変わりうる。よくできたお涙頂戴小説も、ポルノ小説として読めば、濡れ場の足りない駄作になる。上質のファンタジー映画も、SF映画として見れば、考証の甘い駄作になる。その作品が属するジャンルがなにか、という判定がズレてしまうと、評価も的を外したものになってしまうのだ。さて、では、この『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』とは、どのようなジャンルの作品なのか。

 この作品をさしあたり、萌え軍隊モノ、とジャンルづけることができるだろう。ただし、ここに問題がある。このジャンル、すでに確立されたものとは言えない。萌え軍隊モノは、単発のネタはともかく、ひとつの作品にまで練り上げたレベルではそれほど蓄積がないのである。そのため、これをやろうとすると、生臭い「戦争」という題材から萌えエンタメに使えるところを取って使えないところを捨てる、という作業をお約束に頼らずに最初からやらなければならない。ジャンルの論理が確立されていない、ということだ。私の見立てでは、ここに『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』の難点が存する。この作品は、自らの属する萌え軍隊モノというジャンルがいかなるものであるのかを、視聴者に伝達える手つきが怪しいのだ。そのために、無用の誤読を招いてしまっているふしがある。

 萌え軍隊モノとはいかなるジャンルなのかについて、最初に私見を述べておこう。このジャンルを駆動する欲望は、可愛い女の子に軍服を着せたり武器を持たせたりすることの楽しさにある。ここにあるのは、あくまで軍隊調の小道具を着せ替える快楽である。つまり、萌え軍隊モノを、いわゆる軍隊モノのフォーマットに可愛い女の子を代入したもの、と考えてはならないのである。

 そういうわけで、『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』にたいして、軍隊モノとして話の骨格がおかしい、という方向で批判をするのは少々不適切である、と私は考える。そもそもジャンルの論理が違うのだから、萌え軍隊モノを軍隊モノのヴァリエーションとして読むべきではない。『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』に問題点がもしあるとすれば、それは、軍隊モノとしておかしいところにではなく、軍隊モノではないのに軍隊モノであるかのような雰囲気を出して一部の視聴者を混乱させてしまいがちなところに求めるべきなのである。

2 軍隊モノの論理

 そもそも軍隊モノとはなにか、というところから考えてみよう。軍隊モノの核心は「命令」にある。戦闘やら人死にやら爆発やらは他のジャンルでも十分に描くことができる。軍隊ならではの要素は、命令に求めねばならない。命令するにしろされるにしろ、主人公たちと命令とのかかわりをどのように描くのか、これが軍隊モノの味噌なのである。

 さて、では、命令にまつわる娯楽ドラマとはどのようなものか。当然ながら、誰かが命令どおりに上手に行動して成功しました、というお話はあまり面白くない。人々はやはり、行為者の主体的な決断、自律的な行動にこそ、浪漫を感じて燃えたり萌えたりするのだ。つまり、軍隊モノジャンルの醍醐味は、命令とその遂行の間になんらかの障害が生じることにあるわけだ。この障害にたいしてカタルシス十分な解決を与えること、これが娯楽作品としての軍隊モノの肝なのである。障害の置き方には、無理難題な命令をなんとか果たそうとするとか、倫理的に不当な命令に反抗するとか、非情な命令を決断をもって下すとか、いろいろなパターンがあるだろう。ともあれ、シリアスでもコメディでも、命令こそが軍隊モノの核をなすこと、これをまず押さえておきたい。

3 『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』は軍隊モノか

 さて、『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』である。この作品、基本的には、命令という要素を徹底的に排除するかたちで骨格が構成されている。それゆえ、『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』は逆立ちしても軍隊モノにはなりえない。

 第一に、第1121小隊内部の人間関係は典型的な疑似部活動モノであって、ここに軍隊モノ的な命令の入り込む余地はない。(拙論「部活動モノの諸相」を参照。)すなわち、小隊内では部活動の先輩後輩的な、おままごと風の命令関係程度しか成立しえない。

 第二に、第1121小隊が外部の誰かにたいして命令する余地もない。駐留する街の人々との関係は、見かけこそ「軍隊と民間人」ではあるが、それはあくまで見かけ、実質は女子高の生徒会が地域住民とボランティア活動をやっている、という以上の中身はない。つまり、第1121小隊が他者にたいして命令する立場に立つこともない。

 第三に、第1121小隊が軍隊上層部から命令を受ける余地もない。この作品、駐屯する街から視点を一切外部に出さずに話を構成している。そのうえご丁寧に、通信技術がきわめて退化してしまっている、という設定である。主人公の少女たちを箱庭に閉じ込めて、外部からの影響を徹底的に遮断するつくりになっているわけだ。そして、この構造は最後まで変わらない。つまり、第1121小隊が置かれた状況を、より広い文脈、たとえば軍隊全体の命令系統だとか政治的状況だとかいった文脈に位置づけることを徹頭徹尾避けているのである。これでは、命令される、という要素を組み込みようがない。第1121小隊は命令されることもないのである。

 命令しあうことも、命令することも、命令されることもない。つまり、『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』は頭から尻尾まで命令という要素を物語から排除する方向で組み立てられているのであって、そこに命令にまつわるドラマなど成立しようもないのである。であれば、『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』が軍隊モノでありうるはずもまたない。キャラクターが軍服を着て階級をもっていて戦車を動かしていたとしても、だからといって、軍隊モノ的な展開を期待するのは間違いなのだ。そもそもそうであるはずがないのだから。

4 『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』の読み方

 軍隊モノではありえない、という前提のもとで思い返してみれば、『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』の物語の構造がごくごく単純かつベタなものとして浮き上がってくる。このお話は、問題児たちが自分の居場所を見つける物語であり、また、自分たちの居場所を守るために力を合わせて奮闘する物語である。それ以上でも以下でもない。軍隊モノ的展開を示唆するかのように見える要素は、すべてそう見えるだけであって、実際のところは物語の筋には寄与していない、と考えるべきである。

 ところが、この作品、軍隊ネタを中途半端に織り込むので、このあたり、きちんと割り切るのに失敗した視聴者を混乱させてしまうところがある。叩きまがいの批判にたいして隙が大きくなってしまう理由もこのあたりにある。ラスト数話の展開について、いくつか要点を確認してみよう。

 行動の理由について。辺境警備とかいった軍事的命令が絡んでいるように見えるが、それは雰囲気だけの見せかけだ。第1121小隊の可愛い女の子たちは、自分の属する小さなコミュニティの平和を守ろうとしただけ、と読むべきだ。それで十分なのだ。

 行動の正当化について。軍隊であるかぎり、主人公たちの行動は命令による正当化を必要とするように思える。しかし、これも誤読だ。彼女たちの行動の正当性は、一所懸命に頑張って身近な人々を助けようとする、という健気さの描写によって物語上で保証されればそれでいい、と読むべきだ。

 同様のことが排除すべき敵にかんしても言える。軍隊モノの悪役は、たんに悪いだけではなく、軍人としても欠格であることを期待される。しかし、これも『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』に求めるべきではない。悪役ホプキンス大佐は至極単純に平和を乱す乱暴者として描かれているのであり、それ以上の複雑なニュアンスはここにない。

 問題解決に必要とされる能力について。軍隊モノは、軍隊モノであるかぎり、問題を軍事的能力の発揮によって解決するのがお約束である。そうでない場合はコメディになってしまうだろう。しかし、『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』は違う。主人公たちは偶然そこに転がっていた一点モノの超兵器の反則的な強さで問題を解決してしまう。この展開を支配しているのは、軍事的能力が卓越していたほうが勝つ、という軍隊モノの論理ではなく、健気に頑張った可愛い女の子たちは必ず奇跡を起こして勝つ、という子どもむけヒーローものの論理である。この作品は、『小公女』とか『ふたりはプリキュア』とかいったものの仲間なのだ。

 このように、『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』は、物語の骨格のレヴェルでは、軍隊モノでもなんでもない。それゆえ、この作品を軍隊モノとして読んではならない。この作品は、あくまで萌え軍隊モノである。ちりばめられた軍事的要素は、可愛い女の子に軍服を着せるのが可愛いとか、ゴツゴツした戦車に乗って一所懸命に頑張るのにキュンとくるとか、そういったレベルで機能するだけのものであり、物語の骨格は、まったく軍事モノとは異なった論理で構成されているのである。そこは、受け手が理解してきちんと割り切るべきだ、と私は考える。ただ、ときどき作り手の側が勇み足をして、あたかも軍隊モノであるかのような雰囲気を出してしまうところがあるので、そこだけに注意すればいいのである。

おわりに

 冒頭でも述べたが、萌え軍隊モノというジャンルはまだきちんと確立されているとは言えない。作り手の側にも受け手の側にも試行錯誤をしているようなところがある。すでに述べたように、私自身は、このジャンルの肝は、軍事ネタを徹底的に萌えの小道具として使うところにある、と捉えている。話の構造までにも軍隊モノ的であることを要求するのは間違いなのだ。このあたり、かつての私も上手く割り切りができていなかった。この辺の感覚をもうそろそろの『ストライクウィッチーズ』二期をはじめとする他の萌え軍隊モノ作品で検証することが、これからの課題となってくるであろう。そう、あまり言っていなかったが、私は軍服に興奮する性質なのである。

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