U−4  開 発 教 育 と 子 ど も の 参 画


出典:『子ども・若者の参画〜R.ハートの問題提起に応えて』
    (子どもの参画情報センター編、萌文社、2002)掲載論文

                            開発教育協会 小貫 仁
                            地域と地球をつなぐ学びの広場主宰
                            http://www.ne.jp/asahi/onuki/hiroba/


1 開発教育とロジャー・ハートの環境教育

 本稿のねらいは、開発教育の視点からロジャー・ハートの『子どもの参画』を紐解き、開発教育における参画の課題を明らかにすることによって、そこでの新しい展望を見いだすことである。

 そもそも開発教育(development education) は、1960年代に欧米諸国の国際協力NGOが提唱したものであるが、その内容は歴史的背景とともに変遷してきた。当初の主な学習内容は途上国における貧困と低開発であり、その経済的欠乏を解決しようとする国際協力のための教育であった。その後、途上国の貧困の原因が北側にもあるという認識によって南北問題学習として深化し、80年代後半からの外国人労働者急増の下では多文化共生の「内なる国際化」も取り上げられるようになった。(1)
 大きな変容は90年代に現れる。環境、人口、ジェンダーなどの課題に関わる国際会議を背景として、それら地球的諸課題が地球社会の「開発のあり方」に密接に関わると認識されるようになり、それらの隣接領域を含んだ幅広い内容を構成するようになった。(2)
このようにして、今日の開発教育は「私たち一人ひとりが、開発をめぐる様々な問題を理解し、望ましい開発のあり方を考え、共に生きることのできる公正な地球社会づくりに参加することをねらいとした教育活動」である。その上で、具体的目標として次の5項目を考慮している。
1) 人間の尊厳性の尊重を前提とし、世界の文化の多様性を理解する
2) 貧困や格差の現状を知り、その原因を理解する
3) 開発をめぐる問題と環境破壊などの地球的諸課題との密接な関連を理解する
4) 世界のつながり、開発をめぐる問題と私たち自身との深い関わりに気づく
5) 開発をめぐる問題克服の努力や試みを知り、参加できる能力と態度を養う

 さて、ここでは最初に、開発教育とロジャー・ハートの環境教育との内容と方法における共通性について確認しておこう。
今日、開発教育と環境教育は密接に関連している。特に1992年の国連環境開発会議(地球サミット)で「持続可能な開発(sustainable development) 」の概念が公に認められたことは、開発と環境が融合する契機となった。
 このキーワードの定義として、環境と開発に関する世界委員会(1987)は「将来の世代の欲求を充たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発」(3) としたが、現実の世界で共通の利益のための戦略は多種多様である。ハートによれば、これには資源の配分の仕方の根本的な変革や北の人びとのライフスタイルの転換が関わる。そして、資源の管理および政策決定権の地方分権が実現されなければならない。これがハートによる「望ましい開発のあり方」と考えられる。現代のグローバルな市場原理の潮流を超えた地方分権の提案として極めて興味深い。
次に方法も、開発教育とハートの環境教育には共通性がある。
 開発教育の方法の特徴は「参加型の手法」である。むやみな知識の貯め込みでなく自分のもっている知識を組織化し、「気づき」を伴った新たな学習で再構成していく。さらに「知る〜考える〜行動する」の三段階の展開で問題解決学習にまで高める。
 ハートの提唱する「アクション・リサーチ」も文字通り参加型の方法である。この方法は、身の回りのコミュニティを学習対象として「行動(参画)する」ことを軸としながら「知る〜考える」段階をも内に含んでいる。地域で活動するための方法として非常に魅力がある。開発教育はこの方法を導入することで、「知る〜考える〜行動する」の三段階をより実りあるものにできるのではないか。
 そこで以下は、「総合的な学習」での開発教育のカリキュラムに関連して、その内容と方法に則して考察を進めよう。


2 開発教育のカリキュラムと子どもの参画

 開発教育協議会内のカリキュラム研究会(世話人:田中治彦)は、1998年から3年間をかけて、新学習指導要領の「総合的な学習の時間」を意識した総合学習のカリキュラムを作成する作業を行った。その成果は『いきいき開発教育−−総合学習に向けたカリキュラムと教材』に結実している。そこでは、カリキュラムを「教師が組織し子どもたちが体験している学びの経験総体」と定義した上で、厳選した12のテーマについて具体例を提示している。(4)
 これには私も参加したが、これらのカリキュラムには幾つかの重要な共通点があると考えている。第一に子ども主体の学びであること、第二に地域(NGOなど)と連携していること、第三に身の回りと世界をつなぐ学びを展開していることである。これが開発教育実践の今日的な指針と言えよう。キーワードは「参加」「地域」「共生」である。それでは、これらの指針を「参画」を意識して整理し直すとどうなるだろうか。
第一の「子ども主体の学び」は、新指導要領での自ら考え自ら探究するという「学びの転換」に呼応している。参画を軸にする開発教育は、〔主題→探究→行動→評価〕というプロセスをもつ学習者主体の問題解決学習となるだろう。子どもが生活の場から出発して学習素材と関わり、その意味を問い直しながら学びを展開する。
 第二の「地域(NGOなど)との連携」は、地域のリソースとしてのNGO/NPOなどとの協同の学びを創ろうとするものである。学校を地域に開き、学校と地域のパートナーシップを築きながら地域の人びとと共に学ぶ。ここで大切なのは、自分たちの住む地域をよりよくするための参画行動である。
 第三の「身の回りと世界をつなぐ学び」は、地域学習と地球学習の総合化を意図している。身の回りのトピックから世界とのつながりを学んだり、途上国との共通性に気づいたりすることで、世界と共に生きるあり方を模索する。そして、参画の活動はネットワークで世界とも連携する。
 こうしてみると、参画を軸にすることによって、開発教育は一層いきいきとしたカリキュラムを構想できるように思われる。その構想を一般化すれば、概ね次のようになるだろう。

 < 参画を軸としたカリキュラムの構想 >
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 ○ねらいの設定(民主的な社会変化への参画を通しての市民育成)          
 ○テーマの設定(地域のあり方をめぐる諸問題)                      
 ○切り口の推定(テーマのウェビングで身近なトピックを見通す)            
 ○展開の見通し                                         
  a.主題の設定:身近な問題の発見〜ウェビング〜課題の共有〜トピックの特定  
  b.探究と共有:トピックの分析〜らせんアプローチ〜学びの共有           
  c.計画と行動:解決のための計画〜行動                        
  d.総括と評価:総括〜評価〜再実践または新しい問題へ              
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 この構想で、教師は学びを促進するファシリテーターであると同時に、地域での参画を実現するための支援者である。


3 コミュニティの課題としての「人間貧困」

 地域を学習対象として展開する場合、参画の課題の第一は、内容においてどのように地域を対象化するかということである。
 ところで、ハートは「社会発展へのもっとも確かな道は、環境の管理について理解と関心をもち、民主的なコミュニティづくりに積極的に参画し活動する市民を育てることである」(P.2) とする。そして、大切なこととして、自分の住んでいるコミュニティに対して愛着をもつことや、参画することで民主主義を体験的に理解し参加への自覚をもつことを指摘している。
 基本的に、開発教育も考え方の骨組みは同じであろう。そして、身の回りの課題を焦点とする学びは次のように考えられる。
 大事なのは「社会との関わり」の発達ということである。子どもは環境に関心をもつと同様に、幼いうちから他者と関わり、社会的存在へと成長していく。今日の子どもは他者との人間関係が希薄になってしまったと言われるが、悩んで揺れているのが(思春期の)本来の姿でもあるだろう。そこでは、冒険をはらんだ様々な体験の機会に挑戦し、身の回りへのポジティブな関心を高め、社会参画の可能性に挑戦することが子どもにとっての適切な成長課題となる。そして、そうした営みで培うことのできる資質で大切なのは、他者への共感につながる自尊感情、アンフェアを嫌う心情、相手を尊重するコミュニケーション能力、仲間と楽しんで協力できる心などである。子どもの成長とはこうした「センス・オブ・ヒューマニティ」を身につけていく営みと言える。そして、学びとは、そうした資質に裏打ちされた活動のプロセスなのであり、「問題意識」と「考える力」を深めることで、学習者の態度形成へと連なるプロセスである。開発教育はそこでの学びを様々な手法で手助けする。(5)
 ところで、ここでの身の回りの問題とは何だろうか。それらは文化領域としては多文化共生に関わるだろうし、課題領域としては地域のあり方に関わるだろう。それらをここで敢えて原理的に捉えれば、私たち自身の「人間貧困(human deprivation) 」と見る視点が重要である。この新しい概念は、国連開発計画(UNDP)の『人間開発報告』により90年代に誕生した。(6) 人間貧困の視点では、貧困を経済的欠乏は勿論として、人間が労働力としてしか見なされず人間らしい生活を生きられない現象をも広く含める。具体的には次のような様々な事柄を指摘できよう。過労死、ホ−ムレス、子どもの選別、幼児虐待、ジェンダー、障害者差別、孤老の死、外国人労働者 etc. ……このような社会的弱者とマイノリティの問題群であり、さらに先進国の病の数々である。
 言い換えれば、これらは何らかの社会的しくみによって人間が人間らしく生きる方途を奪われている現象である。人間の本質と資質の開発(人間開発)ということから疎外されている。(7) 断るまでもなく、開発は南の国々だけの問題ではない。
 この人間貧困は、語源のままに解釈すれば「剥奪(deprivation) 」として捉えることができる。繰り返しになるが、ここでの剥奪とは、社会構造に発して人間が人間らしさ(人権)を奪われているのであり、北の先進国にも数多く認識できる状態に他ならない。途上国にみられる力の剥奪が私たちの社会でもかたちを変えて現れているのである。(8)(9)
 さて、こうした地域の問題解決学習では、学習者が探求し参画した結果何を学ぶのかが問われよう。そこでの根底にあるのは、南北に共通する成長第一主義がもたらすものへの学びである。さらに具体的には、問題解決の内容と方法に関わる学びが重要である。剥奪が社会のしくみによる構造的なものであるならば、その解決は単に金銭の供与では不可能である。Poverty としての貧困なら金銭を供与することにも意味があるかも知れない。けれども、Deprivation としての貧困ではお金よりも人間性の回復の方が重要なのである。それは、人間にとって大切なものは何かを考え、一人ひとりを大切にする社会のあり方、経済発展を超えた自立的で持続可能な開発のあり方を学ぶことにつながるだろう。
 そして、地域学習で忘れてならないのはそこでの問題解決のプロセスを学ぶことであるように思える。つまり、古い形骸化したプロセスを乗り越えるのである。それは、逆に南の国々における住民参加型の解決手法に学ぶことでもある。(10) それこそが住民による住民のための地域コミュニティの構築と言えよう。子どもが参画の高い段階で地域の問題解決に関わることができるとしたら、そのこと自体が問題解決のプロセスのモデルを提示している。そして、こうした学びこそが、南の国々の剥奪状況を克服するための国際協力につながるものと思われる。


4 アクション・リサーチで世界につなぐ

 参画の課題の第二は、方法において地域と地球をいかにつなぐかである。
 これからの学校教育は、総合学習で身の回りと世界をつなぐ学びを地域と共に築くことが肝要である。身の回りから自己を世界に開いていく方向性と、地球的視野で身の回りを見据える方向性の柔軟な相互作用が求められる。(11)
 これまで、開発教育の学習は、貧困や格差などの世界の現実を直接提起するアプローチとバナナやコーヒーなど身近な事柄から世界に広げるアプローチとがとられてきた。前者は提起する問題が学習者との関係性を実感しにくい困難があり、後者は世界の問題になかなか辿り着けない困難があった。
 誕生当初からの開発教育の中心は前者である。様々な参加型の手法によるアクティビティを通して世界の「欠乏としての貧困」に触れ、世界の現実を知り考える。近年は「剥奪としての貧困」という視点も重視する。こうした学びの落とし所は、私たちが地球社会で共に生きるあり方であり、それは必然的に私たちの生活そのものを見直す「まちづくり・地域づくり」とも関連している。
 本稿は、「総合的な学習」での後者の可能性を考察してきた。ここでは、身の回りから世界につながることの困難性を、参画を軸にすることで体験的に克服し得ることを確認したい。ハートが地域をフィールドとした環境教育で指し示したように、まず、地域の問題解決行動によって他地域の同じような問題への関心を高め、次に、実際に国内のみならず世界各地とネットワークを通してつながるのである。
 参加型の学びとしてのアクション・リサーチは、ハートによれば、パウロ・フレイレの「意識化(conscientization)」と一致している。つまり、自分たちのコミュニティへの関心から身の回りを批判的に観察し、意識変化を伴いながら学習経験を深めるものである。世界とのつながりで大切なのは、地域が民主的に社会変化するプロセスを地域同士のネットワークによって学びあうことである。こうした活動は来るべきネットワーク世界につながるものであるとともに、子どもにとって極めて刺激的な体験となるだろう。(12)
 では、その具体的な展開はどのようなものだろうか。ここでは、アクション・リサーチの展開例を、開発教育カリキュラムの構想にそってイメージしておこう。

 < 地域と地球をつなぐカリキュラムの展開例 >
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 a.主題の設定                                       
   →生活の中の身近な問題を発見し、課題を共有し、トピックを特定する。    
   →リソースであるNGO/NPO、行政などと協力して問題を把握する。    
 b.探究と共有                                       
   →研究場所での観察やインタビューなど調査・研究をする。           
   →情報収集や再調査をしながら分析し、討論などを通して結果を共有する。 
 c.計画と行動                                       
   →解決の仕方を計画し、コミュニティの改善策に取り組む。            
   →世界の同じような問題への取り組みとインターネットを通して交流する。  
 d.総括と評価                                       
   →世界的な視野で活動をまとめ、世界に発信する。                
   →活動を評価し、世界との交流を相互の協力へと発展させていく。      
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 地球的視野の学びには実際に世界とつながり合う段階で言葉など様々な壁がある。けれども、そうした壁を乗り越えようとする活動も国際教育の学びのプロセスである。
 ここでの学びは、私たちに何が欠けているのかを知り、それを「エンパワー」しようとすることから始めて、住民参加型問題解決のプロセスを体験し、その体験をネットワークでつなぐものである。子どもはネットワークの担い手となり、共に生きる力を自分のものにしていく。国際的な協力関係に参加できる能力と態度を養い、「地域でも地球規模でも行動する」市民(地球市民)に育っていく。
 本稿は、こうした学びの展開を総合学習における開発教育の現実的なあり方と考える。今こそ、「新しい開発教育」の実践が求められる。


<参考文献>
(1) 田中治彦『南北問題と開発教育』(亜紀書房、1994)
(2) 開発教育協議会編『開発教育キーワード51』(開発教育協議会、2002)
(3) 環境と開発に関する世界委員会『地球の未来を守るために』(福武書店、1987)
(4) 開発教育協議会編『いきいき開発教育』(開発教育協議会、2000)
(5) 河内徳子・渡部淳・平塚眞樹・安藤聡彦編『学習の転換』(国土社、1997)
(6) 国連開発計画『人間開発報告』(国際協力出版会、1997)
(7) アマルティア・セン『不平等の再検討』(岩波書店、1999)
(8) ジョン・フリードマン『市民・政府・NGO』(新評論、1994)
(9) 西川潤『人間のための経済学』(岩波書店、2000)
(10) 中田豊一『ボランティア未来論』(コモンズ、2000)
(11) 開発教育協議会編『つながれ開発教育』(開発教育協議会、2001)
(12) デビット・コーテン『ポスト大企業の世界』(シュプリンガー・フェアラーク東京、2000)


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