人 生 を 決 し た 一 冊



図書館報 『ひどけい』 第7号 (埼玉県立川越南高等学校、1984) より


人 生 を 決 し た 一 冊
                                       教諭 小貫 仁

 人生は「出会い」であると思う。この「出会い」は人生の不可思議さそのものである。それが本との出会いとなると、一層その感を深くする。人との出会いも貴重であるが、むしろ私たちは、書物を通じてその著者と出会い、一生を左右するほどの影響を受けるものである。その上にまた、それほどの出会いであるからこそ、その出会いは決して偶然のものだけではない。私たちはかなり必然的にその本に出会うのである。人間はいつも何かを探し求めて生きている。書物の題名を見て、ふと手を伸ばすその心は、あきらかに、そういう書物を探し求めているのである。

 『経済学の方法論』(佐々木晃著、東洋経済新報社)は、私にとって、人生この一冊と言える書物である。当時住んでいた東京・西荻窪の盛林堂という古本屋で、私はこの本に出会った。この本の題名は、経済学の前提から出発したい私の心境そのままのものであった。私はくいいるように立ち読みし、「これだ!」という感慨のままレジに向かった。「模索の中での光」として、私がこれまでの人生で出会いをかみしめた覚えは、ただこれだけしかない。これと類似の感動は、絶版になっている書物を神田の古本屋街に探し求め、最後の最後になってようやく見つけ出した時に経験した。千円の定価で、ケタ違いの一万二千円。帰りの電車賃を気にしながらも頬を紅潮させて出すお金。研究に不可欠なだけに本当に有難かったが、「模索の中での光」との出会いの比ではない。
 著者は、日大で経済学史を担当する佐々木教授であった。大学紛争の時代、ろくに勉強せぬまま一応就職したが、70年代を背景に徐々に膨らんできた問題意識を大学に戻って解いてみたいと熱望していた私にとって、日本大学経済学部は第一志望となった。母校(早大)も含めて、当時の私は、志望する大学、師事する教授が見い出せていなかったのである。大学院を受験し、面接で初めて佐々木教授に出会った時、師は私にとって初対面の人とは思えなかった。私は、その場で、本で出会った著者の下で勉強させてほしい旨訴えたにすぎない。師はさすがに当惑気味であった。おそらく、師にとっても初めてのことであったろう。いろいろ話したが、特に色よい返事があったわけではなかった。合格の通知が来るまでは、むしろ絶望的な気持ちで待っていたという方が正しい。二十代の後半になって初めて遭遇した人生の転機であった。

 あの時あの場所で、この書物に出会わなかったら、当然私の人生は大きく変わっていたはずである。一冊の本が、人間の一生を内外ともに左右しうるということは、まったく本当なのである。私はそこで一生の師を得、勿論今も師事しつづけている。大学院での数年間、自分なりに勉強を積み重ねたが、それは学問の出発なのであって、自分の勉強は一生続くのである。本との出会いが一生のものであるという意味は、まさにこのことである。私は今更ながら、この出会いを有難く思い感謝している。人間の一生には、このような出会いが大なり小なりつきまとっていると思う。小さな出会いを重ねつつ一生が織りなされている、と言っても決して過言ではないであろう。
 私と社会科学との出会いに触れれば、それは決して早くはなかった。高校時代は、背伸びして『世界』や『中央公論』に目を通す面はあったが、意識だけのものであって何がわかっていたわけでもない。むしろ、フロイトなどの精神分析の世界にひかれていた。読書傾向としてはそういった方面が主だったこともあって、社会科学にはフロムとの出会いで導かれた。特に『疑惑と行動』(エーリッヒ・フロム著、創元新社)は、若き日の私にとって、人文科学から社会科学への橋渡しとなった書物である。先の『経済学の方法論』は一般に薦めにくいが、この『疑惑と行動』は若い時期に是非一読することを勧める。最終章の「わが信条」は、今世紀最高のヒューマニストとも評しうるフロムの真髄余すところなく、「模索の中での光」として充分すぎるほどの価値をもっていると信じる。

 一冊の本と敢えて言わずとも、私たちは、いろいろな書物との出会いによって、それぞれの段階を超えて成長していくのだと思う。そうした出会いこそが人生なのであって、そうした営みを軽視する生き方に私はくみしがたい。出会いは偶然であってかつ必然でもある。私たちの生き方は、出会いを自主的積極的に必然としていくものでなければなるまいと思う。

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