V−5 『ダッカからダンディへ』 とその修正版について



『 援助と開発 開発教育教材とその実践事例 』 解説編
( 開発教育の教材を作る会、開発教育協議会、1995)


                            開発教育協会 小貫 仁
                            地域と地球をつなぐ学びの広場主宰
                            http://www.ne.jp/asahi/onuki/hiroba/


1 『ダッカからダンディへ("Dhaka to Dundee")』(注1)とその方法形態について

 この教材は、イギリスのNGOである WAR ON WANTによって1988年に出版されたものである。制作はリーズ開発教育センター(Leeds Development Education Center)にて行われた。
 全体はバングラデシュを題材として7つのユニット(小冊子)で構成されている。その内訳は次の通りである。
 UNIT 1 FAMILY LIFE (家族生活)
 UNIT 2 RURAL LIFE (農村生活)
 UNIT 3 HISTORY (歴史)
 UNIT 4 INTERNATIONAL TRADE (貿易)
 UNIT 5 JUTE (ジュート)
 UNIT 6 AID AND DEVELOPMENT (援助と開発)
 UNIT 7 MIGRATION AND RACISM (移民と人種差別)
 各ユニットには、参加型学習教材が豊富に含まれている。講義一辺倒でない授業を志す教師にとってはノウハウの宝庫として魅力を感じるはずである。
 ユニット6「援助と開発」における学習教材7つを含め、各ユニット全体の学習教材は総計30を数える。参考までにそれらを形態別に分類すると次の通りである。

   大分類    教材数     小分類      教材数
  (1) exercise   21      1) ランキング      2
                   2) シミュレーション   6
                    3) プランニング     5
                    4) ルールメイキング  1
                    5) 調査・資料分析   7
  (2) game     4
  (3) play      3
  (4) cartoon   2

 海外教材というとゲームやロールプレイに目が向きがちであるが、大分類で圧倒的に多いのは exercise(活動)(注2)である。したがって、日常的な方法ではこの exerciseに注目したい。参加型学習の本来の姿はこの形態の豊富な授業であると考えられる。
 なお、小分類でランキングは多様な検討項目に優先順位をつけて判断するものである。シミュレーションは一定の状況を模擬的に設定して活動する。プランニングは現状の問題点を分析して問題解決のためのプランを立て、ルールメイキングは理想のモデルのプランを立てる。

(表) 参加型学習の形態一覧(注3) −略−

2 ユニット6「援助と開発("Aid and Development")」について

 今回教材化したのはユニット6「援助と開発」である。このユニットは、援助のあり方をテーマに「開発」概念そのものを扱っており、この教材のもっとも中心的なユニットのひとつであるとみることができる。
 その構成は次の通りである。
1 Background                 (背景)
2 What is development? - ranking     (開発とは何か―順位づけ)
3 You develop Britain             (イギリスを開発する)
4 Aid to Britain                 (イギリスに援助をする)
5 What is development?           (開発とは何か)
6 Greater Dhaka power plant        (大ダッカ発電所)
7 You give the aid               (援助国になる)
8 Gono Patshala - the People's School (ゴノ・パッシャラ――人々の学校)
9 Summary                   (まとめ)

 第1章の「背景」(Background)は、基礎知識をまとめた教師用資料である。
 はじめに、「開発」という概念について問題提起をしている。開発への定まった定義はなく、一般的な経済成長の考え方以外にもさまざまなことを意味していることを示唆している。そして、バングラデシュが得ている西側の援助について、その配分機関を数種類に分類している。
 次に、これらの組織が開発について異なった定義づけをしているために、それによって援助のアプローチが異なること、また、援助援助には援助国の戦略的な意味もあることについて説明している。
 最後に、援助の実態として、実質的に援助を受けられない農村の貧しい人々に注目している。そして、地域中心のアプローチでは貧しい人々とその生活をまず第一に考えるが、政府や世界銀行は経済的基盤の発達が最も重要と考えるというあり方の違いを説明している。
 以上を指針として、この教材は、開発とは何かを考えながら、どのような援助が望ましいかを判断していくものである。そして、方法はさまざまな客観的情報を基にして学習者が主体的に判断する参加型である。

 次に、2章から8章までについて、その形態と特徴を整理しておこう。
第2章、「開発とは何か」(15分)
<形態>ランキング:「開発」に関する9つの定義カードを用意し、賛成する順にダイヤモンドのかたちに並べる。
<特徴>開発概念の多様さを優先順位をつける作業を通して認識する。教育はものの考え方を学ぶものでもあるが、ここでは順位づけが多様な検討項目を整理する方法として有効である。この思考法は2つの対立事項をメリット・デメリットで整理していくディベートの考え方と並びうるものであろう。
第3章、「イギリスを開発する」(40分)
<形態>プランニング:イギリスにおける内なる開発問題を6分野(電力、人種問題、経済、輸送システム、住宅、貧困)で対策を立てる。
<特徴>開発は途上国のみのものでなく先進国でも現在進行している過程であることを、身近な自国の例で学習する。つまり、開発教育は自分たちの社会の発展のあり方を問うものでもある。したがって、貧困のみならず、人権、民主主義、環境などさまざまな課題が存在する。
第4章、「イギリスに援助をする」(20分)
<形態>プランニング:バングラデシュ政府がイギリスに援助するというシナリオで、援助対象を6種類(英国政府、ドロチェスター協議会、地元の協同組合、失業者たち、子供たち、英国解放戦線)から選択する。
<特徴>どの団体が援助を受けるかに目を向け、誰が援助によって利益を得るかを身近な自国の例で検討している。
第5章、「開発とは何か――やさしい活動」(30分)
<形態>プランニング:より身近な地域開発を計画することを通して、経済開発以外のさまざまな開発を理解する。
<特徴>ここでも、開発が多くの社会の中で起こっており途上国のみのものではないことを学習する。より身近な地域の発展のあり方を考えることで開発概念を具体的に理解する手だてとしている。
第6章、「大ダッカ発電所」(30分)
<形態>ロールプレイ:イギリスによる実際の大規模援助事例(大ダッカ発電所)を、4つの役割(バングラデシュの臨時雇用労働者、事務員、経済計画大臣、イギリスのODA担当者)を演じることで、当事者の立場で援助を評価する。
<特徴>方法としてのロールプレイにはさまざまな方法があるが、ここでのやり方は最も簡便なものである。シナリオを必要とせず役割カードだけで行う。それでも十分に共感的に理解できるように思われる。
第7章、「援助国になる」(45分)
<形態>プランニング:架空のプロジェクト3種類(保健事業、土地改革、産業基盤整備事業)を比較検討することで、何がより良い援助であるかを討論する。
<特徴>開発の代表的概念を具体化した詳しい事業の内容を提示しており討論しやすい。「賛成」「反対」カードも用意しており、より綿密に検討できるとともに、一種のディベートの教材ともなっている。(方法はプランニングとしたがシミュレーションに分類することも可能である)
第8章、「ゴノ・パッシャラ――人々の学校」(25分)
<形態>資料分析:実際の援助事例 (Gono Pashala) を吟味することで、理想的事業案をイメージする。
<特徴>ODAの大規模援助事例とは異なり、ここではNGOによる小規模な援助事例を扱っている。

 以上の各章はそれぞれが優れた参加型教材であるが、特に代表的と思えるのは第2章のランキング(開発とは何か)と第7章のプランニング(援助国になる)であろう。もしも時間に制限のある場合は、この2つの章を選んで実践することを薦める。
 最後の第9章は、全体を通しての視点をまとめている。この章は開発教育の見方考え方を提示するものになっているので、あらかじめここにまとめておこう。
(1) 「開発」とは何かに対する答えはなく、人にはそれぞれ違った考え方があるが、そこでの見解が援助や開発に関する決定の基礎となる。
(2) 「開発」と「低開発」という概念はイギリスについても言える。
(3) 援助はしばしば開発を助けるというより阻害することもある。したがって、援助することは大変にむずかしいことである。
(4) 人々はそれぞれの立場で異なる利害や開発に対する要望をもっているものである。普通は、政府や産業が援助国の要望に耳を傾け援助につながっている。
(5) 誰がどのくらい利益を得、どのくらい儲かり、なぜ援助が与えられるかによって、開発や援助の良し悪しの違いが出てくる。

3 修正版「援助と開発」について

 もともと本教材の翻訳は、協議会主催の1990年度開発教育ワークショップの参考資料として紹介する予定で準備されたものであった。しかし、ワークショップではこの海外教材を活用することはできなかった。イギリスの事例を直接活用することには無理があるからである。実用のためには、さらに時間をかけた修正作業が必要であることを痛感した。
そこで、ワークショップ終了後、私を含めたスタッフ(注4)は継続した教材検討会を実施し、半年の期間をかけて10数度にわたる打ち合せをもった。目的は日本の教育現場でそのまま使えるものとすることで、日本の教科書の内容と整合させながら、日本で使用可能な内容とすることである。
教材化するための修正は、この教材が意図した内容を損なわないように、最低限必要と思われるものに限定した。その結果「使用上の手引き」を新たに書き下ろし、背景におけるデータは日本に関係ある内容に修正した。さらに、3章、4章、8章を全面的に書き直した。

 修正版の構成は次の通りである。なお、本教材の「パックの使い方」にあるバングラデシュに関するブレーンストーミングを、導入として採用している。
1 章 基礎知識
2 章 開発とは何か-順位づけ
3 章 日本を開発する
4 章 日本に援助する
5 章 開発とは何か-やさしいエクササイズ
6 章 大ダッカ発電所-ロールプレイ
7 章 援助国になる
8 章 成人識字プログラム
9 章 まとめ
10章 評価

 修正を加えた3つの章であるが、第3章は、日本の内なる開発問題として5分野(エネルギー、農業、中小企業、住宅、外国人労働者)を設定した。これらは、教科書でも扱われている重要課題であるので授業との関連がとりやすいはずである。
 第4章は、実際問題としては設定が非常にむずかしい。経済的に貧しい日本を想定することは非現実的であり、現代の内なる開発問題とも離れてしまうからである。したがってこの修正版では、第3章の中小企業問題との関連から日本経済の「二重構造」に対する援助に絞って状況設定することにした。
 第8章は、日本のNGOの実際の援助事例を検討するものとし、シャプラニールの識字教育プログラムを教材化した。バングラデシュに対する代表的援助団体であるシャプラニールより資料(注5)を提供していただくことでこの章を作成することができた。

4 教材の実践事例と今後の課題について

 本教材の実践は、埼玉県高校社会科教育研究会地理部会「国際化と地理教育研究」班のメンバーによって行われている。
 埼玉県の高校における開発教育は、上記高社研地理部会内に研究班が組織され(注6)推進されてきた。吉住論文でも触れているように、地理の教員のみならず他部会からも広く参画して組織的研究を行ってきている。ここ2年間は本教材を取り上げ、再度翻訳を行いながら手法の研究を行ってきた。
 メンバーが各自この教材を使って授業実践を行ったが、今回の事例報告ではできるだけ多様な科目を収録できるようにした。その結果、「現代社会」「地理」「政治・経済」の代表事例、さらに社会教育として学校開放講座における授業を収録した。
 本教材は中学レベルを想定したものであるが、その内容は相当に本質的で高度である。したがって、実践に当たっては高校生にもむずかしいのではないかという不安もあった。しかし、本教材は検討するための情報がカード化されて提供されているために生徒が考えやすいこともあって、工夫次第では生徒の思考力を驚くほどに引き出し得るという実感を得ている。
 この教材については、とにかく実際にやってみることを勧める。黒板とチョークを使った知識中心の授業を批判するのは簡単であるが、では実際にどのような授業が代替できるのかについて教師の側のイメージはまだまだ豊富とは言えない。この教材はそのための確かなイメージを形成するに役立つであろう。何よりもそこから第一歩が始まることを信ずる。こうして、ノウハウの宝庫であるこの教材による実践が積み重ねられ、その実体験を基礎として日本でも参加型教材の開発が進むことを期待したい。
 日本の開発教育は、内容・方法ともに一層深化することが求められている。これに関連して、開発教育の新しい「ガイドライン」(注7)作りが開発教育協議会内の研究会組織で模索されてもいる。そこから参加型教材開発の大きなうねりも起こってくるであろう。そして教材開発においては、教員サイドの力量を高めるのみでなくNGOとの連携が不可欠である。そうした教材作成の場として、今後は拠点としてのセンターが整備されることが望まれる。この教材が開発教育のそうした発展のための実践的基礎の一端となりうるならばこれに勝る喜びはない。

(注1)”DHAKA TO DUNDEE" ―Bangladesh and Britain in an unequal World,War on Want Campaigns Ltd (Leeds Development Education Center),1988
(注2)exercise の訳は『開発教育の教材』(国際協力推進協会、1990、P.102)による 先例にならい「活動」とした。
(注3)『開発教育ハンドブック1990版』(開発教育協議会、1990、p.46)
(注4)私以外のスタッフは次の各氏である。北村暁晴、寺尾明人、中井聡、山西優二。
(注5)「識字教育プログラム」パンフレット(シャプラニール、1990)
(注6)平成6年度(1994)よりこの研究班は発展的に解消し、高社研内部に全体的組織としての「総合社会科研究会」に開発教育班が発足している。
(注7)この種のガイドライン作成は、国立教育研究所内開発教育カリキュラム研究会の作業が先駆的なものである。(『開発問題学習カリキュラムの構造』、1982)


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