V−2 開発教育とエンパワーメント



 出典 : 『貧困と開発 〜 豊かさへのエンパワーメント』 理論編
      ( 開発教育協会、2005)

                                      開発教育協会
                                      拓殖大学国際開発教育センター
                                      小貫 仁 


T 開発教育について 〜開発教育とカリキュラム

(1) 開発教育とは

 開発教育とは何か・・それを一言で表現するのは難しい。けれども、その試みには何らかの本質が込められているだろう。例えば、開発教育協会(DEAR)のパンフには「“学び”が変える わたし・地域・世界」というメッセージがある。NGOのサイトでは「開発教育で南の国々を知ろう!」(シャプラニール)という表現が目を引く。ネパールのPRA(参加型農村評価)ファシリテーターであるカマル・フィヤル氏は「開発とは幸せを分かち合うこと」と表現した。また、筆者は、学校現場の視点から「国際理解教育を補完し、深化させる教育」と書いたことがある。
 歴史をたどれば、開発教育(development education)は1960年代に欧米に誕生した新しい国際教育である。はじめは国際協力に携わっていたNGOによって、旧植民地の抱える経済的欠乏への理解とその解決をめざす教育活動として始められた。この「援助のための教育」は、例えばイギリスで数多くの開発教育センター(DEC)が設立されるなど、各国援助省庁の支援を得ながら、学校教育へ広がっていった。
1970年代になると、南北問題学習として、南の欠乏の根本原因やそれに関わる北の責任を考える教育へと発展した。さらに近年では、UNDP(国連開発計画)による「人間開発」、社会開発サミット(1995)での「社会開発」、国連環境開発会議(1992)及び持続可能な開発に関する世界サミット(2002)での「持続可能な開発」などを提起する国際社会の動向を踏まえて、総合的な開発のあり方を模索する学びが問われている。

(2) ねらい〜内容〜方法

 開発教育について、開発教育協会は次のように定義している。
「私たち一人ひとりが、開発をめぐるさまざまな問題を理解し、望ましい開発のあり方を考え、共に生きることのできる公正な地球社会づくりに参加することをねらいとした教育活動」
 そして、学習内容の具体的目標として、以下の5項目をあげている。
1)開発を考える基礎として、人間の尊厳性と世界の文化の多様性を理解すること。
2)世界各地に見られる貧困や南北格差の現状を知り、その原因を理解すること。
3)開発をめぐる問題と環境破壊などの地球的諸課題との密接な関連を理解すること。
4)開発をめぐる問題と私たち自身との深い関わりに気づくこと。
5)問題を克服するための努力や試みを知り、それに参加できる能力と態度を養うこと。

 こうした目標を具体化するために、開発教育は方法を重視する。従来からの調査〜発表に加えて、主体的な学びのためのさまざまな手法が存在する。講義形式で行う場合も、教師は学習者の学びを促進する存在(ファシリテーター)であり、一方的な知識伝達でなく対話に満ちた参加型の授業を展開しようとする。このことは、開発教育が主体的な参加を学習の上でも実際の問題解決の上でも重視していることの現われである。また、”development” の原義(de-envelop)は「封じ込められた状態からの解放」を意味するが、そうした開発のあり方を模索する学びが本物であるためには、方法そのものが参加型で伸び伸びしたものでなければならないとも言えるだろう。

(3) カリキュラムとテーマ

 カリキュラムとはいかなるものであろうか。開発教育のカリキュラムとは、従来のように教師が意図して計画するものではない。意図する側(教師)と学ぶ側(生徒)とが共に創り出すものである。いわば、学習の過程(プロセス)そのものである。学習の展開は、従来の教え込むかたちでの〔ねらい→目標→内容〕ではなく、主体的学びとしての〔主題→探求→共有〕となる。そこでは、例えば、学校教育では、生徒が自ら考え自ら学ぶこと、学校を開いて地域(NGOなど)と連携することなどが志向される。
開発教育の主題(学習課題)としては、「子ども」「文化」「食」「環境」「貿易」「貧困」「識字」「難民」「国際協力」「ジェンダー」「在住外国人」「まちづくり」などさまざまなテーマが考えられる。
 本稿は、開発教育の内容と方法に関連して、新しい視点を提言しようとするものである。


U 貧困と開発について 〜力の剥奪とエンパワーメント

(1) 貧困とは?開発とは?

 「貧困」と「開発」は「国際協力」と並んで開発教育の軸となる概念である。世界には、人間らしい最低限の生活を営めない経済的欠乏にあえぐ人びとが広く存在している。グローバル経済の進む今日、その経済発展のかげに社会的弱者が再生産されている。先進国の内部も含めて、二極化現象がますます顕在化している。
 けれども、貧困とは「経済的欠乏」だけであろうか。貧困の分析に画期的な革新をもたらしたのは、のちに解説するアマルティア・センであった。本稿は、貧困を経済的欠乏だけで定義しない。そして、開発を広い意味での貧困の克服であり、また、そこにいたるプロセスと捉える。近年のUNDPの人間開発アプローチでも、所得の観点は貧困概念の一部分である。このアプローチでは、保健(出生時の平均余命)や教育(成人識字率)も主要な指標である。つまり、重要なのは、貧困を単に経済的な「欠乏」だけで捉えるのでなく、人間らしさ(人権)が社会的に「剥奪」されていると捉えていることである。
 こうした剥奪のアプローチは、貧困に対して所得以外の従属的社会関係をも分析することを可能にするもので、貧困概念の新しいパラダイムと言える。センによれば、貧困とは人間が何かを為す諸活動の実現能力が奪われている状態であり、その剥奪の観点をさらに推し進めたジョン・フリードマンによれば、貧困とは構造的なもので、状況を改善するための社会的力が奪われている状態である。

(2) センとフリードマンによる捉え方

センとフリードマンの捉え方をもう少し詳しく検討しよう。
 アジア人初のノーベル経済学賞受賞者であるインドの開発経済学者アマルティア・セン(Amartya Sen,1933-)は、近著のタイトル “Development as Freedom”(1999)にもあるように、経済開発の観点からのみ捉えられてきた開発概念を批判的に捉えている。貧困とは、低所得だけが物差しなのでなく、人間として為す諸活動を実現する力が剥奪(deprivation)された状態である。そして、所得向上は開発の目標ではなく手段である。開発とは、諸活動を実現する力の剥奪された状態を克服して自分の選択幅を拡大することである。これは自由の拡大に他ならない。さらに、人間としての諸活動の自由でセンが重視するのは、政治的権利・経済的便宜・社会的機会・情報の透明性・救済保護の保障である。たとえ所得が高くとも、政治的参加が剥奪されているならば、それは自由という点で明らかに貧しい。そして、「豊かな国の貧しさ」とも言われるが、所得が高くとも貧しさが存在しうる。世界各国で、社会のしくみによって政治的・市民的権利を剥奪されている人びとが積極的行為の主体となって参加型民主主義を実現することが不可欠である。
 次に、長くラテンアメリカやアジア各国で開発協力に従事し、国連専門家でもあったジョン・フリードマン(John Friedmann,1926-)は、エンパワーメントの概念を基礎として制度改革の重要性を指摘している。彼においては、貧困とは各世帯における社会的な力の剥奪(disempowerment)の一形態である。貧困の状況下では、8つの基本的ニーズ、つまり、生活空間・余剰時間・社会的組織・ネットワークという基本的基盤と、教育・情報・生産道具・資金という発展的基盤へのアクセスが剥奪されている。


 <力の剥奪モデル図> (『市民・政府・NGO』、p.115)  − 略 −


 「力の剥奪モデル」図で特に注目すべきは、縦軸(社会的組織とネットワーク)にある社会的関係性であろう。フリードマンは、ここにおける社会的力の剥奪からのエンパワーメントを重視している。貧しい人びとは制度的・組織的に力が剥奪されているのだから、その力へのアクセス機会を得ることで貧困を克服することが可能になる。これが、オルタナティブな開発である。そして、社会の権力関係の変容を実現する政治的手段が参加型民主主義である。フリードマンは、南の国々を念頭に、参加型民主主義・適正な経済成長・性の社会的平等・持続可能性を論じているが、これらの事柄は南北に共通のグローバル・プロジェクトであると指摘している。

(3) 剥奪とエンパワーメント

 以上の二人の捉え方に共通することを整理しよう。それは第一に、市民的権利や社会的力の「剥奪」とエンパワーメントの視座である。剥奪とは、市民的権利や社会的力が本来のあり方と乖離している状況でもある。第二に、経済的欠乏の克服を重視しつつ、しかもそれを超えようとする開発の視座である。重要なのは、経済開発や社会開発を踏まえた総合的な開発のあり方と言えよう。そして第三に、問題解決の道として、南北の国々の参加型民主主義の実現あるいは充実を展望する視座である。勿論それは、参加型民主主義の形式ではなく、その内実に迫るものである。
 こうして、本稿の基本的視座は、センとフリードマンに負うものである。


V 貧困と開発の学びについて 〜エンパワーメント獲得のプロセス

(1) モノの豊かさから関係性の豊かさへ

 貧困とは、何らかの社会のしくみによって人権が奪われているのである。そうであるならば、その克服は金銭だけでは不可能である。その克服は、政治的・経済的・社会的な従属関係を何らか是正することによってはじめて可能になる。そこでは、人びとが剥奪されている力を自らに獲得する(エンパワーする)ことで自分たちの社会を是正していけることが重要である。そして、こうした理解で気づくことは、経済的欠乏でない「剥奪としての貧困」は、南の貧困を捉える際にも北の貧困を捉える際にも共通することである。また、ここには絶対的な剥奪が存在するのであって、財やサービスで計るような絶対的貧困や相対的貧困の区別はない。
 私たちは、通常、貧困を南の国々の絶対的欠乏として捉えてきたし、北の国々の貧困も経済的格差の問題として捉えがちであった。けれどもここでは、私たち自身の貧困(「豊かさの中の貧しさ」)も見るのである。こうした把握を重視するのは、南北に共通するエンパワーメントの重要性を考えるからである。そして、まずは、私たち自身のエンパワーメントの必要性を直視するのである。つまり、世界の問題を克服するためにも、私たちの地域で、私たち自身の問題を、当事者性というリアリティを伴って解決する力を養う学びが出発点なのである。このことは「自分たちの社会の中で行っていないことを、事情の違うよその社会においてできるはずがない」(中田豊一)という国際協力現場からの声にも連なる。
はたして日本人の暮らしは本当に豊かであろうか。持続可能な開発の観点からも、社会政策のあり方の見直しの観点からも、検討すべき課題はいくらでも存在するであろう。
 また、学校現場の国際理解学習で重要なのは、地域での在住外国人との出会いなどを通して、広い視野で異なるものを受容し、共に生きるためのパートナーシップ精神を身につけることである。そこで留意すべきは、在住外国人の抱える問題に取り組む場合、それを救済するというより、互いに助け合う関係性を築くことである。それを通じて、問題解決のため共に協力できるエンパワーメントの獲得が可能となる。
 さらに、パートナーとの交流を通して、世界の現実や自分との関係性を知ることは、単なる知識でない課題となるであろう。そこでは、地域の中の国際化に触れることでグローバルな視野や相互尊重の考え方を得ていく学びと、世界の諸地域の現実を知り、地球社会のあり方、自分自身の関わり方を問い直していく学びにつながることが重要である。そして、こうした地域学習と地球学習の連関においては、地域における世界との出会いの仕掛けやそこにおけるリアリティある学び、さらに、南の国々との交流を仲立ちできるNGOなどとの協働による学びの工夫が求められる。問われるのは、人間としての生き方や関係性の豊かさを模索する学びである。

(2) エンパワーメントのための学び

 本稿は、社会への問題意識と問題を解決する力の重要性を考えようとしている。開発とは、センにおいては人びとが享受する選択可能性を拡大するプロセスであり、フリードマンにおいては力の剥奪の克服であった。ここでは、それらを踏まえて、問題を解決する力の獲得をエンパワーメントと捉えよう。貧困と開発の学びで重要なのは、「学習者一人ひとりが問題解決に向けてエンパワーしていくプロセス」である。

 こうしたエンパワーメント獲得のプロセスは、「知る」(何が問題か)〜「考える」(どうすれば良いか)〜「行動する」(何ができるか)の三段階で展開する。図は、各段階での学びの諸要素を、パウロ・フレイレ(Paulo Freire,1921-1997)の「意識化」の概念を加味して整理したものである。
   
 <学びのプロセス図>
 +−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−+
 |  エンパワーメント獲得のプロセスの諸要素      |
 +−−−−−−+−−−−−−−−−−−−−−−+
 |         | 人間の権利と多様性の尊重    |
 | 知 る    | 世界の相互依存           |
 |         | 地域及び世界の状況        |
 |         | 剥奪されている権利         |
 +−−−−−−+−−−−−−−−−−−−−−−+
 |         | 因果関係の分析           |
 | 考える    | 自分とのつながり          |
 |         | 変化に必要なこと          |
 |         | 改善のための目標          |
 +−−−−−−+−−−−−−−−−−−−−−−+
 |         | 他者との協力             |
 | 行動する  | 地域での行動・参加         |
 |         | 世界との出会い・交流        |
 |         | 現場の力の信頼と支援       |
 +−−−−−−+−−−−−−−−−−−−−−−+

 基礎知識に裏づけられた問題意識、それについて考える力、そこにおける主体的な気づき、そして行動につながるエンパワーメント。こうした学びの展開が、開発教育の「起承転結」である。近年、学力観をめぐって、知識重視学習と体験重視学習の対立が見られるが、必要を言えば両方必要なのである。その上で、開発教育が重視するのは、問いに対して一定の解答を用意するだけではない学びの深さである。さらに、学びは楽しいことが大切であるが、その「楽しさ」とは、リアリティのある学びの実感であり、学習で主体的な気づきを得、自らがエンパワーしていく喜びではないだろうか。
 図において、「知る」とは、人権と多様性の尊重の視点で状況を知る中で、社会に欠けているもの(剥奪としての貧困)に対して問題意識を抱くことが第一歩である。「考える」とは、因果関係を分析し、さまざまな洞察を通して、感性に訴える気づきを得るのである。そして、改善に必要なこと、その方向性を考察し、状況を変革可能なものとして再構成(意識化)していく。「行動する」とは、それまでの主体的な気づきによって自らをエンパワーしてきた結果として、より良い社会に向けて協力・参加していく力を身につけ、行動できるようになるのである。
 こうして、学習者一人ひとりが、主体的に問題に取り組み、それを解決可能なものとして捉え直し、さらに問題の克服に向けて参加できる力(生きる力)を培っていく。大切なのは、私たち一人ひとりがエンパワーすることである。こうしたプロセスこそが貧困の克服としての開発の学びとなる。それは、センやフリードマンが言う参加型民主主義の内実を問うことにつながるだろう。
 強調したいのは、こうしたエンパワーメントが地域においても世界の現場においても共通に必要なことである。そして、私たち自身のエンパワーメントは、地球的視野の学びを通して、世界が自分と無縁ではなくなり、世界の問題を引き受けることのできる力に発展するはずである。

(3) 子どもの参画とファシリテーター

 『子どもの参画』(2000)で紹介された「アクションリサーチ」は、こうしたエンパワーメント獲得のための地域での活動モデルである。子どもたちは、特に身近な環境との関わりで、地域に出かけてその実情を調査する。その結果、地域の課題と感じたことについて解決策を模索し、問題解決の策が見つかったならば、民主的な方法で環境を重視した地域づくり案を提案していく。


 <アクションリサーチ図> (『子どもの参画』、p.91)  − 略 −


 こうした活動を学校教育の通常の授業の中で実践することは容易でないかも知れない。しかし、夏休みなどに地域に出て行き、環境地図を作成するなどして調査し、開かれた学校でのテーマ学習で、地域の人たちと協働する学びは可能である。
 いずれにせよ、子どもたちは、こうした学びを通して社会に関心を持ち、社会の民主的変革の成功体験を通して参加する力を獲得していく。こうした、学習者の可能性の開花をもって、社会の可能性をも拡大することになる。ここでの子どものアクションは地域での当事者性をもった取り組みであるが、ここから、世界の問題へのアクションにつなぐには、NGOなどと連携したビデオレターやインターネットを通して、世界の地域同士の交流や協力の関係(ネットワーク)を築くことであろう。そうすれば、それは「地球規模で考え、地域でも世界でも行動する」学びに発展する。
 勿論、ここでのテーマは、環境の剥奪だけでなく広く諸問題に適用できる。また、力の剥奪(貧困)と環境の剥奪(環境破壊)とは悪循環をうんでいるのである。こうした問題意識は「持続可能な開発のための学び」に関連している。
 ところで、このような知識伝達型でなく問題提起型の学びでは、ファシリテーションの重要性を強調したい。学びの促進者であるファシリテーター(facilitator)は、十分な専門的素養を持った存在として、学習者の主体的な気づきを促進するのである。重視するのは、仲間と共に気づきを得、自らがエンパワーしていく「楽しさ」に他ならない。
 実践上で特に大切なのは「グランドデザイン」である。そこでの流れは、「つかみ」〜「本体」〜「まとめ」で構成されるが、ファシリテーターは、テーマとねらいを意識しながら、流れを見通し、時間を管理し、まとめのレイアウト(FG=ファシリテーション・グラフィック)を仕上げるなど、全体を掌握して学びの促進を図る。
 ファシリテーターの役割は、「場をつくること」〜「参加を促すこと」から始まって、「問いかけること」〜「聴くこと」〜「引き出すこと」〜「促進すること」〜「まとめること」〜「ふり返りを分かち合うこと」などの展開を築くことである。そこでは「引き出すスキル」「促進するスキル」「まとめるスキル」が求められる。
 こうして、これからの教育には、ファシリテーターの力量向上がますます不可欠であろう。この力量は、教師ばかりでなく、学習者もグループ学習を通して身につけるべきものである。


W まとめとして 〜課題と展望

(1) 概念とリアリティ

 本稿は、貧困について、経済的欠乏を含む社会的剥奪と捉え、南北に共通する概念として整理した。これが南北の現実を見る際の基本的視点である。そして、リアリティを伴った把握のために、地域の問題に対して当事者性をもって取り組むこと、さらに、地域の中の世界との出会い、交流するなどの発展的展開を提起した。
 これからの教育には、ますます地域の教育力やNGOなどのもつリアリティが大きな意味をもつようになる。そして、リアリティある学びにも様々な段階があることに留意したい。単なるイベント的な取り組みに終わりがちだが、出会いから本物の課題解決に向かうような継続性のある学びが重要である。地域の国際交流協会とNGOと教員のネットワークはそのための有効な手がかりである。ファシリテーターである担い手による様々な仕掛けの成果が問われている。
 本書が留意してきた学びの観点は次の通りである。実践においては、単に知識量を増やすのではなく、深く考察することのできるリアリティある学びを重視したい。

 <貧困と開発の学びの観点>
 +−−−−−−−−−−−+−−−−−−−−−−−+−−−−−−−−−−−+
 | 自分を尊重する心    | 異なるものの受容    | わかちあいの心     |
 +−−−−−−−−−−−+−−−−−−−−−−−+−−−−−−−−−−−+
 | 剥奪への問題意識    | 気づき・考える力     | エンパワーメント       |
 +−−−−−−−−−−−+−−−−−−−−−−−+−−−−−−−−−−−+
 | 地球的視野        | 表現・ファシリテーション     | 参加・協力          |
 +−−−−−−−−−−−+−−−−−−−−−−−+−−−−−−−−−−−+

(2) エンパワーメントとアクション

 本稿は、また、貧困と開発の学びについて、南北に共通するエンパワーメント獲得の重要性を強調した。エンパワーメントの獲得とは、問題(権利や力が剥奪されている現象)に向き合い、それを解決していく力の獲得と同義である。
 そうした学びは単に知識として問題を知るのではない。その問題に実際に取り組むことが重要なのである。それは、形ばかりのものに内実を与えていくことでもある。例えば、南の国々で参加型民主主義の形態が整いつつあるとしてもその内実が問題である。同様に、わが国の身近な現実においても、私たちの参加型民主主義の内実を問うのである。
 こうした学びが世界の問題に対してのアクションにつながるためには、まず、私たちの地域と世界の地域とのパートナーシップを築く試みが出発点となろう。先のリアリティある学びと連動する地域同士の交流である。それは、互いに足元からエンパワーしていく学びあいの関係である。そしてさらに、今日の依存関係のままに何かを為すあり方よりも、互いに自立した対等な関係性を模索することが大切であろう。そしていざとなれば、パートナーである現地の力を信頼して、地域に根ざした支援を考えることが問われよう。
 こうした開発と協力に関する諸課題に関しては、機会を改めて検討したい。


参考文献:
・P.フレイレ『被抑圧者の教育学』(亜紀書房、1979)
・J.フリードマン『市民・政府・NGO』(新評論、1995)
・開発教育の教材を作る会『援助と開発』(開発教育協議会、1995)
・国連開発計画『人間開発報告書』(国際協力出版会、1997)
・A.セン『不平等の再検討』(岩波書店、1999)
・A.セン『自由と経済開発』(日本経済新聞社、2000)
・R.ハート『子どもの参画』(萌文社、2000)
・中田豊一『ボランティア未来論』(コモンズ、2000)
・西川潤『人間のための経済学』(岩波書店、2000)
・小貫仁「テーマの構造化の試み」(開発教育協議会『開発教育』No44、2001)
・開発教育協会編『参加型学習で世界を感じる』(開発教育協会、2003)
・晃洋書房『アマルティア・センの世界』(絵所秀紀・山崎幸治編、2004)


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