W−4 こ だ わ り の 地 域 通 貨



                          開発教育協会 小貫 仁
                          地域と地球をつなぐ学びの広場主宰
                          http//www.ne.jp/asahi/onuki/hiroba/


1 地域通貨って何だ?

 「地域通貨」 は文字通り 「限定された地域での生産物やサービスの交換手段」 である。お金ではないが、お金と同じように使用できる。ただし、特定の地域でのみ通用する。
 日本の地域通貨では、千葉の 「ピーナッツ」 や滋賀の 「おうみ」 が比較的よく知られている。「ピーナッツ」は、通帳を使った 「交換リング」 方式で、円と共に使われながら人と人の輪を広げている。「おうみ」 は、1おうみ100円の 「紙幣」 方式で、ボランティアに支払う感謝の印が 「善意本位制」 のつながりを創り出している。
 有名な 「エコマネー」 も この地域通貨の一種である。このエコマネーは、介護とボランティアのサービスの交換に限定している。例えば、北海道の栗山町では、通貨 「クリン」 が介護・福祉を目的として使用されている。
 私の住む埼玉県でも、地元の 生活クラブ生協 で エコマネー の流通実験が始まった。これまでのたすけあいの 「エッコロ共済」 に代わるものである。ここでは、「助ける」 だけのボランティアでなく、時には 「たすけ」、時には 「たすけられる」 という 双方向の 「たすけあい」 を提唱している。

2 エコマネーの「哲学」

 そこで、まず、この エコマネー について、その背景となる 「哲学」 を考察してみよう。
 エコマネー という名称の由来は、@エコロジー(環境)、Aエコノミー(経済)、Bコミュニティ(共同体) の三つを合わせたものとされている。多くの事例は、福祉やまちづくりなどを目標に活用する通貨として具体化されている。このつながり(関係性) の重視がエコマネーの大切な概念のようだ。
 提唱者である加藤敏春氏の考え方は、概ね次のように要約できる。

−−私たちはめざましい経済発展によって経済的な 「豊かさ」 を手に入れた。けれども、その 「豊かさ」 と引き換えに、地球温暖化など地球規模の環境問題を背負うことになってしまった。この状況は深刻である。さまざまな対応策が国際的に論じられているが、本質的な 「人間のライフスタイルにまでおよぶ真の方向づけ」 はいまだなされていない。「豊かさ」 の内実を問うことなしには結局小手先の対処しかできない。
 では、「ほんとうの豊かさ」 とは何なのか、それを問い直すライフスタイルの追求こそが今求められている。その答えは 「情報とサービスは豊かに、モノとエネルギーは慎ましく」 という原則にあるだろう。日本でも、江戸時代には循環型の社会と理想的なエコライフが存在していた。私たちはその伝統に学ぶことができる。
 現代の日本人は 「追いつき、追い越せ」 で経済的な 「豊かさ」 のみを追求している。しかし、その 「豊かさ」 は虚像であり、その延長線上には求めるべきライフスタイルが見い出せないことがわかってきた。これからは、信頼でつながる新しいコミュニティを創造することが問われている。そうした「共」 の世界で、心の通うネットワーク社会を築くことが大切である。そうした 「エコミュニティ」 でのエコライフをつなぐものがエコマネーである。
( 『エコマネーの世界が始まる』、講談社、2000)

3 通貨の本質及び地域通貨の経済的本質は?

 こうしてエコマネーは、通貨との関わり方について何が大切なのかを提示している。それは、経済開発中心の開発のあり方に対するアンチテーゼであり、経済成長を至上とする利潤追求のグローバル化に対して、私たちの住む地域での人と人の心のつながり(関係性)の中にほんとうの 「豊かさ」 を見いだそうとする提案と言えそうだ。地域に根づくスタイルで、経済中心でなく人間中心のあり方を展望している。

 次に、本題として、通貨の本質及び地域通貨の経済的本質に関して、こだわりの考察を進めよう。これは、シルビオ・ゲゼル〜ルドルフ・シュタイナー〜ミヒャエル・エンデ と続く 思索家たちから学ぶべきものである。

−−通貨は、生産物やサービスの交換手段であるが、同時に、貯め込むことで利子を得る資産機能もある。すなわち、通貨は循環してこそ意味があるが、現実は、貯め込まれて循環しない傾向も併せもつのだ。実際、今日の世界経済では、通貨のおよそ95%が生産物やサービスの取引に対応していない。単に金融上の取引あるいはもっと露骨な投機のために使われている。今や世界を舞台とした 「カジノゲーム」 があらゆる金融市場で展開されている。
 そして、利子を自明のものとする金融システムは、巨大な資金借り入れを可能にし、それを利子つきで返すために、毎年数%の経済成長を強制する。それが資本主義経済の発展の仕組みである。そうした経済成長の悪循環が、破壊される自然と搾取される人びととを生み出す。利子は価格に転化(価格のほぼ25%)されて社会全体が負担する。利子を受け取る富裕者は居ながらにしてますます豊かになる。私たちは、このような経済システムに否応なしに巻き込まれて生きている。
 貯め込まれて循環しない通貨の傾向は、実体経済を不況に落とし込める原因にもなる。問題は、お金の循環の停滞である。地域通貨とは、これに対して、通貨の矛盾を克服して地域の経済循環を活発化する手段である。
 歴史的にも、地域通貨は不況期に通貨が出回らなくなることを補う補完通貨であった。近代以降の起源と考えられる例は、大恐慌下に、ドイツ・バイエルン地方の小さな町で発行された「ヴェーラ」という通貨(1931)である。
(『エンデの遺言』、河邑厚徳+グループ現代、NHK出版、2000)

 こうして、今日の地域通貨は、国家通貨のシステムを補完する通貨システムを築くものであり、それによって、地域に信頼の人間関係を創り出すものである。そして、経済のグローバル化に対峙して、世界と共に生きることのできる持続可能なコミュニティ を構築する手段となるもの と言えるだろう。

4 地域通貨と地域コミュニティの未来論

 地域内に限定するならば、そこで通用する地域通貨の使用は何の不都合もない。さらに、今日では、市民起業や市民バンクの動きが注目を集めるようになってきた。それらは、身の丈にあった経済循環を見直すことで、環境を守りながら地域が自立し、人と人とがつながる新しいコミュニティを築こうとする試みであるようにみえる。そして、地域通貨はその柱としてなくてはならない道具である。

 今、世界で最も普及しているのは、発祥地カナダをはじめとして英語圏で繰り広げられている LETS(Local Exchange and Trading System,1983-)であるが、これに類した取組みは世界中で2000以上にのぼると言われている。『エンデの遺言』 には、米国の紙幣である 「イサカアワー」、ドイツの通帳方式交換リングである 「デーマーク」、スイスの交換リングである 「ヴィア」 を支える協同組合銀行(ヴィア銀行) などが詳しく紹介されている。

 日本では、地域通貨の試みはまだ緒についたばかりである。そこには多様な試みがあって良いだろう。地域の人びとの学び合いとつながりの元気こそを大切にすべきである。地域通貨の参加者は、その地で創造されたコミュニティ通貨を通して、地域の自立と共同性を再建することが可能となる。そして、参加者は、地域に生きながらも、「地球規模で考え、地域で行動する」 地球市民となるだろう。


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