様 々 な 工 夫 で 地 球 市 民 意 識 を 育 て る




「 OECF ニューズレター 」 (海外経済協力基金、No65、1998) より

                                   開発教育協会  小貫  仁


授業での工夫

 「開発援助」の学習は国際経済分野の中の南北問題学習の一環として不可欠であり、日本のODAの単元はその中での大きなヤマ場でもある。

 日本のODAを学ぶには、南北問題に対する十分な理解が前提となる。つまり、世界の現実をどうとらえ、その現実とどう関わるかが問われている。

 授業の際に留意しているのは、生徒の当事者意識が欠如しないようにするということである。生徒は、世界の現実や国際協力が身近な生活とかけ離れた印象を受けると、空想力が十分に働かずに共感できなかったり、人ごとと感じて「日本に生まれてよかった」というような感想だけで終わってしまうことになる。自分と世界とのつながりに気づいたり、身近な開発問題を見つめたりすることができるようになるには、視聴覚教材で想像力を助けたり、受け身でない参加型の手法を活用するなど、様々な工夫が必要である。

 授業は次のような項目の基礎的な理解を中心に進めている。すなわち、国連の今日的課題、世界の貿易システム、多国籍企業と国際投資、戦前の南の国々、戦後の南北問題、現代のアジア経済と国際金融、日本のODA/NGOなどである。
 日本の国際協力の意義については、一方的に伝えるのでなく、生徒自身の判断を重視しているため、ODAの学習は「日本は国内問題に専念し、海外への援助は控えるべきである」という論題のディベートから始めている。鋭い援助批判も出されるが、討論は圧倒的に反対意見(援助重視)優勢のうちに進む。ここでは、素朴にでも国際協力の大切さを自ら考えることに意味があると思っている。

国際協力を学ぶ究極の目的

 授業を準備するにあたり、日本の援助について、諸外国と比較しながら、様々なデータを基に調べている。また、「ODA大綱」の理解も重要である。
 円借款を理解するには、そのメリット・デメリットを検討すると共に、贈与との比較など多角的に検討することが考察を一層深めるものとなろう。また、このとき重要なのは「開発とは何か」という問題意識である。これは開発教育の根源的な問いだが、援助は開発のとらえ方に必然的に連動している。(日本のODAも少しずつこの視点からの見直しが進められている面が見受けられる)
 私自身も援助の望ましいあり方を模索しているが、答えは決して単純ではない。

 授業では短絡的に結論を導くことはしていない。国際協力について様々な手法を用いて具体的に考えることで、世界の現実をより深く理解し、未来の地球社会のあり方を考えることが重要ではないだろうか。
 けれども、世界の現実を知り、共に生きることのできる未来を築くための学習教材はいまだ不十分である。また、このような学習が「国際理解教育」の究極的なテーマであるという認識も十分でないだろう。援助実施機関に対しては「国際理解と国際協力のための教育」の重要性を訴え続けると共に、資料の公開及び教材作成の場の提供などを期待したい。
 学習では、グローバル経済や世界の制度的構造の現実を共感をもって理解することが望まれる。そうした学びを通してこそ、世界の現実に責任をもち、その克服に対して関心をもつ、いわゆる「地球市民」としての意識涵養のための教育が可能になるように思われる。


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