T−4 開 発 教 育 の 担 い 手 と 期 待 さ れ る 役 割



『 「開発教育支援のあり方」調査研究 報告書 』 (JICA、1999) より

                             開発教育協会 小貫 仁
                             地域と地球をつなぐ学びの広場主宰
                             http://www.ne.jp/asahi/onuki/hiroba/

1 開発教育の担い手

(1) 高校時代と開発教育

 今回のアンケートによれば、学校教育において、開発途上国をめぐる問題を取り上げる必要性についての認識度は全体の9割と非常に高い。このことに関して、高校段階の必要性の理由には、次のような開発教育の教育的意義が考えられる。
 高校段階の特徴は、自己を探求し、自分の人生を自覚的に決定していくところにあるだろう。また、たとえ自己決定が猶予されるモラトリアムであるとしても、各人が人生観・世界観の確立を目指し、自分の生き方を模索する時期であることは疑う余地がない。したがって、この時期には、各人がふと立ち止まって人生を考え世界を考えることそれ自体に意味があると言えよう。特に、自己中心の世界から脱して、社会的存在として思考の翼を広げていけることが何よりも重要ではないだろうか。地球的諸課題、特に、開発途上国の問題を自分の問題として理解し、自分自身の生活や日本社会のあり方などをも問い直しながら、課題解決のために自分に何ができるかを考える学習(開発教育)は、何よりも世界認識の学習なのであるが、同時に、個人の生き方にとっても大きな意味をもち得ると考えられる。

(2) 実践上の視点

 こうした開発教育を、高校段階で実践するには、次のような視点が重要であろう。
 第一に、中学校までの国際理解を基礎として、世界の貧困・格差の現実とその原因などについて、共感的理解にとどまらず構造的な理解をすすめる視点。第二に、学習は「開発のあり方」を考えることを共通項として、高校での教科学習全体と重なった学習を可能とする視点。そして第三に、授業の方法は、生徒自らの「気づき」を重視し、小・中学校と同様に生徒の主体的参加を重視する視点。
 すなわち、開発教育は、学校における国際理解教育の「今日的な課題領域」を取り扱う教育分野であるが、その内容は、世界の貧困・格差の現実であり、私たちの社会も含めた「開発のあり方」を考えることであり、自分自身の生活を問い直す営みでもある。このように把握すると、実は、開発教育は世界の貧困・格差の現実を頂点としながら、そこに至る学習領域は限りなく裾野が広いとも言わねばならない。逆に、何も特殊な教育分野ではないのであって、私たちが否応なしに地球社会と結びついている今日では、学習は必然的にその地球社会の課題と結びつくことになるのである。

(3) 授業等での実践

 アンケートによれば、授業実践におけるネックは、「時間がない」「教材が足りない」「正規のカリキュラムに入っていない」等があげられる。これらに対する解決策は、教材を増やし、情報をアクセスしやすくし、そのうえで実践を積み上げていくことであろう。新設が確定している「総合的学習の時間」における実践も重要である。
 高校段階の開発教育は、身近なバナナやエビや外国人労働者などを切り口に、具体的に教材を掘り下げていくことでグローバルな開発問題にまで行き着く事例が多くなってきた。こうした傾向は、社会系教科(地理歴史科・公民科)や家庭科において顕著である。言語系教科(国語科・英語科等)では、開発途上国をめぐる問題を直接取り扱う教材が増えてきている。また、教科に関わらず、アジアの人々と交流したり、インターネットでの情報交換を通して学習を深め合う取り組みも貴重である。
 こうした国際的課題に関する教員サイドの取り組み意欲は相応に高いと言えよう。開発教育を支援する体制が整い、現場のニーズに応え得るならば、実践の積み上げは今後ますます増加するものと思われる。特に、新設される「総合的学習の時間」は学際的なグローバルイシューを扱う学習に最も適していると考えられる。国際理解のための総合学習においては、教科の枠を超えた各教科の協力による授業展開が期待されよう。なお、学習の場は教室に限定されない。広く地域の人材を受け入れたり、学習の場を地域に広げたりする学習が求められる。
 また、開発教育の実践は、授業以外にも、生徒会活動、部・クラブ活動、LHR(ロングホームルーム)活動等、教科外のさまざまな場での展開が可能である。特にこれからは、家庭、地域に密着した「開かれた学校」としての実践事例が期待される。


2 期待される役割

!1) 新しい国際理解教育の創造

 学校教育で広く認知されている国際理解教育に関連して、教育課程の基準は「我が国の文化、伝統を尊重する態度を育てるとともに、世界の文化や歴史についての理解を深め、国際社会に生きる日本人としての資質を養う」としている。この内容は、国際理解教育を「文化領域」と「課題領域」に分類すれば、「文化領域」の基準であって「課題領域」については特に取り上げられていない。実際、現実の国際理解教育においては、この基準を念頭に、「異質」なものへの受容を促し「違い」を超えた共通のものへの理解を促すことをねらいとした教育が主に展開されていると言えよう。
 開発教育はこうした国際理解を基礎としながら、もうひとつの柱である「課題領域」を展開する「国際協力のための教育」である。そして、高等学校段階はこの「課題領域」を展開するのに適した発達段階にあると言えよう。
 ところで、開発教育の「開発」とは "development"の直訳だが、その原義は人間が制約から解放されて自己を実現することに関係している。したがって開発教育は、世界中の誰もが抑圧されることなく共に生きることができる望ましい地球社会の実現を模索する教育でもある。世界の現実をひと事でなく理解しようとするこうした学習は、「今日的な課題領域」の学習であるから、本来の国際理解教育と少しも矛盾しない。むしろこの開発教育の視点は、現状の国際理解教育をより豊かにしうるものとして寄与できるであろう。そして、いわゆる”地球市民”のための「新しい国際理解教育」の学習展開の新しい場として「総合的学習の時間」があると考えたい。

(2) 参加型授業と教材など

 開発教育の学習は世界の課題を自分のものとして理解することが重要であるから、生徒の主体的な参加を最も重視する。そうした授業実践の積み重ねこそが期待される。また、開発教育にはさまざまな参加型の手法も豊富に存在している。しかし現在は、参加型教材の質・量は十分とは言えない。その不足を補うためには、教材や情報がもっと整備される必要があろう。
 また、開発教育の授業展開は、生徒の調べ学習ひとつとっても、教室だけにとどまらず家庭や地域と連携して充実していく必要がある。特に高校は、今後、自らが「地域の学習センター」として機能していくことが求められる。その際、開発教育の担い手は、地域の新しいあり方を創造する担い手としても期待されよう。
 さらに、この国際化の時代にあって、教員は高い人権意識と鋭い国際感覚が求められている。授業では、子どもの学習と参加の支援者であるファシリテーターとしての資質なども求められる。そうした資質の向上も重要である。そして、学習の主人公である子どもたちが新しい社会創造の担い手となっていくことを支援するのが、開発教育の担い手の最も重要な役割と言えるだろう。

(3) 行政、NGO等との連携と開発教育ネットワーク

 開発教育の実践は、さまざまな実践事例を共有しあうことが必要で、各地の活動の活性化が求められる。それは小・中・高校を通した開発教育ネットワークの構築にも連なるだろう。そのためのインターネット利用も、授業での活用とともに大きな可能性を秘めている。教員が、行政(ODA実施機関等)やNGOなどと連携して活動していくこともますます多くなるだろう。そうした開発教育実践のための場としての「開発教育支援センター」(仮称)の設置とその発展は、ネットワークの中核として最も期待すべき課題である。


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