開 発 教 育 の 方 向 性


「 開発教育ニュースレター No.84 」 (開発教育協議会、2000) より

                            開発教育協会 小貫 仁
                            地域と地球をつなぐ学びの広場主宰
                            http://www.ne.jp/asahi/onuki/hiroba/


 開発教育って何だろう? 最近、今更のようですが考える機会が多くなりました。開発概念が拡散するなかで、開発教育をどのように捉えるのか?
 また、「新しい現実に対応しなければ」ということも言われています。では、その「新しい現実」をどう捉えるの?
 そんな私にとって、昨年あたりから語られ始めた「もう一つのカリキュラム観」は実に新鮮でした。すなわち、カリキュラムとは、これまで無条件に教育課程であり、教師の側の年間指導計画であったものが、開発教育の考えるカリキュラムは、現場で子どもたちと共に創り出すものであり、学習の過程〜結果それ自体であると。・・・こうしたカリキュラム観が改めて提起されたとき、この発想はすべてを捉え直す契機となり得るとさえ思えました。

足元からの開発教育
 さて、教育で学習者が獲得する能力の土台は、「問題意識」と「考える力」であると常々考えています。これまでの教育では、学習者は問題意識を得ぬまま済まされてきたか、或いは問題意識を単に強制されてきたのではないか。
 それでは、開発教育はそれを克服できているかとなると、私は決して楽観的になれません。提起する開発問題が学習者との関係性を実感しにくいことや参加型手法をこなしきれていないことなどが往々にして壁になってきたと思うのです。
 では、どうしたら良いのか?
 開発教育の学習では、世界の開発問題を直接提起するアプローチと、身近な事柄からのアプローチとがとられてきました。前者の困難は先に触れた通りであり、後者はなかなか問題の本質に辿り着けないまま終わってしまいがちでした。
 そうした経験の上に立って、私は足元の開発問題をみすえる方向を重視したいと思います。開発教育で「日本の開発問題」がなおざりにされてきたのはなぜなのでしょう?
 地域の開発問題には世界の開発問題と同様の構造的問題性が含まれているのであり、何よりも、学習者はその現場を通して強烈な問題意識に達し得るでしょう。
 足元の開発問題を問題としてどう捉え、自分との関わりをどう捉えるのか? そして、どのような課題克服の方法があるのか? 自分はどう対応するのか? ・・・全国各地で、地域の人たちと共に築く独自のカリキュラムの創造が今こそ問われていると思うのです。そうした総合学習ならば、学校の中でも協力者を得やすいでしょう。

世界がわかる開発教育
 地域の開発問題学習には「地球規模で考え地域で行動する」ための見通しが重要です。そうした見通しをもつことが開発教育の真髄です。地域学習には地域と世界のつながりの構造認識への歩みが伴うはずです。
 今日、政治・経済・文化におけるグローバル化が進展する世界は、これまでとは異なる現実を生み出しているように見えます。市場原理の展開は、格差を拡大し、弱者を収奪する傾向を露にし、そのゆがみは、北をも巻き込んだ新しい二極分化、社会的・精神的分裂、さらに環境危機などさまざまに現れています。
 21世紀には、開発問題を軸に地球的諸課題の解決は一層急務となるはずです。・・・こうしたグローバルな認識を進めるなかに、足元からのカリキュラムの展開があると思うのです。
 子どもたちが地域の問題に取り組むなかで、「問題意識と考える力の獲得」から知らず知らずに「世界がわかる学び」にまで深めていくことができる、そんな開発教育の具体化を模索しています。

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