日常の授業に開発教育を


開発教育・関東担い手セミナー 1996年10月12日(土)〜13日(日)
「地域と地球をつなぐ開発教育の可能性と展開」 全体会 より

                             開発教育協会 小貫 仁
                             地域と地球をつなぐ学びの広場主宰
                             http://www.ne.jp/asahi/onuki/hiroba/


 これからお話することは、まず第一に、学校の現場はどうなっているか、第二に、それを発展させて、実際にどのようなことをめざして、どのようなことを実践していくのか、第三に、今後の展望として、学校だけにとどまらず、ここにいらっしゃるような皆さんとの関係、より開かれた関係づくり、あるいはネットワークという言葉をキーワードにしてお互いに助け合って、具体的に活動を進めていくにはどうしたらいいか、ということを考えていきたいと思います。その後、赤石さんと私の発題について、皆さんと討議できたらと思います。

国際理解教育推進校の実態
 最初に、学校の現状についてお話したいと思います。一番目の紙の右側に幾つかの表がでています。
 − 表 <略> −
 出典は、『国際協力と開発教育』というこの本です。平成7年度外務省補助金事業で、1996年3月に国際協力推進協会が発行しました。この本を参考にします。
 このアンケートに回答しているのは、全国の中学・高校の国際理解教育推進校です。

問1 学校で、どのようなところで行っているのか。
<回答> 社会科、道徳、英語の授業でといった回答があげられています。この中では、英語が一番多いようです。
問2 年間、どのくらいの時間数を教えているのか。
<回答> 一番多いのが、年間1時間から3時間というものです。時間数が増えるに従って事例数が減ってきています。
問3 授業を行う時期と教材について。
<回答> 通年が多く、授業に使っている教材としては、第1にビデオなどの視聴覚教材、第2にパンフレットなどの読み物、第3に青年海外協力隊の経験者や海外協力活動に従事している人を講師に話を聞くというパターンが一般的です。
問4 こうした実践で、目的は達せられているか。
<回答> まあまあが半分。不足が半分ということになっています。
問5 不足と答えた場合、では何が必要と思うか。
<回答> この部分は注目したいのですが、「独立した時間、つまり国際理解あるいは開発教育という枠の時間が欲しい」という回答が目立ちます。また、教材や体験談の不足をあげる場合も多いようです。

 以上は、先程申し上げたように、回答者が国際理解教育推進校であることを考えると、あまりにも暗澹たる結果が示されているように思います。学校というのは、そもそも開発教育を展開できる場ではない、と思った次第です。少し絶望した方がよいのではないか、とさえ考えます。
 年間ほんのわずかの時間数で、ビデオなどの教材を見せて、半数以上の学校が「まあまあ」と答えているというのは、本質的に何を意味するのでしょうか。

学校の現状
 先程、赤石さんが黒板に国際化と書かれましたが、学校に限って言えば、国際化はまだまだできていないと思います。学校のなかでの抑圧、ストレス、生徒たちに対する圧迫も非常に強い。こういった状況のなかで、生徒に対して「世界のことを考えろ」と求めることは、足が地についていない議論のようにも感じられます。
 今の学校のなかで、地球市民を育てるというのはどういうことなのかと思います。現存の社会に適応する人間を育てるのに急なあまり、どうも本質を見失っているように感じられます。地球市民を育成するというのであれば、もっと学校を変える、あるいは学校自体が抱える問題について取り組む姿勢が出てきてもいいのではないか。現実にそうならないところに、今の学校の抱える絶望的な硬直性があるように思います。
 学校自体が駄目なのは否めませんが、学校はやはり日本社会の縮図でもある訳です。学校というのは非常に画一的です。日本社会もまたそうなのではないでしょうか。個性や独自性を尊重するよりも、寧ろ枠にはめるのが一般的です。生徒たちを追いたてるように、ゆとりのない教育が行われている訳です。先程申し上げた、既存の社会への適応の教育には、成長第一主義の結果、どういう事態に立ち至っているかに対する問題提起はなく、それにいかにうまく適応していくのか優先されます。金銭を第一とする価値観が学校のなかに根強く入り込んでいます。こういった状況を変えるために、学校は何ができるかということを考えなければなりません。画一性を廃し、それぞれの個性を尊重する方向に向かうことが、国際化の大事なポイントではないかと思います。国際化の進んでいない学校のなかには、やはりいじめにつながるようなものがあるように思います。

学校を変える、授業を変える
 足元の学校を考えることと世界のことを考えることは不可分でなければならない。世界を変えるためには、学校を変えなければならない。そのためには、日本を変えなければならない。こうした視点が大事だと思います。
 また、学校というのは学びの場ですが、「学び」とは何なのか。いまだに多くの学校では、黒板とチョークを使って、固定化した知識注入型の授業が、戦後50年このかた、あるいはそれよりずっと前から行われています。これを乗り越えようとする運動があったとしても、なかなか広がりが持てずにいます。
 こうしたなかでは、世界の問題を自分の問題として考えるということはなかなかできないのではないでしょうか。あるいは、自分の生き方に結びつくような学びというものができないのではないでしょうか。自分の言葉で語り合える、教材の工夫や授業の活性化が求められていると思います。

授業に開発教育の視点を
 国際理解教育というものが、表では非常に特別なものとして扱われていると思います。私たちが「学び」というときには、あらゆる問題が自分の足元の問題であり、あらゆる学習内容が、人権、環境、平和や貧困といった問題と分かち難く結びついています。そういうものに結びつかない授業って一体何でしょうか。私はそういう授業はありえないと思います。
 図を見てください。これは私が担当する「現代社会」の内容を示したものです。私は必ずしも学習指導要領の順に従って授業を行っているわけではないのですが、一応、こういった科目の全体的な体系があります。このなかで、開発教育の視点で授業を組み立ててみれば、1年間を通して、開発教育ができてしまうのです。だから、例えば1時間から3時間、開発教育を行っているという先程の回答にはどうにも納得ができません。私の場合では、年間100時間実践していると言いたいです。
 例えば、「人間と文化」という大単元では、世界の様々な文化について考えることでも開発教育ができます。先住民のことや日本文化をどうすればもっと国際化できるかを考える。あるいは、世界の家族、人種・民族問題、難民の問題も取り上げることもできます。ODAやNGOとの関連について考えてもいいでしょう。
 こういうことを組み合わせて、指導要領の一つひとつに開発教育の視点を取り入れることが可能です。全然特別なものではありません。

 学校教育で何をめざすのか。第一は、私たち自身と社会や世界をつなぐことができる、あらゆる問題を自分の問題として捉えることができる、そういう認識が得られるかどうかです。文部省はよく「態度」を問題にしますが、問題を自分のものとして捉えたとき、はじめて意欲がでてくるし、意欲から態度が出てくるのです。

あえて希望をもつこと
 第二には、赤石さんが先程おっしゃったような、あるいは外務省の八木さんが言われた、地球上の2割が世界の富の70〜80%を独占している絶望的な状況を変えるにはどうすればいいか。私はあえて、私たちの一人ひとりが希望を持つことだと思います。あるいは、自分のやっていることが無駄ではないという信念、勇気を持つことです。これは地球市民として重要な態度だと思います。
 そういうことが持てるような授業をどうつくっていくか。世界の問題を自分の問題として捉え、また社会のあり方に対して自分から積極的に関わる勇気と希望、責任感の持てる市民を育てる教育の重要性を感じる次第です。
 地域間の情報、開発教育の普及の方法、学校の場だけでなく市民と結びつく地域に開かれた学校、地域のなかの学校のあり方、ネットワークのあり方、みんなが元気になっていくネットワーク、パソコン通信やインターネットへの展開などについて、今回のセミナーで皆さんと話し合っていけたらと思います。

 国際交流から国際協力への質的転換を図り始めた自治省に引き続いて、文部省もまた、来年あたり、一つの方針を出してくる可能性があります。また、日教組では1995年頃から開発教育を提唱し始めています。従来の異文化理解を基礎として、新しい指導要領に対して、開発教育の側から何が言えるのかが問われていると思います。


<図> 中等教育における開発教育の視点(例)

大単元  : 中単元      : 開発教育の視点
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人間と    風土と生活    世界の先住民について考える
 文化               世界の多様な文化について考える
        文化と伝統    日本文化の特徴と国際化について考える
        青年期       自分の家族と世界の家族の役割分担を考える 
                   個の確立と地球社会に生きるあり方を考える
環境と    環境と生活    資源エネルギー問題について考える
 生活               人口問題について考える
                   世界の飢餓の実態と原因を考える
        環境保全と倫理  熱帯林破壊の実態と原因について考える
                   持続可能な開発について考える
政治と    地域社会と住民  地域の開発問題を出し合って考える
 経済               地球社会のために地域でできることを考える
        福祉と経済     アジアの国々との経済関係について考える
                   外国人労働者の受け入れの是非について考える
                   福祉の課題を出し合い、その解決策を考える
       憲法と民主政治   『子どもの権利条約』について考える
                   世界の識字の状態と政治について考える
       民主社会の倫理  人間の尊厳性を脅かす状況を考える
                   地球社会で自分に何ができるか考える
国際社会 国際社会の変化  国連の国際的課題への取り組みを考える
と人類   国際経済と協力  多国籍企業と国際投資の実態を考える
                   世界の貿易システムについて考える
                   戦前の南の国々について考える
                   戦後の南北問題について考える
                   国際協力と累積債務の関連を考える
       人類の課題     人種/民族問題について考える
                   難民問題と平和について考える
                   日本のODAについて考える
                   日本のNGOについて考える
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