開 発 教 育 に お け る 環 境 問 題 学 習 の 課 題


『 開発教育 第24号 』 (開発教育協議会、1993) より

                            開発教育協会 小貫 仁
                            地域と地球をつなぐ学びの広場主宰
                            http://www.ne.jp/asahi/onuki/hiroba/


以下の考察は、高等学校社会科における開発教育の試みに関連しています。
内容は現場における環境問題学習実践上の諸問題をまとめようとするものです。
 
1 はじめに

 今世紀も残り十年足らずに押し詰まった現在もなお、南の国々の多くの人びとは依然として貧困と飢餓に苦しんでいます。こうしたなかで、貧困ゆえにこそ砂漠化などが急速に進み 「貧困と環境破壊の悪循環」 とも言うべき現象が現れています。こうした状況ひとつ取ってみても、今日の開発教育にとって環境問題が非常に重要な学習領域であることは明らかです。
 そこで、環境問題を社会科で認識する視点としては次の2点が考えられます。
(1) 原因究明において、世界の社会経済の構造を踏まえて社会科学的に考察できること。
(2) そのために、特に昨年の「環境と開発に関する国連会議」( 以下 「地球サミット」 ) を総括できるものであること。
 開発教育における環境問題学習も、社会科で行う場合の視点は同様であって違いはないと思われます。(開発教育は上の視点をより強く意識するということはあるのでしょうが)

 ところで、環境教育に関する文献として、1992年の文部省 『環境教育指導資料』 (1988年の環境教育懇談会報告 『「みんなで築くよりよい環境」を求めて』 でもよい) を読んでみましょう。そこには 「環境問題を引き起こしている社会経済の背景や仕組みを知り、その構造を環境に配慮したものへと変革していく努力が求められ
ている。……より良い環境の創造活動に主体的に参加し環境への責任ある行動がとれる態度を育成する」 (『資料』 P.6) といった注目すべき記述が見い出せます。けれども、全体としては、そこでの環境教育が本当に世界の経済構造の認識に向けられているようには思えません。「地球サミット」 との関連では、環境倫理の
視点のみに歪小化している印象さえ受けます。
 開発教育の視点からすれば、環境の危機の本質は代表的国際会議としての 「地球サミット」 をどのように総括するかに集約されるのではないでしょうか。ここで、その検討にまで深入りすることはできませんが、開発教育における環境問題学習は当然に世界における南北の社会経済構造を視野に入れたものとなるはずです。(さらに世界の様相のもうひとつの対立構造、つまり南北対立というよりむしろ国の枠にとらわれない 「持てる者」 と 「持たざる者」 との対立も看過できません)

 さて、いざ実践しようとするとき、具体的には次のような課題が重要です。これらは環境学習単元の構造に対応しています。
(1) 世界の環境問題をどのように分類・整理して取り扱うか。
(2) 認識上、環境との関連で「開発」概念をどのように混乱なく扱うか。
(3) 国際的環境政策や環境保全への取り組みをどう扱うか。
(4) 「内なる開発問題」を世界の環境問題の本質との関連でどう扱うか。

 以下、順に考察を進めますが、ここではもっとも原理的な課題である (1)と(2) に絞って検討し、関連してカリキュラムについて若干言及します。(援助がらみの(3)と、リサイクル等「内なる開発問題」にかかわる(4) については、別の機会の検討対象とします)

2 世界の環境問題をどのように分類・整理して扱うか

 開発教育における環境問題学習の取り組みの成否は、まず環境問題をどのように分類・整理するかということにかかっているように思われます。環境教育はどうしても網羅的になりがちだからです。私自身、毎年さまざまな工夫を試みるものの、なかなか納得できるところまで到達できないのが実状です。
 試案としての分類は次の5つに整理できるでしょう。この試案は一橋大学の寺西俊一氏の分類に大きなヒントを得ていることをお断わりしておきます。

(1) 貧困と環境破壊の悪循環型(例、砂漠化)
(2) 先進国による収奪型(例、森林破壊・野生生物の乱獲)
(3) 先進国による公害の輸出型(例、公害工程の移動・有害廃棄物の移動)
(4) 近代化の後追い型(例、途上国の公害)
(5) 近代化の行く末型(例、地球温暖化・酸性雨・オゾン層の破壊)


 1960年代の「開発計画の十年」から今日までの30年は、途上国の二極分化の過程でもありました。工業化が進む国々が出現するとともに、大多数の諸国はいぜんとして 「低開発」 の現状にあります。そしてそこには 「開発と環境破壊の悪循環」 とも言うべき現象が現れています。
 一方、1970年代以降から急激な経済成長を成し遂げてきた後追い型地域(アジアNIES) は、きわめて急速な工業化を押し進め、そのために現在多くの国々ではかつて日本が経験してきた深刻な公害の問題に直面しています。
 こうした 「貧困と環境破壊の悪循環」 と 「開発と環境のトレードオフ」 は、開発教育における環境問題学習の中心的なテーマであると思われます。そしてこれに、先進国による収奪型及び公害の輸出型の環境破壊を加えます。
 もちろん、現在注目されている地球温暖化・酸性雨・オゾン層破壊なども重要です。これらは、近代化のマイナスの成果として位置づけられます。また、世界各国の利害が最も複雑に対立するテーマでもあります。

3 「開発」概念をどのように混乱なく扱うか

 環境問題学習(あるいは環境問題学習にかかわらず)において、「開発」の概念はしばしば混乱して使われ、そのことが生徒の認識を妨げています。
 その内容はざっとあげるだけでも次の通りです。

(1) 対立概念としての「開発」と「環境」
(2) 学習領域として並立される「開発」と「環境」
(3) 幅広い「開発のあり方」の定義(貧困の脱却から工業化まで)
(4) 「開発」と「発展」という類似概念の関係
(5) 幅広い「真の開発」概念(社会変化から人的開発まで)


 このように、認識を妨げる混乱要因が多すぎるのです。(しかも、困ったことに「開発」という用語には南の国々の人びとの内発的発展とは無関係なイメージがあり、さらに、経済開発と短絡的にむすびついて、近代化とか工業化と同義に扱われる現状も否定できません)
 環境問題学習のテーマでは、絶対的貧困下の「貧困と環境破壊の悪循環」と開発独裁下の「環境の危機」をどうとらえるかというとき、環境よりも「開発」、つまりその双方の解決策として「開発」をとらえる現実があります。
 実際問題として、「成功した国々」 はみな経済開発優先のトリックルダウン方式でやってきたのであり、そこでは格差や公害は過渡的な問題でしかないのです。これは途上国政府の見解でもあるのですから、開発教育にとって 「真の開発」 の追求はただでさえ難しく、加えて概念の混乱が認識をますます困難にしているのです。

 さてここで、開発概念の混乱に対してひとつの解答を用意してみましょう。
 かつて開発教育は独自の領域をもって始められました。しかしもともと「開発」とは、先進国・途上国を問わず、人間の権利と尊厳・自立・社会正義を実現していくための、個人と社会のよりよい変化を意味しているはずです。「開発」概念は、独自の領域というより様々な概念を総括できる幅の広さをもっています。そして、「開発」教育の存在意義は中心概念(開発教育自体が中心概念を明確にしているわけではありませんが)における「公正」と「変化」に対する優先順位の高さです。
 言うまでもなく開発教育の内容は 「開発問題」 だけを教育内容とするのではありません。これからの教育は、「開発」概念の包括性をいかし、地球社会の多文化における 「共生の原理」 を前提とした上で、世界の諸問題に対する 「公正の原理」 を最優先して人間が人間として生きることへの責任感を持った市民を育成することが重要なのではないでしょうか。このことが、結果として「平和」と「人権」実現への避けて通れない道のはずです。それが人類社会の 「真の開発」 でもあります。
 この考え方に従えば、開発教育における環境問題学習は、世界における環境破壊の構造的要因を深く認識した上で、「公正の原理」 に基づいて持続可能な 「真の開発」 とは何かを考察し、人々がそのためにどのような努力をしているか、そして、自分には何ができるのかを模索するもの、と言うことができます。
 
4 おわりに

 「開発」概念の混乱は、環境との関連で特に気になるわけですが、一般にはこの混乱はあまり問題とされていないように見えます。(少なくとも、突き詰めるところまで行っていません)
 このままでは 「開発教育」 は 「真の開発」 のための教育とはとらえられず、その名称を捨てざるを得なくなるかも知れません。「国際教育」 あるいはワールドスタディズなりグローバル教育なりの体系の一分野として実を取るとする考え方もあるでしょう。いろいろな立場があってよいのですが、「開発」概念の混乱がその出口を閉ざしているように見えるのです。
 私個人は、先の中心概念の優先順位にこだわって開発教育の存在意義に期待する者です。そして、広義の「開発」概念による「開発」教育には新しいカリキュラムが確立されるべきだと思っています。(たとえば 「開発問題」 は、正しくは 「貧困問題」 または 「分配問題」 とすべきです。このことは、近年「開発」概念の見直しを模索している開発経済学においても、こうした用語を厳密に使い分ける傾向が出てきていることに対応します)

 環境問題学習の議論が、「開発」概念のとらえ直しにつながり、カリキュラムの見直しにまで発展してしまいました。さらに、具体的方法論の模索も含めて、開発教育の課題は山積みしていると思います。私たちはそれに対して実践を通して解決しようとしてきたと思いますが、皆様のさまざまなご意見をお聞きかせ願えたら幸いです。


<備考> 環境問題分類のための参考文献
・ 『地球環境問題の政治経済学』 (寺西俊一、東洋経済新報社、1992)
・ 『発展途上国の環境問題』 (藤崎成昭編、アジア経済研究所、1992)
・ 『環境破壊とたたかう人びと』 (土生長穂・小島延夫編、大月書店、1992)

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