2019年度 奧山順市 作品

  
実験映画
  
 題名『僕と九ミリ半』






フォーマット: デジタル
上映時間:
32分









  


  

  
 




その昔、まだ映画に音が無かった時代、

9,5ミリ・フィルムは、日本では九ミリ半と呼ばれ親しまれていた、

8ミリ・フィルムが登場するまで、小型映画の代名詞であった。





      

<作品コメント>

2019年に開催された<9,5mmワンマンフィルム・フェスティバル2019>
この作品は、そのフェスティバルの様子を、デジタルでまとめた。


今では、ほとんどの人が知らない幻のフォーマットになってしまった九ミリ半。
全盛期が80年以上も前なので、無理もない。
戦後生まれの作者も、しばらくは、書籍だけの情報だった。


しかし、フィルムの中央に送り穴がある為、画面のサイズが、16oに迫るほどの大きさなのだ。
この独特の構造が、大きな魅力になっている。




<9,5mm One-man Film Festival 2019>では、ハンドクランクの機材も使用。
油切れでキーキーとうなり、動いたり止まったりのモーターや、
接触不良で点いたり消えたりのランプなど、
ひやひやの上映会であった。




9,5mm one-man film festival 2019のプログラム





『僕と九ミリ半』鑑賞のしおり ___ 奧山順市
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九ミリ半とは:
フランスのPATHE社が1922年に開発した九ミリ半映画は、戦前に栄えたホームムービーでサイレントであった。
カメラは手回し(後にゼンマイに変わる)、映写機も手回し(後にモーターに変わる)。
カタカタと回る音がリズムを刻む家庭映写会では、蓄音機で好きなレコードをかけながら、観賞することもあったようだ。
九ミリ半とは、フィルムの中央に送り穴が開いており、画面を広く確保できることが大きな特徴だ(画面サイズは8.5×6.5mm)。それは、16ミリの画面サイズ(9.6×7.01mm)に匹敵する。
私は、そんな時代の小型映画に思いをはせ、このフォーマットを、フィルムで制作する最後の実験映画と決めた。

九ミリ半で作品を作る事にする:
今、出来る範囲で九ミリ半に肉薄する事。テーマはそれが全て。
しかし満足に動く機材は限られており、生フィルムも無い。
どこから手を付けるか、気の長い話だった。
焦らず、機材の確保と生フィルムの入手に時間をかけ、古い撮影済みフィルム等もオークションで購入した。あっという間に三年が過ぎていった。
案の定、古い映写機は入手しても満足に動かず、固まっていた。
最初は完動品でも、直ぐに部品が壊れ、動かなくなる。
電源コードも配線コードもボロボロ、映写ランプも通電して点灯したと思ったら、あっという間に切れてしまった。
見た事も聞いたこともない、おもちゃの手回し映写機は、快適に動いていると思ったら、小さなボルトが外れてしまった。
振動でナットが直ぐに緩む状態だったのだ。
やはりブリキの安物だと実感。直ちにねじロックで固め、とりあえずは、ゆるみを止めた。
ちなみにこの当時のネジ山の規格は現代のものと異なるため入手はほとんど不可能。無くさなくて良かったと胸をなでおろしたものだ。
カメラもそうだ。ボディーは痛みが少なかったが、レンズが曇っていたり、フィルム送りや巻取りに難があったりと一筋縄ではいかないと思った。
国内の修理業者は少なく、見つけても、電話での見積もりはかなり高額だった。
生フィルムは、おそらく日本最後の一本らしい九ミリ半のカラー・リバーサル・フィルム(期限不明の在庫品)を、レトロ通販で入手した。
しかし、たった100フィート(速度16コマで4分ほど)なので、撮影できる内容は限られてしまう。
僕が作る3分程度の16ミリ作品でも、100フィートが一本では足りない。テスト撮影で終わってしまう長さだ。
入手したカメラの中に残っていた、古いモノクロの生フィルムも、素材として使用することにした。オークションで入手したホームムービーも、活用することにする。
せっせと集めた機材の多くは脆くデリケートなガラクタで、帯に短し襷に長しなのだが、とにかく進めることにする。

作者が、観客としての作者だけに見せる作品に向かう:
そして、<Okuyama Jun’ichi’s 9,5mm One-man Film Festival 2019>として制作がスタートした。
今ある材料で作ると決めていたので、否応なしにループ・フィルムで構成する事になる。
レンズ無しで入手したカメラは、英国製(メーカー不明)のCマウントだ。
これは16ミリカメラのレンズも利用できるので、愛用の広角レンズをセット。
メイン作品『九ミリ半の送り穴』は、これで撮影することにした。
デジタル作品『僕と九ミリ半』のトップカット(セルフポートレート)もこれで撮影。
16ミリカメラに九ミリ半フィルムをセットして撮影する作品『Frameless 9,5』では、BOLEX 16と、改造したKODAK 16 model E(*1)を使用。
生フィルムはここで使いきる。
残念ながら、ポピュラーなPATHE製の九ミリ半カメラ(固定レンズ)の出番は無かった。


末期的な環境で、最後のフィルム作品が完成:
フィルムの乳剤を溶かして映像を作った作品は、『残り画9,5』、『覗きフォーカス九ミリ半』。
フィルムの乳剤をスプライサーで削ってイメージを生み出した作品『Son optique 9,5』は、ELMOの16ミリ映写機と組み合わせてサウンド作品に仕上げた。
ファウンドフッテージから作った作品『用意!』と『画流れ9,5』は、手回し映写で上映。
『9,5≒16』は、スヌケのダブル8フィルム(16ミリ巾)に貼り付け、
カラー撮影した『九ミリ半の送り穴』もスヌケの16ミリに貼り付けて、
映写速度がコントロールできるNAC製の解析用16ミリ映写機を使用して映写。
16ミリカメラで撮影した『Frameless 9,5』は、モーターとハンドクランク併用のPATHE製の映写機で上映。
古いフィルムの端切れから作った作品『動け九ミリ半』は、手回しの九ミリ半映写機と光源には60年ぐらい前の8ミリ映写機を使用した。
モーターが弱っていたのでスピードが徐々に衰え、へたってゆくさまが印象的だった。
ループ・フィルムをセットした映写機は、一台につき多くて二作品(二本)を担当。映写機の個性と、内容に合わせて振り分けた。
かすれて苦しそうなモーター音の映写機、わりとスムースなモーター音の映写機、手廻しの軽快な歯車音の映写機、部品を削っているようなガサガサ音の映写機など、様々だ。
上映方法も映写機も色々。映写機とのコラボがあったり、フィルムをスクリーンに晒したりと慌ただしかった。
まさに、ライブ感たっぷりのワンマン・フェスティバルであった。


デジタルで残すとは、時代か:
デジタル作品『僕と九ミリ半』は今の所、九ミリ半フィルムを使用した、最後の実験映画かもしれない。



参照:
(*1)私が、ヤスリなどを使ってアパーチャーゲートを削って広げ、サウンドトラック部分にも露光出来る様に改造したカメラである。
2001年の16ミリ作品『Sync pic あっ!画を見てから音が聴こえる』を制作するために改造。


追記:ーーー









               








               



               


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