『僕と九ミリ半』鑑賞のしおり   ___ 奧山順市
  
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  追記:
  
  
  
  
実は、九ミリ半映画は、1980年代に一度チャレンジしている。
  
  
通常の9,5mmフィルムのフレームが無いという意味の『Frameless 9,5』というタイトルで作品制作を計画したのだ。
  
  
(この作品は、今回の作品群の中にリストアップされ目出度く制作された。)
  
このフレームレスには『Frameless 35』(1968)、『Frameless 16』(1971)、『フレームレスDS 8』(2018)等というシリーズ作品がある。
  
  
  
  
新宿東口駅前にあった小さな中古専門のカメラ屋で、カラー(コダクローム)の九ミリ半フィルム(Kodak-Pathe製の25ftぐらいの小さなサイズ)を手に入れ、
  
  
Patheの9,5mmカメラとPatheの16mmカメラでテスト撮影を行う。
  
  
  
  1980年代には、まだ特定のカメラ屋で9,5mmフィルムが細々とだが販売されていた。
  
  
しかし、高齢になった九ミリ半の愛好家が動けなくなり、フィルムは全く売れなくなっていた。もう仕入れないと店主は言った。
  
  
  
  
それならばと、知り合いの輸入業者に相談したところ、Kodak-Patheの9,5mmフィルムは、数十本単位なら仕入れの相談に乗ると言われる。
  
  
私の作品は短編なのでそんなに必要は無い。見本を取っていただいただけで話は終わってしまった。そのKodakのフィルムも、まもなく生産中止になったそうだ。
  
  
  
  撮影したフィルムはフランスで現像(郵送)し、Pathe Babyという手回しの映写機で試写を行った。
  
  
しかし、まったく興味をそそるイメージが無く、企画は中断=中止してしまう。
  
  
  
  
この時の映像の一部は、後に『ムービング・ジョッキー』(2011)というライブ作品で使用する(西麻布にあったSuperDeluxeで上演)。
  
  
  
  
同じころ渋谷には、仁丹ビルの裏手ビルの中にあった中古カメラ屋(今はどちらも存在しない)で、小さな缶に入ったモノクロの九ミリ半の生フィルムを見つける。
  
  「かなり古いものですね」と問いかけると、「モノクロですからまだ撮影できます」とかえされた。売る気まんまんなのだとびっくり。
  
  
買うつもりは無かったので、値段は聞かなかったが、今なら、撮影しても面白いかなと思える。
  
  
この店主は、日活でターキー(女性プロデューサー)と一緒に仕事したことを、目を輝かせて自慢していた。
  
  
生きてきた懐かしい時代は戻らぬが、そこに生々しく存在した事は確かであり、生きていく糧にもなるのだ。と知る。
  
  
  
  
  
  送り穴が主役:
  
  
  
  
いずれにしても、撮影された映像だけを見る場合、九ミリ半の送り穴は、映写機のゲートの陰に隠れておりスクリーンには映らない。
  
  そこだけを観るなら、観客は送り穴が中央にある事には気が付かない。
  
  
なので、構造を知らないと何それ?という事で話は終わってしまう。
  
  
  
  
2019年度 奧山順市の九ミリ半作品は、
  
  だからこそ、送り穴はフレームでもあると強調する。
  
  
そして、送り穴は切り取られた窓の様なイメージ、としても捉えてみた。
  
  
  
  
今回の作品の主役は、こっちなのである。
  
  
  
  
  
  
  
  
  
               
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
               
  
  
  
  
  
  
               
        
        
        
        
        
        
        
        奥山順市のマイフレーム表紙
        
        
        
        
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