再びブルックナー
ゴールデンウィーク初めのこと。
CD店に出掛け、ケルト音楽のコーナーで十枚千円台の輸入CD「Celtic Souls」をみつけました。
なぜかとても安く、発行年もないので迷ったのですが結局値段に負けて購入しました。
そしてその足でクラシックのコーナーに向かい、ブルックナーの棚を物色。
これまた考えたあげく、カラヤン指揮の交響曲八番を購入しました。
さて、その夜。
ケルトのCDは、といえば、買って正解でした。
やたらフルートを吹きまくり、やたらフィドルを弾きまくり、で、
どのCDもとどまることを知らないかのような元気さで、思わず
勢いで十枚全部聴いてしまったほど。
逆に失敗したのはカラヤン。間違えました。
なんというか、きれいすぎてブルックナーではなかったというのが
素直な感想でした。ベートーヴェンやモーツァルトならよかったのかもしれません。
が、ブルックナーではなかった…。
そんなわけで後日、煮え切らない思いを払拭するために、以前、集中して
ブルックナーを聴いていた時期のメモを出してきて読み返しつつ、
改めて他の指揮者による演奏を比べた結果、原点に戻るのが一番ということで
最初に最も感動したスクロヴァチェフスキ指揮のブルックナー交響曲全集を
揃えるというところで、私なりに落ち着くこととなりました。
何が違うといって、鳴りがやはり違うのです。
管の切れ、弦のしなやかさが同等であることは言うまでもなく。
荘厳であり雄大であり宇宙であり。
自然であり生命であり歴史であり。
実に美しくきれいなだけではない、その全てに響き渡ってこそ、
その全てを響き渡らせてこそ、のブルックナーをこの指揮者はまさに表しているのです。
そういう意味ではむしろ失敗ではなかったかもしれません。カラヤンのCDを買ったことがきっかけで、
まさか自分が交響曲を指揮者で聴き比べることになるとは思ってもいませんでしたから。
<2008.05.15 vol.97>