物語に思う

現代詩、と言われて思う。そもそもまず、自分自身が書いている詩は現代詩なのだろうかと。 否、おそらく違う。音楽の世界にも現代曲という言い方があるが、それと同じ見方をするなら 多分違うのではないかと思う。

最近岸本斉史氏のコミック「NARUTO(ナルト)」を読んだ。 主人公うずまきナルトが里一番の忍者になるため日々修行をし成長していく物語で、 初めはどんなものかと思い、一冊二冊を手にしていただけだったのが いつのまにか二十巻まで読み進めてしまっていた。 なるほどおもしろい。それに読んでいて心地良い。 何故か。その理由はきっと、彼が彼自身を信じきっているからだ。落ちこぼれと言われた 彼が強くなりたい一心で、失敗しても自分はこんなものではないとあきらめずに 何度も何度も立ち向かっていく。そしてどんな局面でもあきられないその気持ちがさらに 彼の強さにもなっていく。つまり読者はそこに引き込まれる。だからだろう。

さてここで、果たしてこれは夢物語なのだろうかと考える。 自分を信じると言ってもなかなか思うようにいかないのが現実だ。 信念を貫くことは時として難しい。所詮は綺麗事なのだろうか。 所詮は作り話なのだろうか。所詮はただの物語なのだろうか。

私は少し前、自分の書く詩についてそんな風に考えることがあった。 果たして物語と同じように所詮は綺麗事なのだろうかと。 場所を特定しない雲のようなこれらの詩は所詮独り言なのだろうかと。 その上その詩がどこに位置するのかもよくわからないまま。 不勉強と言われればそれまでだ。が、やはりこれまで通り自分の詩の 行きたいと思う方向へ行こうと思う。人生もまた物語。 物語に触発され、物語に生きていく。そう考えるならその物語の中で、 細くても一つくらいは自分を信じていける詩の道があっても(見つけ出しても) 罰は当たらないだろう。それを自分で曲げさえしなければ。 ねえ、ナルトくん。
初出「詩と思想 2007年12月号」 <2007.12.15 vol.93>

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