びわ湖の午後
五月。びわ湖ホール(小ホール)まで、舘野泉氏のピアノの演奏会に出掛けました。
三年前に脳溢血で倒れ、右半身不随となり、それでも去年左手による作品の演奏によって
復帰されたということで是非生演奏をききたいと思っていました。
当日、ピアノはスタインウェイ。私の席は左よりのC列5番。少し前すぎたかもしれないと思いながらも、
舘野氏が舞台に現れて演奏を始めるとその様子が等身大で目に入り、響きも良く、まさに特等席でした。
それにしても考えてみれば左手だけの演奏をみるというのは初めてのことでした。
状況にもよると思いますが、この日はやはり痛々しいと思えてなりませんでした。
それでもしばらくして音楽だけに集中してくると右手も左手も関係なくなり、(これは氏も言っていたことでした)
そう思うと改めて音楽の素晴らしさに気づかされ、その事実に感動するばかりでした。
また、演奏中、私は「完全な、完璧の人間などいない。では、完全とは何だろう」と、
ふとそんな言葉が思い浮かび考えていました。すべてが終わっている人間などいない。
ましてや今、呼吸をし、生きている人間の中にそんな人はいないのでは…。
私は舘野氏の演奏をCDでしか耳にしたことがありませんでした。例えばセヴラック作品集のCDは演奏も録音も
とてもよく、もっともっとききたいと思わせる愛情のこもったものでした。そんなピアノを弾く人です。
それで終わりではありませんでした。
エッセイ『ひまわりの海』では「はじめは左手のための曲など弾くものかと思っていた」とありましたが、
やはり今を生きる、生きている人間です。音楽を愛する気持ちを抑えることはとてもできなかったのだろうと思いました。
さて、演奏会最後の曲でもあり、氏がご子息から贈られ、復帰するきっかけともなったブリッジ氏作曲「三つのインプロヴィゼーション」。
この曲は本当にきれいな小品でいたわりといつくしみがしずかに伝わってくる曲でした。
そしてアンコール曲の吉松隆氏作曲『タピオラ幻影』より「水のパヴァーヌ」もこの作曲者の曲らしさが
氏の響かせるピアノの音にぴったりと合っていてとてもよかったです。
「完全な人間などいない」。人間はだから、人間なのでしょう。
この日はピアニストであると同時に、人間舘野泉、をとても強く感じた日となりました。
そしてこの氏と同じ時代を生きているという素晴らしさも。
<2005.06.15 vol.65>