ブルックナーの第九
ついに、とうとう、ブルックナーに出会いました。
何が「ついに」なのか、どうして「とうとう」なのか、と、きっとお思いでしょう。
私にとってはそれほど大きく衝撃的な音楽体験だったためです。ブルックナー作曲の交響曲第九番が。
きっかけは、オスカー・レルケという詩人に関する本を読んでいたときのことです。
彼の「ブルックナーの第九にはこの世の幸福と秘密と苦難のすべてがある」という言葉を読み、
これは、と思い早速きいてみたのです。そこで、その時の驚きといったら。
おそらくバッハが偉大であるということを認識して以来のショックでした。
つまり、彼の言葉通りだったのです。何が良い、とかどこが美しい、とか、そんなレベルではないのです。
全く別格で、かつ天才なのです。本当に申し訳ないけれども、バッハ以外の音楽家がその時すべて、
モーツァルトやベートーヴェンを含めてすべて、私の中から遥か彼方へ遠ざかっていってしまいました。
それはもしかしたら、人間にはきこえないはずの音域の音や配列を人間にもわかるように置き換えて
鳴らしているのではないかと思うほどの交響である、まるで、自然そのものでした。
はかりしれないほど壮大で巨大な自然や生命のサイクルそのものでした。
この超越性はどこからくるのか、と考えたところ、ブルックナー自身、バッハと同様にオルガン奏者であったことも
一因にあるのではないかと思いました。(後日、別の本を読んだところ、その可能性は大いにあると論じられていました。)
しばらくして第八番をききましたが、これもまたすばらしい作品でした。
ブルックナーを知る前と知った後とでは、まるで世界が違ってみえるようです。知らなかった自分が不幸とも思えます。
そんなわけで、ついに、なのです。とうとう、なのです。
私自身、ブルックナーを知る、という音楽の高みにやっとたどりついた、やっと一歩を踏み出せた、という気がしています。
<2005.04.15 vol.63>