膚の下

たった今、神林長平氏の「膚(はだえ)の下」を読み終えました。 以前にもコンピュータのことを書いた時にこの作家の作品について触れたことがありました。 今回はアートルーパー(人造人間の意)の登場です。 とにかくまずは先に感想を言わせて下さい。もう、すごい。かっこいい。すばらしい。さすが。 相変わら文章の巧みさといい、物語の終わり方といい。先が気になる、というよりは少しでも長く、 この主人公と同じ世界にとどまっていたい、という気になり、読み終えてしまうのがもったいなくて おかげでわざとゆっくり読んでしまいました……それくらいよかったです。 この物語もまた、生きていくとは、信頼するとはどういうことかということをアートルーパーである 主人公慧慈(ケイジ)を通して切々と投げかけています。

『荒廃した地球を復興するため、彼は人間によって創られた。「われらはおまえたちを創った。 おまえたちは何を創るのか」』この問いに対する答えを探りながら慧慈は考え、行動します。 人間は人間として、アートルーパーはアートルーパーとして生きる…。人間ではなく、ただの機械でもなく

慧慈が人間である上司に向かって言った台詞に「あなたは人間を信じるべきだ」 「それができないで、どうしてアートルーパーが信じられるのだ」という言葉があります。 これには今さらながらドキッとさせられました。現代に至ってもいまだに争いをやめない人類。 慧慈には同種同士がなぜ傷つけあうのかが理解できません。それはそうでしょう。 人間である私でさえ理解できないときがあります。それでも理解しようとする。 人間のように、ではなく、確固たるアートルーパーという存在として、お互いの存在とその役割を理解しようとするのです。 そして全てを経て最後には全ての罪と共に新たな創造主への道へと至るのです。

物語の大まかな設定としては、一見それほど目新しくないかもしれません。 けれどもこの作家の手にかかると単純にそうはならないところが不思議です。 感慨無量とはこのことです。拍手。 <2004.08.15 vol.56>

vol. 57 vol. 55へ





もくじへ戻る