音楽からみた詩、詩からみた音楽
〜企画冊子「立原道造の詩による作曲一覧」はじめに より〜
この調査を始めたのは、まず自分の楽しみとして立原道造の詩に曲を付けていたということと、その頃、すでに出版されていたいくつかの作品について、楽曲分析を試みようとしたことがきっかけでした。
当時はまだ学生で、もしかしたらそれらの曲の中のどこかに立原の求めるうたが潜んでいるのではないか、そして中でもより多く作曲された詩の楽譜を集めて分析し、そこに何かの共通点を見出すことができれば、もしかしたら彼の憧れる音楽が何であったのかわかるのではないか、そう強く思っていました。
おそらく、その発想は私がまさに音楽に向かっていた音大生であったということにも理由の一つにあったのでしょう。
しかし、その思いがいつのまにか薄れてしまったのは結局、現在私が向かっているのが音楽というよりは詩、という事実に他なりません。
付けられた音楽は、結果として詩人ではなく作曲者のものであり、作曲者のイメージによるもの。
この当り前のことに気付いたのは、それでも私自身が実際に言葉に向き合い始めてから何年か経った後のことでした。
この言うなれば「音楽(作曲者)からみた詩」から「詩(詩人)からみた音楽」へという視点の転換は、逆に私にとってはいつしか詩の深みに入り込んでしまったがゆえの、思わぬ贈り物であったような気がします。
とはいえ、立原の詩が彼の詩を越えて、作曲者の音楽と共に歩むことになったとしても、そのはじまりのところに、立原自身の想い描いていたうたが、やはり響いているはずであるという思いに変わりはありません。
詩と音楽が出会い求め合う時、その時にうたが生まれ、うたわれることで、次のさらなる新しいうたへ導き合っていく。
それこそが、うた、すなわち純粋旋律のひとつの姿なのであろうと私は思っています。
さて、今回の一覧では新たに、実用性を考えて資料編を加えました。一昨年の「国文学解釈と鑑賞 別冊立原道造」に掲載した資料はあくまでも参考資料という形にとどまりましたが、今回は過去から現在に至るまでに出版、発売、製作された楽譜、録音資料の情報をできる限り記載できるよう努めました。
なお、本編に載っていて、資料編に載っていない作曲者の作品については、演奏確認もしくは作曲の確認がされたものと判断していただきたいと思います。
しかしながら、全資料を網羅するには至らず、現時点においても未確認の情報が残されている状態ですので、今後共少しずつではありますが、皆様にご助力をいただきながら歩みを進めていきたいと思っています。
また、ホームページ「水の譜」(本編随時更新中)もこの十二月におかげさまで、五年目を迎えることができました。本当にありがとうございます。
最後になりましたが、この一覧を作成するにあたり、多くの作曲者、団体の皆様にご協力をいただきましたことに厚く御礼を申し上げます。
<2003.12.15 vol.47>