二隻の船

この夏、東京で二隻の船をみてきました。

一隻は夢の島に展示されている第五福龍丸。この船は1954年にアメリカが行なった水爆実験に遭遇し、被爆した船です。アルメイト(Eimert, Herbert)作『久保山愛吉のための墓碑銘』という曲があることから、久保山さんの名前だけは知っていたのですが詳しい内容はほとんど知らなかったため、展示館を訪れました。

もう一隻は船の科学館で公開されている(今月末まで)北朝鮮の工作船。この船は一昨年に海上保安庁の巡視船との銃撃戦の末、自爆し、沈没しましたがその後引き揚げられたものです。

さて、この二隻の船の違いは一体どこからくるのでしょう。
海を渡る同じ船として作られたはずなのに。第五福龍丸を目の前にしたとき、あらゆる困難をくぐりぬけてきたその姿、その堂々とした姿に、私は胸を打たれました。ですが、工作船をみたときには、そのみじめな状態に情けなさと怒りを感じました。なぜあれだけの武装が必要だったのでしょう。捜査の結果、薬物の密輸入に関与していた疑いが強いことが判明したそうですが、結局銃撃戦に至ったのです。これが戦争でなくて何なのでしょう。

はじめから漁をするために作られた船と、意図的に犯罪を目的として作られた船。私がこの二隻に対して対照的な想いを抱いたのは言うまでもなく、そのように作った人間がいたからです。そのような気持ちを持った人間がまず先にいたからです。道具を作り出すことのできる動物(既にそれだけでも自然界に迷惑をかけ続けているのに)は人間だけ。ここにきて私は、要は作り出したものをどう使うのかが問題であるということに気づかされました。これは船だけでなく、他の身近な様々な道具にしてもいえることでもあるし、そう、核問題にしても同じです。

物は使い用。おそらくは、生み出した人間自身がまた、人類全体が責任をもたなければいずれ道具に亡ぼされてしまうでしょう。

平和を望むのか、戦争を望むのか、その方向を見定めるのはやはり他でもない私たち自身であると、この二隻の船はまさに身を挺して教えてくれました。 <2003.9.15 vol.45>

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