詩の楽しみ方

6日、荒川洋治氏が講演されるということで、中日詩祭にお邪魔しました。「詩を思う」という題目でのお話はとても興味深くきくことができました。 その内容から似たような考えを抱いていると感じ、心強さを覚えました。

さて、詩人ばかりの集まりに出掛けたのはこの日が初めてだったのですが、ちょっと妙な気分になりました。 よくよく考えてみたところ、これはたとえば旅行に行く前に地図ばかりをみていて、実際の場所を目の前にして感じる違和感、もしくは小説が映像化されたときに感じる違和感と同じような気がしました。

このことを詩に対していうなら、もともと本を読むのが好きな私には、詩は(小説でも)活字で表わされていればそれで充分完成された状態であるのです。詩といえば朗読、といわれるかもしれませんが、そうなると私にとっては読む時点でもう作品は純粋な作品ではなくなり、作品プラス朗読者(年令、読み方、声質を含む)と変化し、素のままではない、全く別の作品になってしまうのです。

よく、小説が原作として先にあって映像化されたものは、やはり小説(ノベライズではなく)を読んだほうがおもしろいといわれることがあるのは、おそらくそこにあると思うのです。それぞれの読み手にそれぞれのイメージを自由自在にふくらませることができる柔軟性。 しかも活字だけで。考えてみればすごいことです。ですからある意味、その作品に感動した読み手が新たに自分の手で何かのかたちにしたいと思うのは、それこそが芸術の精神であり、自然な気持ちの流れなのかもしれません。

で、詩人ですが、やっぱり人間でした。あたりまえですね。そんなわけで、この日はほんの少し、詩が朗読されるのと同じような立体感と現実感(?)を味わいました。 <2003.7.16 vol.43>

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