伝えるもの

やっと、というのでしょうか。気になっていた『ヒカルの碁』を読みました。最初の私の知識といえば、 小学生の男の子に平安時代の幽霊が取り憑いたという程度の単純なものだったのですが、違いました。 これは。今では読めば読むほど、その奥の深さに感心する毎日です。

私が特に注目したのは、その幽霊である藤原佐為の物語における位置です。 佐為は成仏できないままこの世にとどまっていたところへ、ヒカルと出会います。 そしてヒカルはこの佐為との出会いによって囲碁を知り、佐為が去った後もその志を受け継いでいく決心をします。 このいわゆる「伝える」という手段に佐為の存在を持ってきたところに、私は強く惹きつけられました。
たとえば音楽が好きなら、当然音楽が好きになったきっかけがあり、スポーツが好きならそのスポーツを好きになったきっかけがある。 そのきっかけがヒカルにとっては佐為だった。そして知れば知るほどそれに対する気持ちが強くなればなるほど その精神を受けとめ、さらに「自分がやらねければ」という使命感にかられるのは自然でしょう。 これはきっと仕事でも何でも、何かひとつのことに打ち込んだことのある人なら誰でも同じように感じることではないかと思います。
私とて、先人の残した詩の想いに共感し、それを少しでも多く知ってほしい、伝えたいと思って詩に向かっているつもりです。 それと同じです。過去から現在、現在から未来へ続き、続いていく人類の大いなる精神の流れ。 その導き役を佐為はとてもわかりやすく、とても見事にこなしていると私は思うのです。

こういう成長の物語に終わりはありません。途中で挫折してしまってもまた挑戦すればいいし、それでも無理なら 別の誰かが引き継いでくれる。またはじめから。佐為がヒカルにそうしたように。その切磋琢磨のくりかえしです。
『ヒカルの碁』が伝えるものは、人間が時代を越えてなお、受け継いでいくべき精神のあり方ではないかと私は思います。 ですので連載は残念ながら終わってしまいましたが、言ってしまえば最終回でどう終わろうと、いつ終わろうと、 まだまだこれからなのです。そう、私たちも。 <2003.6.15 vol.42>

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